霧島屋初日

 うららかな日差しが風を柔らかく照らし、植物達が背伸びをする。

 開け放された障子しょうじの外には、皐月さつきの蕾が花咲く日までの日数を指折り数えていた。


 真と一樹は一番奥の部屋に通され、霧島屋の主人を待っていた。

 一樹にとって霧島屋の主人は憧れの人なので、胸が反り返るほど背筋をただして正座していた。

 真はいつもの冷静を取り戻しつつあったが、瞳には現代に帰れなかったことへの悲哀があった。

 しばらくすると、亀吉が鼠色の小袖に黒の羽織を着こなした男性を連れてきた。年齢を重ねていることが見受けられるが、老いた感じは一切しない。

 亀吉はどさっとあぐらをかいて座る。その男性は、真と一樹の前に綺麗な所作で正座した。



「霧島屋の主人、伊籐伊兵衛いとういへえ政武まさたけでございます。雷に打たれたのか、家への帰り道が分からない様子だと亀吉から聞きました」


 十七の男子に丁寧な言葉で話しかけた。

 真から一樹と順番に名前を言う。一樹は、前のめりで今にも政武に握手を求めそうな勢いだった。


「家に帰れるようになるまで、うちで働きたいということでしょうか?」


「はい……」

「はい‼」


 政武さんの問いかけに真は申し訳なさそうな声で、一樹は嬉々とした大きな声で答えた。


「分かりました。大丈夫ですよ」


 政武は目尻を下げて微笑み、


「一時だけだとしても仲間が増えることは嬉しいことです。よろしくお願いします」


 と深々と礼をした。慌てて二人も礼を返した。


「主人が言うのもおかしいですが、うちの者はいい人ばかりです。遠慮なく頼ってくださいね。仕事は亀吉に教えてもらってください」


 政武はすっと立ち上がり、去っていった。


「それじゃあ、おめぇらの寝るとこ教えっから、ついてこい!」


 亀吉が立ち上がると、真も急いで立ち上がった。


「待って! 足、痺れた……」


 一樹が眉間にしわを寄せて中腰でピタリと止まった。


「なんでえ! さっきの威勢はどこに行きやがった!」


 と亀吉が笑う。真も笑いながら一樹の手を引いて立ち上がらせる。


 大きな笑い声に食事をしていたメジロが二羽、飛び立った。 


 



 亀吉は、二人のうちの一人は植木屋の息子と知って、初日から働いてもらう気満々だった。


「今、霧島屋は佐根藩さねはん中屋敷なかやしきに新しくお庭を造る手伝いをしている。他の職人が植木をそこに運ぶのに手が空いてねぇ。そこでおめぇらに植木の掘り取りをやって欲しい」


 亀吉は、霧島屋の庭に植えられている若くて細い木々を指し、


「そこにある木を掘り起こして、根巻きしてくれ! すきと、こもがあっちにあっから」


 と仕事の説明をする。

 真がちらりと横目で一樹の様子をうかがうと一樹はニヤリと笑い、


「根巻きは根っこをこもで覆って遠くまで運べるようにすること! あっ……薦は時代劇で死体の上にかかってるやつね!」


 亀吉のように腰に手を当て、得意げに説明する。


「じゃあ頼んだぞ」


 亀吉は心もとない様子で他の職人の方へ向かった。 


 



「亀ちゃぁーん! やっと終わったよ。次は何?」


 汗と混ざった土を顔中につけ、へとへとになった一樹が、か細い声で亀吉に尋ねる。真は髪にまで土を付け、しゃべる気力もないといった様子だ。


「おお、あんだけの木を全部根巻きするとは、やるなぁ。途中で音を上げると思ってたが、すげぇじゃねぇか」


 根巻きされた植木を職人達と大八車に載せていた亀吉が、心底感心した様子で言った。


「疲れたろ。ほら、そこの縁台でゆっくり話そう」


あめむち……」


 よほど疲れたのか、真がこそっと呟いた言葉には恨みが含まれていた。


「明後日、一樹と真には、あっしと江戸城のツツジの剪定せんていに行ってもらう」


「ツツジの剪定?」

「江戸城⁉」


 亀吉の発言に一樹と真の目が輝きだす。


「新人のおめぇらをお城に連れて行くなんざ、前代未聞だぜ。明後日は、中屋敷のお庭造りに職人達がかりだされて人手が足んねぇ……仕方なくだ。ツツジといえば霧島屋だ! 中途半端なことすんじゃねぇぞ!」


 亀吉の喝に二人は迷わず返事をした。


「よし、じゃあ今から気を付けねぇといけねぇことを言うから、しっかり覚えろ!」


 亀吉が一樹の前で人差し指を立てる。亀吉の指をしっかりと見るため、一樹の目がより目になる。


「その一、 江戸城内で人に出会ったら深々と頭を下げること。その二、 俺ら以外の誰とも口をきかないこと。おめぇらの行動次第で霧島屋が二度と城に出入りできなくなるどころか、お縄になるかもしれねぇ」


 亀吉が、分かったか! と言う前に一樹は勢いよく頷いていた。

 

 真と一樹は現代に帰れなかったことも忘れ、歴史資料集の絵でしか見たことのない江戸城に行けることを喜んだ。

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