配役 6

 今日でやっと謹慎処分が終わりを告げた。


 学校の登校や外出も解禁され、臆人は朝日を目一杯浴びながら教室へと向かっていく。


 校舎に映えるように立っていた桜の木々も、四十過ぎた男性の髪のようにどんどん禿げていく。


 そんな光景を見ながら寂しく思っていると、


「臆人ぉぉぉ!」


 後ろから突然タックルをかまされた。


「ぐはぁぁぁ!」


 その勢いに負けて前に転がる臆人に、タックルをかました人物は「よし」と満足そうに呟いた。


「よしじゃねぇよ! お前は普通に登場出来ねぇのかよ!」


「久々に会った幼馴染みにどう声を掛けようか迷った結果、タックルになりました」


「照れ隠しなの今の!? アメフト部員でもこんな事しねぇよ!」


「誰がゴリマッチョよ!」


「そんな事言ってねぇよ! てかまず、アメフト部員は全員ゴリマッチョな訳じゃねぇ!」


 臆人が立ち上がって身体を払うと、ひらひらと桜の花びらが舞った。


「どうだった三連休は?」


「休日みたいに言うなよな。まぁ、家でゴロゴロしてたよ」


「ふーん。それより、昨日は知由乃ちゃんと何話してたのかしら?」


 明が口に手を当ててニヤニヤといじらしく笑った。


「げ……! 気付いてたのかよ」


「当たり前でしょ。気配で分かったわ」


「何という動物的センス! まぁ、色々だよ」


 臆人は言葉を濁した。


 昨日の事は、例え臆人の過去に詳しい明にも簡単には話せない。


「そう。まぁどうせ、あんたの父親の話でしょ」


「それも動物的センスか?」


「違うわよ。酒場の事件の時に、知由乃ちゃん、あんたの名字が金条だって分かった途端、何か思い詰めてる様子だったから、それでね」


 臆人は思わず舌を巻いた。明がこんなに周りをよく見ていたなんて思いもしなかった。


「あんたが鈍いのよ。ま、ヒーローならそれ位が丁度いいんじゃない?」


「有りがちで嫌だが、ここは認めるしかないか……」


 知由乃の異変を見抜けなかった臆人に、反論の余地は無い。


「ま、本当はあんたの部屋から出て来た知由乃ちゃんを捕まえて、吐かせただけなんだけどね」


 舌をペロッと出して笑う明は、全国民が可愛いと言っても、臆人的には全く可愛くなかった。




 教室に入ると、生徒の大半と目が合った。だが、その目線は直ぐに元の位置に戻っていった。


 もっとヒソヒソと噂されるか、挙句の果てにやっかまれるかと思ったが、そんな事は無かった。


 当然と言えば当然なのかもしれない。


 何せここはヒーロー科の教室だ。変に気取ったボスキャラ気取りの生徒は居ないのかもしれない。


 皆、自分の事で精一杯だし、何よりヒーローとしての自覚がある筈だ。


 臆人はそう思い、先に座った。


 間も無くして、小林先生がいつものように教室に入って来た。


 臆人は目を合わせないように下を向こうと頭を下げようとした時、視界の端で此方を見て鼻で笑ってる姿が映った。


 それを皮切りに、小林先生の言葉は臆人の耳には入って来なかった。


 ふと隣を見ると、空っぽの席が一つあった。寂しそうに、椅子と机が佇んでいる。


 後四日、この空っぽの席が埋まる事は無いだろう。そう思うと、この席が少し不憫に見えた。


 臆人は窓の外を見た。


 丸裸になっていく木々達もまた、不憫に見えた。




 ***




 この勇泉高校には、訓練場のような場所がある。


 開けた場所に、灰色のタイルが目一杯敷かれたその場所は、校舎のもっと奥の場所にひっそりと存在している。


 そして今回のヒーロー学は、この訓練場で行われるらしい。


 気温は低くもなく、高くもない丁度いい気温なので、何だか眠くなってしまいそうだ。


 臆人は思わず欠伸が出そうになった。


「さて、これよりヒーロー学の実践訓練を始めていくが、その講師を務めるマダムス=ジェイ=オメガだ。ワタシの事は、気軽にマダムス教官と呼んで欲しい」


 サングラスを掛け、緑色の軍服を着た教官を名乗る男性は、張りのある声でそう言った。


 はち切れんばかりの二の腕や、丸太のような太い足など、ゴリマッチョを体現したかのような体格の持ち主だった。


「小林昭人先生は理論、ワタシは実践で皆さんとお会いする事になるのでどうぞ宜しく頼む。因みに、軍服はワタシの趣味だ」


「マダム……ぷっ」


 誰かが小声でクスリと笑った瞬間、乾いた銃声が鳴り響いた。


「へいボーイ? 何か笑う事があるか?」


「いえ、ありません……すいません」


 その生徒は、頰を掠った弾丸で一気に青ざめてしまい、腰を抜かして立てなくなった。


 マダムスは、慣れた手つきで銃をしまいながら言った。


「誰か保健室に連れて行ってやるといい。腰が抜けたままだと実践出来ないからな」


 すると、隣にいた生徒がその生徒を担いで、校舎の方に消えた。


 マダムスはそれを見るまでもなく説明を始めた。


「君達に今日からやってもらうのは木刀による剣技の訓練だ。ヒーローたるもの、剣技に磨きをかけるのは必須の事だ。心して訓練に取り組んで欲しい」


 剣技の訓練という言葉に、臆人の心は高鳴った。


「それでは始めて行こう。皆、木刀を取ってペアを組め」


 その言葉で、生徒達がぞろぞろと動き始める。


 この時、臆人は二つのパニックに襲われていた。


「木刀……か」


 臆人は、顔をしかめながらゆっくりと木刀へと近づいていく。


 柄を持って、手前の木刀を引き抜いた。カランカランと、木刀同士が擦れる音が響く。


「くっ……」


 途端に、臆人の心臓が一気に暴れ出した。呼吸が荒くなり、立つ事すら出来なくなり、その場にしゃがみこむ。


「おいお前、大丈夫か? 体調が悪いなら保健室に行くか?」


「あ、いえ。大丈夫です。すいません」


 臆人は汗を垂らしながらも、苦笑いを浮かべた。いや、苦笑いしか浮かべる事が出来なかった。


「無理はするなよ。ヤバくなったら直ぐ報告だ。良いな? それもヒーローを長く続ける為の秘訣だ」


「……そうですね。長生きは、した方が良いですよね」


 臆人は木刀を使いながら立ち上がると、ふらふらと人集りに足を運んで行く。


 その様子を、マダムス教官はサングラス越しから眺めていた。


「した方が良い……か。長生きはするものだぞボーイ」


 マダムス教官は木刀が入ってる箱を見た。網目状の格子の一つ一つに木刀が一つずつ入っている。


 臆人はその手前の一つを取り出した。それは、皆が手を出さない程にボロボロの木刀だった。


 もう一度臆人を見た。彼はそれに全く気付いていなかった。


「ペアって……誰と組めば良いんだ……」


 臆人は、まだヒーロー科に友達と呼べる友達は居ない。


 というより、作る前に謹慎処分になってしまったので、そんな時間は無かったのだ。


 これは困りものである。臆人は半泣きになりながらも、取り敢えず辺りを探していた。


「なぁ、良ければ俺と組もうぜ。金条」


 何ともありがたい言葉が、後方から聞こえてきた。


 臆人は違う意味で半泣きになりながら、後ろを振り返った。


 そこには、意地の悪そうな顔をした、如何にもガキ大将みたいな奴がいた。


「やっぱりヒーロー科にも、こういうのは必ずいるんだな」


「はぁ? 何言ってんだお前?」


 ガキ大将は意味不明だと言わんばかりに眉を潜めて、臆人を睨む。


「あぁ分かった。ペア組もうぜ」


「そうこなくちゃな。流石あの金条忠助の息子だな! 楽しみだぜ!」


「……そうだな」


 最初から声を掛けてきた時に金条と呼んでいたので、

 やはりこのガキ大将は父親の事を知ってるようだ。


 まあ、知らない人の方が少ないようなので、臆人はもうそこについては受け入れて行くしかない。


「さて、ペアになったようだな。ではこれより、ペアになった二人で模擬戦をやってもらう。簡単な話、一本取ればその生徒の勝ちだ。

 だが、寸止めが上手く出来ずに傷つけたりした場合はもう一方の生徒の勝ちとする。以上だ。

 それではスペースを確保して随時始めてくれ」


 その言葉を皮切りに、生徒達はどんどん辺りに散らばって行く。


 臆人とガキ大将も、それに準じて行動を始める。


「なぁ、出来れば遠くの方にしないか? 絶対にぶつからないように出来るだけ周りと距離を離そう」


「……良いぜ」


 ガキ大将は不敵に笑うと、臆人の後ろについてきた。少し、嫌な予感がした。


「ここら辺で大丈夫だろ?」


「……あぁ」


 だいぶ離れた所に二人はやって来た。ここなら多少聞こえても動揺する程じゃない。


「じゃあ始めようか」


「その前に、言いたい事があるんだ。良いか?」


 臆人が木刀を構えると、ガキ大将はまたも不敵な笑みを浮かべてそう言った。


「あ、あぁ。良いぞ」


「じゃあ遠慮なく……すぅ……」


 ガキ大将は胸を大きく膨らませながら大きく息を吸い込んだ。


 ゾワリと、臆人の体に悪寒が走った。


「今からぁぁぁ!!!! あの金条忠助の息子とぉぉぉ!!! 勝負するぞぉぉぉ!!!! 見たい奴は見とけぇぇぇ!!!!」


 まるで風船のように膨らんだ胸が、空気を一気に放出した。


 これ以上ない位の大声が訓練場に響き渡り、周りの生徒達を脱帽させた。


 やられた、と臆人は思った。


 まさかこんな事をするとは思いもしなかった。


 そして、その言葉に釣られて視線がどんどん二人に集中していく。一気に、良い見世物へと変貌した。


「ははははは!! これでお前は真剣に俺と勝負するしかないな!! 面白いだろ?」


「あぁ。でも、静かになった事だけは感謝するよ」


「は!! 周りの雑音なんか気になるのはお前が弱いからじゃねぇのか!! これで負けた時の言い訳の仕様が一つ無くなったな!!」


「それはお前も同じだろ。ていうか、お前の名前は何て言うんだ?」


「俺の名前は、鎌瀬 犬尾(かませ いぬお)だ!! 覚えとけ!!」


 そう言って駆け出した犬尾。右手に持った木刀を力一杯上から叩き下ろす。


 めちゃくちゃな動きだが、スピードは速い。動けるゴリマッチョとは、アメフト部員に持ってこいだ。


 臆人は、それを半身になって避けながら、凄まじい速さで犬尾の脳天に木刀を持って行き、優しく叩いた。


「一本。流石噛ませ犬。良い味出してるよ」


 時が止まったように、犬尾は暫く動かなかった。


 けれど、やがて状況が飲み込めて行くにつれて、どんどんと顔が赤くなっていく。


「ふざけやがって! 死ね!」


 犬尾は力任せに木刀を振るった。まるでそれは台風のように臆人に猛威を振るった。


 臆人はそれを軽快にステップで避けると、そのまま犬尾の足に回し蹴りを食らわせる。


「おわぁ!?」


 バランスを崩して転ぶ犬尾に乗っかるように、臆人が木刀を首に突き付ける。


 あからさまに見せた実力の差に、臆人は少し優越感に浸った。否__浸ってしまった。


「おらぁ!」


 突然、犬尾が持っていた木刀を臆人に投げ付けた。


 一本もへったくれもないのか、或いは犬尾は頭に血が上って判断がおかしくなっているのかわからないが、とにかくその反撃は臆人にとって予想出来ず、思わず木刀でその木刀を防いでしまった。


 カン、と甲高い音が一つ響いた。


 投げられた木刀は臆人の木刀に当たると、あらぬ方向に飛んで行った。


「くそがぁ! こうなったら! 拳で勝負じゃぁぁ!」


 犬尾はやけくそになって臆人の顔面に右ストレートを打ち込んだ。


 バキっと、嫌な音と共に臆人は後方に吹き飛ばされた。


 受け身をするでも、体勢を立て直すでもなく、まるで糸の切れたマリオネットのように地面に転がった。


「やった! やったぞ! 見たか! 俺の攻撃があの金条に!」


 その瞬間、犬尾の肩にポンと手が置かれた。


「ボーイ。君は失格だ。これはヒーローのする事ではない」


 その瞬間、犬尾はハッとなって臆人の方を向いた。臆人はピクリとも動かない。


「嘘だろ……?」


 ここでようやく、犬尾は状況を理解したらしい。


「これ以上馬鹿な真似をしたら停学だ。気をつけるといい」


「……はい」


 犬尾は悔しそうに歯を噛み締めた。


 マダムス教官は、次に臆人の元へと向かった。


 体を起こすと、臆人の顔の左半分が腫れ上がっている。


「おい起きろ金条」


 マダムスが体を揺さぶっても、言葉を投げかけても臆人が目覚める気配はない。


「今日の講義はここまでだ。皆、速やかに帰りなさい」


 マダムスは臆人を抱きかかえると、生徒達を一瞥もせずにその訓練場を後にした。




 ***



 小さい子供が、楽しそうに大の大人とチャンバラごっこをしていた。


 紙を丸めて作った細身の剣で、きゃっきゃと楽しそうに小さな子供ははしゃぐ。


 一方、大人の方も愉しげに笑いながら子供の相手をしていた。


 髪色は銀と黒で違うが、顔立ちから鑑みて、二人は親子なのだろう。子供の遊びに付き合っている父親。仲睦まじい光景だ。


 その場所は剣道場のような所だった。キュッキュッと鳴る艶やかなフローリングの床の上で、毎日のように二人はそこで遊んでいた。


 時々、父親の代わりに小さな少女になったりもした。赤い髪の、赤い瞳をした活発な女の子。真剣な表情で、銀髪の男の子と勝負している。


 銀髪の男の子は中々赤髪の女の子に勝てなかった。勝てる時もあったけれど、それは何十回やった中での一回だ。


 けれども銀髪の少年はとても楽しかった。楽しくて楽しくてたまらなかった。こんな日が永遠に続けば良いと望んでいた。


 だが、そうはいかないのが現実で、そうであるからこそ現実なのだ。


 ある時から、紙を丸めた剣は木刀になった。


 そして、父親は笑わなくなった。


 ただひたすら銀髪の少年に稽古をさせた。傷がどんどん増えた。


 母親は、そんな光景をいつも泣きながら見守っていた。何故止めないのか、その時の少年は不思議に思っていた。


 そして稽古が終わると必ず傷の手当てをしてくれた。魔法は使わず、包帯や絆創膏で傷を癒してくれた。


 けれども、自然治癒では傷がどんどん増えていくばかりで、少年は母に言った。


 どうして魔法を使わないのかと。


 母は言った。それが少年のためだと。痛みを知るのは大切な事だと言った。


 少年は納得出来なかった。けれど、母を信じていたので、反抗はしなかった。


 来る日も来る日も来る日も来る日も、木刀の稽古が続いた。


 気付けば少年は中学生になっていた。そして、父親の稽古でそれほど傷を負わなくなった。


 ある日、父にいつまでやるのか聞いた。


 すると父は少し考えた上でこう言った。


 死ぬまでやる、と。


 その数日後、父は死んだ。


 少年はその時から、剣というものが怖くなった。


 剣が父を殺したのでは無いかと。


 少年はそれ以来、剣が握ることが出来なかった。


 剣が父を殺したように。


 少年の剣は、父に殺された。


 木刀同士の弾ける音が、いつまでも臆人の傍を離れなかった。




 ***



 ふと、目を開けると白い天井が見えた。そして鼻に付く薬品の匂い。


 ここはきっと保健室だと、臆人はうっすらと確信した。


「あら、気が付いた?」


 臆人がゆっくりと視線を横にずらすと、そこには白の白衣を羽織った茶髪の女性が椅子に座って此方を見ていた。


「気付いてない? お〜い」


「あ、はい。気付いてます……すいません」


「謝らなくて良いのよ。体、起こせる? 何か飲み物でも持ってこようか?」


「ありがとうございます」


 臆人はゆっくりと体を起こした。白い布団がばさっと翻る。


 この時ようやく臆人は、ベットに寝ていたことに気づく。


「はい、温かいお茶。ゆっくり飲んでね」


「頂きます」


 臆人はゆっくりとカップに口を付けて、一口飲んだ。


 それだけで身体がぽかぽかとしてくる。


「どう? 具合の方は? 平気?」


「はい。ていうか、どうして俺はここに……?」


「あら、覚えて無いの? 貴方は顔半分を腫らしてここに運ばれて来たのよ。意識まで無いって言ってたから驚いちゃったわ」


 その言葉を聞いて、臆人は徐々に記憶が回復していくのが分かった。


 そう言えば、鎌瀬犬尾とか言う奴と勝負して、二回位一本取って調子に乗った矢先__


「そっから何があったっけ……?」


「うん? どっからか分からないけど、ぶん殴られて気絶して運ばれて来たらしいよ君は」


「ぶん殴られて……」


 臆人は頰に触れた。痛みは無く、腫れてる様子も無かった。


 確かに、何か凄い衝撃が顔に飛来した覚えはあるが、それはどうやら拳だったらしい。


「それにしても綺麗に決まってたわね。避けることすら出来なかったの? あんなに綺麗な痕が残ってたの久しぶりに見たわ」


「すいません。あんまり覚えてなくて……」


「あらそう。まあ、その痕は私が綺麗に治してあげたから安心しなさい」


 保健室の先生は静かに笑った。


 臆人は納得しつつも、もう一度頰を触った。何だか、不思議な気分だった。


「それで、どうする? もう戻る? それともまだ休んでく? お姉さん、もう少しここに居るんだけど、それまでいる?」


「あ、いえ。戻ります。もう体調も良くなったので……ありがとうございました」


 臆人は、ベットから出ながらお礼を言った。


「そう。良かったわ。また怪我したらいつでも治してあげるからいつでも来なさい、ってのは保健室の先生が言うことじゃないわね」


 また彼女は笑った。癒すようなその笑みは、とても保健室の先生としては適任だった。


「あの、お名前は?」


「あ、私? 私は工藤 美月(くどう みづき)よ。宜しくね金条君」


 こうして臆人は保健室を出た。ちらりと、ドアの窓から保健室を覗いた。


 工藤先生もまだ此方を見ているようで、ニコリと笑って手を振ってくれた。


 臆人は何だか恥ずかしくなり、目を逸らした。


「もう少しいれば良かったな」


 臆人は小心者の自分に溜息を吐くと、足取り重く部屋に戻る事にした。


 するとその帰り道、マダムス教官と遭遇した。


「へいボーイ。もう大丈夫かい?」


 サングラスを掛けているので表情は読み取れないが、声色的に心配しているようだった。


「あ、ありがとうございます。運んでくれたのはマダムス教官ですか?」


「あぁそうだ。それにしても、大事にならなくて良かった。そして済まない。

 止めようと思えば止められたんだが、少し様子を見てしまった」


 マダムスは申し訳なさそうにそう言った。


「い、いえ……運んでくれただけで充分です。では失礼します」


 臆人は極力マダムスと目を合わせないように、横を通り過ぎようとした。


「どうして、避けなかったんだい? あれは君なら避けれた筈だ。理由があるのか?」


 いきなり核心を突かれた。心臓が一気に高鳴る。


「それが……あんまりその時の記憶が無くて……」


「もしかして、殴る前に投げられた木刀と何か関係が有るのか?」


 その質問に臆人は言葉を詰まらせた。けれど、平静を装った。


「いえ……関係無いですよ」


 臆人はマダムスの横を通り過ぎた。


 マダムスは何も言わずに振り返り、通り過ぎた臆人を

 見つめていた。


 臆人が内心ホッとしながら、廊下を歩いていると、今度は犬尾に会った。


 犬尾は臆人を見ると心底恨めしそうな顔を浮かべた。


「お、覚えてろよぉぉ!!」


 そして有名な捨て台詞を残して、彼は立ち去った。


 その言葉を言いたいのは此方の方ではないかと思うが、逃げてしまった為に声には出さなかった。


 その後無事に部屋に戻った臆人は、呆けていた。


 何だか入学してから全然落ち着く事が無い。次から次へと問題が起こり、臆人を悩ませる。


「俺、悪い霊でも取り憑いてんのかな……」


 臆人が溜め息を吐いた時、部屋のインターホンが軽快に鳴り響いた。


 臆人は何も考えずに扉を開けた。


 そこには、明と右凶と知由乃がスーパーの袋を抱えながら立っていた。


「どうしたんだよ?」


「どうしたもこうしたも無いわよ!!」


 明が突然噛み付かんばかりに顔を寄せた。


「あんた、謹慎終わったと思ったら今度は殴られて気絶して保健室に運ばれるって、事件に巻き込まれ体質にも程があるわよ!」


「いや、まあ……それほどでも?」


「褒めてないわよ! あんた今度また事件に巻き込まれたらタダじゃおかないわ。私も事件を起こすわ」


「何て本末転倒な思考回路なんだお前は……」


 それでは余計に事件に巻き込まれ体質が強調されてしまうことに気づかないのだろうか。


「チキンはチキンでも事件に巻き込まれチキンだったのかお前は……」


「どんなチキンだよ。そんなチキン食いたくねーよ」


「臆人さん! 死んじゃ嫌です!」


「まずその発言やめとこうか。後々怖いからさ。それより、何でここに来たんだよ?」


 まあ、スーパーの袋を見れば何をしに来たのかは想像がつく。


 ニヤリと、明は笑う。


「今日はまたあんたが余計な事件に巻き込まれない為にも、あんたの部屋でお酒を飲んでパーティーするわよ! 別名宅飲みってやつね!」


「なるほど。気を遣って頂きありがたいね」


「土足で入って良いわよね?」


「そこは気を遣えよ!」


 変な所に配慮が無い奴だ。本当にツッコミ甲斐がある。


「チキンのためにフライドチキン、買って来たぜ?」


「うさぎのか? そりゃお前食べれないな。うさきちだし」


「そしたらお前も食えないな! チキンだから!」


「結局どっちも食えねぇじゃんか! つーか取り敢えず上がれ!」


 立ち話ならぬ立ちボケツッコミを無理矢理やめさせて、右凶を部屋に押し込む。


「臆人さん」


「どうした知由乃?」


「絶対に惚れさせるワインを買ったので、飲んでくれませんか?」


「君は君であらぬ方向に進んでしまったようだな。だが、その挑戦受けて立つ」


「受けちゃうんですか!?」


 驚きながらも嬉しそうな知由乃。まあ、どうせそんないかがわしい道具に臆人の精神は負けはしない。


 それに知由乃は妹的な立ち位置に収まってるので、ここから動く事は無い。


 というか、知由乃はもっとおどおどしていて、恥ずかしがり屋な女の子だと思っていたが、意外にタフな精神を持っているようだ。


「作者の想像を越えるのが、キャラってものですよ」


「…………」


 三人がテーブルに菓子やら菓子やら菓子やら菓子を乗せていくのを見て、少し気分が悪くなったが、そこは多めに見よう。


「事件に巻き込まれ体質ってなら、これもまた事件の一つかもな」


 いつの間にか仲良くなった二人と、元から仲が良いような悪いような奴が一人。


 今は悩み事は忘れよう。


 臆人は三人の所へ戻って行った。










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