9月1日 (黒)
9月に入り、俺はすぐに学生寮へ向かった。寮長曰く、俺の部屋は去年から変わらずに3階の角部屋とのことであった。ギシギシと音を立てる古い階段を登り、部屋の前まで辿り着く。俺は何度もここで黒いヤツに腰を抜かされた気がする。
角部屋の表札には『305 内原』と油性のマジックで書かれている。隣の表札は『304 外海』。空見さんの言っていた『さとし』のことであろう。
とりあえず部屋に入ろうとドアノブを握る。しかし扉は開かれない。しまった、鍵をもらうのを忘れていたのだ。もう一度受付に戻ろうと古い階段へ足を運ぶ。ギシリと一歩踏み出した時、ふと記憶が蘇る。
---先に登ってコレを運ぶのを手伝ってくれるか?
そうだ。俺はこの階段を登った先の屋上に続く梯子から落ちた、いや、落とされたのだ。はっきりと思い出せたのは、外海 聡の感情を失った表情。無意識に俺を突き落としたのだろう。何が彼をそうさせたのか、俺には思い当たる節が無かった。
どうしても気になってしまい、最上階への階段を登り屋上に続く梯子がある場所まで来てみた。梯子は降りておらず、立ち入り禁止のテープが貼られていた。怪我人が出てしまった以上、そうせざるを得ないのであろう。床には二つの大きな血痕がまだ残っていた。俺はこんなに出血したにも関わらず死なずに済んだのか・・・。
受付から鍵を受け取り、また自室の前に戻る。錆びた鍵をノブに突き刺し時計周りに手首をひねると、ガチャリと錠が外れる音がする。扉の建て付けも悪く、開くのに力がいる。部屋の中は掃除されていないようで、埃っぽい。思わず息を止めてしまったが、諦めて呼吸を再開する。ベッドの向かい側にあるデスク上には開かれた手帳と、一本の乾いた万年筆が投げ出されていた。万年筆のインクの蓋も開かれっぱなしであった。
「あぁ、一年も開かれっぱなしだったのか・・・。さすがにもうダメだよなぁ。」
乾いていたのはPILOTの竹炭という黒インク。記憶喪失後に再開した日記作成でも、俺は同じインクを使用していた。記憶を失っていても本質的な好みは変わらないのだなと実感した。過去の日記を手に取ろうと備え付けの椅子を引くと、椅子の上に何かが置いてあることに気づく。
「なんだこれ?誰かの・・・日記?」
記載されている文字は全て濃い青色のインクで書かれていた。ペラペラとめくっていくと、時折覚えのある名称が出てきた。大学名、人物の名称、『デッサン』、『空見 飛鳥』・・・。これは、外海智の日記であった。でも、なぜ俺の部屋にこれが?その答えは日記の最後のページにあった。
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サトシ、
これを読んでいるということは、怪我の方は少しは良くなったということでしょう。
その怪我を負わせたのは、俺、外海 智であることは間違いないです。
医者が言うには、君は目覚めたとしても記憶を失ってしまっているかもしれないとのことでした。
だから、この日記が少しでも君の記憶を取り戻す助けになればと思います。
君は俺のことを恨んでいるでしょう。空見さんとの関係性に嫉妬した、愚かな友人に人生をめちゃくちゃにされて。
簡単な謝罪で終えられるとは思っていません。だけど、誠意として謝罪だけはさせてください。
本当にごめんなさい。
そして、俺の命を以って償いとさせてください。
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一通り彼の日記を読み終えた俺は、記憶のかなりの部分を思い出していた。彼との不気味なほどに多い共通点や、飛鳥との関係。外海智によって失われていた俺の『昨日』は、皮肉にも彼の日記によって取り戻されたのであった。
サトシ、俺は恨んでなどいない。たしかに、君の俺への行いは到底許されることではない。しかし、君をそこまで追い込んでしまった俺にも非はあるのだ。
俺は、この一連の『物語』をただの記憶に終わらせたくないと考えていた。彼とのいくつもの共通点は、自分自身が記憶をたどる上でも混乱を招いた。ならば客観的な視点で見れば、一つの数奇な物語として成り立つのではないだろうか。一人の友人をただの記憶にせずに済むのではないだろうか。そう考えた俺は、下記のルールの元に二つの日記を一つの物語に構成しようと決めた。
・2020年7月3日に目覚めた俺(内原 智)の日記と、外海智の2019年7月3日以降の日記を組み合わせる。
・読み手にとってフェアになるようにそれぞれの決定的な違いである、『インクの色の違い』を明確にする。
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