配役 8

 この世界にも、普遍的な職業は存在している。


 ヒーローやヒールだけの職業では世界は回らない。必ず支えがある。


 サラリーマン然り、公務員然り、大工や鳶職人然りだ。


 その中にヒーローやヒールの職業が存在しているだけで、これもこの世界では普遍的な職業の一つだ。


 そして、このヒーローという職業に就くのに必要なのは魔力と血筋だ。


 魔力は魔法を操る力であり、個々に備わる絶対的総量は決まっている。


 この総量が少ないと魔法が使えず、魔法が使えても威力が弱かったり直ぐにガス欠になってしまう。


 血筋というのは、魔力と関係しているのだが、このヒーローの世界線では血筋が物を言う事がある。


 ヒーローの世界で活躍している親の子供もまた、ヒーローの世界で活躍し得るだろうと、誰もが思ってしまうからだ。


 何故なら、魔力の総量や身体能力は、基本的に血筋がもっとも関係している。


 仮に魔力の総量が多く、身体能力が高い人間の子供は、それ相応の魔力の総量を持ち、身体能力が高い人間が生まれるのが殆どだ。


 蛙の子は蛙と言えば分かりやすいだろう。


 詰まる所、血筋はこのヒーローの世界ではもっとも大切な事だと言える。


 だから金条臆人はこのヒーローという道に進む事が最初から決まっていた。


 そう願われていた。


 偉大なる父の息子もきっと鋼のように強く逞しくこのヒーロー戦線で活躍してくれるだろうと。


 だから臆人もその期待に応えるよう努力はした。


 小さい頃から武術を学び、競い合った。


 やはり、蛙の子は蛙だった。


 けれど、それはそれで嬉しかった。自分は父の子なんだと思った。


 何不自由無く生まれた。決して魔力の総量が少なくて身体能力が弱い醜いアヒルの子状態なんかではない。


 普通に父の子として才能のある、恵まれた魔力と身体能力を持って生まれたのだ。


 そして父の活躍は自分の活躍でもあった。父が活躍すれば自分も強くなる気がした。


 小さい頃の記憶なので、そこまで安易な考えに至っても誰も怒らない。


 だから自分も練習した。強くなるために。


 けれどある日、それは崩壊した。


 父の変貌が、臆人のヤル気を削り取っていった。


 自分もこうなるのではないかと、怖かった。怖くて堪らなかった。


 けれど、臆人はそれをずっと隠した。それを言ったら負けだと思った。


 それは恐らく母も同じだと思う。


 母はいつも気丈に振る舞って、臆人や父である忠助の身の回りの世話をしてくれた。


 父が変貌を遂げても、母はいつも変わらなかった。


 母は何を思っていただろう。何を考えて生きていたのだろう。


 臆人はそれを知ろうとしなかった。知りたくなかった。


 父が死んでから今でも、母は変わらず元気だった。妹の莉愛もそれなりに元気だった(反抗期ではあったが)。


 因みに莉愛はヒロインを目指していない。今は近場の中学に通っており、高校も近くの普通科の高校を受けるらしい。


 これは良い事だ。自分に合った、自分が相応しいと思う所に行けばいい。母も文句を言わずに了承していた。


 三つ年下の莉愛が小さい頃は、良くチャンバラごっこをしていた覚えがある。


 莉愛はとても強かった。臆人が勝つ事も偶にあるが、基本莉愛に勝ちを取られてばかりだった。


 でも、莉愛は勝負事があまり好きではなかったので、歳を重ねる毎にしなくなっていった。


 こうして家族は成長していった。


 臆人はヒーローとなる事を決断し、ヒーロー科の高校へ。莉愛は近くの中学へ入学した。


 そして今に至る。


 この歳になるまでに、父親が自殺した理由について考えた事はあった。


 心労が原因だったのか、もっと他の理由があったんじゃないかと。


 けれど、やはりそれは憶測の域を超えず、靄を残したまま頭の片隅に引っ込んでいた。


 けれど、今それは再燃した。再燃してしまった。


 臆人はベッドに寝転びながら、ボーッと天井を覗き込んでいた。白く、シミひとつない綺麗な天井が目に映る。


 自分もあれくらい真っ白ならば、悩む事は無かったのかもしれないと馬鹿な事を考えつつ、上半身を上げた。


 今日臆人は実家に帰省する事になっている。申請は昨日の内に終えてある。


 実家に帰る理由は、今日が父親の命日だからだ。


 臆人は軽い荷物を持つと外に出た。ゆっくりと空に浮かぶ雲と突き抜けるような青空が臆人の目に飛び込んできた。


 もう少ししたらじめっとした梅雨が始まり、気付いたら夏になるだろう。


 夏は好きだ。冬の方が好きだという人が多いが、臆人は夏の方が好きだった。


 余り汗かきでもなく、暑さが苦手でもない所為もあるが、夏はどこか風情があるのだ。生き物が活発に動き、虫がざわめくのはどこか生きていると感じるのだ。


「臆人さん!」


 バス停に向かってる途中、いきなり声が掛けられた。可愛い少女の声だ。


 ふと後ろを振り向くと、そこには知由乃の姿があった。どたばたと急いで此方に向かってくる。


「ぐ、偶然ですね!」


 開口一番そう言った。


「まあそうだな。てか何してんだよこんな所で?」


「えっと……臆人さんこそ何処に?」


 知由乃は何故かしどろもどろにそう言った。臆人はそれですぐに合点した。


「そっか父さんの事調べてたんだもんな。そりゃ命日位知ってるよな。一緒に行くか?」


 すると知由乃の顔がぱぁと光った。


「あ、はい! お伴します!」


「お伴しますって……いつの時代だよ。ていうかそれなら、部屋に直接来るかメールで言ってくれれば良かったのに」


 すると知由乃は「あはは」と照れるように笑った。


「あ、いえ……なんか墓参りに行きたがる女性というのもどうかと思いまして……それなら偶然ばったりを装う方が良いかと思いまして……」


 どうやら知由乃の作戦では偶々学校の外で鉢合わせて、偶々一緒に墓参りに行くという魂胆だったらしい。


「いや偶々一緒に墓参りってどういうことだよ……まぁ気を遣ってくれたんだよな。ありがとな」


「いえいえ。私はデート出来るだけで幸せです」


「墓参りに行くのはデートじゃねえな! てかさっきまでのよそよそしい女の子っぷりは何処に!?」


「え!? 何処にでも連れてってくれるんですか!?」


「良いとこ取りすんな!!」


 とまあそんな掛け合いをしながらバスに揺られ、電車を乗り継ぎ、臆人と知由乃は無事に臆人の故郷であるディスティニーへと到着した。


「なんだかそういう風に書くと、何年振りみたいな雰囲気ですけど、実際一か月すら経ってませんね」


「余計な事は言わんで宜しい」


 因みに知由乃はバスの中でもこんな感じである。


「バスガス爆発って三回言えますか?」


「バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発」


「臆人さん。今絶対バスガス爆発って打った後、"は"の文字だけ打って後は予測変換使いましたね?」


「そこなの!? ツッコミ入れる所そこなの!?」


「だって文字打つだけなのに噛む訳無いじゃないですか」


「…………」


 これ以外の臆人と知由乃の会話は、上述した通り馬鹿馬鹿しいので割愛する。


「馬鹿馬鹿しい話って案外難しいですよね」


「割愛させろよ!」


 臆人と知由乃は取り敢えず近くのお店で花を買い、墓場へと向かった。


 父親の墓場は実家のすぐ近くにある。見慣れた通りを歩きながら、二人は黙って歩く。


 こういう所は空気を読むらしく、知由乃は何も喋り掛けてこない。


 父親の墓に着くと、水で墓石を洗い花を添える。そして線香をあげた。


「金条さんってどんな人だったんですか?」


 手を合わせた後、知由乃がそんな事を聞いてきた。


「ん〜まあ、優しくも厳しい人だったかな。家でもそこまで喋らないし、そもそもあんまり家に居なかったし」


「忙しかったんですね。それはそれで良い事です」


「そうだな。俺もそれを誇りに思ってた所もある。凄い人だと思ってた」


「今は思ってないんですか?」


「……分からない。俺は父親の事を何も知らない。上辺だけ知って分かってた気になってた。だから__」


「あら、臆人?」


 その時、久し振りに聞いたような声が臆人の耳に届いた。声で直ぐに正体は分かったし、鉢合わせるかもしれないと思っていたので驚かない。


 声の主は臆人の母親である金条桃子だった。いつも通りの母親がそこに立っていた。莉愛の姿はない。


「やっぱり来てるんだ」


「そりゃそうよ。命日位来ないとパパが泣いちゃうわ」


「そんな人でも無い気がするけど……」


 臆人はちらりと墓石を見た。


「馬鹿ね。パパは案外泣き虫なのよ」


 桃子はそう言って慣れた手つきで線香を上げた。手を合わせてゆっくりと黙祷している。


 それが終わると、桃子はパッと此方を見た。臆人は嫌な予感がした。


「それよりあんた彼女出来たの? 早いわねぇ」


 桃子は口に手を当てて「あらあら」と笑っている。


 瞬間、臆人の顔が一気に熱くなった。


「いやいや違うよ!? こいつは父さんのファンだよファン!」


「あらあら照れちゃって。可愛い子ね」


「初めまして。小鳥遊 知由乃と言います。ふつつか者ですが宜しくお願い致します」


 ぺこりと知由乃は頭を下げた。


「真面目なトーンでそういう事言うなよ! せめて慌てくれよそこは!」


「あんたモテるのねぇ! 死ぬ前に孫の顔が見れそうね!」


「はい! 何人でも!」


 ガールズトークに火が付いた。


「やめろ食いつくな知由乃! まず彼女じゃない事を否定しろ!」


「知由乃ちゃん。臆人は押しに弱いから押せば行けるわ」


 グッと親指を突き出して桃子は自信満々にそう言った。


「はいお母様!」


「あらあらお母さまだなんて嫌だわぁ! あんたいつ結婚するのよ?」


「もう勝手にしてくれ……」


 臆人は溜め息を吐いてから、墓を眺めた。黒光りしたその墓石には大々的に名前が彫られている。


 臆人は話を切り出した。


「なぁ、少し聞きたい事があるんだけど……」


「子供の人数なら二人位が丁度良いわよ?」


「いやその話はもう良いだろ! 俺が聞きたいのは父さんの事だ!」


 すると、一瞬桃子の顔が強張った。けれど、直ぐに柔らかないつも通りの表情に戻る。


「何よ? スリーサイズ?」


「男が男にそんな事聞くわけ無いだろ!」


 臆人にそんな趣味は無いし、性癖もない。


「違うの? じゃあ、パパが自殺した事に関してかしら?」


 臆人は急に不意を突かれて息が詰まった。


 まさか母親からその言葉を切り出されるとは思ってなかった。


「あ、いや、うん、まぁ……」


 それに、今桃子は普通に自殺と言った。これは秘匿しなければならない事なのに。


「こんな所で言って良いのかよ。知由乃もいるし……」


「あんたが連れて来たって事は事情を知ってるんでしょ。ファンだって言ってたし……大方迫られて白状しちゃったんでしょ?」


 図星を突かれた。臆人は後頭部を掻いた。


「いや、まぁ……そうなんだけど……」


 言い返す言葉が思いつかず、言葉がどんどん萎んでいく。


 臆人はそっと息を吸った。


「あ__」


「ねぇ、お腹空いてない?」


 臆人の言葉を遮るようにして、桃子がそんな提案を持ちかけて来た為、臆人は途中で言葉を止めた。


「どうせ寮での暮らしになってあんまり良いもの食べて無いでしょ? 私が作ってあげるからうちに来なさい。勿論知由乃ちゃんもね」


「ちょっと待って! まだ俺は何も聞いてない!」


 歯痒い。肺が重い。心臓の鼓動が早い。痛い。まるで握られているようだ。


 ここで言ったら世界が変わる。その一言で人生が大きく変わる。きっとそれは大層なことでは無い。


 でも、臆人にとってはそれは世界が変わると同等の言葉だ。言いたくても言えなかった、心の言葉。


「 父さんの、自殺の理由……って?」


 言ってしまった。言って後悔した。あぁこれで終わりだ。世界が変わる。虚ろになる。


「ただの心労よ。そう言ったじゃない?」


 桃子は素知らぬ顔でそう言った。それが余計に臆人の不安を煽った。


「いや、知ってるよ。それは……知ってる」


「じゃあ何よ? ていうかここでそんな話させる気? あんた罰当たりだよ」


「分かってる。でも__!」


 先延ばしにしたくない。ただそれだけだった。


「良いからうちに来なさい。話はそれからよ」


 そう言って桃子は話を切って歩き出した。


 手が震えていた。息がし辛い。汗が身体中から噴き出している。


「臆人さん……大丈夫ですか?」


「あぁ」


「取り敢えず行きましょう。置いてかれますよ」


 知由乃は臆人の腕を掴んで歩き出した。臆人もその力に従い歩き出す。


 地面が遠く感じた。




 ***



 家に着くと、桃子は普段通りに振舞って、せかせかと台所で料理をし始めた。


 臆人と知由乃は席に座り、それを黙って待った。


「さ、どうぞ」


 出て来た料理は、良く食卓に並んでいた物が勢揃いしている。家を出て一か月も経っていないのに、とても懐かしく感じる。


「何だか久しぶりに多めに料理を作った気がするわね。ま、ゆっくり食べなさい。知由乃ちゃんもね」


「はい。頂きます」


「……頂きます」


 家を出るまではあまり口にしなかった言葉を口に出して、臆人は料理を頬張った。


「美味しい?」


「まぁ、うん……」


「そう。良かった。知由乃ちゃんは?」


「美味しいです」


 その言葉にニコリと桃子は微笑んだ。


「臆人。あんたこの子大切にしなさいよ?」


「分かってるよ」


「なら良いけど……」


 そこで桃子は言葉を止めた。そして、懐かしむように上を見上げた。


「パパは人を殺してなんかないわよ」


 その発言で、臆人の箸は止まった。


「パパがそんな事する訳無いでしょ。あんた、パパを何だと思ってるのよ?」


 桃子は溜め息を吐いてやれやれと首を振った。


「臆人が何を言われたのかなんて私は知らないけど、そんなのはどうだって良いのよ。臆人が信じるパパを信じればいい」


「俺は父さんの事がよく分からない。だから……信じれない。信じる事が出来ない」


 これは本音だった。臆人は父親である金条 忠助さんの事を何一つ知らない。


「それは見えてないだけよ。パパはね、臆人が想像してるよりずっと大きなものを見つめていたの。そして戦って、負けてしまった」


 遠くにいるであろう忠助を見つめながら、桃子は続けた。


「この世界の歯車はね、止まっちゃってるんだってさ。動かなくて停止して、だれもそれを噛み合わせない」


「歯車……」


 またもやここで歯車という単語が飛び出してくるとは思わなかった。


 しかも、その歯車は見る人によって違う風に映っているらしい。


「その歯車をね、誰かが叩き打って噛み合わせなきゃいけないの。そうしなければこの世界は変わらない。変わることは無い」


「この世界は間違ってる?」


「馬鹿ね。この世界自体が間違ってたら、何を参考にして世界を変えてくのよ。そうじゃない。世界は間違って無い。でもね、この世界に住んでる人々が全て正しい訳じゃないのよ」


「なら父さんは間違ってなかった?」


「えぇ。パパは立派に戦ったわ。強くて優しくて、世界で一番のスーパーヒーローよ。臆人もそう思わない?」


 一瞬間を置いて臆人は言った。


「思わない」


「え?」


 臆人は桃子を見た。彼女の目は少し震えていた。


「俺が……なるからさ。世界で一番のスーパーヒーローってやつ」


 言ってから恥ずかしくなって、臆人は目を逸らした。


「そう。ならまあ頑張りなさい。でもパパみたいになるのは無しよ? そんなの、ダメだからね」


 それはとても力強い言葉だった。


「……うん」


 臆人は頷いて箸を進めた。未だ母親の顔を直視出来ない。


 けれど空気は穏やかだった。不思議と嫌な気分にはならなかった。


 だが、そこから桃子の思い掛けない発言で、静かな団欒が一変する。


「ところで臆人、あんた剣の音はもう大丈夫になったの?」


「え?」


「え?」


「……え?」


 臆人が反応し、桃子がそれに反応した後、遅れて知由乃が反応した。


「何ですかそれ? 私そんな話聞いてませんよ臆人さん?」


 知由乃が此方を睨みつけて来るのが分かった。


「もしかしてあんたまだ直って無かったの!? もう克服したのかと思ってたけど!」


 臆人の目線はどんどんと下がっていった。不思議と臆人自身もそれに比例して小さくなっていった。


「あ、いや……えっとこれはですね」


 何ということでしょう。やっと落ち着いて食事出来ると思った矢先、桃子の問いかけでまたもや臆人の箸が止まってしまった。


「それに、何で知由乃ちゃんも知らないの! あんたもしかして明ちゃんにも話してないとか言わないわよね!」


 みるみる臆人は小さくなっていく。


「いや……えっと……まだ誰にも……」


「馬鹿じゃないの! あんたそんなんで世界一になれる訳無いじゃない! 何やってんのよ!」


「臆人さん! ちゃんと説明して下さい! これは大問題ですよ!」


 二人に気圧され、臆人はミジンコ並みに小さくなった。


 取り敢えず事情を知らない知由乃に、事の次第を説明した。


 自分が剣と剣が打ち合う音を聞くとパニック状態になり、頭が真っ白になってしまう事や、体が思うように動かなくなってしまうこと。


 知由乃はそれを聞くと急に黙り込み、俯き加減になってしまう。


「知由乃、悪かった。これは俺の問題だと思ってて……」


「何でですか……?」


 知由乃の声には怒気が込められていた。


 そしてバッと顔を上げた知由乃の瞳は怒りで燃え上がっていた。臆人は思わず身震いしてしまう。


「何で言ってくれなかったんですか! 馬鹿ですか! アホですか! 間抜けですか! あんぽんたんですね!」


「あんぽんたんだけ確定なのか……」


「このすかぽんたん!」


「一体俺は何なんだ!?」


「もう私は臆人さんのチームにはなりません!」


「ま、まじか……」


「嘘です!」


「嘘かよ!」


 結構なショックを受けた臆人の気持ちを返して欲しかった。


「それ位私は怒ってるんです! きっと明ちゃんとうさきちさんも怒ります!」


「はい……すいません……」


 右凶はまだしも、明は確かにやばい。聞いたら幻滅されるかもしれない。絶交されるかもしれない。チームを抜けるかもしれない。


 それを考えるだけで酷く恐ろしく感じた。


「分かれば良いです」


「はい……すいません……って良いのか?」


 少し臆人は拍子抜けだった。


「こればっかりは仕方ないことですよ。それにあんまり尺を取っても良くないですし」


「それは要らない心配だ……」


 でも、どうやら知由乃は許してくれたようで臆人は安心した。


「何だか明ちゃんに似てるわね。臆人ってやっぱ尻に敷かれたいタイプなの?」


 桃子が楽しそうに笑った。


「いや、明に毒されたんだよ。あいつの所為だ」


「ふーん。ていうかうさきちって誰なの? そんな可愛い名前の女の子がいるの?」


「いや、それはニックネームだよ。本当の名前は左吉右凶」


「そう。まあ、それは置いといてどうするの? 剣の打ち合いが出来なきゃ話にならないでしょ?」


「んまぁ……」


 そう言われるとぐうの音も出ない。はっきり言ってこれには解決の糸口が全く見つかってない。


「要はその音を克服すれば良いのよね?」


 桃子はうんうんと唸った。


「何か解決策でもあるのか?」


「解決策と言っていいか分からないけど、徐々に慣れさせるのはどう? まずは音だけを克服して、次は画面越しでの音と映像を克服、次は実際に戦ってる所を見て克服していくの」


 確かにその方法は一理ある。知由乃も同じ反応をした。


「悪くないというか、やってみる価値はあるな」


「そうですね」


 二人は頷きあった。


「じゃあ臆人。今日からそれをクリアするまで帰れまテンって感じでどうかしら?」


「……へ?」


 急にとんでもない提案が飛んできて、臆人は変な声を上げてしまった。というか、さっきからそんな声ばかり出してる気がする。


「学校には私から連絡入れとくわ。私が言えば授業の休みなんて楽勝よ」


 桃子はドンと胸を張って自信満々にそう言った。


「え……もしかして校長先生とか教頭先生とか偉い方とお知り合いなんですか?」


「ううん。私が知ってるのはその上よ」


「その上って……なんだ?」


 校長の上の職業なんていまいちピンとこない。分かる人には分かるのかもしれないが。


「理事長よ理事長。名前は大河原 冬香(おおがわら とうか)」


「「……えぇ!?」」


 今日は驚き過ぎて顔が痛い。


 こんな身近に理事長と知り合いの人がいるなんて思いもしなかった。


 理事長というのは、学校を統括する最高責任者だ。まだ顔も見た事ないが、名前ならちらりと小耳に挟んだ事がある。


 まだ誰もその姿を見た事ない伝説の理事長の正体を、まさか臆人の母親が知ってるなんて思ってもみなかった。


「なんで母さんが理事長の事知ってるんだよ!」


「なんでって、パパの身辺調査はママの務めよ。パパ結構モテるんだから。危ない芽は早めに潰しておかないとね」


「さらっと怖い事言ってるよこの人……」


 女性同士の男の奪い合いは怖いと聞く。臆人はそこから掘り下げるのを止めた。


「理事長ってどんな人なんですか?」


「冬香さんは一言で言えばバリバリのキャリアウーマンね。あそこまで仕事に情熱を持って打ち込める人って中々居ないわよ。だから理事長の座まで上り詰める事が出来たんでしょうけど」


「そんな人にずる休みを申し込むんですか……?」


「大丈夫よ。パパの名前を使えば一発よ一発。ダメなら過去の裏話でも持っていけば跪くわよ。聞きたい?」


「う、裏話ですか? 一体どんな過激な__」


「こらこら脱線してるぞー」


 臆人もその話を少し聞いてみたいが、知由乃に聞かせるのは早い気がするのでここは遮っておく。


 知由乃にはまだ純粋な心であって欲しいのだ。


「何よーまぁ良いわ。続きはまた今度にしましょうか。というか、知由乃ちゃんはどうするの? ここに残る?」


「はい。臆人さんのお役に立てるなら、例え火の中水の中身体の中!」


「あらあら良いわねぇ。ならこの際臆人のチーム全員ここに呼びなさい。後のことは私に任せて、思い切り臆人をこき使いなさい。訓練するなら隣接してる剣道場を使うといいし。

 さぁ、忙しくなるわね」


「なんで母さんが忙しくなるんだよ……」


 こうして、臆人のトラウマ克服大作戦が決行する事になった。


 喜ばしい反面、不安で一杯な臆人だった。


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