代役 1
お咎め無し。
これが臆人と龍王に言い渡された処分の体裁だった。
しかもこれの怖い所は、あの騒動に加担した明、右凶、知由乃にはきっちり三日間の停学処分が言い渡された事だった。
これには、ありとあらゆる噂が尾ひれを付けて勇泉高校に飛び回った。
龍王、臆人があの騒動を金で揉み消したとか、学校側が血筋の良い二人を退学処分に出来なかったとかそういう類のものだった。
新入生クエストはというと、あの騒動の後は滞り無く進んだ。
金条チーム並びに銀願チームは、すぐさま規約違反により失格を言い渡された。
これに関して、龍王と臆人は特に何の疑問も持っていない。当然の事だ。
ヒーロー同士の争いは、この世界では暗黙の了解で禁止になっている。
それを破ったのだから仕方あるまい。
けれど、その後の処分の意向が全く分からなかった。
お咎め無しというのは、ある意味処分が下されるよりももっと重い気がしてならない。
臆人、龍王の両名は次の日学校へとやって来た。
その時の教室から放たれた異様な空気は、生涯忘れる事はないだろう。
「一体何がどうなってんだよ……」
臆人は机の上で頭を抱えて唸っていたが、龍王は特に気にしていないようだった。
横目でちらちらと龍王の様子を伺い、自分の心の弱さに打ちひしがれながらも、臆人の唸りは止まらなかった。
そこからおよそ六日、新入生クエストが終わって一週間が経った頃になると、臆人はあからさまにやつれた。
周りの変わらない目と龍王の平気そうな態度は、臆人の首を見えない手で締め付けているかのようだった。
「大丈夫ですかね臆人さん……」
知由乃は余程臆人の事が心配なのか、酒場でお酒を頼んだものの、殆ど口を付けれずにいた。
それを見兼ねた明は言った。
「放っておきなさい。心配した所で、余計にやつれるだけよ。それより、知由乃ちゃんの所は大丈夫なの? 変な噂とか立ってない?」
「私の所は大丈夫です。明ちゃんの方はどうですか?」
すると、変な間が開いた。
「……まぁ、私の所は良いのよ。それより知由乃ちゃん、うさきちは今何してるのよ? あいつ謹慎してから全く連絡を寄越さないんだけど?」
「それがうさきちさん、謹慎があけても学校に来てないんです。何をしてるんだかさっぱり……」
右凶の事は確かに気になるが、それよりも今の明の言葉の濁し方に、妙な違和感を覚えた。
知由乃は元来人の隠し事を見抜くのが上手いと自負してる。そんな知由乃が、明に何かあると踏んだ。
「__大丈夫ですか?」
「え? うさきちが?」
その微妙に話を誤魔化そうとしたのも怪しい。
「違いますよ。明ちゃんがです。何か困った事が有るんですか?」
その瞬間、明の動きが一瞬止まった__気がした。
「無い無い! 私に困った事が有るとすれば、殴る相手が居なくて腕が鈍りそうって事くらいよ!」
あはははと笑って腕をぶんぶん回す明だったが、依然として知由乃の目は誤魔化せない。
「では__私を殴って下さい! 私で良ければ相手になります!」
知由乃が前のめりになって明に真剣な眼差しを向けた。
「な、何よ!?」
「本当の事を話して下さい。明ちゃん」
じいっと明から目を離そうとせず、訝しげな表情を放ち続ける知由乃に、明は降参したように両手を上げた。
「分かったわよ。降参。知由乃ちゃんには正直に話すわ」
観念したかのように溜め息を吐いた後、明は目線を逸らした。言いたくない__そんな張り詰めた空気が漂っていた。
知由乃は固唾を飲んで明の言葉を待った。
「私、虐められてるのよ」
そして、予想外過ぎる言葉を聞かされて、思わずひっくり返りそうになったどころではなく、本当にひっくり返った。
「……えぇ!? あ、明ちゃんがですか!?」
知由乃は椅子を立て直し、改めて座ると、明の顔を心配そうに見つめた。
すると明は思わず苦笑いを溢した。
「そんな顔しないでよ。別に大したことじゃないんだけどね。ヒロインの女って結構めんどくさいのが多いのよ。しかも陰湿」
最後の言葉は、はっきり嫌そうに言った。それは彼女らしくもあり、同時に知由乃には堪らなく辛かった。
確かに、ヒロイン科の女子生徒の殆どは高飛車な性格をしている。それは何となく知由乃も分かっていた。
ヒロインというのは争いあう学科である。誰が誰のヒーローになるとか、誰と誰なら釣り合ってるとか何とか。
それを考えると、明は少し違ったタイプに見える。明はあまりヒーローに頓着してない様に見える。
だが、返ってそれが鼻に付いたりするのかもしれない。女とはそういう生き物だ。それに、明は世間一般的に美女と呼ばれる部類に入ってるので、余計に拍車がかかるのだろう。
「でもね知由乃ちゃん。こればかりは仕方ないのよ。あいつと絡んで、しかも私は審判を気絶させた訳だし……」
あいつとは臆人のことを指し、審判を気絶させたというのは新入生クエストを指しているのだろう。
もしかすると明は、あの騒動がきっかけでいじめというものが始まったのかもしれない。
そしてそれを明は、逃れられない運命のように感じているに違いない。そう感じさせる雰囲気を放っている。
「仕方なくありません!」
知由乃はその空気感を振り払うようにして、明の両手をぎゅっと握り込んだ。
「私は、虐めを肯定する事は出来ません。肯定したくもありません。ですが、虐めを無くす事も正直出来ません」
知由乃は明の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳は、呑み込まれそうな程澄んだ空色だった。
「だから話して下さい。嫌な出来事全部。私はそれを真剣に聞きます。私、母親に聞き上手って良く言われるんですよ。あ、今はもう言われませんけどね! あはははは……」
知由乃は照れを隠すようにして笑った。それに釣られて明も口元を緩める。
「知由乃ちゃんは不思議な目をするのね。女の私でも射止められそうだわ」
「え!? なら、臆人さんなんてイチコロですかね!?」
「文字通り一撃で殺れるわよ」
「や、やれるだなんてそんなぁ……」
「……話が逸れたわね」
何だか必要以上に照れている知由乃の手、を今度は明が上から握りしめた。
「ありがと。元気出たわ」
その時の明は、何か憑き物が落ちたような顔をしていて、知由乃はホッとした。
少しでも力になれたのだと分かったからだ。これ以上嬉しい事は無い。
そんな朗らかな気持ちで知由乃はここで初めてお酒に口を付けた。知由乃はビールやワインなどのお酒は苦手だ。
だから今日頼んだのは、カシスオレンジと呼ばれる果汁の甘さが詰まったカクテルだ。甘さ全開のその味は知由乃の心に染み渡った。
明はビールを吞んでいた。驚きなのが、もう三杯目を飲み干した事である。すると、明の目が徐々にまどろんできた。
「さぁ知由乃ちゃん。今日は朝まで飲み明かすわよ? いいわね?」
「えぇ!? まだ夕方ですよ!?」
知由乃はここで嫌な予感を感じ取った。こういう時の予感は当たる。
「あら? 付き合ってくれるんでしょ? 私の愚痴に?」
ふふふと、まるで悪女のように笑う明に、知由乃は冷汗を流した。
「あ、朝までですか……?」
「そうよ。朝まで」
明はブレなかった。
明はこの後、本当に朝まで愚痴を溢し、それを眠気まなこで聞いていた知由乃の姿は、ここにわざわざ記す必要もない事だ。
***
知由乃が明にお説教のような愚痴を延々と溢しているのと同時刻。場所は訓練所。
二人の生徒が暗闇に紛れるようにして立っていた。辺りは虫の音一つしない程に無音だった。
「何だよ龍王。こんな所に呼び出して。先に言っておくが、俺にはそっちの気は無いぞ?」
一人の生徒が軽口を叩くが、もう一人の生徒__龍王はピクリとも笑わなかった。
龍王はそこから少し間を開けてこう切り出した。
「相当悩んでるようだな金条。見ている此方が気持ち悪くなる程にな」
龍王のその言葉で、もう一人の生徒__臆人は、何の為にここに連れてこられたのか理由が分かった。
きっと龍王は嫌気が指したのだろう。隣で過去の事をいつまでもうじうじと悩んでいる臆人に対して。
だが、臆人にも言いたい事はある。
「俺はお前みたいに、はいそうですかって納得出来る程神経が図太く無いんだよ。屁の河童みたいに普段通りになんて出来ねぇよ」
臆人は吐き捨てるようにそう言った。きっと、こんな事言っても龍王には理解出来ないだろう。前だけしか見れないようなひた向きな人間には。
「良い血筋だから退学が免れた。それが納得出来ない理由か?」
「…………」
臆人は何も喋らない。それが答えだった。
幾らその理由を呑み込もうとしても、臆人にはそれが出来なかった。確かに金条という名前には価値があるのだろう。そして期待されているのだろう。
だが、だからと言ってこの処遇は余りに悲惨で滑稽だった。裏目に出てるといっていい。
ヒーローの連中からは冷たい目線を浴びせられ、ひそひそと在らぬ話が馬鹿みたいに飛び交う。これが学校側が望んでいた事なのだろうか。
これなら一層退学にして欲しかった。だが、ここで退学になっても、臆人に行く所は無いし、そもそもそんな事何も決めていない。
だから、この処遇は臆人にとって有難いことだと思うべきなのだ。だが、そう思えない自分が居るのもまた確かだった。
こんな事を延々と考えて、いつの間にかあの日から一週間という月日が流れていた。長いようで短い一週間だった。
あれ以来、チームの皆とは顔を合わせていない。いや、合わせようとしてないだけだ。
「__?」
ここで、さっきから龍王が何も喋っていない事に気が付き、ふと龍王の方を見た。
彼は空をぼんやりと眺めていた。
臆人もそれにつられるようにして上を向いた。星空が瞬き、月が綺麗に夜空に映えていた。
この光景を見てると、自分がちっぽけに思えてくる。世界はこんなに広く自由なのに、自分は小さな世界で蹲っている。ニュアンスは違うかもしれないが、井の中の蛙大海を知らずだ。
「俺は__」
その時、龍王がポツリと呟いた。
「退学を覚悟していた」
力強く、まるで自分に言い聞かせているようだった。
臆人はその言葉の意味を理解するのに数秒の時間を要した。
「え?」
ふと上を向いていた龍王の顔が此方に向いた。臆人とは違い、迷いを知らない顔だった。
「ヒーロー同士の争いは重大な規約違反だ。あの新入生クエストに限られた話じゃない。世界のルールで、だ。けど、俺たちには何の罰も下されなかった。何故だと思う?」
「そりゃ、俺たちがその……血筋的に良い部類だからとか? てか、それ以外有り得ねぇだろ」
どれだけ違う答えを模索したと思ってる。その言葉は唯の八つ当たりになりそうで、臆人はそれは呑み込んだ。
「そうかもしれないな」
龍王はあっさりと肯定した。あっさりし過ぎて薄味に思えてしまう程のあっさり感だった。
「俺はこんな事でこの学校に残されるなんて思ってなかった」
臆人は振り絞るように言った。
「けど、そんなのは言い訳だ。現に俺はそのお陰で学校に残れてるし、授業を受けれてる。周りの目が痛いのはあれだけどそれでも__でもお前はそれが当然のように__!!」
「誰が当然だと言った?」
その言葉には燃えるような"何か"が秘められていて、臆人は返す言葉を失った。
「俺はこの処遇は間違いだと思ってる」
「__!!」
その瞬間、臆人は龍王に眠るその"何か"にようやく気が付いた。彼は心底怒っているのだ。この処遇に。この血筋そのものに。
「意外か? だかな金条。俺は間違ってる事をただ間違ってると言っただけだ。もし仮に世界が正しい事を言っても、俺が間違ってると思えばそれは間違ってるんだ。それ位、俺は俺を信用している」
力強い言葉だ。臆人には到底真似出来ない。だからこそ、臆人は龍王に勝負を挑んだのだが。
そして彼の底知れない怒りが分かった臆人の心は、何だか嘘みたいに晴れていた。
龍王は決してこの事態を楽観視していた訳では無かったのだ。
「確かにこの処遇は間違ってる。だけどどうすりゃ良いんだよ。俺たちに出来る事なんて……」
「簡単な話だ。直談判に行けばいい。それ位の事、考えればすぐに出てくる筈だ」
龍王はまるで自分の心を見透かしたようにそう言った。確かに、その思いは心のどこかに存在していた。
けれど、それは無意味な事だと判断して向き合おうとはしなかった。そう決めつけていた。
「意味が有ると思うのか?」
臆人の声はいつの間にか震えていた。それ位、この質問はタチが悪い。だって答えはもう出ているようなものだ。
「そんなものやってみなきゃ分からない。それが答えだ。それに、一度退学になると心に決めたんだ。もう何をしても怖くない」
「お、お前は……ヒーローになる事を諦めたのか?」
その瞬間、龍王は少し驚いた顔をした。そして臆人の顔をしきりに見つめた後、小さく笑った。
「諦める? 馬鹿を言え。俺は生まれた時からヒーローになる事を望んだ身だ。ヒーローになれないのは死ぬのと同義だ」
「な、ならお前はここで引くべきだ! そうすりゃこの学校を無事に卒業出来る! そしたら晴れてヒーローに__!」
「だがな金条。間違った事を受け止めて俺はヒーローになる気は無い。そんな愚かなヒーローは死ぬよりも在り得ない」
龍王は例えるなら弓で射た矢そのものだ。愚直な程に真っ直ぐで、障害物を避ける事もなく貫いていく。それが彼の生き方だ。
だが、それだけではない。その矢には光の衣が包み込むように纏わりついている。それは彷徨い続ける人々の道標となるに違いない。
そして臆人もまた、その光に誘われた一人なのかもしれない。
「お前の夢はなんだ、金条?」
「俺は__! その……」
言葉が上手く出て来ない。龍王の光が強過ぎて、臆人は自分の心の闇が浮き彫りになっていくのを感じた。彼に付いていくという事は、一生自分の闇と向き合う事になるのだろう。
自分は弱くて醜い。唯の人だ。それを嫌という程気づかされる。
「世界で一番の……ヒーローに……」
「なら迷うな金条。屈したら最後、後戻りは出来なくなる」
龍王ははっきりと言った。
「受け入れたら最後、夢は叶わない。お前の夢はそういうものだ」
臆人は地面に崩れ落ちた。そして、涙が溢れてきた。溢れんばかりの水の粒は、地面にしきりに落ちていく。
その涙を見ることもなく、龍王は身を翻した。
「明日、俺は校長の所に行く。行く気があるなら来い」
こうして、龍王は訓練所から去って行った。
けれど臆人は動けなかった。
そんな彼を悠然と見下ろすようにして、星は夜空に瞬いていた。
***
臆人が涙で倒れたのと同時刻。一人の生徒が目をひん剥いてパソコンにかじりついていた。画面に映し出されるのは大量の文字列。
彼の机の周りには大量の空のエナジードリンクが置かれていた。部屋は暗く、中はゴミ屋敷のように汚い。彼自身も、もう何日も風呂に入っていないのか体は異様な匂いを放っていた。
「もう少し……もう少し……」
彼はキーボードを光の速さで叩いて、文字を入力した。もう何時間こうしてキーボードを叩いているのか分からない。
ガガガガガと、パソコンが大量の文字列を読み込む音が殺伐とした室内に響き渡る。
彼はそれを固唾を呑んで見守った。
やがて上から下へと動いていた無数の文字列は動きを止めた。
その瞬間、画面にある文字が表示された。
complete。
「よっしゃぁ!!」
その瞬間、そのまま彼は床に倒れこんだ。カランカランとエナジードリンクが音を立てて床に転げ回る。
そして長時間気を張っていた緊張が一気に解けて、眠気が広がって行く。
だが、それでも彼は体を起こした。
「まだ終わってねぇ。これで気付かれたら即アウトだ」
彼はまたパソコンにかじりついた。
こうして夜は更けていった。
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