配役 9

 かのスティーブ・ジョブズはこんな事を言いました。


 未来に先回りして点と点を繋げることは出来ない。君たちに出来ることは過去を振り返り点と点を繋ぎ合わせて、信じること。それこそが全てを変えてくれると。


 トラウマとは、拒絶である。


 その記憶が嫌な記憶であり、消したいと思うほど染み付いて取れない一種のカビのようなものだ。


 その記憶が小さい頃で、且つ日が経っているとそのカビは中々頑固になり落ちない。


 例えジョイを使っても、落ちるのは油汚れくらいである。


 そのカビを落とす効果的な方法は、その記憶を加工し、受け入れる事が大切である。


 では、記憶を加工するにはどうすればいいのか。


 これは簡単な話で、その記憶の良い部分に焦点を置く必要がある。


 光があれば闇があるように、丸々全てが暗い記憶では無いだろう。


 楽しい記憶や嬉しい気持ちもそこには必ず存在しているはずなのだ。


 皆様は騙し絵をご存知だろうか?


 騙し絵とは、一つの絵に対して二種類の絵が存在しているという絵だ。


 これは基本的に一つの絵を見ようとするともう一つの絵を見る事は出来ない。


 それと一緒で、記憶も明るい部分だけ取り上げてそこに照準を合わせれば良い。


 そうする事で、闇の部分に囚われる事なくトラウマを克服出来るという訳だ。


 また、トラウマの記憶を客観的に見つめて克服するという方法もある。


 基本、トラウマで呼び出される記憶は主観的なので自分を見る事は出来ない。


 なので、自分の姿を想像しながら、その記憶をスクリーンのように頭の中に映し出し、それを客のように眺めて、スクリーンに幕を降ろして、終わった事だと認識させるのだ。


 これがトラウマの一般的な対処法で、ネットに公開させられていた情報の一部である。


「トラウマの克服には色んなやり方があるのね。あんたどうするの?」


 ふと、明が少し眠たげに答えた。


 通信機器に弱い明にとって、どうやらこの情報捜索は大変つまらないものらしい。


 だらんと椅子に全身を預けて、臆人を見やった。


「それにしても、あんたに呼び出されて何事かと思って来てみたらトラウマの克服の手伝いって何よ。しかも苦手なパソコンを使わなきゃいけないなんて。今度からあんたは私を命の恩人明様と呼びなさい」


「命まで助けられた覚えは無いな」


「物の例えよ。久々の登場で張り切って損したわ」


「そりゃどうもすいませんね……うん? 俺が謝る事か?」


 臆人のトラウマ克服大作戦決行翌日、早速明と右凶が臆人の家にやって来た。


 そして前日の事を細々と明と右凶に伝えると、二人は納得した様子で、この大作戦に協力してくれるとの事だった。


 因みに右凶は臆人のトラウマに気付いていなかったが、明の方は臆人のトラウマには前から気付いていたらしい。全くもって鋭い奴である。


 そう言った時に返ってきた言葉が、


「あんたヒーロー学の剣の練習で気絶したじゃない。あれでまだ治ってないのは明確」


 との事らしい。末恐ろしい奴だ。


 そんな明には、トラウマについての情報収集をして貰っている。だが、前述した通り明は電子機器が余り得意ではなく、且つ好きじゃないので中々捗らない。


 一方右凶はスパイ科所属なので、そういう情報を集めるのが得意だと聞いていた為、臆人は初めて右凶に期待を寄せたのだが、こいつはとんだ食わせ者のようだった。


 先程右凶に剣道場が近くに有ると伝えた瞬間、「剣道場見てくる!!」と言って出て行ってしまったのだ。


 本当に手伝う意思があるのか不安な所だが、頼んでいるのは此方なので無理強いは出来ない。


 明はつまらなさそうにしながらも、何だかんだと探してくれているが、問題は知由乃である。


「zzz……」


「おい寝るな知由乃! もうかれこれ十回目だぞ!」


「……ひゃい、すいません」


 知由乃はどうやら明よりもパソコンに疎いらしく、触ると眠くなる特殊体質らしい。


 何てファンタジーな体質なのだろうと思うが、そこは許して欲しい。


 知由乃が寝ぼけ眼で懸命に色んな記事を見ようとするのだが、直ぐに頭が上下に揺れて机に突っ伏してしまう。


 これも一種のトラウマ的何かなのではないかと思うが、取り敢えず今はそっとしておくしかない。


 一方臆人はテレビを見ていた。剣が闊歩するバトルアニメである。


 桃子の言う通り、最初は音のみから始めようとしたが、これは案外平気だった。


 もしかすると、音が怖いというより、音と映像の両方が合わさった時にトラウマは発動するのかもしれない。


 なので、臆人は取り敢えず手軽なバトルアニメから始めたのである。


 この次はドラマ化した剣が登場するシリーズを見ようと決めていた。


 例えるならるろうに剣心が良い一例だ。


「アニメを見てトラウマを克服するなんて、ある意味贅沢ね」


「しょうがねぇだろ。これしか方法が思いつかねぇんだからよ」


 臆人はアニメを見ながら平然とそう言ってるが、内心心臓がバクバク鳴っていた。


 やはり剣の音や映像に対するトラウマは存在し、臆人の脳内に刻み込まれているのだ。


「ま、でもトラウマなんて考え方次第でどうにでもなるみたいな感じなのね。案外ちょろいのねトラウマって」


「全世界のトラウマが克服出来てない人達に謝れ。というか先ず俺に謝れ」


 ツッコんでみたものの、確かにトラウマというものは考え方次第という面は強いのかもしれない。


 けれど、その考え方次第というのが一番難しい所ではあるのだが。


「それはそうと、私達ってまだ一度も魔法使って無いのよね。魔法の世界なのに」


「いいから黙って調べろ!」


「つまんないのー」


 明はふくれっ面になりながらもまたパソコンを弄り始めた。まあ、明がネットをカタカタと長時間弄り続ける姿も想像出来ないので、これはこれで仕方ない。寧ろ何だかんだと調べてくれることに感謝しなくてはならない。


「zzz……」


「いやぁ臆人ん家の剣道場って広いのな! あそこでかの金条忠助が練習してたかと思うと震えるぜ!」


 ただ、他の二人に関しては話は別になりそうだった。




 ***




 それから小一時間経過した所で桃子特製の昼食を食べてお昼休憩を挟み、四人はこれからどうするか話し合う事にした。


「このまま明には情報を探って貰うことにして、問題はお前等だ」


「「いやぁえへへ」」


「褒めてねぇ! つか一番何もしてないのはうさきちだ! お前パソコン得意なんだろ! 腕を見せろや!」


「ふふふ甘いなチキン。お前は照り焼きチキンより甘いな」


「照り焼きチキンが甘いかは意見が分かれそうだけどな……んで、何で甘いんだよ?」


「俺が何も調べてないと思ったか?」


「おぉまさかお前……俺達に内緒で……」


「あぁ調べたさ! そして遂に桃子さんのスリーサイズを__!」


 バキッ!!


「この坊や、海に投げ捨ててくるわね?」


 桃子の目は笑ってなかった。


「いや母さん! データ消去だけで許してやってくれ! 悪気はあったと思うけど!」


 というか、そのスリーサイズを知ってどうするのか。臆人には分からなかった。


「どうでも良いこと言ってないで、この際剣道場で臆人を音すら聞き取れない位にボコボコにして、違うトラウマを植え付けるってのはどうかしら?」


「それは一周回って逆戻りだ。いや、二重のトラウマが植え付けられて一周進んでるな」


「二重(ふたえ)の虎馬……?」


「どんな虎と馬だよ! まあでも、剣の音を今から少しずつ聞いていくのはありだと思う」


 段階を飛ばしてはいるが、あくまでもこれは少しでも早く音に慣れるためである。勿論、その後またアニメを見て少しずつ耐久力を付けていく。


 こうして結論が出た午後の活動は、稽古である。


 先ずは音を聞くために臆人は見学し、知由乃もヒーラーなので見学する。


 よって対戦者は明と右凶となった。


「血沸く! 血沸くわね! 久しぶりの獲物よ!」


「女に勝てない俺こと左吉右凶ではない! 覚悟ぉぉぉぉ!」


 この勝負の行方は瞬きの間に終了した。


「うぐぐ……無念」


「オホホホ! 私に勝とうなんて百万年と二千年早いのよ! 首を洗って待ってなさい!」


「いや、それ負けた奴が言うセリフだよ! お前が言うのは出直して来いな!」


「何だかヒロインじゃなくて女王みたいですね明ちゃん」


「それを言うな……」


 しかも一瞬で片がついてしまったため、臆人のトラウマ克服に何の役にも立ってない。右凶の叩かれ損である。


「ま、まだまだぁ!」


 右凶は悔しかったのか、いきなり明に突っ込んだ。全体重を乗せた渾身の振りが明の木刀と衝突し、跳ね返された。


「うおらぁぁ!」


 右凶は半ばやけくそになって、木刀をぶんぶん振り回すが、明には一撃も入らない。


 そしてその間に、明の木刀は容赦なく右凶を叩く。


 右凶は倒れた。


「俺はスパイだから戦わないようにするのが仕事なんだぁ! うぁぁ!」


 そして泣きながら剣道場を出て行った。誰も引き留める者はいない。


「何よつまんないわね」


 と言って木刀を肩に背負った。何だか様になってるのが憎たらしい所だ。


「こうなったら知由乃ちゃん勝負よ!」


「私は死にたくないので遠慮します」


 びしっと木刀を向けて言ったが、真面目に丁寧に断られた。


「即答なのね……じゃあ、もう残ってるのはあんたしか居ないわよ?」


「……結局かよ」


 臆人の勘で、こうなる事は何となく分かっていた。


 臆人は立ち上がり、右凶が投げ捨てた木刀を拾い上げた。使い込まれたボロボロの木刀だが、未だに色褪せていない。


 握った瞬間、心臓が高鳴った。


 学校では持った所で何か反応が起きた訳では無いが、ここでは木刀を持っただけで体が反応するらしい。


「もしかすると、克服の道はここに有るのかもな」


「何感傷に浸ってんのよ臆人。ていうかあんた勝負出来るの? その心で」


「その体でっていうセリフは世の中ごまんと有るけど、その心でってのは初めて聞くな」


「そうね。トラウマ抱えてる主人公なんてごまんと居るのにね」


「言ってろ。メタ発言ばっか言ってるお前を制裁してやる」


「それこそ言ってろ、ね」


 臆人と明は剣を構えた。二人の構え方は、まるで鏡写しのように酷似していた。


 小さい頃から一緒に剣道場に居たのだから、これは必然なのだろう。


「なぁ、臆人と明どっちが勝つか賭けをしないか? 」


 いつの間にか知由乃の隣に戻ってきていた右凶が、知由乃にそう聞いた。


「何を賭けるんですか?」


「そうだなぁ。賭けるのはこのトラウマの手伝い。賭けに勝ったら手伝う。負けたら一切手伝わないってのはどうだ?」


「何ですかそれ? それじゃここに来た意味が無いじゃないですか?」


「良いんだよ。で、どうする? 試合が始まる前に答えを聞かせてくれよ」


 右凶は真面目な表情をしていた。これは恐らくはぐらかせない。


「なら、手伝いたいので明ちゃんに一票ですかね。臆人さんが幾ら強くてもハンデを抱えて明ちゃんに勝てるとは思えません」


 これは本心だった。もしこれが対等な勝負ならば、知由乃は臆人に賭けた。


 だが、今は違う。臆人は相当なハンデを背負っている。勝てる見込みは皆無だ。


「俺もそう思う。だから俺もあかりんに一票かな」


「え? それじゃ賭けにならないんじゃ……ていうかあかりんって……」


「見ろよ。始まるぜ」


 知由乃は狐に包まれたような感じを受けながらも、取り敢えず試合を見る事にした。賭けをしたからなのか、一気に緊張が高まった。


 この賭けに意味が有るのか無いのかは分からないが、今は明を応援するしかない。


 試合は静かに始まった。


 先ずは明が果敢に攻め込んで行く。キュッとフローリングを擦る音を立てながら剣を振るう。


 臆人はそれを、剣で弾く事なく体を避ける事で交わしていく。


 どちらも動きは俊敏で、二人は動きを目線で追うのが精一杯だ。


 剣が交わる事が無ければ掛け声もない。なのでひたすらフローリングの摩擦音だけが剣道場に木霊する。


 それは何とも奇妙な光景だった。


 けれど、段々と二人の間に差が見え始める。


「はぁ……はぁ……」


 臆人の息が上がり始めたのだ。無理もない。自分と剣の両方に気を遣わなければいけないのだから。


 剣に当たっても自分に当たっても終わりなのだから、神経の擦り減らし具合が違う。


 しかも、臆人は攻撃する時、剣で弾かれないような所を狙うしかない。何せ剣で防がれてもダメなのだから。


「将棋で言うところの二枚落ち__いや、四枚落ちで戦ってるようなもんだな」


「そうですね。というかこの勝負、臆人さんはどうやって勝ちを見出すんですかね? これじゃ手も足も出ませんよ」


「そうかもな。でも、問題は案外そこじゃ無かったりするんだよ」


「そこじゃない……?」


 またもや右凶の意味深発言で、知由乃は右凶が何を考えているのか全く分からなくなる。


 けれど、右凶は楽しそうだった。ここが彼のスパイたらしめている所なのだろうか。


 要は自分が持ってる企みを明かさずに、裏で画策しているのだ。それが何かは今は分からない。


 その時だった。


 臆人が汗で濡れたフローリングで足を滑らせたのは。


 それは一瞬の出来事で、直ぐに体勢を持ち直そうとしたのだが、拮抗している勝負の最中でこれは致命傷だった。


 すかさず明が上から木刀を叩き下ろした。


 *


 臆人はその時思った。


 明は大振りだった。しかも上から真っ直ぐ振り下ろされるだけの簡単な軌道。


 予測すれば両手で取れる筈だと。


 今すぐ剣を放り出して、上から振る木刀をパンと両手で挟み込めば、そのままそれを奪い取って形勢逆転出来る。


 そうだ。この両手に持ってる木刀を離せばいい。


 離せば解放される。自由になれる。


 元々これは邪魔な存在だ。攻撃も出来ないし防御も出来ない。ならばさっさと手放してしまえばいい。


 そうすれば両手が扱える。剣を取れる。


 さぁ離せ。離れろ。離れろ。握れ。離れろ。離れろ。離れろ。握れ。離れろ。離れろ。握れ。離れろ。握れ。離れろ。握れ。離れ__。


 ダン!!!!


 唐突に、剣道場の外から何かが思い切りドアに向かってぶつかった。


 それに思わず明は反応してしまった。


 視線が臆人から一瞬離れたその時、臆人の体は勝手に動き始めた。


 滑って体勢が低くなったまま、転がるようにして明の背後に回り、そのまま立ち上がり様にして、首に木刀を当てた。


 勿論、ギリギリで当たる位の寸止めだ。


「あ……」


 明はその出来事に声も出せずに固まった。


 そして__


「どっせぇぇぇぇい!!」


 振り向けざまに臆人の横腹に木刀をめり込ませた。


「ぐほぉ!!」


 急な攻撃を臆人は避ける事も出来ずにモロに喰らい、その場に蹲った。


「明てめぇ……」


「あんたに負けるなんて不覚だったわ。例えそれがさっきの音がきっかけだとしてもね。ていうかあの音一体何よ?」


 負けた事が大層気に入らないのか、明はイライラを顔に充満させながらドアへとずかずか迫っていった。


 *


「さて知由乃ちゃん。俺達も行こうか」


「え?」


 右凶は明の後を追う形で歩き始めたので、それに着いていく形で知由乃も歩き出す。


 臆人はまだ横腹を抑えたまま固まったままだ。


「臆人さ__」


 この時知由乃は思った。自分は賭けに負けてしまったのだと。


 そして賭けの内容が、臆人にとってとても酷い内容だった事も。


 知由乃はとても後悔した。もし知由乃があの時臆人に賭けていたなら、胸を張って臆人を労う事が出来たのに。


 最後に邪魔が入った云々、結果的に臆人は明を負かしたのだ。


 信じているつもりで、まるで信じていなかった。現実的に無理だろうと高を括っていた。


 けれど、臆人はそれを覆した。あのハンデがある中で。あの状況で音が鳴り響いた時も、臆人が目を向けていたのは目の前の相手だった。


 彼はやはりヒーローであり、同時に金条忠助の息子だった。


 賭けに負けた知由乃は、約束通りこのままトラウマの克服の手伝いから手を引かなければならないのだろうか。


 そしてそれを知った時、臆人はどんな思いをするだろうか。


 胸がギュッと締め付けられて、痛かった。


「あんたって確か……」


 その時、もう既に開けられたドアの前で、明が訝しげな表情で外を見ていた。


 というより、ドアの外に誰か居るのだろう。


 知由乃は気になり、明の背後からそっとドアの外を見ることにした。


 そこには、少し顔を不安げにさせた可愛らしい少女がいた。


 少女というには些か身長が高いが、顔はまだ幼いので年齢的には知由乃達より低いだろう。


 それにしても、顔の形が臆人に似ていると、ぼんやり感じた。髪の色は黒と全く違うが、顔のパーツは臆人と似通ってる所がある。


「莉愛……よね?」


「あ、うん……久しぶりだね。あかりん」


「あ、ちょっとやめてよあかりんは! 恥ずかしいじゃない!」


 明は交互に右凶と知由乃を見た後、莉愛を怒っていた。


 知由乃は明がこっちを見た時の照れた顔に、思わず顔が綻んだ。


「いやなの?」


「いやじゃないけど……何かこう……むず痒いというか……」


「ダメ?」


「……好きに呼べばいいわ」


 そう言うと、莉愛はにっこり笑って満足そうに頷いた。


 明はそれを見て溜め息を吐く。


「うさきちあんた莉愛の面倒見てあげて。私はパス」


「あいあいさー!」


 何となく今の会話で、明は莉愛に弱いんだと薄々感じ取れた。


 知由乃はもう少し莉愛に近づいてみた。


 癖のある真っ黒な髪は、父親譲りなのかもしれない。そしてこれも父親譲りなのか、背は知由乃より高い。


 見上げる程でも無いが、負けてる時点でショックである。


「莉愛ちゃん、良かったな臆人が勝って。無理矢理だったけど」


「勝ちは勝ちだから、うさきち君はもう手伝わないでね?」


「あー分かったよ。俺達はもう手伝わない」


「俺達……?」


 その時初めて、知由乃と莉愛は目が合った。ドキッとした。


「うさきち君の友達も賭けしたの?」


「あぁそうだよ。名前は小鳥遊 知由乃だよ」


 代わりに右凶が自己紹介したので、知由乃は取り敢えず頭を下げた。


「ちゆの……ちゆのん?」


「あはは……呼び方は何でもいいよ。取り敢えず宜しくね莉愛ちゃん」


 すると、莉愛はじっと知由乃を見つめた。


「にぃの彼女?」


「になるものです」


「そ、それは……不束者ですが宜しくお願いします」


「こ、此方こそ不束者ですが宜しくお願いします」


「おーい君達馬鹿な事言ってるのに気づきなさーい」


 とんでもない挨拶はそれくらいにしておいて、本題に入る。


「取り敢えず中入ろうか。臆人も居るし」


「うん」


 莉愛は軽い足取りで剣道場へと入って来る。


 するとそこで、臆人はどうやら莉愛の存在に気付いたらしい。


「おぉ!? 莉愛!」


「そんなに驚かなくても……」


 莉愛は苦笑して、臆人へと近づいて行く。


「にぃ。順調?」


「……あぁ、母さんから聞いたのか?」


「うん」


「そっか。まぁ、順調なような順調じゃないような、良く分からん」


「知ってる」


「あぁそう……んで、何か用か?」


 すると莉愛は黙り込んだ。というより、言い出そうとして中々言い出せない感じだ。


「どうしたんだよ?」


「うん……えっと……」


 そこから数秒後、莉愛は言った。


「にぃはどうして剣で戦ってるの?」


 それは臆人にとっては衝撃的な一言だった。


 小説家にどうして本を書いてるのか聞いてるようなものだ。


「そ、そりゃ……ヒーローは剣で戦うもんだろ」


「にぃは剣で戦うヒーローになりたいの?」


 素朴な疑問だが、中々に答えにくい質問だった。


「いや、別にそういう訳じゃ……でも、ヒーローはそういうもんだろ」


「にぃは"そういう"ヒーローになりたいの?」


「いや、そういう訳じゃ……ねぇけど……」


「じゃあにぃは何になりたいの?」


「それは……まぁ……世界で一番のヒーローに……」


「世界で一番のヒーローは剣を持ってなきゃいけないの?」


「いけない訳じゃない。でも、俺にはこれしか……」


「あるよ。にぃには剣以外にも出来ることがある」


「……なんだよ?」


「…………知らない」


 思わずずっこけそうになった。バナナの皮があったらもうド派手にすっ転んでいた所だ。


「お前言ってる事滅茶苦茶だな! 何なんだよ!」


「にぃはパパの影を追ってるんだよ。だから剣じゃなきゃダメだと思ってる」


「別に追ってる訳じゃない。これは普通の事なんだ。普通のヒーローは剣を持って__」


「にぃは普通のヒーローになりたいの?」


「そ、それは__」


 臆人は、どんどん自分が追い詰められて行く気がして怖くなった。


 袋小路だった。言い負かす道がどんどん失われ、塞がれていく。


 この時ふと思ったのだ。


 臆人の望みは、この世界のスーパーヒーローになる事だ。決してただの職業なのではなく、一個人として、自分はそうなりたいと思っていた。


 この噛み合ってない世界を、知った顔で自分は違う存在だと認識していた。


 職業だと認識している周りのヒーローを見下していた。


 けれど、それは間違っているのかもしれない。臆人はただ、自分は他の人間とは違うと思っているだけの、どこにでもいる普遍的な凡人だった。


 周りをただ見下して優越感に浸ってるただのよくいる勘違い野郎だった。


 剣で戦うのが当たり前の世界で、剣を扱えないヒーローにはなりたくないただのヒーローだった。


 けれど、それこそぶち壊すべき一つの障害なのかもしれない。


 剣で戦えないヒーローはヒーローではないなんて法律は無いし、罰もない。


 ヒーローはもっと自由であるべきだと、日頃から思っていた臆人は、自分が情けなく感じだ。


 最初から縛られていたのだ。この世界の暗黙の了解に。しかもそれに気づいていなかったのだ。


 水槽の魚と同じだ。水槽の魚は、そこが世界の広さだと思っているのだから。


「にぃは剣以外で戦える何かを見つけるべきだよ。莉愛はそう思う」


「なるほどな。莉愛だから考えれる事だな」


「そうだね。だって莉愛は普通科の高校に行くんだから。そんなヒーローの常識なんて知らない」


「あぁ、何かすっきりしたよ。ありがとな」


「うん……じゃ」


「おう」


 こうして莉愛はそそくさと帰って行った。


「……はぁぁぁぁ」


 臆人は一気に体の力が抜けて、床に大の字に寝そべった。


 いきなりの莉愛の登場には驚いたが、こうも言い負かされてはぐうの音も出ない。


 本当に世の中考え方次第だ。


「おい臆人! いつまでも寝てんなよ!」


 すると、上から覗く形で、右凶がしたり顔で臆人を見る。


 この時、ようやく気が付いた。


「お前か。莉愛を唆したのは」


「言い方が悪いな。導いたと言ってくれ」


「まぁそうだな。ありがとよ」


「お礼は剣以外の何かを見つけてからにしろよな。こっからが正念場だぞ?」


「分かってるよ」


 臆人はその時、少し遠くで立ち尽くしている知由乃を見た。


 知由乃は見られた途端、顔を俯かせた。何だか様子がおかしい。


「なぁ、知由乃どうしたんだ?」


「さーね。ま、ちょっぴり罪悪感とか何とか色々混ざってて臆人の顔をまともに見れないのかもね」


「何じゃそりゃ。あ、まさかここにきていきなり彼女アピールに罪悪感が!?」


「そこじゃねーから安心しとけ」


「そうか……いや、別に安心した訳じゃねーけどな」


「あ、莉愛もう帰ったのね」


 ここで姿を消していた明が帰ってきた。


「あかりんどこ行ってたんだよ?」


「誰があかりんよ! 次言ったら地中に埋めてやるわよ!」


「そんな怒るなよあかりん。いや、めいちゃん?」


「コ、ロ、ス!」


 ドタドタと二人が駆け回る中、知由乃がゆっくりと近づいて来た。


「臆人さん、立てますか?」


 すっと滑らかに伸ばされたその手に、少しドキッとしながら、臆人はその手を掴んで立ち上がった。


「普通は逆なんだがなこういうのは」


「良いじゃないですか。女性が男性に手を差し伸べたり、女性が男性に肩を貸したり、挙げ句の果てには女性が白馬に乗って男性を助け出したり__」


「いや、そこまで行くと男性が惨めになるからやめてあげて!」


 女性が白馬に乗ってる姿もあまり想像したくないが、それよりも助け出される男性を想像したくない。


「でも、それもあって良いことなんですよ。それこそ暗黙の了解って奴です。考えて下さい。その白馬の女性が明ちゃんだったら割と想像出来るじゃないですか」


「確かに……言われてみるとそうだな」


 明が白馬に乗って男性を助ける。果敢に敵を倒しながら。体に傷を負いながら。


 確かに想像出来る。


「これもきっと考え方次第なんですよ。案外トラウマと似てるかもしれませんね」


「そっかなるほどな。そういうもんかもな」


「そういうもんです」


 その後、少し沈黙した。


 そして__


「私は、これからも臆人さんに着いていきます。私は臆人さんを信用します。絶対に離れません」


「お、おう……」


「ですから臆人さん。絶対にいなくならないで下さいね?」


「それも考え方次第だな。死んでも魂は私の心に的な感じでいけば離れる事はねーよ。ていうか、それは世間じゃフラグだからやめてくれ」


「それすらも考え方次第ですね。フラグなんてへし折るために存在してるんですから」


「そういう類のものじゃ無いと思うけどな……」


 でも確かに、フラグなんて気にしてたら生きにくい。


 生きにくくするためにフラグは存在するんじゃない。


 本当に考え方次第だ。


「さ! 臆人さん、これから剣を使わずにどう戦うか考えましょう!」


「そうだな」





 そんな光景を窓の外から莉愛は見ていた。


「頑張ってね。にぃ」


 空はまだまだ明るかった。



















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