8月15日 (黒)
狭いカプセルホテル生活にも慣れてきた。この二週間弱で、自分の記憶も少しずつだが輪郭が見えてきていた。やはり、街を歩いたりと何か行動を起こすことで脳に刺激が与えられるようだ。引き続き、できる限り自分から行動を起こすようにしていこう。そして、今日も今日とて外に出る支度を終えた俺は、フロントにロッカーの鍵を預け意気揚々と外に出る。
自動ドアを抜けると、そこにはあの女性が立っていた。
「あ、あの!聡くん、だよね?」
「・・・はい。」
彼女は俺の名前を知っていた。彼女からは懐かしい感じがするのは間違いなく、自分の記憶を取り戻すためには彼女と話すことが不可欠なような気がした。そして俺は思い切って彼女を誘ってみる。
「少しだけ、お話をしませんか?あ、いや、もちろん他に予定があるなら大丈夫ですが。」
「大丈夫です。というか、そのために私はここに来たんです。」
彼女は優しく微笑み、承諾してくれた。
近場のコーヒーチェーン店に入った俺たちは、半個室のように仕切られた席に着いた。お互いにアイスコーヒーを注文し、簡単に今日の天気の話をしてから沈黙に入ってしまう。何か気まずい。落ち着かない俺はメニューをパタパタとしながら、あぁとかうぅとか言っていた。すると彼女の方から話を切り出す。
「聡くん、記憶喪失・・・なんだよね?」
「うん。本当に申し訳ないんだけど、君のこともちゃんと思い出せなくて・・・。」
「そっかぁ・・・。本当に、なんだ。」
彼女は残念そうにうつむき、再び沈黙が始まる。そこへアイスコーヒーが運ばれて来た。彼女は、ストローで氷を突っつきながらため息を吐く。次は俺から話を切り出す。
「あの、絶対初対面ではないと思うんだけど、とりあえず自己紹介をしない?名前を聞けば、もう少し思い出せるかも。」
「・・・それも、そうだね。うん、しよう!」
「じゃあまず、俺から。俺は内原聡って名前で、今はカプセルホテルに泊まっていて、去年事故って記憶を失くして・・・。なんか、とてもかわいそうな大学生です・・・。」
「あはは。知ってるよ。」
彼女は笑った。その屈託のない笑顔には心を揺さぶられるものがあった。何だかむず痒いような、照れ臭いような。
「じゃあ、次は私ね。私は
空見 飛鳥。空見。飛鳥。そらみあすか。様々な映像が頭の中で再生される。
喫茶店。
笑う彼女。
講義。
夜の街。
笑う友人。
梯子を登る自分。
登り切る瞬間に突き落とされる自分。
そして、俺を落としたのは・・・?
俺はそのフラッシュバックによって硬直をしていたようで、空見さんが何度か呼びかけてくれてやっと反応をしたようであった。
「聡くん、大丈夫?」
「・・・え、あぁ、大丈夫、かな。」
「何か思い出せた?私のこととか。」
「いや、まだ断片的で・・・。」
記憶を取り戻すには至らなかったが、やはり彼女の存在は俺の記憶にとっては鍵になる存在のようであった。その後、どれだけ話してもそれ以上記憶が戻ることはなかった。そして、俺たちは店を出ることにした。
「この後はどうするの?私はゼミがあるから大学に戻るけど。」
「俺は文房具屋に寄って帰るよ。万年筆のインクが無くなっちゃって。」
「まだ日記続けてるんだ。その習慣はもう身体に染み付いちゃっているんだね。私のことは忘れるくせに。」
彼女は皮肉っぽく笑った。彼女によれば、俺は記憶喪失以前も日記をつけていたみたいだ。過去の日記をみることは記憶を取り戻す最も手取り早い方法ではないか。そう思った俺は彼女に質問をする。
「俺の日記って、どこにあるの?」
「知らないよ!」
「だよね・・・。」
それは当然の回答であった。ガッカリとしながら、彼女に別れを告げようとしたその時、彼女が助言をしてくれる。
「学生寮の寮長さんなら、何か知ってるかもよ?というか、そこにあなたの荷物も残っているんじゃないの?あ、でも、9月にならないと寮には入れないみたいだから注意ね。」
9月か・・・。少し遠い話だが、俺は学生寮を目指すことに決めた。
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