代役 5

 この日の騒動の数々は、代々受け継がれて行く程の伝説になると誰かが言った。


 だがそれはこの学校の全員が思っていた事だった。そして同時に、もうこんな事は起こらないとも思うのだった。


 しかし、この騒動によって一つ懸念事項が出来た。


 それは翌日の職員室の事である。


「朝のホームルームに出欠の確認を入れるべきだと思います!」


「何を言うか! そんな物は要らん! 邪魔になるだけだ!」


「でも現に無断欠席をしている生徒がいるわけでしょう! でしたら__!」


「ならん! 代々この学校は生徒を信じて出欠を取らなかったんだ! そういう節度を持てる生徒を育成し、世に送り出すのがこの学校の__いや私達の務めだ! あれは例外中の例外だ!」


 この口喧嘩は、若い教師と年配教師の争いだった。どちらがどちらなのかは、目敏い人には分かる事だろう。


「若造先生、老田先生落ち着いて……」


 この喧嘩の仲裁に入っているのは、中年の男性だった。


 名前を仲歳 岩男(なかとし いわお)。この学校に来て五年の月日が経っていた。


「落ち着いていられるか! 我が校の伝統をたかだか青二才の一教師が侮辱してるんだぞ!」


「その考えが古いんですよ! 伝統なんかに甘んじてるから紙が雨のように降ってくるんですよ!」


「何ぃぃ!?!?」


 老田先生と若造先生は互いに火花を散らしながらばちばちと喧嘩している。


「いやだから落ち着いて……」


 仲歳先生はおろおろしながら二人の仲裁に入るが、二人の熱気は止まる事を知らない。


 すると、校長室の扉が開いた。


「朝から騒がしいですね。どうされました?」


 出て来たのは冬香理事長だった。少し疲れた様子で、此方を見つめている。


 その瞬間、老田先生は萎縮した。それを勝ちと見たのか、我が物顔で若造先生が先程の事を話した。


「なるほど。出欠を取るか否か。確かにこうなってくると考えものですね」


 反応が予想と違い、若造先生は焦った。


「そ、そうでしょうか? 昨日の出来事なんてまた早々起きるものではないでしょうし、無断欠席をした生徒だって今日には普通に出席してくるはずです」


「何故今日は普通に出席してくると思うんですか?」


「いやいやここはヒーロー学校ですよ? ヒーローがこんな事を立て続けにする訳が無い」


「楽観的だね君は。昨日無断欠席をしたのが五人も居た事を、君は知らないのかい?」


「ご、五人!? そんなに居たんですか!?」


「えぇ。ヒーロー科に二人、ヒロイン科に一人、モブ科に二人です。これを聞いても貴方はまだ出欠確認は要らないと言い張りますか?」


「そ、それは……」


 若造先生は言葉を無くした。


「出欠確認は要検討とします。先生達は速やかに教室へ移動して下さい」


 冬香理事長はきっぱりそう言うと、校長室へと戻って行った。


「ち……くそが!」


 若造先生は心底嫌そうな顔をした後、老田先生を見つめて鼻息を鳴らしてその場を立ち去った。


 老田先生はそれを見送った後、自席に座って肩をガックリと落とした。


「大丈夫ですか老田先生? 少し老けました?」


「冗談はやめて下さいよ。それにしても、この学校は何だか箱入り娘ですね」


「箱入り娘?」


「とても大事にされてるって事です。いや、大事にされ過ぎてるというか。世間を知らなさ過ぎるというか」


 それが老田先生のこの一年間の感想だった。


 配役__そしてその中の三つの職業に分かれたこの学校は、綺麗過ぎる。


 ヒーローの役割はヒールを倒す事だが、その役割はそれだけではない。


 社会秩序の象徴。そして、優しく清らかで真面目な人間の象徴でもある。


 その事は、小さい頃からずっと親から教えられてきた事で、それは既に義務と課されている。


 だから、それを幼い頃から教えられてきた子供達は、ヒーロー学校を目指す時にはもう立派な人間になっていた。


 それこそ、真面目で有望で将来を見据えて行動している立派な人間だ。


 そんな立派な人間達が集まったのがこの学校だ。


 何事も真面目に取り組み、勉強も予習復習は欠かさない。友達づきあいもコントロールし、多くも無く少なくも無く、といった感じだ。


「箱入り娘……そうですね。そう言われるとそうかもしれませんね」


 仲歳先生は穏やかにそう言った。


「でも、だからこそこの学校は保たれている。平和で何不自由ない学校になっている。私はそう思っています」


 仲歳先生は本心でそう言った。


 けれど、その後の老田先生の一言でふと我に返った。


「確かにそうかもしれません。でも、保たれているだけで良くなっていないと思います。例えるならぬるま湯ですね」


「ぬるま湯?」


「はい。この学校は今、ぬるま湯に浸かっています」


「なるほど。それで?」


「今、誰かがそこにありったけの火を掛けたんです。もし、このまま火を掛け続ければ水は沸騰し溢れ出します」


 面白い例えだと仲歳先生は思った。確かに、言われてみればその通りだ。


 保たれてるだけで良くなってない。こんな事、若い人だからこそ思いつく発想だ。


 けれど本当に呆気にとられるのはこの後だ。


「さながら私達は沸騰石ですね」


「え?」


「溢れ出さないように塞き止める。それが私達の仕事です」


「……これは驚いた。老田先生、貴方は面白い人だよ」


「そうですかね?」


 老田先生は照れ臭そうに笑った。


 その時、職員室の扉が開いた。入って来たのは兵垂先生だった。


 顔がげっそりとし、髭も剃ってないのか少し無精髭が生えている。


「あ、兵垂先生! お身体大丈夫なんですか?」


「あ、あぁ。大丈夫。心配はいらないよ」


 苦笑いを浮かべてそう答えた兵垂先生に、老田先生は難色を示す。


「本当に大丈夫ですか? クマも凄いですよ?」


「いやちちょっと考え事をしていて一睡も出来なかったんだ」


「一睡も!? それは危ないんじゃ__」


「そんなに心配しなくて良いさ。こんな事で私は倒れたりなんかしないよ」


 兵垂先生はそう言って職員室を出た。


 職員室を出た瞬間、奇妙な光景が兵垂先生の前に映し出された。


 廊下がまるで蛇のようにうねっていたのだ。


「な、何だこれは?」


 そのうねりはどんどんと勢いを増し、まるで何かに呑み込まれていくように渦状に回転し始めた。


 その瞬間、胸に激痛が走った。まるで胸の内を握り締められているかのようだった。


「うぅ……うぅ!!」


 その様子を見ていた老田先生は飛び出すように兵垂先生の元へ駆けつける。


「へ、兵垂先生!? 兵垂先生!! 誰か救急車を!」


 その瞬間、またも職員室は騒然となった。


 そんな時、兵垂先生はまたもブラックアウトしそうな意識の中で、こんな事を思ったのだ。


 あぁ。見届けられなかったなぁ。と。


 この日、兵垂先生は病院に運ばれる事となり、受け持っていた授業は全て自習という名目で休みとなった。


 その報告を受けた理事長は、近場にいた長谷川教頭を呼んだ。


「どうしましたか?」


「金条 臆人並びに銀願 龍王をここに連れて来てほしい。大至急だ」


「……畏まりました」


 長谷川教頭は何かを言いたげだったが、出て来たのはその言葉だけだった。


 その事にホッとするも、理事長の目は真剣そのものだった。




 ***




 臆人と龍王はこの日学校に来ていた。理由は、昨日の感触を確かめる為だ。


 生徒の反応を調べるのも、自由ヒーロー党の務めだ。因みに、明、知由乃、右凶もそれぞれ出席し、各々感触を調べてくれるとの事だ。


 まず驚いたのが、昨日配布した紙に紛れた"当たり"の紙が、生徒全員に知れ渡ってる事だった。


「なぁ知ってるか? 昨日の紙の当たりには、この自由ヒーロー党の宛先が書いてあるんだとよ。しかも教師への他言厳禁って記載されてるらしいぜ。要は、その一枚を拾う確率を生徒にする為に、あんなに紙をばら撒いたんだろうな。上手い事するよなこいつら」


 説明どうもありがとう、と臆人はその生徒に言いたくなったが、そんな事したら痛い目で見られるのでやめた。


 彼の説明は的を得ている。もし、当たりの紙をばら撒けば、直ぐに教師が手に取り、やりようによってはアジトを特定されてしまう。


 だからこそハズレを沢山ばら撒き、その中に当たりくじを入れておけば、その一枚を教師が手に取る事は限りなく少ない筈だ。


 それに、生徒が何枚も拾うのはまだ分かるが教師が無数に落ちている紙の群れを何枚も拾う事は無いだろう。


 大方、ハズレの紙だけ見てこんな事をしたのは誰だと怒り狂うだけだ。


 まさにその予想通りの展開だが、当たりの触れ込みが思ったより迅速に働いている。


 これは思ったより早く事が動きそうだ。


 その時だった。


「金条と銀願。理事長がお呼びだ。ついて来い」


 入って早々そんな呼び出しをしたのはマダムス教官だ。よく響く地声は、一瞬で教室を静めさせた。


 臆人はその呼び出しが昨日の件だと言うことは分かっていたが、タイミングが早過ぎる。


 臆人は龍王に目配せした。彼も驚いているようだった。


 もしかすると何かしらミスがあり、簡単にバレてしまったのかもしれない。


 取り敢えず考えていても埒があかないので、大人しくマダムス教官について行くことにする。


 マダムス教官が職員室を開けた時、臆人は妙な違和感を感じた。


 職員室の空気がとてつもなく重いのだ。もし二人が犯人に特定されたなら、怒り狂う教師がいても良いはずだ。


「一体どうなってんだよ」


「さぁな。だが、これから起こる事は間違いなく良い事ではないだろうな」


 確かに、と臆人は思った。


 マダムス教官は職員室を横切り、校長室へと足を運んだ。


 ノックをすると、どうぞと声が掛かった。


「失礼します」マダムス教官はそう言ってドアを開けた。


「さぁ入れ」


 マダムス教官は促すように二人を中に入れ、直ぐにドアを閉めた。


 校長室に入ると、冬香理事長、浮世校長、そして長谷川教頭が揃い踏みでそこに居た。


 校長と教頭が手前のソファーに腰掛け、理事長が奥の椅子に腰掛けている。


「二人ともこっちへ来な」


 前と同様、机の前に立たされた臆人と龍王は、冬香理事長の言葉を待った。


 暫くして、冬香理事長はポツリと言った。


「君達は兵垂先生を知ってるかい?」


「え……兵垂先生ですか? はい。知ってます」


 突然謎の質問をされて言葉に詰まらせるも、臆人はそう答えた。


 確か白髪混じりの年配の教師で、気弱そうな先生だった気がする。あまり強い印象は持ち合わせていない。


 なのでうろ覚え程度だった。


「兵垂先生がどうかしたんですか?」


「彼は今日、病院に運ばれる事になった。原因は極度のストレスによる心臓発作だ。恐らく持病だろうね」


「心臓発作……ストレス……」


 臆人は冬香理事長が何故こんなにも早くここに連れて来たのか理解した。


 要はあの騒動によって間接的であっても犠牲者となった人が出たからだ。


 それにこんな事を臆人は望んでいた訳じゃない。


 この事は、臆人の心を激しく揺さぶった。


「昨日の騒動の際、無断欠席を行なっていたのは五人。その中で、君達二人は前にも騒動を起こしている。だから君達に話を聞く事にしたんだ」


「要は俺達を疑ってるんですか?」


「ま、平たく言えばそうだね。で、どうなんだい?」


 この問い掛けに、臆人は返答を窮した。


 ここでしらばっくれる事は簡単だ。適当にごまかせばいい。証拠は何もないのだから。


 だが、臆人が望んでいたのは見せしめとしてこの学校に自分の存在を思い知らせる事であり、先生達に負担を掛ける事ではない。


 確かに何かしら負担が掛かる事は分かっていたが、誰かが倒れるというのは予想外だ。


「おい臆人。しっかりしろ」


 龍王の声が聞こえた。龍王は判断を臆人に任せているようだった。


 ここで判断を間違えれば、龍王も巻き添えを喰らう事になる。


「さぁ、答えな。君達が昨日の騒動の犯人なんだろ?」


「それは……」


 答えが見つからない。正解は何だ。正義ってなんだ。何が正しくて、何が間違ってるんだ。


 分からない。この答えは__何だ。


「臆人。俺は言った筈だ。俺が正しいと思ったものは正しい。そして俺はお前に答えを委ねた。だからお前がここでする事は黙る事じゃない。答えろ。これが正解だ」


「……龍王」


 その一言で、臆人の迷いは吹っ切れた。


「犯人は__俺達です」


「……そうか」


 冬香理事長はじっと臆人を見つめた。それが何を意味してるのか、臆人には分からなかった。


「君達があの騒動を起こした事で、間違いは無いんだね」


「「はい」」


 二人はきっぱりと非を認めた。


 この選択は間違いなのか正解なのかそんな事はどうでもいい。


 けれど敷いて言うならば、犠牲者が出てしまった時点でこれはもう正義じゃない。悪だ。


「人は誰しもが強くはない。心が弱い人間もいる。それを君達は考慮すべきだったね」


「そうですね」


 確かにそうかもしれない。臆人は弱い人間の事を考えていなかった。今回の敗因はそこにある。


「ならば君達に告げよう。君達は退学だ。処分の具体的な日取りはまた追って連絡しよう」


「……分かりました」


 龍王はそう言って立ち去ろうとした。一刻も早くここから出て行きたかった。


 だが、そこでデジャブは発生した。


 臆人が動こうとしなかったからだ。


「おい臆人__」


「兵垂先生の病院は何処ですか?」


 臆人が振り絞るように言った。


「聞いてどうするつもりだい?」


「会いに行って謝って来ます」


「君達の顔なんて見たくないと思うが?」


「それでも、教えて下さい。お願いします!」


 臆人は目一杯頭を下げた。


 そしてそれに一拍遅れて龍王もまたそれに倣った。


 それを暫く見ていた冬香理事長はやがて呟いた。


「良いよ。教えてやろう。但し、あまり心臓に負担を掛けないように謝る事だね」


「「ありがとうございます」」


 こうして冬香理事長に兵垂先生が入院している病院を教えて貰い、二人は校長室を後にした。


 二人が出て行った後の校長室には奇妙な静けさがあった。


「何だか、どっちが悪人なのか分かりませんでしたな」


 長谷川教頭が冗談めかすようにそう言った。


「全くだ」


 冬香理事長は自嘲気味にそう言って、小さく笑った。




 ***




 その日の放課後、臆人と龍王はすぐさまその病院へと赴いた。


 病院へ来る途中、臆人と龍王は一度も言葉を交わさなかった。というより、交わせなかった。


 病院は待ち受けるようにしてそこに存在していた。


 まるで病院の出入り口が、口を大きく開けた魔物に見えたのは、きっと臆人の心がそう見させるに違いない。


 臆人は入り口の手前で足を止めた。


「どうした?」


 龍王がそう聞いても、臆人は何も答えなかった。


「怖いのか? 臆人」


「……あぁ、怖いよ」


 臆人は投げ出すようにそう答えた。臆人は怖くて仕方がなかった。


 一体どんな暴言を言われることだろうか。どんな仕打ちを食らうのだろうか。


 憎まれるのか悲しまれるのか怒られるのか。こればかりは行ってみなくては分からない。


 だが、そうは思っても足は進まない。まるで糊付けされてるみたいだ。


「なぁ龍王。俺達がやった事は間違ってたのか?」


「……問い返すようで悪いが、お前は間違った事だと思ってあれをやったのか?」


 そう問い返されて、臆人は言葉に詰まった。その答えが、臆人には分からなかった。


 あの時は正しいと感じていた。だが、今は間違ってるとも思う。


 怪我人は出てないとは言えど、心に傷を負わせてしまった人が出たからだ。


「まさか、こんな事になるとは思っていなかった」


「そうだな。だが、いつだって世の中そんなもんだ。結果ってのは何が出て来るか分からない」


「そうだよ。それは分かってるさ。でも、それでも俺は心が潰されそうになる。俺は俺がよく分からなくなってくる」


「弱音を吐くな臆人。おろおろしてるリーダーなんか誰も見たくない」


 龍王はいつも通り毅然とした態度だ。それが今は鼻についた。


「お前は良いよな龍王。退学になってもお前は父親のギルドにでも入ればそれでいいもんな」


「何だと?」


「俺は終わりだ。このまま退学になって露頭に迷うんだ。ま、俺なんて所詮そんなもんだ」


「馬鹿かお前は!」


 臆人の襟がぐいっと上に上がり、龍王は一気に臆人に詰め寄った。周りからの視線が刺さる。


「俺を馬鹿にするなよ。俺は、そんな事まで考えてお前について来た訳じゃない」


 その瞬間だった。龍王の手に、一雫の涙が零れ落ちた。


「分かってるさ。分かってるからこそ悔しいんだよ。このままお前を退学にさせるのが、俺は悔しい」


 臆人は拳を握り締めた。弱い自分が情けない。


「何を言ってる。まだ終わった訳じゃない」


「……え?」


「まだ全てが終わった訳じゃ無いぞ臆人。諦めたらそこで終わりだ」


 龍王は掴んだ手を離すと、入り口へと歩を進めた。


 臆人は奥歯を噛み締めた後、顔を伏せながら龍王の後に続いた。


 その病室へはすぐに着いた。本当にあっという間だった。


 もっと長ければ良かったのにと思ったが、龍王が扉を開けた事によりその思考は途絶えた。


 病室には兵垂先生が居た。真っ白なベットに横たわりながら、窓からの景色を眺めているようだった。


 このまま気付かなければいいのにと思ったが、兵垂先生は直ぐに此方に気付き、振り向いた。


 彼の顔は、思ってたより明るかった。


「君達は……?」


「僕達は、自由ヒーロー党の者です」


 臆人がそう答えると、兵垂先生は驚きを露わにした。まさか、見舞いに来るとは思っていなかったのだろう。


「君達があの騒ぎを?」


「はい」


 二人はそう言って兵垂先生へと近付いた。近づくたびに、心臓の鼓動が高鳴る。


「取り敢えず座るといい」


「いえ、お構いなく」


 臆人は丁重に断った後、大きく息を吸った。


「この度はすいませんでした」


「すいませんでした」


 二人は兵垂先生に頭を下げた。誠心誠意、頭を下げた。


 その様子に呆気に取られたのか、兵垂先生はポカンと口を開けて固まった。


 まるでそれは不思議な物でも見ているかのようだった。


 臆人は様子がおかしいと思った。もっと開口一番罵倒されても良いはずだ。


「まぁとにかく座りなさい。話はそれからだ」


 兵垂先生が再度座る事を要求したので、二人は丸椅子に腰掛けた。


 気まずい雰囲気にならない為に、臆人は直ぐに先手を打った。


「あ、えっと……具合は大丈夫ですか?」


「あぁ問題ない。心臓発作なんて年寄りには付きものだ。こんなのどうって事ないさ」


 それを聞いた瞬間、臆人は胸を締め付けられる思いと一種の安堵を覚えた。


「それにしても、何だか私がイメージしてたのと違うな自由ヒーロー党というのは。君達が考えたんだろう?」


「あ、はい……」


「私はてっきり鬼のような形相のギャングみたいなのを想像してたからね。びっくりしたよ」


「は、はぁ……」


 臆人は何と返事をして良いのか分からず、全てが生返事になる。


 けれど、そんな反応など兵垂先生は気にしてなさそうだった。


「それにしてもあの出来事は、正に天地がひっくり返りそうな程に痛烈な出来事だった。今まであんなに驚いたのは初めてだ」


「はい……すいません」


「謝らなくていいさ」


「……え?」


 一瞬、何を言ってるのか分からなかった。


 というより、今臆人は怒られてるのか褒められてるのかよく分からず、混乱していた。


「何故そんな事を仰るのですか?」


 すかさず龍王がそう問い返した。


「あの日、と言っても昨日の事だけどね。私は、 不安や焦りに襲われた。まるで恐怖に取り憑かれたみたいだったよ」


 臆人は何も答えず、兵垂先生の話を聞いた。


「でもね、私が家に帰ってから考えたのは、明日はどんな事が起こるのだろうって事だった。考え過ぎて夜も眠れなかった」


「え……」


 臆人は何かを言いかけて、やめた。今声に出したら大変な事になると思ったからだ。


「私はね、興奮してたんだ。あんなに次の日の事を考えて眠ろうとしたのはいつぶりだろうね。まぁ、子供みたいに眠れなかったんだけども」


 兵垂先生は照れ臭そうに笑っていた。そこには、憎しみも悲しみも怒りも存在してはいなかった。


「私が今日無理をして学校に行ったのも、まあそれが教師の勤めなのもあるが、やっぱり君達が次に何を起こすか、この目で見てみたかったんだ」


 少しずつ視界がぼやけていく。臆人は顔を伏せた。


「きっとわくわくしたんだよ。だからね、君達は謝ることは何もしていない。私の事は気にするな」


「ありがとう……ございます」


 どれだけ堪えても堪えても、まるでザルのように臆人の目からは涙が溢れて来る。


「そう言えば君達の名前は?」


「金条……臆人です」


「銀願 龍王と言います」


 すると、兵垂先生は目をひん剥いて驚いた。


「まさか君達はあの!? しかも依然君達は問題を起こして無かったか?」


「はい。そうです」


 兵垂先生はまじまじと二人の顔を見つめて、やがて笑った。


「ははは……あははははは!! そうかそうか二人はあの……あれは許さんぞ私は!!!!」


「「!?!?」」


「ヒーロー同士で決闘なんて言語道断だ! けしからん!」


 くわっと顔を変化させて、今度は二人に説教を始めた。


 もうこの展開にはついていけなかった。


 二人は散々説教を食らって項垂れた。怒られに来たのだが、違う所で怒られる羽目になるとは思いもしなかった。


「だがしかし、君達にはそれをやらざるを得ない使命が有ったのだろう」


「「!?!?」」


 今度は二人は許されてしまった。もう訳が分からない。


 こうなったら次に何を言われても驚く事は無い筈だ。


「あ、そうだ。その自由ヒーロー党には私も入れるのか?」


「「!?!?」」


 驚いてしまった。これは不意打ちだ。


 臆人と龍王は互いに顔を見合わせた。


「い、一応……年齢制限は……無い……よな?」


「俺に聞くな」


「そうかそうか! なら私もその自由ヒーロー党に入ろうじゃないか!」


 兵垂先生はノリノリだった。ノリノリ過ぎて少し引く程だった。


「で、でも……」


 臆人は狼狽えた。こんな事想定外だ。想定外過ぎてこっちが心臓発作を起こしそうだ。


「何だ? 君達は老いてるからと言って切り捨てるそんなヒーローなのかい?」


「それは……」


 この言葉で臆人はもう止める手立ては無いと悟った。お手上げだ。白旗降参。


「……俺の党、生徒しか居ませんよ? それにまだ五人しか人居ませんし」


「良いじゃないか。私も心は子供だからね。いや、子供になった、かな」


「なるほど。なら、兵垂先生は六人目の自由ヒーロー党のメンバーになりますね」


「六人目か。ならば年齢的に私が上だから、リーダーは私かな?」


「「いや、それはちょっと……」」


「何!? 老骨を馬鹿にすると痛い目見るぞ!? なんてな! あはははは!」


 兵垂先生は豪快に笑っていた。つられて二人も小さく笑った。


 こんな風に三人で笑い合う事なんて、ここに来る前は考えてすらいなかった。


 来て正解だった。臆人はそう思った。


「ではもう行きますね」


「何だ。もう行くのか?」


「はい。明日も学校がありますし」


「そうか。なら気を付けてな。メンバーに私の事伝えといてな。教師が仲間になったなんてビックニュースだろ」


「ま、まぁ検討しておきます。では……」


 こうして二人は病室から出て行き、すぐさま近くのソファに腰掛けた。


「「はぁ……」」


 そして二人で大きく溜息を吐いた。何だかどっと疲れが一気に来た感じがした。


「あれ龍王? 疲れてない? なんか疲れてるよ? 表情に出てるよ? あれ?」


「……うるさい放っとけ」


 どうやら龍王も相当気を張っていたらしい。こんな龍王を見るのは初めてだ。


 壁に寄りかかって二人は天井を仰いだ。


「これからどうするんだ?」


 龍王は天井を見上げながらそう言うと、臆人は暫し黙り込んだ後、やがて口を開いた。


「なぁ龍王。今思えば、何で冬香理事長はあの場で退学を言い渡さなかったんだろうな?」


 これは疑問に思っていた事だった。恐らくだが、あの場で二人を即座に退学に出来た筈だ。


 仮に即座に出来なかったにしても、何らかの罰を与えて身動きをとれないようにしたっていい。


「俺もそれは気になってた。だが、答えは分からん」


 投げ出すように龍王は言った。


「試されてるのかもな。俺達」


「なに?」


「あの理事長に。俺達が退学処分になるまでに何をするのかを見られてるんだ」


「……だとしてもどうする? いっその事自由ヒーロー党を解体して無かった事にするか?」


「いや、その逆だ」


 臆人は言った。


「自由ヒーロー党を急成長させる。そんで、あの学校にとって切っても切り離せないようにする。それが俺達のやる事だ」

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