代役 2

 翌日になった。今日の天気は快晴で、空には雲一つ無かった。


 けれど臆人の気分は少しも晴れなかった。雨の方が良かったと思うほどだった。


 もう少しで朝のホームルームが始まる。学校に行けば、龍王と顔を合わせる事になるだろう。昨日の事も有り、とても顔を合わせづらい。


 それに今日も周りから白い目で見られるだろう。二重のコンボが臆人を襲うのだ。


 臆人は悩んだ末に、学校に行く事にした。そう決意したのは、逃げたくなかったからだ。


 もしここで逃げたら、二つの事から逃げる事になる。それは絶対に嫌だった。


 教室に手を掛けた瞬間、心臓が一気に早くなるのを感じた。臆人はがむしゃらに手を横に引いた。


 がらがらがらと音を立てて入った臆人に、生徒は一気に目を向けて、やがて冷めた目をして見て見ぬ振りをした。


 触らぬ神に祟りなし。きっとそんな感じなのだろう。そう思うだけで、胸がはち切れそうだった。


 龍王がまだ来ていなかった事にホッとして、臆人は席に座った。


 間も無くして、小林先生がやって来た。龍王はまだ来ていなかった。


 それを小林先生が認知した瞬間、龍王が扉を開けて入って来た。


「堂々と遅刻なんて良いもんですね。流石は銀願家は違いますね」


 数秒の遅刻にも関わらず、小林先生の言い方はきつかった。しかも、その言葉に生徒の大半がクスリと笑った。


 龍王はそれを特に気にした様子もなく、自分の席へと座った。


 臆人はその時一瞬龍王と目が合った。直ぐに目線は逸らしたのだが、見えてしまった。


 龍王の目元には隈が出来ていた。いつも後ろに纏めた金髪のオールバックも、やや良い加減な気がした。


 きっと彼も悩んだのだろう。本当にこれが正しい選択なのかどうか。


 けれど龍王はそれを微塵も感じ取らせようとはしていなかった。寧ろひた隠しにしていた。


 龍王は恐らく、ヒーローが弱気になる所は見せてはいけないと思ってるに違いない。


 臆人は歯がゆくなった。少し前の自分__いや、今もそうかもしれないが、自身の弱ってる所を全く隠せていない。


 それが自分を惨めにさせるのだった。


 授業が始まっても、臆人は全く集中出来なかった。ただこの後の事をひたすら考えるだけだった。


 自分は行くべきか行かないべきか。いや、逃げるべきか逃げないべきか。


 逃げたら死。逃げなくても__。


 相手の口から聞くのが怖い。血筋のお陰だと言われるのが怖い。逃げたい。でも逃げたら終わりだ。


 臆人の悩みは尽きず、気づいたら放課後になっていた。


 龍王はこれからどうするのかと思い、横目でちらりと見ていると、龍王はそそくさと教室を去って行った。


 因みに、昨日校長の所に行くと言っていたが、もし仮に行くとしてもどこで待ち合わせるのか聞いていない。


 ここで龍王を見失えばアウトだ。臆人は無意識の内に駆け出した。


 居て欲しい。居ないで欲しい。居なかったら、言い訳出来るから。


 どこに行けば良いのか分からなかったと、そう言えるから。


 結果から言うと、もう教室の外の見える範囲には龍王の姿は無かった。


 臆人は安心した反面、安心した自分に腹が立った。ぶっちゃけ、龍王に話を聞く手立てなんか幾らでもある。


 携帯から連絡を取ればいい。他の生徒から居場所を聞き出せばいい。いっそのことこの校舎を走り回ればいい。会う手段なんて考えれば幾らでもある。


 だから、安心した所で意味はない。所詮はその場しのぎなのだから。


 臆人は溜め息を吐いて一先ず部屋に帰る事にした。一旦落ち着くのも悪くない方法だ。


 けれど部屋に帰っても落ち着くことは無かった。寧ろどんどん罪悪感に苛まれていった。


 このままで良いのか。行くべきではないのだろうか。もしここで逃げたら__。


 ドンドンドン!!ガチャン!!


 その瞬間、何かを猛烈に叩く音と、そして扉の開く音が聞こえた。


 臆人は焦った。玄関の鍵を閉め忘れていたことにではない。


 もし龍王が連れ出そうとした時にここにいる言い訳を考えていなかったからだ。


 だが、そんな事を考えている余裕はもう無かった。ドンドンドンと足音が近付いてくる。


「おいりゅ__」


「おいチキーーーン!! 居るかぁぁぁ!!」


 その声の正体は右凶だった。そしてその姿に愕然とした。


 右凶はやつれていた。少し前の臆人なんか目では無いほどに変わり果てていた。


 ボサボサの黒髪は相変わらずだが、何より異臭が凄い。恐らく何日も風呂に入って居ないのだろう。


 後、エナジードリンクを飲んでいたのか特有の匂いがプンプンと口から漏れている。


「お前……どうした?」


 こんな言葉しか出てこなかった。だが、右凶はそれに返答もせずに不敵に笑った。


「見よチキン。これが俺の力だ」


 右凶は腕で挟んでいたパソコンを臆人の机に置くと、スイッチを入れた。


 そして映し出されたのは、何かの映像だった。何人かの大人が集まり、真剣に話している。


「……え?」


 臆人は思わず声を上げてその映像を顔を近付けた。


 映像が荒くて一瞬でも分からなかったが、話をしている時の上座にいるのは恐らく冬香理事長で間違いない。


 他にも、マダムス教官や小林先生も映し出されている。


「おいうさきち。こりゃ一体……」


「これは新入生クエストの後の緊急職員会議の様子だよ。因みにこの映像は監視カメラな」


「監視カメラって……一体どうやって?」


「そりゃまあ、俺スパイだからよ。分かるだろ?」


 臆人はポカンと口を開けたまま固まってしまった。


 確かにスパイの職業は情報収集である。だか、ここまで出来るとは思っていなかった。


「これ、違法なんじゃ……?」


「そこはご愛嬌。つうか、一端の生徒に映像抜かれる方が悪いと思うね俺は」


 踏ん反り返って得意げな右凶に、臆人は何故か腹が立ってしまった。


「こんな事して捕まったらどうすんだ! そしたら……お前のこれまでの努力は無駄になるんだぞ!」


 臆人は我慢出来なかった。きっと、右凶は臆人の為を思ってこれをやってくれたんだろう。


 けれど、もしそれで右凶が退学にでもなったら臆人の心は壊れてしまう。


 自分を責め続けて、ここを辞めるに違いない。


 こんな危険なことを人にさせて助けられるなんて、ヒーロー失格だ。


「それは困る。俺は食いっぱぐれたくない」


「ならこんな事するな! 見つかったらどうすんだよ……!」


「自信があった。学校のセキュリティを誰にも知られる事なく抜けれる事にな。でもそれ以上に、お前がうじうじ悩んでるのは見てられない」


 ぐさりと、右凶の言葉が胸に刺さった。


「うじうじ悩んでる暇があるなら即行動だ。情報は鮮度が命。迷ってたら取り逃がす。だから俺が教えてやる。迷った時の道標になってやる。それがスパイの役目でもあるからな」


「……でももう遅い。恐らくあいつはもう__」


「まだ銀願は職員室には行ってない。あいつもまた迷ってる。だからこれを見ろ。これが全てだ」


 右凶はエンターキーを押して動画を再生した。


 その映像は、臆人の心を一瞬で引き込んだ。食い入るようにして流れる映像を見つめる。


 その動画が終了した時、臆人の心は澄み切っていた。憑き物が落ちて、晴れた目をしていた。


 そんな臆人の表情を見て、右凶は笑った。


「どうだ今の気分は?」


「最悪だよ。まさかこんな経緯だったなんて。でも__最高の気分だ!!」


「そっか。いやぁそんな顔されるとスパイ冥利に尽きるね」


 うんうんと唸る右凶に、臆人はホッとした。そして同時に右凶と顔を合わせたのが新入生クエスト以来だという事に今更ながらに気付く。


 何やってんだか、と一人呟いた。


「どうした?」


「いや。ありがとな」


「おう。んで、行くんだろ? 銀願の野郎のとこに?」


「あぁ。そんで、あいつにも分からせた上で校長の所に突撃する」


「そうこなくっちゃな。因みに、龍王は今__おいやばい!! あいつ真っ直ぐ職員室に向かってるぞ!!」


 右京は監視カメラの映像から校舎の見取り図に画面を切り替えた。その見取り図に、何やら一つ赤いマーキングが施されており、そのマークは生き物のように動いている。


「このマーキングってもしかして龍王か……?」


「そうに決まってんだろ!」


「いやお前人になんてもん付けてんだ!」


 この事がもし龍王にでも知れたらただでは済まない気がする。


「良いから早く行け! 早くしないとチキンが訓練所で泣きべそかいてた事言いふらすぞ!」


「な、何故それを!?!? あぁくそ覚えてろよぉ!!」


 色々と言いたいことは後回しにして臆人は猛スピードで部屋を出た。


 そして部屋に一人残された右凶はやれやれと首を振った。


「全く、世話が焼けるヒーローだねぇ」


 そんな事を言われてるなんて露知らず、臆人は猛スピードで寮を駆け抜ける。


「うおぉぉぉぉぉ!!!」


 校舎に入り、職員室までの道を陸上選手さながら走り抜ける。


 途中、廊下を走るなと言われた気がしたが、そんなものは知らない。


 廊下はこういう時に走る為に存在しているのだ(違う)。


「急げぇぇぇぇぇ!!」


 この曲がり角を曲がれば間も無く職員室が見えてくる。


 臆人はスピードを緩めないままその角を曲がろうとして__コケた。


「うぎゃああああ!!」


 壁に体を打ち付け、そのまま床にダイブし、まるでコメディーのように目を白黒させた。ぴよぴよとひよこが頭の上を回ってる気がする。


 だがこうしてはいられないと立ち上がろうとした時、目の前にいた龍王と目が合った。


「うぎゃああああ!!」


「静かにしろ」


 龍王は倒れている臆人を見下ろして溜め息を吐いた。


「ここまで格好悪いヒーローも中々居ないな」


「うるせぇよ! お前が職員室に向かってるって反応があったから急いで……あ、違う! 待て! そうじゃない! えーっと俺はお前の匂いを追って来たんだ!」


「そうか。お前は変態だったんだな」


「ちがぁぁぁう! 今のは嘘だ! お前がここに向かってるって目撃情報があったんだ! そうだ!それだ!」


「そうか。ならこの発信器は外していいか?」


「あぁ良いぞ。お前の居場所も分かった事だし……へ?」


 臆人は間抜け面して間抜けな声を出した。


「お、お前知ってたのか!?」


「あぁ」


 龍王はそう言って襟の後側に隠された小型発信器を手に取り、指で押し潰した。


「さ、早く行くぞ金条。ここでぐだぐだしてても仕方ない」


「あ、ちょ待てよ!」


 そのままそそくさと職員室に向かう龍王を必死に止めて、臆人は言った。


「この騒動の真相を聞いてからでも、遅くはねぇだろ?」


「知ってる。何せ朝方お前のチームメイトから映像が送られてきたからな。それと引き換えに、俺は小型発信器を付けた訳だ」


 返された言葉に脳の処理がついていけない。完全にキャパオーバーだ。


「……どういう事だよ?」


「全ては仕組まれていたんだ。お前は言いように手のひらで踊ってただけだ」


 臆人は唖然とした。


 そして全てを合点した臆人は今頃ほくそ笑んでるに違いない右凶の顔を思い浮かべて叫んだ。


「クソぉぉぉぉ!!」


「嘆いてる暇はないぞ金条。ここで教師に声を掛けられたらまた面倒な事に__」


「おや、何してるんですかそんな所で?」


 その瞬間、曲がり角から小林先生が此方にやって来た。噂をすれば何とやらだ。


「ち……厄介な奴に」


「お前がフラグを立てたからだ」


「どうしたんですか? 職員室に何か用ですか?」


 小林先生はニヤニヤと笑っていた。それは、どちらかというと嘲笑に入る部類で虫唾が走る。


 だが、龍王はそれをおくびにも出さず言った。


「校長先生にお話がありまして来ました。話を通して貰えますか?」


 すると小林先生は急に不機嫌な顔になった。一々癪に触る奴だと臆人は思う。


「どんなご用件ですか?」


「言わなきゃダメですか?」


「えぇ勿論。話を通す訳ですから」


「では処遇についてお話したい事があるのでお願いします」


「処遇? 何の処遇ですか?」


 分からない振りをして小林先生はそう問い返す。


「新入生クエストの件です」


「新入生クエストの件? それだけだと良く分かりませんね。もっと詳しく説明して下さい」


「……俺と金条が新入生クエストで試合をした事で受けた処遇について話がしたいのです。お願いします」


「何を話すつもりなんですか?」


「それは貴方に話す必要はありません」


「私は貴方の担任です。私はそれを聞く権利がある」


「貴方を担任だと思った事は有りません」


 瞬間、その場は氷のように冷え固まった。


「いや馬鹿かぁぁ! 思ってても今言うべき事じゃないだろ!」


「否定はしない。だが俺は正直者だ」


「ダメだ。岩があったら突っ込んで砕くタイプだよお前」


「俺は岩でも貫く」


「いやそういう話じゃねぇから。そんなんでヒーローやってけんのかよ」


 臆人も怪しいが、龍王も違う意味で怪しい気がする。


 もしそこに石橋があった時、臆人は違う道を模索するが、龍王は恐らくそのまま駆け抜けるタイプだ。


「君達は私を担任だと思っていないのですか?」


「いや今は言葉の綾みたいな……?」


「はい。思っていません」


「いやだからぁぁ!」


 その瞬間、小林先生の表情がガラリと変わった。臆人はゾッとした。彼の目がひん剥くように見開かれ、尋常ではないほどに血走っていたからだ。


「それはあれですか? 私が良い血筋の生まれではないからですか? どうなんですか?」


 小林先生の口調が一気に荒くなるが、龍王はそれを意に介さない。


「違います。単純に尊敬出来ないからです」


「私は教師。貴方はその生徒。尊敬出来ないからと言って担任だと思わないなんて、それは一方的過ぎませんか?」


「言い方を間違えました。俺は貴方が嫌いです。だから担任だと思ってません」


 その言葉で、小林先生の堪忍袋の尾がぷっつりと切れた。


「ふざけやがってクソガキが! 良い血筋の分際で調子に乗りやがって! お前らの代わりなんて幾らでもいる! ヒーローにもなれてないただのクソガキが! お前らなんか退学になれば__」


 臆人が小林先生の怒涛の言葉に呆気に取られている時、突然枯れの体がくの字に曲がった。


「かは……!」


 小林先生はそのまま床に倒れ込んで、恨めしそうな顔で二人を睨んだ。


「こんな……事してタダで済むと思うなよ」


「えぇ。一度は退学を覚悟した身ですので、存分に。ですが、貴方に言えますか? 生徒に拳一発でのされた事を」


 その瞬間小林先生は精一杯歯軋りをして、やがて事切れたように意識を失った。


「行くぞ金条」


「え、おい! このままにしていいのか?」


「あぁ。それよりも早く職員室に……」


「だからそれは__」


 フラグだと言おうとした時には既に遅かった。


 先程の怒鳴り声を見兼ねた教師が次から次へと職員室から出てくる。


「お前達そこで何やってる!!」


 教師の一人が怒鳴り声を上げて此方に向かってくる。ここから職員室までは一直線だ。逃げ場は無い。


「金条。こうなったら強行突破だ。あの場にいる教師を全員気絶させろ」


「は、はぁ!? お前それマジで言ってんのか!?」


「出来なきゃ終わりだ」


 そう言い捨てて、龍王は教師達に向かっていった。


 職員室から出て来た教師の数は五人。しかもここは職員室の出入り口だ。この人数だけでは済まない可能性もある。


「どうなっても知らねぇぞ!」


 臆人は色々な思いを吹っ切って、待ち構える教師に向かって行った。安堵すべき事は、全員男の教師だった事だ。


「何だやる気かぁ? 生徒の分際で!」


 大柄な教師が龍王と向かい合う。その背後に二人の小柄な教師が張り付いた。


 それを見かねて手助けに行こうと思った臆人だったが、その前を教師二人に塞がれた。


 これではこの二人を倒さないと助けに行けない。


 歳を取ったとはいえ、相手はヒーローを育てる教師だ。生半可な相手ではない。


 けれど、臆人は龍王を信じてこの二人と戦う事にした。簡単にやられる様な奴では無いだろう。


 それに、ここには剣がない。だから、思う存分戦える。その事に、ワクワクする自分もいた。


「お前ら、こんな事していいと思ってるのか! それとも、血筋が良いと何もかも許されると勘違いしてるのかな?」


「馬鹿言わないで下さい。玉砕覚悟ですよ。俺も、あいつも」


 その瞬間、二人の教師は動いた。二手に分かれて前と後ろについた後、同時に殴りのモーションに入った。


 臆人は前と後ろ、同時に襲い掛かる拳を避けてそのまま二人の教師の腕を掴んで交差させた。


 すると教師達は体勢が崩れて頭と頭をぶつけてそのまま床に倒れ伏した。


 だが、教師達は直ぐに起き上がると、勢いよく摑みかかる様に襲って来た。


 臆人は無意識に後ろに退いた。


 すると、気付けば壁に背中を預けるような配置になっていた。しまったと臆人は思うが時既に遅し。


「逃げ場は無い。大人しく捕まれ」


「捕まったらどうなるんですか?」


「退学だ」


「なら、大人しく捕まる事は出来ません__ね!」


 臆人は体をぐっと縮め込ませた後、一人の教師の懐に潜り込んだ。そのまま襟を掴み上げ、相手の体重を腰に乗せるようにして引き込んだ。


 すると、教師の体がフワリと浮いて回転し、そのまま

 前にいた教師と揉みくちゃになった。


「く……そ……」


 巻き込まれた側の教師は既に気を失っていたが、もう一人の教師には意識があった。


「はは……流石血筋が良いと……違うなぁ……」


 その教師は自身を嘲るようにそう言って気を失った。


「……くそが」


 臆人の気分は最悪だった。歯を噛み締めて、拳を力強く握り締めた。


 全ては血筋のお陰。そう言われてる気がした。


「おい金条。早く来い」


 ふと後ろを振り返ると、龍王が立っていた。口元が切れて血が出ているので、一発殴られたのだろう。


「あ、あぁ……」


 臆人は倒れている教師達を横目に職員室へと向かった。


「職員室の奥に扉がある筈だ。そこが恐らく校長の部屋だ」


「分かった」


 臆人は職員室の扉に手を掛けると、思いっ切り横に引いた。ガラガラと音を立てて扉が開く。


「何か用か?」


 その瞬間、背筋が凍った。鳥肌がブワッと逆立った。


 目の前にいたのはマダムス教官だった。軍服を着て、サングラスを掛けて此方を見ていた。


 そしてその視線は直ぐに奥の教師へと移行した。


「ここまでして何をしに来た?」


「校長に……話があります。えっと……あの件で……」


 臆人は思うように回らない口をもどかしく思いながらも、言い終えた。


 マダムス教官は暫し黙った。一瞬、龍王の方を見た(気がする)。


 そして言った。


「分かった。ついて来い」


 意外な言葉だった。二人は呆気にとられたが、マダムス教官が身を翻して職員室を突き進み始めたので、慌ててその後ろをついて行った。


 校長室は直ぐに辿り着いた。木製の扉に札が立てかけられていた。


 マダムス教官はノックをして、事情を説明した。すると、扉はすんなりと開いた。


「さぁ行け。気が済むまでやって来い」


 それだけ行ってマダムス教官は職員室を出て行った。


 それが激励の言葉なのか嫌味なのかは判断しかねたが、そんな事は些細な事だった。


「来たかい。待ってたよ」


 目の前で凛と構えていたのは、校長でもなく教頭でもなく、冬香理事長だった。


 凄みのある瞳に、二人は一瞬にして劣勢に立たされた。場を掌握されたと思った。


「突っ立ってないでこっちに来るといい」


 理事長は校長室によくある高級な椅子に腰掛けて、机に両膝をついていた。


 恐らくその机の前まで来なさいという事だろう。


 臆人は身を震わせながら机へと向かった。対する龍王は、動じていない様子だった。


 机の前に立った後、冬香理事長はこう言った。


「何をしに来たんだい?」


 この言葉に龍王が即座に反応するかと思ったが、押し黙っているため臆人は慌てて答えた。


「いや、その……処遇について話があって来ました」


「新入生クエストの事だね。何が不服なんだい?」


「その……何で俺達には何の処罰も無いのでしょうか?」


「処罰は与えたつもりだよ」


 その一言で、臆人の怯んでた心は消えた。というより搔き消された。


「見せしめが俺達の処罰なんですか?」


 その瞬間、冬香理事長の顔が変わった。想定外だと言わんばかりだった。


 けれど、直ぐに何かを合点したように頷いた。


「なるほど。学校のセキュリティを掻い潜った生徒は君のチームメイトか。大方、職員会議の監視カメラの映像でも取ったのかな?」


「え、そ、それは……!?」


 瞬間臆人の頭がパニック状態になった。右凶の目論見がバレていた。これでは右凶は退学の道へ真っ逆さまだ。


 けれど臆人には体のいい言い訳が思いつかず口ごもってしまった。そんな臆人を見て冬香理事長は不敵に笑った。


「まぁ、この事を知っているのは私しかいないし、気付くのも私くらいさ。大した腕前だよ。カンシャする事だね」


「はぁ……」


 臆人は曖昧に返事をした。思ってたより優しそうな理事長だったからだ。少し拍子抜けだった。


「本当の事を言うと、がむしゃらに突っ込んでくるだけなら叩き出してやろうかと思ったけど、案外やるね」


「あ、ありがとうございます……」


 終いには褒められてしまい、臆人はもう何と返したらいいか分からなかった。


 だが、やはりというべきか、理事長は理事長だった。


「でもね、処分は覆らないよ。こればかりはどうしようもない」


「何故ですか? 処分が覆る例だってこの学校にはある筈だ」


 その切り返したのは龍王だった。やっと息を吹き返したらしい。


「それはこちらに非があった場合のみだ。そうでなければ処分は覆らない。例外は無い」


「理事長はこの処分は正しいと判断しているのですか?」


「勿論さ。というか、私が決めた事だからね。当然の事さ」


 そう言われて臆人は今更その事に気がついた。この処遇を決定したのは目の前に座っている冬香理事長だということに。


「何故、退学処分という判断を下さなかったのですか?」


 龍王がズバッと核心を突いた。


 冬香理事長はその言葉に少し黙り込むと、やがて答えた。


「あの決闘は、退学処分では済まされない。私はそう判断した。ヒーローが重んじる暗黙のルールであり、この学校の規約でもあるルールを公然の場で破ったのだからね。仕方ないよ」


「な、なら……あの決闘は間違っていたと言いたいんですか?」


 臆人はもう脊髄反射でそう問い返していた。手に力が入り、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。ここまで全身に力を込めたのなんていつ以来だろうか。


「間違ってるよ。君達は間違ってる。あの場でやった事は。だから私は君達に見せしめという罰を与えた。今後、二度とこのような事が無いように、謂わば反面教師になって貰う。これは決定事項だ」


 臆人は悔しかった。処分が覆らない事より、自分が間違ってたと言われる方がよっぽど悔しかった。


 けど同時にホッとした。それは__


「後、こうも付け加えておこう。学校側として、血筋の良い生徒を二人も失うのは痛い。だからこそこの処分だった。割として言えば、もしかするとこっちの方が大きいかもしれないね」


 まるで、臆人の胸の内を見透かされているようだった。臆人は言葉を失った。


「君達の代わりは幾らでもいる。でも、血筋に代わりはいないんだよ。それを覚えておくといい」


 畳み掛けるようにそう言われて、臆人は俯いた。


 何かが沸々と音を立てた。


「要は血筋だけで俺達は助かった訳では無いんですね?」


「あぁそうさ。血筋だけで何もかも許されたら、この学校はとうに崩壊しているよ」


 龍王はその問い返しに眉一つ動かすことは無かった。


「分かりました。ではこれで__」


 その瞬間、校長室のドアがノックもされずに勢いよく開いた。


「理事長! 聞いてください! こいつら、教師をボコボコにして気絶させたんですよ! 即退学にするべきです!」


 入って来たのは小林先生だった。二人は眼中に無いのか、全く目を向けずに理事長の机を叩いて身を乗り出した。


 その様子を冬香理事長は静かに見据える。


「そうかい。なら目撃者は?」


「そ、それは……マダムス教官なら見ているはずです!」


「なら彼をここに連れて来なさい。もしマダムス教官が認めるならば、この二人を退学処分にします」


 その瞬間、小林先生の顔がにんまりと笑った。恐らく、今まで見て来た中で一番に輝きを放っていた。


 小林先生は二人に向き直ると一気に顔を歪めて鼻を鳴らすと、即座に校長室を出て行った。


 暫しの沈黙の後、小林先生が陽気な顔で校長室に入ってきた。続く形でマダムス教官も中に入った。


「さぁマダムス教官! 彼等の暴力を間近で見たんですよね!? そうですよね!?」


 マダムス教官は押し黙った。


「どうなんだいマダムス教官? この生徒達は、教師に間違いを犯したのかい?」


「……いえ。何もしていません」


 その瞬間、小林先生の目がひん剥いて呼吸が浅くなった。興奮が高まり過ぎて、浅い過呼吸に陥ってるのかもしれない。


「馬鹿な!! 君は教師への暴力を間違っていないと言うのか!?」


「私は直に彼等が暴力を振るってるのを見ていません。見ていたのは廊下に倒れた教師達だけで、彼等が暴力を振るった事自体は見ていません」


「な、何を屁理屈を!! そんなの暴力したに決まってるじゃないか!! なんなら、警察に訴えて鑑定して貰えば__!!」


「鑑定した場合、何かしらの結論が出るかもしれませんが、仮にもし、この二人の生徒がやったとしたら、その噂は瞬く間に学校__いや世界中に流布されますよ? そうなったらどうなるか、社会人の貴方なら分かりますよね?」


「くっ……ですが、このままにして良いのですか!? 彼等は暴力を振るったんですよ! こんな危険な存在、即座に辞めさせるべきだ!」


 小林先生は肩を怒らせて、文字通り憤っていた。鼻息が荒く、耳から白い煙が吹き出そうだった。


「良いも何も、証拠が無いのに彼等を退学にする事は出来ません。それとも貴方は、ここから覆す手段を持っていますか? 無いならば下がって結構」


「くそ!! ふざけやがって!! 今に見てろ……!!」


 小林先生は足取りまで怒らせながら、校長室を出て行った。扉を閉める時の勢いで、扉がバンと音を立てた。


「さて、これにて話し合いは終了です。君達もここから退室しなさい」


「……はい」


 龍王は身を翻して、退室しようとした。だが、臆人は動かなかった。


「どうしました? まだ何か不満でも?」


「大河原冬香理事長。貴方は、俺の名前をご存知ですか?」


 臆人は小さく呟いた。


「金条だろう? そっちの金髪の子は銀願。それがどうかしたのかい?」


「では、名前は?」


「名前は……済まない。そこまで全てを把握している訳では無いんだ」


「ですよね。分かりました。失礼します」


 その時、臆人が俯き気味だった顔をパッと上げた。その瞬間、冬香理事長の息が詰まりそうになった。


 彼の口元に笑みが見えたからだ。絶望してる訳でも、憂いてる訳でも無かった。


 二人が校長室を去ったその瞬間、冬香理事長は背もたれに体を預けて深く溜め息を吐いた。


「大丈夫ですか? 疲れましたか?」


 マダムス教官が労いの言葉を掛けた。


「何だか小さな子供を叱りつけてるみたいだったよ。私も歳をとったね」


「そうですね」


「あら、はっきり言うじゃないか。それより、あの二人の名前を教えてくれるかい?」


「金条臆人と、銀願龍王です」


「そうかい。よく覚えておかなくちゃね」


 冬香理事長は椅子を反転させた。サンバイザーで空模様は見えない。


「あの二人、これじゃ終わらないよ。困ったものだね」


「粋は良いですね」


「粋は良くても、世間を知らな過ぎる。あれじゃすぐに潰れちまうよ。特に、銀髪の金条臆人君はね」


「見張りますか?」


「そんな無粋な真似しなくていい。闘うなら__正面から堂々とだ」


 冬香理事長は不敵に笑った。


 その頃、臆人と龍王は職員室から出て行く所だった。周りからの痛い視線を掻い潜り、龍王は一息吐いた。


 いつの間にかびっしょりと汗を掻いていた。これは暑いからだと思いたい所だが、そうではないだろう。


 龍王は、本当の所を言うとこうなる事が分かっていた。処遇は覆らない。


 朝方に右凶から送られた職員会議を見た時から、こうなる事は想像できていたので特に悲壮感は無かった。だが、臆人は違うだろう。


 臆人は本当に覆せると思ってこの場に挑んだに違いない。それが彼の強さでもあり弱さでもある。


 それと、処遇もそうだがそれ以上に言葉の暴力が激しかった。心が折れても仕方ないと思う程に、キツい言葉の応酬だった。


 毎回毎回右ストレートを食らうようなものだった。


 自身の心のコントロールに自信がある龍王でさえ、思わず握り締めた拳から血が溢れる位だったので、臆人の心はズタボロの事だろう。


 だが、ここで慰めの言葉を掛けようにも、「気にするな」という言葉しか出て来ない。


 龍王は初めて困った。


「くくく……」


 その瞬間、臆人が小さく笑った。まるで悪魔のような笑い声だった。


 龍王はますます困り果てた。どうやら心に異常が来てしまったようだ。精神科に連れて行った方が良いかもしれない。


 だが、ここで「精神科に行くぞ」と言っても何の事だと言うことになるだろう。


 ここは一から説明するかどうか、龍王は初めて迷った。


 だが、次の一言で目が覚めた。


「上等だよこの野郎……! 見せしめだの反面教師だのと好き勝手な事言いやがって……!」


 めらめらと熱い闘志を燃やしている臆人を見て、龍王は小さく笑った。


 どうやら、二人の気持ちは通じていたらしい。


「おい臆人。これからどうする?」


「決まってんだろ龍王。俺達は見せしめだ。反面教師だ。なら、やる事は一つだ」


 臆人の目は燃えたぎっていた。沸々と音を立てていた怒りが、臆人の体を迸った。


「見せしめは見せしめらしく、この学校に居座ってやろうじゃねぇか」


 臆人の顔は上を向いていた。その表情に怒りはあるものの、濁ってはいなかった。腐ってはいなかった。


 臆人は呟いた。


「目にもの見せてやるよ」

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