カピタン一行とお婆さん

「ああ、よかった。通詞つうじさん起きたわ」


「やっと真君起きた! さっそくだけど、ヘルゥプ!」


 一樹と知らない人の疲れ切った声が、起きぬけの真の耳に届く。


 目を覚ましたのは、だだっ広い畳の部屋だった。その部屋の真ん中あたりに一樹と真は布団に寝かされていた。

 他には、達筆すぎて何が書いてあるのか分からない掛け軸、地味ながらもその部屋の雰囲気をすべて決めているような生け花だけがあった。


 おそらく、目を覚ますまで傍にいてくれたのであろう、腰の曲がった着物のお婆さんがちょこんと正座をして困り果てた笑みを浮かべていた。


「カピタンさんの通詞つうじさんですよね? カピタンさんは何をおっしゃってるんやろうか?」


 お婆さんは一樹の若者言葉が分からなかったのか、真を通詞つうじ(通訳)さんと呼び、助けを求めた。

 カピタンと通詞、二人には聞き覚えのない呼ばれ方だった。

 

 一樹がせきを切ったように疑問をぶつける。


「ねえ! 真君、カピタンって何? ここはどこ? 俺はだれ?」


「最初の二つは俺にも分からん。けど、最後の一つは分かるだろ!」


 真は真顔でツッコミを入れたが、岩穴から着物のお婆さんへのビジュアルに


「もしかして、ここは死後の世界? ……カピタンって戒名かいみょうなのか? あは、あはははは」


 と半笑いをした。


「いやだぁ! 真君の頭のねじが外れた! 待って! 死後の世界とか言わないでよ」


 いつもと違う真の様子を見て、一樹が涙目になった。


「なんで泣いておられるのですか?」


 お婆さんは一層腰を曲げ、引き気味で聞いた。真までも涙目になりながら問い返す。


「すみませんが、こ……ここは、どこですか?」


「ああ、言うてませんでしたね。ここは染井の霧島屋でございます」


 真はあの世ではないのだと安堵した。一樹は額に手をやり、


「染井の霧島屋ってなんだっけ? なんか……知ってる気がする」


 と記憶を思いおこしていた。


「まあ! カピタンさん、日本語が上手に話せるじゃないですか」


 お婆さんが胸の前で小さく拍手をした。


「カピタンさんに霧島屋を知っていただけているとは、嬉しゅうございます。先代と今の旦那さんは園芸書を出され、有名でございますからね」


「あっ 思い出した! 霧島屋って江戸時代の植木屋じゃん! その園芸書、父さんに見せてもらった! 江戸時代はこんな品種もあったんだねーって、チョー盛り上がったよ」


「カピタンさんのお父上は旦那様の園芸書を持っておられるのですね」


 お婆さんは嬉しそうに微笑んだが、真は一樹の言葉の残聴を疑った。


「江戸時代の植木屋……? あの、今って何年ですか?」


「今ですか? 享保きょうほう二十年でございますよ」

 

 お婆さんは、何故それを聞くのだろうと不思議そうにした。


「……ウソだろ!」


 真はめずらしく顔の筋肉を最大限動かして驚いた。一方、一樹は、


「キョ―ホー? なに? それ?」


 食べられるの? と言わんばかりの表情。


「何を驚いていらっしゃるのか分かりませんが、昨日、うちの職人達が林に行きましたら、カピタンさん達が倒れていらっしゃって、大急ぎで大八車に乗せてこちらにお連れしたのです」


「カピタンさん、もしや道に迷われたのですか? 長崎から江戸までの長旅ですものね、仕方ありませんよ」


「いや、あの……」


 真は気まずそうに目をそらすが、お婆さんはおかまいなしに話しかける。


「確か、カピタンさんがお泊りになられるのは、日本橋の長崎屋と聞いておりますが……」


 お婆さんの問いに一樹は、いまだキョトンとしていた。


「ごめんなさい。実は……彼はカピタンじゃないし、俺も通詞ではないんです」

 

 真の謝罪にお婆さんは、


「あれ? でもあのお召し物、噂で聞いたカピタンさんのお召し物と一緒ですよ。お袖のところが、細くなっていて……」


 と外に目線を移す。外には、真と一樹の濡れた学ランが竿に通して干されていた。


「しかも、この方の髪は見たことのない素敵なお色! カピタンさんは紅毛こうもうだと聞いておりますよ。紅毛とはこのことでは?」


「あっ、それで……」


 真から思わず納得した声が漏れた。一樹は自分の髪の毛を触りながら


「これはね、おばあちゃん違うんだよ! カリスマ美容師が染めて……イテッ!」

 

 真が一樹の背中を叩いて続く言葉を遮る。


「えっとですね、紅毛なのは、こいつがカピタンに憧れてるからなんです」


 と真は一樹の頭をモシャモシャにした。


「へっ?」


 お婆さんは拍子抜けしたような声を発した。


「こいつがカピタンさんに憧れて、こんな髪にして、オランダ式の着物まで作っちゃったんですよ。いやー、こんなことになるとは思ってもみませんでした」


 真の言葉にお婆さんは納得のいかない表情をする。


「では、なぜ林で倒れておられたのですか?」


「そ、それは……こいつが長崎屋のカピタンさんに会いに行くって言って、向かっていたら林のとこで雨に降られて……そこから覚えてないんです。雷にでも打たれたんですかね?」



「……そうでしたか、承知いたしました。それは大変でしたね」


 こんな無理のある説明を納得してくれるなんて、人が良すぎると真は思った。

 現代に行ったらオレオレ詐欺に気を付けてくださいね! と警告したかった。


「若い物がね、勝手に連れてきたもんで、御上おかみにばれたらお縄になるんじゃないかと心配で……カピタンさんじゃないと聞いたら安心いたしました」


 とお婆さんは立ち上がった。


「それじゃ、わたしは職人の朝餉あさげの片づけがあるので失礼しますね。もしよかったら庭を回られて帰ってくださいな」


 お婆さんが部屋から出ると


「ねえ真くん? 僕の背中を叩いたことの説明はしてくれるんだよね……真君?」


 一樹が真に叩かれた場所をさすりながら問うが、真は蒼白な顔をしている。


「なあ一樹……お婆さん、今、享保二十年って言ったよな?」


「あー、そんなこと言ってたねー。……それがどったの?」


「お前、まだ分からないのか? 享保っていうのは……」


 真は宙を見つめて考えた後、


「俺の年号記憶が間違ってなかったら享保二十年は1735年だよ! 日本は鎖国時代だけど、オランダとは貿易をしててオランダ商館長のことをカピタンっていうんだ。確か、春に江戸に来て将軍と会うんだよ。……そうだよ! だからお婆さん、俺らをカピタン一行だと勘違いしたんだ!」


「うん……つまり……なに?」


「俺たち、285年前にタイムスリップしてるんだよ!」


「そうか、ふーん。……へ? うそうそ⁉ そんなことあり得ないよ! 真君、冗談やめてよ!」


 一樹が目を白黒させているところへ


「おい、騒がしいな!」


 さっきまでお祭りで神輿担いでましたという様な風体ふうていの植木職人がやってきた。




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