配役 13

「なぁ、お前は子供って欲しいか?」


 唐突な話題振りである。


 すぐ隣では明達と人形が白熱した戦いが繰り広げられているのだが、何故か此方に被害は無い。


 恐らく崇がそういう指示を出したのだろう。そこは睨んだ通りだった。


「いきなり何を言い出すかと思えば、子供だって? そうだね。僕は欲しいかな」


 崇はちゃんと答えてくれた。そこは律儀な奴だった。


 けれど崇の答えは意外だった。てっきり要らないと言われるかと思っていたのに。つくづく似ていない。


「俺は要らねぇ」


「子供が要らないなんて、そんなの人間としての本能が欠落してると思うよ? 君は人かい?」


「お前にだけは言われたくねぇな。つうか、お前こそどうして子供が欲しいんだ?」


「そりゃ人間なんだから当然じゃないか。子孫繁栄はこの世の為さ」


「仮にこの世界がお前のいう人形劇の世界でもか?」


 すると、崇は顎に手を当てて考え始めた。その目は臆人を哀れんでいるかのようで、癪に障った。


「なるほど……君は生まれた子供の見る世界に対して胸を張れない。だから子供を作りたくないと言うのかい?」


「いや、俺はただ怖いんだ。この世界に生まれた俺の子供はきっと、世界のレールに翻弄される。

 俺はそれが嫌なんだ」


「要は、君の子供が君を追う形でヒーローになる事を恐れているのかい?」


「俺を追うならまだいいさ。でも、もし追ってるのが俺じゃなくてこの世界そのものだったらって思うと、怖くて堪らない」


「この世界は間違ってると?」


「間違ってるよ。剣を使わなきゃいけないヒーロー。強ければいいヒーロー。見世物のヒーロー。そんなのは、偽物だ」


「それは君の価値観だよ。世界はそれを必要としていないんだから、それに倣うべきだ。必要悪があるように、必要正義も無くちゃならない。それが世界の真理さ」


「お前はこの世界を何とも思ってないのか?」


「思ってないよ。だって、この世界はもう出来上がってるんだ。例えそれが無意味な人形劇だとしても、出来上がってしまったものを壊す勇気は僕には無いよ」


「それは逃げてるだけだろ。ただ、レールの上で立ち尽くしてるだけだ。そんなの、生きてるって言えるのか?」


「生きてるさ。現に僕は今ここにいて、注目を集めている。レールの上で立ち尽くしていたら、こうはならないよ?」


「お前は単に運ばれてきただけだ。お前自身が歩いてきた訳じゃねぇ。そこはお前じゃ無くても良かった」


「でも結論は僕だった。結果主義のこの世界には、何とも覆しようのない事実だよ」


「じゃあ、お前は子供が生まれた時どうすんだ? 結果良ければ全て良しみたいな言葉を言い聞かして育てるのか?」


「子供は勝手に成長する。だから、ぼくは成り行きを見守るだけさ。例え、無様に人形劇に踊らされてるとしてもね」


「それが親の務めか?」


「そうだね。生きてく為のお金を此方は支払ってる訳だから、親の務めとしてはクリアしてる筈だよ」


「親の務めは無償の愛だ。そんな形だけの愛なんて寂しいだろ」


「さっきも言ったけど、子は勝手に成長するんだ。僕がどうこうするつもりもないし、どうこうされたいともきっと思わないよ」


「でも__それでも心配するのが親だ。一方通行だとしても構わない。実感が伴わなくたっていい。

 年老いた時に少しでもそれに気付けば御の字だ」


「君は本当に綺麗事好きだね。社会に出たら苦労するタイプだ」


「人間誰だって苦労するんだよ。俺が綺麗に見えるのは、お前の心がまっくろくろすけ並みに汚いからだ。俺は精々くろすけレベルだ」


「どっちも黒い時点でおかしい事に気付いた方が良いね。黒はどこまで行っても黒なんだから」


「じゃあ俺はグレイ。名前も何か格好良いし」


「あはは。なら呑み込んであげるよ。グレイは幾ら頑張っても黒には勝てやしないさ」


「そうだな__それがグレイだけだったなら」


 最後の一言の意味を、崇は理解する事は出来ないだろう。


 臆人は鞘に入った剣を、鞘丸ごと宙に放り投げた。


 崇はそれを分かっていたのか、同じく鞘丸ごと宙に放り投げた。


 二振りの剣はどちらも宙に浮き、やがて地面に落ちた時、臆人の拳が崇の土手っ腹にめり込んだ。


 崇は激しく顔を歪めながらも、体勢だけは崩さず、後ずさりながら回り込むようにして上段回し蹴りを放った。


 臆人は頭と足の間に腕を挟んでブロックしたが、その強さに体の重心がぶれる。


 そこを見逃さなかった崇は、下から掬い上げるようにアッパーを放った。


 臆人の脳が揺れに揺れて、視界が一気にぼやけた。


 ふらふらと千鳥足になりながらも、踏ん張りを効かせようと歯を食い縛るが、崇の猛追は続く。


 蹴り、突き、蹴り、突きを繰り出され、見事なまでに臆人の体はボロボロになっていく。


 崇は思わず笑った。手応えがあった。


 恐らく砕けた骨。歪んだ表情。飛び散る血飛沫。


 こんなに生身で人を嬲り殺しにした事など無かった。


 剣で人を斬る事はあった。勿論、命を奪わないように多少の配慮を施して。


 それ位、剣という物は簡単に人を殺せる道具だ。


 だが、拳は違う。幾ら力一杯殴ってもそうそう人が死ぬ事は有り得ない。


 仮に、なんてものは無い。殴られた勢いでどこかに当たって死ぬのは有ったとしても、殴られたから死ぬなんて事は無い。


 だから、人を本気で__殺す勢いで殴りつけるのは初めてだ。


 快楽だった。


 生まれてこの方味わった事など無いくらいの快楽だ。


 拳が擦り切れるなんて気にならない。顔が血だらけになるなんて構わない。


 ただ、この快感を味わっていたかった。


「そ、そこまで!!!!」


 審判がそんな事を言っていた気がした。


 そこまでとはどこまでだろう?


 どこまでだって行ったって構わないじゃないか。


 だってこんなに生きてると感じた事は無いのだから。


 生きたい。生きたいよ。


 この先、こんなに生きてるって感じは来ないかもしれない。


 生きる意味が分からない世の中で、人を殴りつける事で得た生きる意味なんて、本当に汚れてる。


 まっくろくろすけだ。


「楽しい……か?」


 目の前から声がした。


 その声色は楽し気で、崇の拳の力が一気に衰えた。


「はは……生きてるって顔してんなお前」


 臆人は血みどろの顔で笑っていた。


「楽しいだろ。生きるってさ」


 歯までが血に染まった口元が目に飛び込む。酷い悪寒がした。


 狂ってる。こいつは、歯車が狂ってる。


「生きたいよ。俺は」


 萎むようにして、表情が移り変わった。


 いつの間にか、崇の拳は完全に止まっていた。崇はそれにすら気付かないまま、時が止まったように臆人を見つめていた。


「生きてる実感が欲しい。その為には__」


 崇は思わず目を見開いた。


「……あれ? どこ行った?」


 臆人は体のあちこちをペタペタ触って、何かを探していた。


 その光景を見て、崇は笑った。


「お目当ての物はこれかな?」


 崇はさっと胸ポケットからそれを取り出した。それは小型の拳銃だった。


「……成程。俺の作戦がばれちまった訳だな」


「剣でもなければ、拳でもなく、最後はチームメイトの銃で片を付けようなんて、浅ましいにも程があるね」


 崇は持っていた銃の銃口を臆人に向けた。ヒヤリと、臆人の背筋に寒気が走った。


「これで終わりだ」


 崇は引き金に手を掛けて__


「なぁ、父さんはお前の家族を殺したのか?」


「!?」


 パンと乾いた音が部屋を突き抜けた。だが、銃口がぶれたのか、弾は在らぬ方向に飛んで行った。


「やっぱりそうなのか?」


「君はどこでその情報を……?」


 崇は初めて見る程に動揺していた。きっと、全く予期していなかったのだろう。


「いや、何となく。そんな気がした」


 そうは言ったものの、臆人は殆ど確信を持っていた。


 ヒールの校舎で会った時、臆人の姓が金条だと分かった途端、崇の目の色が変わったからだ。最初、それが何なのか分からなかったが、最近になってようやく分かった。


 あれは怨みの目だ。心の無い、酷く冷たい目だ。


「そうだよ。僕の父さんは君の父親に殺されたんだ。ヒールでもない唯の人間が、ヒーローに命を奪われたんだ。しかも、君の父親は罰を受けなかった。金バッジによって揉み消され、僕の父さんは世界から消えた。

 僕は絶望したよ。権力を握る人間が絶対的で、それ以外は全て淘汰される。本当に、つまらない世の中だ。だから僕は世界には期待しない事にした。僕がヒールになったのは、この世界に対する小さな反抗と、小さな復讐心。それが僕の全てだ」


 崇は、表情一つ変えずに淡々と喋っていた。


 それは、臆人にとっては許しがたいことだった。


「ふざけんなよ。そんなつまんなそうな面してぺらぺら語りやがって。ナレーターでももっと気持ち籠ってんだよ。お前の父親は死んだかもしんねぇ。俺の父親が殺したかもしれねぇ。でも__お前は死んでねぇし、俺も死んでねぇ。

 お前のやってる事は反抗でもなければ復讐でもない。ただ不貞腐れてるだけだ。拗ねてるだけだ。そんで__逃げてるだけだ」


 その瞬間、堰を切ったように崇が言葉を荒げた。


「く……馬鹿にするなぁ! まずは謝るべきじゃないか! 君は僕の父さんを殺したんだ!」


「殺される理由があったんだ」


「唯の人間だった! ヒーローでもなければヒールでもない普通の人間が殺されたんだ! そんな事あってはならない!」


「あるよ」


「え……?」


 一歩一歩臆人が近づいてきた。


 崇は体をガタガタと震わせた。怖いと思った。


 これ以上話を聞きたくない。それを聞いたら受け入れなきゃいけない。


 崇の過去が脳裏に蘇る。


 母には無慈悲な拳の暴力を、息子には鍛錬だと言って木刀での暴力を。


 金を奪い、人を騙し、家の物は破壊の限りを尽くした。


 父はそれでも笑っていた。心の底から笑っていた。


 それは果たして普通の人間と呼べるだろうか。


「世の中ヒーローとヒールだけが正義と悪じゃない。普通の人間にもまた正義と悪は存在する。そんで、お前の父親は__」


「それ以上__言うなぁ!!」


 目と鼻の先からの無慈悲な発砲。崇はこの瞬間やってしまったと思った。


 狙ったのは頭だ。例え拳銃とはいえ、ここまで至近距離からの発砲をまともに頭に喰らえば最悪死ぬ。


 崇はそれを思った時、同時に理解した。


 父親の血は、やはり流れているのだと。これは父親の呪いだと思った。


「馬鹿にすんなよ」


「え……?」


 はっきりと臆人の声がして、崇はよくよく前を見ると、そこには誰も居なかった。


「プレゼントだ」


 その声は下から聞こえた。


 崇が下を向こうとした時には、もう遅かった。


「俺のぉぉぉ石頭をなぁぁぁ!!!!!」


 その瞬間、崇の頭が上に跳ね上がり、体が宙に浮いた。


「がは……!」


 そのまま崇は倒れた。


「しょ、勝者__金条チーム!!」


 歓声が沸いたか沸いてないかなんて、この時の臆人にはどうでもよかった。


 まだ、戦いは終わっていないのだから。


 臆人の意識は朦朧としていた。先程の崇の殴打が今になって効いてきたようだ。


 まるで水中にいるような、奇妙な感覚が迸る。


 観客席に座っている女子生徒の一人が、口を開けて固まっている。黒子が全部で三つ、頬と目尻と首元に付いている。


 その右隣の男子生徒の目尻には少し、涙が溜まってる。


 その右斜めの女子生徒はボタンが取れかかってる。その左隣の女子生徒は指輪をしている。


 臆人は観客席を一周見渡した。そして発見した。


 此方を腕を組みながら見つめる金髪の男子生徒を。


 臆人は徐にリングに落ちた剣を拾った。右手に持ち、ゆっくりと剣先をその生徒に向けた。


 その切っ先は龍王に向けたものだと、観客は直ぐに気付き、あっという間に龍王に視線が集まった。


 だが、龍王は慌てる事なく立ち上がり、観客席の最前列まで歩いてきた。


「何か用か? 金条」


 静かに、そして厳かに龍王は言った。


 臆人は剣の切っ先をリングに落ちたもう一つの剣に向けた。


「この剣がどうした?」


「拾えよ。そんで、俺と勝負しろ」


 観客がざわざわと騒めき始めた。


 当たり前だ。今、この世界の禁忌を犯そうとしているのだから。


「何の為に?」


「俺はお前を倒す事で、父さんの存在を肯定したい。父さんは決してお気楽にヒーローをやってた訳じゃない。簡単に一番になってた訳じゃない。それを俺がここで証明する」


 血に染まりながらも凛としたその瞳には、言いようのない覚悟があった。抗う事が出来ない引力があった。


 龍王の体は震えていた。本能と理性が脳内を蹂躙していた。


 こんな感覚は久しぶりだった。


「俺は__この勝負受けない。第一、ヒーローとヒーローの試合は禁止されている。こんな所で戦ったら停学を通り越して退学だ」


「そうかもな。でも、いいじゃんか。後の事なんて気にすんなよ」


「ふざけた事を言うな! この学校を卒業出来なかったら__!」


「出来なかったら?」


 そこで龍王は言葉を詰まらせた。


 学校を卒業出来なかったら、ヒーローにはなれない。有名なヒーローにはなれない。


 有名なヒーローになりたい訳じゃない。けれど、無名のまま生涯を閉じるのはそれ以上にあり得ない。


 ヒーローという職業は、龍王の小さい頃からの憧れだ。父親の活躍は、自分の活躍と同義だった。


「こんな所で戦うなんてヒーローとして恥じるべきだ」


「ヒーローは恥かいてなんぼだ」


 ヒーローとは、強く気高く、孤高の存在であると父親に教えられた。


「俺に勝てると思ってるのか金条。剣の音にトラウマを抱えているお前が」


「……あぁ勝てるよ。いや、勝ちたいんだ」


 ヒーローは戦うべき相手を選べと教えられた。自分の実力を知り、必ず勝てると踏んだ時のみ勝負せよと耳にたこが出来るくらいに言われてきた。


 負けはヒーローの死を意味するからだ。


「お前は怖くないのか……?」


「怖いさ。でも、それ以上にお前と戦いたいんだ。勿論、チームメイト全員でも構わな__」


「構うわよ!!」


 急に顔を突き出して割り込んで来たのはご存知明だった。


「何であんたのいざこざに私達まで付き合わされなきゃいけない訳! 例えあっちがチーム全員で来ようともあんたは一人で戦いなさい。喧嘩を吹っ掛けた張本人な訳だし」


「正論なのがムカつくな……」


 こうなれば仕方ない。一人で戦うしかあるまい。


 だが、龍王は固まったまま此方を食い入るように見ているだけだった。


「龍王……?」


「俺は……俺は……」


 龍王は言葉が出なかった。


 龍王にとって、臆人達の今のやり取りははっきり言って意味が分からなかった。


 ヒーローの立場はチームの中で一番高い存在だ。なのに、臆人の態度には全くそれが現れていなかった。


 それが奇妙で、不思議で、恐怖だった。


 自分は間違っているのだろうかと、そんな事を一瞬でも考えた自分に反吐が出た。


 その時、龍王の手に温かな感触が伝わった。


 龍王はそっと横を向くと、ヒロインの夕(ゆう)がそこに立っていた。彼女はいつも黒装束に黒いフードを被り顔を隠している。


 だから表情まで読み取れないが、勇気付けようとしているのが分かった。その瞬間、震えは嘘のように治まった。


「大丈夫。龍王のやって来た事は間違いじゃないよ」


「そうだぜ。龍王さん」


「いつも上を見ている龍王さんだからこそ俺達は付いてきたんだ」


 いつの間にか、後ろにはモブの二人が立っていた。初めてちゃんと顔を見た気がした。


「そうか」


 龍王は臆人に向き直った。その目には覚悟が宿っていた。


「勝負、受けて立とう。但し、一対一の勝負だ」


「……分かった」


 その瞬間、龍王はリングに上がった。


「こら君達! ヒーロー同士の試合なんて認め__!」


 審判が慌てた様子で止めようとしたのだが、明がさっと審判の背後に飛び込み、手刀で気絶させた。


「うひゃあ鮮やか。でもいいのかよそんな事して。俺達まで退学になっちまうぞ?」


「なるようになるわよ」


 明は特に怖がる様子もなく、リングの外に審判を寝かすと言った。


「黒の部屋にはモニターがあるわ。多分、あの二人が戦闘になったら一気に教師が流れ込んでくるわ」


「そうなるな」


「だから、取り敢えずうさきちは黒の部屋のモニターにここが映らないようにしなさい。知由乃ちゃんは入り口に結界張って貰える?」


「……ったく、どうなっても知らねぇからな」


「本当、臆人さんといると飽きませんね」


 文句を言いながらも作業に取り掛かる二人を見つめて、明はクスリと笑った。


「さ、舞台は整ったわよ」


 明はリングに向かってそう呟いた。




 ***




 まるで獣のような鋭い双眸が龍王を襲った。


 臆人と対峙する形になって数秒で、彼は驚くほどに集中していた。


 万が一龍王が気を抜けば、たちまちそこに食らいつかれるだろう。


 龍王は一度溜め込んでいた空気を吐き出して、もう一度剣を握り締めた。


 臆人が剣の音に対してトラウマを抱えているのは知っている。


 最初の剣技の訓練の時、異様なまでに剣を取ることに手間取り、他の生徒と目一杯距離を取り、挙句の果てに木剣が交わった後に避けることもなく拳を喰らったのだ。


 剣に対して何かしら障害があるのだと思うのは普通である。尚、なんでそこまで臆人の細かい動きまで知っているかというのは、ただ臆人が丁度視界に入ったからである。


 龍王は肩を震わせた。嫌な汗が体全体から噴き出してくる。


 唇が渇き、心臓の鼓動が早い。


 緊張しているのだと、龍王は思った。これまで生きてきた中で緊張などしたことが無かったのでこれには自分で自分に驚いた。


 そしてこれが生きる事なのかと、ふと思った。


 龍王にとって生きるとは、高みを狙い続ける事だ。


 見えないゴールを一位で飾り上げる為に自分は存在しているのだと思っていた。


 というより、そう教え込まれた。


 父の一位への執着心は見事なものだ。ひたすら二位だったのだから当然かもしれない。


 だから父は息子に一位を望んだ。


 それが父の願いであり、それを叶える事こそが息子の役目であり、務めだった。


 だが、それは生きる事とは結び付かないのかもしれない。


 親の言いなりになり、親の願いを自分の願いだと勘違いし、今日までひたすら生きてきた。


 だが、それは間違いだったのか。


 なら、何が正解なのか。


「行くぜ」


 純粋な言葉と共に、彼は楽しそうに走って来た。


 まるで無邪気な子供のようだった。


 この変貌ぶりは一体何なのかと、慌てふためく中、初撃が舞い込んだ。


 カンと激しい金属音が鳴り響いたが、臆人は止まらなかった。


 次々に縦横無尽に剣を振るっていく。龍王は防戦一方だった。


「はぁぁぁ!!!!」


 臆人は剣を両手で持ち上から勢いよく振り下ろした。


 龍王はそれを剣を十字のように交差する事で受け止めるが、想像以上に力が強い。


「くっ……あぁぁぁ!!!!」


 龍王は剣を斜めにして下に受け流すようにして滑らせて、その勢いで上から下に振り下ろした。


 臆人はそれをすれすれで避けると反転して、裏拳のように身体を捻って振り抜いた。龍王は無理な体勢になりながらもスウェーで避けた。


 その後は、攻守がどんどん入れ替わりながら一進一退の攻防が繰り広げられていた。


 お互いにどんどん傷が増えて、血が滴り始める。


 龍王はそれでも攻撃の手を緩めなかった。ここで他の所に気を遣えば負けると本能で分かっていたからだ。それは臆人も同じの様だった。


 剣戟が白の部屋の観客を魅了していく。誰も止める者はいない。


 龍王は何故かこの時喜びを感じていた。類を見ないほどに、至福が龍王を襲っていた。


 けれど、間もなく終わると予感していた。


 それが的中したのは、予期してからたった数秒の事だった。


 パキンと、何かが欠け落ちた音がした。


 それは剣の刃だった。真ん中からぱっくりと折れて、刃はリングを滑った。


 それでも"彼"は躊躇う事なく向かってきた。


 この時、何故か龍王は充足感で満たされていた。彼になら殺されても良いとさえ思った。


「あぁぁぁぁぁ!!!!」


 真っ赤な歯を剝き出しにして、彼はここぞとばかりに叫んだ。


「刃滅!!」


 バキン!!


 ガラスとガラスがぶつかった時のような、思わず耳を塞ぎたくなるような高音が響いた後、べちゃっと、嫌な音がした。


「え……?」


 何が起きたのか分からなかった。けれども、何者かの介入があったのだとは分かった。


「そこまでだよ」


 透き通るような声が部屋に響き渡った。


 入り口を見ると、臆人のメンバーが全員倒れているのが見えた。


 そしてそこに立っていたのは、理事長の大河原 冬香だった。


 龍王はあっけに取られた。まさか、理事長自らが止めに来るとは思ってもみなかったからだ。


 その時ズルズルと何かが落ちていく音が聞こえた。


 何かと思い前を見ると、臆人が恐らく冬香理事長の障壁に体をぶつけ、そのまま倒れていったのだろう。


 障壁には血がべったりと付いていた。


「……あ」


 血の中には自分が立っていた。彼は、今にも泣きそうな目をしていた。


「……なんで」


 龍王はぺたんと地面に尻餅をついた。


 血の中に映る龍王は、怖がっていた。あんなに充足感に満たされていたにも関わらず。


 いや、充足感に満たされたからなのかもしれない。


 血を見つめた。


 血もまた自分を見つめていた。




 ***




 彼は猛烈に打ち震えた。


 思わずそこで、「あぁぁ!!」と叫びたくなる程だった。


 大の大人が身悶える程、それは感動的な瞬間だった。


 ただのヒールを演じている人間が、ヒールとして自分を認識したその瞬間に、こんな所で立ち会えるとは思ってもいなかった。


 この世界は配役によって成り立っている。配役を据える事で不自然ながらもバランスを保っているのだ。


 その為のパーツとして動いてる部品が今、自分が部品であることに気付いたのだ。


 部品が部品である事に気付いた"人間"は、今後どのように変化していくだろうか。


 それを想像するだけで良い肴になる。今夜はお酒が進みそうだ。


 思わず涎が垂れそうになる。だが、こんな事態の時に涎を垂らしていたら、自分の性癖がバレてしまう。


 彼はその性癖を"昇華"と呼んでいる。


 唯の役が、本物へと昇天するのだ。これ以外に呼び名は無い。


「楽しみだなぁ……」


 一人逝きそうな顔をしながら、冷静にこれからしなければならない事を考える。


 先ずは、あの生徒の居場所を無くさないようにしなくてはならない。


 あれはどうやら発火材だ。


 人を悩ませる獣だ。


 だが、それでこそヒーローだ。


 信念を貫いて、周りを動揺させろ。


 そうすればきっと、この世界はガタつく。


 そこが勝負の時だ。


 期待しているよ、と心の中で言い、彼はそっとその場を立ち去った。






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