配役 4

「今日からこのヒーロー科の担任兼ヒーロー学の講師を務めさせて頂く、小林昭人(こばやし あきと)と言います。これから一年間君達を指導していくので、宜しくお願いします」


 教卓の前で、彼はそう自己紹介した。


 ボサボサの黒髪に、多少無精ひげを生やした中年男性の男だった。


 小林昭人という名前に聞き覚えがある。頭脳明晰で、何人もの生徒を有名なヒーローに仕立て上げた立役者だ。


 ヒーローを目指す者は、基本的に何処かのギルドに所属する事になっている。


 ギルドとは、ヒーロー科を卒業したヒーロー達が集まり、様々な依頼を受けて、それを達成したら報酬を与える施設だ。


 そこで良い成績を収めた人が、どんどんと名の知れた有名なヒーローへと成り上がっていく。


 その為にはまず、有名なギルドに所属されなければならない。そうしないと、依頼が中々入って来ず、苦しいヒーロー生活を送る事になる。


「皆様を良いギルドへと就職させる為に、私は最善の手を尽くしましょう。なので皆さんも、どうぞ私に着いてきて下さい。

 そうする事が、皆さんのより良い将来に繋がるでしょう」


 少しニヤケながら、彼はそう言った。


「その為には君達は沢山勉強しなければなりません。有名なヒーローになる為には、日々コツコツと努力していかなければならないのです。

 各いう私も学生の頃は大変勉強し、技を磨き、ここまで登り詰めたのですから、君達もどうぞその事を肝に命じて、一日一日を生きて下さい」


 とても綺麗で、鮮やかな言葉だ。勉強し、努力し、毎日毎日目標に向かって頑張っていく。


 とても素晴らしく、それを信じて止まない人は拍手すらするかもしれない。当然だと頷くかもしれない。


 きっとそれが一番正しい事だから。


「ヒーローはいつも正しくあるべきだと考えています。ヒーローとは、善を好み、悪を拒み、正義を貫き、不義を律する役目を果たす存在なのです。何人たりとも覆す事の出来ない__謂わば常識ですね」


 そこから数分位、彼はヒーローの存在意義をひたすらに語っていた。


 けれどそれはもう、臆人の耳には届かない。馬耳東風なんてものじゃない。耳を掠める事すら無かったのだから。


「綺麗事だな。くだらない」


 その時、隣から聞こえたその言葉だけが、臆人の耳にはしっかりと届いていた。


「なぁ金条 臆人。お前もそう思わないか?」


 臆人が隣を見やった時に最初に目に映ったのは、色鮮やかな金色の髪だった。


 まるで輝く黄金のような煌びやかなその髪は、邪魔臭いのかオールバックにして綺麗に纏められている。


 端正な顔立ちと鋭い目付きも相まって、とてもワイルドで野性味溢れている青年、というのが臆人の第一印象だった。


 けれど、不思議なのは全くと言って良いほど初対面の筈なのに、苗字はまだしも、名前まで知られているという事だった。


「えっと……何処かでお会いした事ありましたでしょうか……?」


「……まぁそうだろうな」


 聞き取れない位の小声でぼそりと呟いた後に、彼は此方に向き直った。


「俺の名前は銀願 竜王(ぎんがん りゅうおう)。我が父、銀願 鳳凰(ほうおう)の息子だよ」


「ぎんがん……ほうおう……?」


 その名前に臆人は聞き覚えがあった。


 最近はあまり耳にしないが、臆人が小さい頃にはよくその言葉を聞いていた気がする。


 そして、臆人の小さい頃で必ず関係してくるのは父だ。


「もしかして……父さんと同じギルドの……?」


「あぁ、ライバルだった男だよ。いや、ライバルだと思っていた、と言った方が正しいだろうな。

 最も、お前の父親は俺の父親の事をライバルだとは思っていなかったようだが」


 臆人はここではっきりと思い出した。


 子供の頃、臆人自身の父の話は人伝てから沢山聞いていた。


 そして、その後に必ず出てきたのが、その銀願鳳凰という名前だった。相当な努力家だと聞いた覚えがあった。


 それにしても、父、息子共々大層な名前を付けたものである。


 父親の名前が鳳凰、そして子供の名前が龍王なんて、キラキラネームも大概にして欲しいものだ。


 母親の名前も聞いてみたいものである。


「しかも銀って名前が付いてるのに金髪かよ。笑えるな」


「いや、お前も金条という名前で銀髪だからそこは同じだろう」


「……そうでした」


 金髪の銀願 龍王に、銀髪の金条 臆人。ひたすらに覚えにくい。


「それよりさっきの答えを聞かせてくれないか?」


 龍王は真剣に臆人を見つめていた。彼の瞳の奥に映る燃ゆる炎が、臆人の答えを逃さなかった。


 臆人は少し考えた後、言った。


「別に下らなくないよ。まぁ、耳触りの良い言葉を並べてるのは事実だけど、間違ってない。あれは俗に言う正論だ」


 すると、銀願龍王は数秒程黙った。何かを考えているらしかった。


「そうだな。悪かった。俺の聞き方が間違ってたな」


 一人で納得して、龍王は再度問いた。


「なら、正しい事を言ってると思うか?」


「____」


 まず、この問い掛けに対して思うのは、この龍王という人間は、あの昭人という先生の言葉に対して反感を持っていると言っていい。


 その言葉に対して疑問や反感を持っていなければ、その質問自体が生まれて来ない。


 正しい事を言ってると思うか?あれは間違ってると思わないか?俺は間違ってると思ってる。お前もそう思わないか?


 そう言っている風に聞こえる。いや、そう言ってるのだろう。現に、彼の表情がそう語っているのだから。


 冷めた目で、まるで嘲笑うような目で此方を見てくるのだから。


 じゃあ、この問いはどう答えるべきだろう。


 この答えに正解不正解の答えは無いように思える。


 けどそれは、答えが無いのではない。


 聞く人によって答えが異なるからだ。


 ある人が聞けば“はい”と答え、ある人が聞けば“いいえ”と答える。これは"そういう"問い掛けだ。


 例えるなら、あの人にとっては正義の行いでも、違う人から見たら全然違う見方になってしまうような、そういう問い掛け。


 これの答えは“正解は存在しない”だ。


 けどもしこの問い掛けに答えを作るならばそれは間違いなく__


「あぁ。正しい事を言ってるよ。あれは正しくて、間違っていない、とても善意溢れた言葉だよ」


「……そうか」


 龍王は納得したのか、そこから話しかけてくる事は無かった。


 だから臆人も、それ以降龍王に話し掛ける事は無かった。



「さて長くなってしまいましたが、これで朝のホームルームを終わりにします。一時間目の講義の準備をして待っていて下さい。では」


 担任の先生の話はいつの間にか終わって、これから一時間目の基礎科目の授業が始まる。


 基本、授業は座学が大半を占める。数学や物理、国語や歴史等がそれに当たる。


 先生はそれぞれに専門の先生が教鞭をとる事になっている。


 そしてそれらの座学が終わった後に、ヒーロー科はヒーロー学という科目を学ぶ事になっている。


 毎日この授業は存在し、ここに時間の区切りの指定は無いらしい。


 終わる時は早く終わり、終わらない時は中々終わらないといった具合に。


 そしてこれより時は進み__座学の話なんて読んでてつまらないだろう?__ヒーロー学へと移行する。


「さて、ヒーロー学の担当になっています小林昭人です……って、朝のホームルームで会ったばかりですね。すいません」


 特に笑いが起こる事もなく、彼は一つ咳払いをした。


「さて、話を始める前にまず、皆さんに配りたい物があります」


 そう言って、手に持っていたサッカーボール大の袋を教卓の上に置くと、中から一つある物を取り出した。


「これは、皆さんがこれからこの学校の生徒であり続ける為の証と言えば聞こえは良いですが、詰まる所は監視する為の一つの道具になります」


 彼が取り出したのは、指の第一関節程の大きさの白いバッジだった。


 盾型のそれを見て、教室にいる全員の生徒が騒ついた。


 無理もない。これは、ヒーローを目指す人なら誰でも知っている、とても有名なアイテムの一つなのだから。


「ヒーローバッジ、英雄の証、勇者の遺物なんて言い方をする人もいるが、ここは単純にヒーローバッジとしておきましょう。そして、君達は今日からこれを付けて生活する事になります」


 その言葉を聞いて、教室は色めき始めた。


 嬉しそうにはしゃいで、和やかに笑って、まるでクリスマスプレゼントを貰う前の子供のようだった。


 そう言った先生の顔も満更ではない。まるで自分がとても良い事をしているのだと満足そうに眺めている。


「一応全員に配られるか心配なので、私が順番に一人一人に渡して行きます。配られたら直ぐにでも、胸の辺りに付けてください。

 失くしたら自己責任になりますよ」


 そう言いながら、生徒一人一人にそのバッジを渡していく。


 生徒はお礼を言って、嬉しそうにそれを胸の辺りに付ける。


「頑張って」


「ありがとうございます!」


 そんな言葉が飛び交う中、臆人は窓の景色を眺めていた。


 臆人の席は窓際だったので、外の景色が良く見える。色々建物があるので遠くの方は見えないが、それだけで少し心が落ち着く気がする。


 臆人の番が来た。


「どうぞ。頑張って」


「あ……はい。ありがとうございます」


 笑顔を作ってお礼を言い、バッジを受け取った。思ったより軽い。


 そして、目の細い小林先生は、一層目を細めて臆人を見た。


「君は確か……金条さんの……」


「はい。息子の臆人です」


「そうか。まあ、辛い事もあるかもしれないが、頑張りなさい。私も応援しているよ。金条さんの息子なんだから、手は掛からないかもしれないけどね」


「そうなるよう頑張ります」


 心にも無い事を言いながら、臆人は笑って表情を作った。


 小林先生は満足げに頷くと、次の生徒へと向かって行った。


「下手くそな作り笑いだな」


 小林先生に聞こえない位の声で、龍王はそう言った。


「ほっとけ。お前みたいに器用じゃねぇんだよ」


「これは俺が上にのし上がる為に必要な事だからな。練習した」


「作り笑いの練習なんてしてんのかよ」


 龍王が鏡の前で顔を作ってる姿を想像して、似合わないなと思った。


 すると龍王は鼻で笑った。


「俺が練習してるのは言葉を受け流す練習だ。そんな貧弱な事はしない」


 なるほど、と臆人は思った。


「通りでお礼の感情が欠けてる訳だ」


 その言葉に龍王は反応しなかったので、この話はここで終わりとなった。


「このバッジがとても強い効力を持ってる事を、殆どの方は知っているでしょうが、一応説明をしておきましょう」


 小林先生は、黒板に何かを書き始めた。


 白、青、緑、赤、銀、金という具合に横並びに書かれた文字が黒板に白文字で並ぶ。


「この色は、このバッジの階級順に並んでいます。白から順番に階級が上がって行き、最後は金色になります。

 他にも、水色や黒、黄色という階級から外れたバッジもありますが、それは追い追い話すとして、この六つの色__つまり階級は、それぞれ行使できる権限に違いがあります」


 小林先生は、白と書かれた文字の下に言葉を書き添えていく。


「白と青には殆ど差はありません。研修期間を終えた証拠位に思ってくれて構いません。

 緑になると、青や緑の人達とチームを組む事が許されます。そして、卒業試験の受験資格を得る事が出来ます。ここまでは皆さん知っていますよね?」


 黒板に文字を書きながら、先生は生徒の方に向き直った。


「もし、知らないなんて人が居たらちゃんと入学式に配られた資料を読んでおくべきですね。そんな初歩的な事をしないなんてこの先の人生終わったも同然です。良いですか? これは当たり前の事なんですよ。配られた物をきちんと__」


 以下省略。


「次に赤と銀ですが、これは少し特殊な例ですね。緑バッジになり、卒業試験を受かった人はある選択を迫られます。それは、このまま残って指導という形でこの学校に在学するか、或いは卒業して何処かのギルドに所属するかです。

 大半の人は卒業してギルドに所属しますが、良いギルドが見つからなかった場合だったり、指導というスキルが備わっていると認められた時に赤、そして銀へと移行します。勿論、成績上位者に限られますけどね」


 けらけらと笑って、続けた。


「こうして赤と銀の生徒達は学校に在籍し続ける訳ですが、勿論卒業試験は受かってるのでいつでも辞めてギルドに転職するのは有りです。現にそういう生徒もいます。

 けど、この学校に腰を落ち着かせた人は大抵はそのまま学校に残り続けますけどね。食いっぱぐれる事も有りませんし、ある意味良い選択でしょう。

 因みに銀のバッジは国からも認められたヒーローとなり、警察の権限も得る事が出来ます。

 そして、金のバッジですが__」


 ここで一度彼は咳払いをした。言いにくい事をこれから喋るぞ、と暗に意味してる気がする。


「金バッジは未だ世界で片手で収まる位の人達しか手にしていません。それ位、とても高尚な物です。それは何故か、理由は簡単です」


 彼は黒板から目を離し、教室を見渡した。一瞬、臆人と目が合った。


「殺人を許される。これが金バッジの__金バッジにしか無い特権です」



 ***



 今日のヒーロー学は、バッジの話を終えると終了となった。


 生徒達が帰る支度をしている最中、臆人はぼんやりと未だに付けていないバッジを眺めていた。


 これを付けた瞬間、臆人はこの学校の一部となり、この社会の枠組みにハマる事になる。


 それが、臆人にとっては酷く怖い事だった。


「いつまでぼけっとしてんのよ!」


 その瞬間、誰かに背中をバシンと叩かれた。


 聞き覚えのある声だった。


「うわぁ!? って明!? お前ここヒーロー科の教室だぞ!? 何ずかずか入って来たんだよ!」


「あんたが中々出て来ないから見に来たのよ! 私だって入りたくて入った訳じゃないの!」


 腰に手を当てて睨む明。どうやら教室から出て来ない臆人の様子を見に来たようだった。


「悪りぃ。すぐ用意して行くわ」


「早くしてよね。そんで寮に荷物置いたらまた酒場に行くわよ」


「えぇ……」


「昨日みたいなヘマは犯さないから安心しなさい。それに__」


 ギラリとドスの利いた睨みが臆人を直撃する。


「私の寝顔を見た罪はちゃんと償って貰わないとね……?」


 その瞬間、臆人の身体から悪寒が走った。


 今日の朝の出来事は、ある意味歴史に残る一ページだった。


 何せ、寝ぼけた明が臆人の事を"ぱぱ"と呼んでしまったのだから。


 そして覚醒した明に滅多打ちにされそうになったが、朝ご飯を提供する事にして場を収めた。


 朝ご飯を食べれば大人しくなるのは知っていたので、臆人の勝利である。


「ま、待て! ちゃんと償っただろ!? 朝早く起きて朝食作って、しかもお前を起こしてやったんだぞ!」


「うっさいわね! そんなんじゃ私の寝顔を見た償いには足りないわよ! まだまだ色々して貰うんだから!」


「り、理不尽だ!」


 ここは何もしなかった自分は褒め称えられるべき存在なんじゃないかと思うのだが、そんな言葉は女子の明には通用しない。


 臆人は一体何をやらされるのかと慄きながらも、取り敢えず教室から出る事にした。


 先程から周りの男子からの睨み付けるような視線が痛くて堪らなかったからだ。


 しかもここはヒーロー科なので、女子は居ないし、明はそれなりに美人なので余計に視線が集まってしまう。


 臆人は何事もなく教室から出られた事にホッとして、話を続けた。


「つーか、ヒロイン科はどうなんだよ? 楽しくやれそうか?」


 すると、明の顔がムスッとした。


「楽しく出来る訳無いじゃない。あんな悍ましい教室、一秒だって長く居たくないわ」


「まだ入学して二日目だと思うけど、もうそんな悍ましい事になってるのか……? ていうか、悍ましいってどういう意味だよ?」


「まあ、女には色々あるのよ。地位とか名誉とか色々と。ましてやヒロイン科の女は特にね」


「なるほど。地位や名誉、ね。分かりやすいと言えば分かりやすいけどな」


 誰が誰のヒロインとして生きていくか、それはヒロインにとって死活問題だ。


 ヘタレなヒーローと一緒になれば苦戦は余儀なくされるし、かといって一人で突っ走るヒーローというのも手がかかる。


 そういう目利きは、ヒロインにとって重要なスキルになる。


「ていうか、お前は誰かのヒロインになりたいとか、そういうの無いのか?」


「さぁね。なるようになるとしか思ってないわ」


 何とも明らしい答えだが、ここで一つ、臆人はある事を呟いた。


「ヒーローオタクの癖に、そんな事で良いのか?」


「うぐぐっ……!」


 瞬間、明の顔が赤くなった。そして、周りを俊敏に見渡すと、臆人の顔に自分の顔をぐいっと近付けた。


「それは言わない約束でしょ!? あんたもしそれを言いふらしたらタダじゃおかないからね!! あんたを殺して私も死ぬわ!!」


「お前も死ぬのかよ!? てかそんな格好いい台詞をそんな事で使って良いのか!?」


「良いも何も、私はその事をバラされる位なら死んだ方がマシよ!! 生き地獄を味わいたくは無いわ!!」


「そ、そんなにか……?」


「そんなによ! あんたにバレた事は一生の不覚なのよ!」


 そう言ってずかずかと先に進んで行ってしまった。


 明は大層なヒーローオタクである。


 部屋には至る所にヒーローのポスターが貼られており、ヒーローに強い憧れを持っているのが分かる。


 けれど、明がヒーローになる事は絶対に有り得ない。ヒーローは男性専用の職業なのだから。


 もしかすると、"男性専用の職業"だからこそ強い憧憬を持っているのかもしれない。


 アイドル、或いは二次元の存在に恋い焦がれるような、そういう淡い気持ちと同じなのかもしれない。


 まあ、これは臆人の主観的想像であって、間違っているのかもしれないが。


「こういう時の考えって当たるんだったよな。小説あるあるってね」


 臆人はニヤリと笑うと、未だ足を緩めない明を飄々と追い掛けた。



 ***




 寮に荷物を置いて、二人は直ぐに酒場へと移動した。


 酒場に到着した時、店主が一瞬嫌な顔をしたのを臆人は見逃さなかったが、ここは見なかった事にする。


 席を探していると、見知った顔を見つけた。


「おおチキンとめいちゃん! やっぱり今日も来たか!」


「誰がチキンだ!」


「しばき倒す!」


 笑いながらこっちに走ってくる右凶が、直ぐさま明に首を絞められているのを横目に、右凶が座っていた席に目を向ける。


 右凶が座って居たのは昨日三人が座っていた隅の席だった。


 そして、そこに一人知らない人物が座っているのが見えた。


「お、俺が今日仲良くなった奴なんだ……良ければ仲良くなって……あげてくれ……うぐ……」


 そう言い残して昏倒した自業自得の右凶はさておき、臆人はその一人を見やる。


 女の子だった。淡い水色で真っ直ぐに伸びる長い髪が、肩甲骨辺りまで緩やかに伸びている。


 瞳の色も髪色と同じで、まるで空を映しているような色合いをしている。


 この少女を幼女と言ってしまえばそれで終いだが、幼女には無い凛とした瞳がそこにあった。


「これは正しく少女と幼女の境界線……?」


「格好いいお言葉ありがとうございます。私は小鳥遊 知由乃(たかなし ちゆの)と言います。宜しくお願いします」


 ぺこりとお辞儀をするその女の子は、仕草がまるで小動物を見ているかのようだ。


 背の小ささも相まって何とも可愛らしく幼女らしい。


「あ、小鳥遊は小鳥が遊ぶって書きます。分からない人は沢山いると思いますけど、それなりにこの名字は有名なんですよ」


 知由乃はそう言って名前に解説を付け加えた。こういう所は幼女らしくない。


「というか、さっきの俺の言葉を格好良いと受け止める事に俺は困惑してる……」


「何を一人でぶつくさ言ってるのよ気持ち悪い。知由乃ちゃん、宜しくね」


「はい。此方こそ宜しくお願いします」


 敬語を使って他人行儀な感じがするが、恐らくこれが話しやすい話し方なのだろう。


「ますます幼女らしくない……」


「知由乃ちゃんはどこの科なの?」


「モブ科です。私の家は代々ヒーラーを担ってる家系なので。だからわたしの名前も知由乃と命名されました」


「安直だな! 母親の名前は?」


「知由子です」


「ややこしくないか!?」


 ここで父親の名前とか聞いてみたいが、そこまで根掘り葉掘り聞かれるのも良くない気もする。


 仮に聞いてもし、普通の一般的な解答を持って来られても困る。体裁的に。


「因みに父親の名前は終焉(しゅうえん)です」


「まさかのバッドエンド!?」


 名前だけでここまでツッコミ所満載の家庭なんて中々無い。ある意味素晴らしい家庭だ。いつか親の顔が見てみたい。


「ヒーラーの一年生で大丈夫だよな?」


「はい。因みにうさきちさんはスパイですよ」


「ち、知由乃ちゃん? 今、うさきちって言わなかったかな?」


 顔をヒクつかせる右凶に、知由乃は顔を少し赤くして俯いた。


「私、可愛い物や言葉に目がなくて……」


「いや、可愛い言葉だけど! そういう風に捉えられると恥ずかしい!」


「そんな恥ずかしがるなようさきち」


 臆人は右凶の肩を叩いた。


「この野郎……あ、こいつのニックネームはチキンだ! 可愛いだろ!」


「可愛くないので却下です」


「うっそーん!」


 ぷいっと知由乃に顔を背けられた右凶は、がっくりと肩を落とした。


 そんな右凶を他所に、明は目を輝かせて知由乃の手を取った。


「そんな事より良かったわ! さっきから男ばっかり増えて逆ハーレムになってて困ってたのよ! 知由子ちゃんがいれば安心ね!」


「知由乃です……」


 手を握られてぶんぶん振られる知由乃は苦笑して訂正した。少し不憫だった。


「ていうか……ヒーラーとスパイとかって何? 食べ物?」


「え……めいちゃんそんな事も知らずにこの学校入ったの?」


「私、自分以外あんまり興味ないの」


 真面目にそう返答した明に、右凶は破顔した。


「そっかそっか! なら教えるよ、俺達の役目を!」


 右凶は楽しそうに話した。


 モブ科とは、その名の通り脇役を努める人物の事を指す。


 脇役は主にヒーロー、ヒロインの仲間、或いはチームメイトとして生涯を賭す事になる。


 また、脇役と言っても沢山の種類がある。


 前述した、ヒーラーやスパイの他にも、パラディンやオペレーター、メカニクス等、その種類は多岐に渡る。


「ふーん。モブにも色々種類があるなんて知らなかったわ」


 お酒を飲みながら感心するように呟く明に、右凶は満足顔だった。


 知由乃も、モブという職に対して殆ど知識が無かった明の事を責めなかった。


 臆人は、モブの事は知ってたし、色んな種類がある事も知っていた。


 けれど、その種類の中身を知らなかった。


 それが、臆人の心をチクリと痛ませた。


「知由乃ちゃんの所もそうだけど、基本的にモブは代々からやってるって奴が多い。それなりに規則に縛られる事もあるけど、俺達はそれを誇りに思ってる」


「そうですね。私達はヒーローやヒロインを支える為に日々邁進して来ました。いずれ、この力がお役に立てれば良いなと思っています」


 二人の表情は毅然としていた。後ろめたい事は何一つしてないと主張してるようだった。


 少し、モブへの見方を変えなきゃいけないと、臆人はその時思った。


 そしてその時、事は起きた。


「へらへらと笑って悔しくないのかい? そこのモブ共は」


 その言葉は、明らかに皮肉が込められていた。


 そして臆人は、その声が誰なのか直ぐに分かった。


「龍王……」


 彼は直ぐ近くの席に座っていた。周りにお付きらしき人達が此方をニヤニヤしながら見つめている。


「そうだ。俺の名前は銀願 龍王。それだけで俺がどういう人間なのか分かるだろう?」


 金髪のオールバックがよく似合う野性味溢れた顔で、同じく野性染みた表情は、冷ややかな目で知由乃と右凶を見た。


「俺はヒーローだ。それだけで価値がある。説明しなきゃ分からないモブとは訳が違う」


 龍王は微笑した。そして、憐れむように二人を見た。


「モブは黙って主役に従えばいい。それが世の常であり常識だ」


「ふざけんな……そんなのはヒーローの意見だろ。俺は、ヒーローに尽くす事はあっても屈しはしない」


 龍王の言葉に、右凶は椅子をガタンと音を立てて立ち上がった。怒りで青筋が浮き出ている。


 依然、龍王は椅子に座ったままだ。


「それこそそっちの意見だろ。大体、モブのお経みたいな信念なんか聞かされたら酒が不味くなるだろ」


「何だと!? モブが信念を持っちゃダメだってのかよ!」


「当たり前だろ? モブが信念なんて持っていたって何の役にも立たない。そんな物、豚小屋にでも投げ捨てておけばいい」


 怒りを露わにする右凶に対して、龍王は依然と微笑んだままだった。


 それが余計に頭に来た。


「いい加減にしろよこの__!!」


「信念は持つべきですよ。銀願さん」


 静かに__知由乃は言った。


 椅子から立ち上がり、右凶の横に立って龍王を見つめた。


 その瞳はやはり、力強かった。


「……君は誰だい?」


「私は小鳥遊 知由乃。モブ科のヒーラーです」


「小鳥遊……? あぁ、なるほど」


 その時、チラリと龍王が臆人を見た。それが何故なのか、臆人には理解出来なかった。


「モブに信念なんて必要ない。あるのは確固たる忠誠心。駒となって働き続けるのがモブの役目だ」


「忠誠心には同意します。ですが、私達はその前に人間です。間違いがあれば正さなければいけません」


「ヒーローは間違えない。ヒーローの正義は君達の正義。そして、この世の正義でもある」


「違います。正義とは一人一人が持っている意志そのものです。前に習えの正義は正義ではありません。単なる逃避です」


「それがこの社会だよ。小学校でも整列の時にやったろう? 前に習えはこの社会の暗黙のルールだ」


「そんなルール、豚小屋に投げ捨てて肥やしになった方がまだマシです」


「はは、言うなぁ」


 こんな言い争うになっても、龍王の態度は余裕綽々だった。


 右凶は歯を噛み締めた。


「今後、自重するよ。それにしても、君の瞳は素晴らしいな」


「瞳……?」


「そう、瞳。君、うちに来ないかい?」


 突然の物言いに、知由乃は驚いた。


「どういう意味ですか?」


「簡単な話だよ。僕のチームメイトにならないか? そして、もし良ければ卒業後にウチで働かないか?」


 "ウチ"とは、この世界を牛耳る大ギルド『十字架』だった。


 そこからのオファーなんて、世にも光栄とされる出来事だ。それが、こんな酒場で起きた。


「お断りします」


 だが、顔色一つ変えずに即決で知由乃は断った。


 これには龍王も驚いたのか、少し表情を崩した。


 だが、直ぐに笑みに変えた。


 そして、その目は臆人に向けられた。


「なぁ金条。こいつらが君のチームメイトかい?」


「え……いや、違うけど?」


「そこは取り敢えず肯定しとけよ!」


「いや、だってまだ会ったばかりだし……」


 明以外は、まだ顔を知ってから殆ど日が経っていない。


 その二人を、いきなりチームメイトだとか仲間だとか言うのは、ちゃんちゃらおかしな話だ。


「確かにまだチームメイトどうこう言う程親しくなっていませんが、貴方の下につく位なら__臆人さんと一緒に居た方がマシです」


「そうか……なら金条、一つ俺と勝負しないか?」


「は? 勝負?」


 臆人はいきなり過ぎて呆気に取られたが、龍王は気にせず続けた。


「どちらが早くこの学校を卒業するか、それを勝負しようじゃないか。俺が勝ったらこの子を俺にくれ」


 ここで龍王は立ち上がった。ズカズカと此方にやって来て、座っている臆人を見下すように見た。


「本気で言ってるのか?」


「本気に決まってるだろ? そうじゃないとこの子に失礼だ」


 龍王は、チラリと知由乃を見た。


 知由乃は睨み返すようにして龍王を見るが、反論はしなかった。


「なるほどな。けど、俺はお前の勝負を受けない」


 さらりと臆人が言うと、龍王は鼻で笑った。


「は! 俺に負けるのが怖いのか? それとも、この子を賭け事の賞品に使うのはゴメンだと言いたいのか?」


「別にそういうんじゃない。ただ、お前には悪いけど、俺は別段この学校を卒業したいと思ってる訳じゃないんだ」


「__は?」


 ここで、龍王の表情が一気に崩れた。


 唖然とした表情の後、龍王の顔はどんどんと怒りを露わにしていった。


「お前それ、本気で言ってるのか!」


「あぁ。俺はこの学校を卒業したいと思ってない。だからその勝負は受けない。というより、受けられない」


 臆人は面と向かってそう言った。


 その言葉には、右凶も知由乃も、周りで見守っていた生徒達も驚いた。


 唯一、明だけが特に何も表情を変えずに事の成り行きを見守っていた。


 龍王はその返答を受けて、全身を震わせた。


 拳を握り締めて、歯を目一杯噛み締めている。


 そして__鈍い音がした。


「ふざけるな!! それは__それはこのヒーロー科にいる全ての人間を侮辱している!! 謝れ!! そんなのはヒーローじゃない!! ただの__ただの負け犬だ!!」


 臆人は一瞬の出来事に身動き一つ取れず、コップや皿と共に床に殴り倒された。


 パリンと、高らかにガラス製品が割れる音が響く。


「だ、大丈夫ですか臆人さん!?」


「あぁ……」


 慌てて駆け寄ってきた知由乃が、切れて出血している口の端に、治癒魔法を施そうと手を伸ばした。


「やめなさい知由乃。そんな事したって余計に虚しくなるだけよ」


 だが、明はそれを止めた。


「え、で、でも……」


 おどおどしながら、知由乃は明と臆人を交互に見る。


「明の言う通りだ。それに、破片が刺さったりでもしたら危ないから下がってろ」


 臆人はそう言うとふらりと立ち上がった。


「何すんだよてめぇは。こんな事して、タダで済むと思ってんのかよ」


 これは、臆人がどうこうするという事ではない。


 まず、ヒーロー同士が争う事は、重大な御法度だった。


 例え両者の意見が食い違っても、ヒーロー同士は決して暴力の解決を行なってはならない。


 それは、このヒーローという職業の根底を揺るがす事になりかねないからだ。


 なので、ヒーロー同士の争いが起きると、双方に重い罰が下る。


 例え片方が一方的だったとしても、喧嘩両成敗の方式に則り二人共罰せられる。


 よって、基本的にヒーロー同士の争いは口で行われるか、干渉しないかの二択だ。


 だから、臆人は龍王は手を出さないと高を括っていた部分があったが、間違いだったらしい。


 肩を怒らせながら絶えず此方を睨む龍王に、正直臆人は嬉しいと思ってしまった。


 龍王は今、前に習えを辞めたのだ。


「タダで済むとか済まないとか、そういう問題じゃない。俺はお前に正義の鉄槌を下したまでだ。目を覚ませ金条」


「まだ会って半日も経ってねぇのに偉そうな事ばっかり言いやがって……この早とちりオールバックが!」


 臆人は龍王を殴り倒した。


 龍王もまた、臆人が手を出してくるとは思っていなかった。


 そしてその時、龍王は臆人の表情を見て驚愕した。


 臆人は笑っていたのだった。


「もうお前と議論を交わすことすら馬鹿馬鹿しい!

 負け犬の__ヒーローになる気の無い奴の言葉なんて聞きたくない!」


「ヒーローになりたくないなんて誰が言ったよ?」


「……は?」


 龍王は一瞬、パニックになった。


 この男が一体何を言っているのか分からなくなってきたのだ。


「ヒーローになりたくないなんて誰もそんな事は言ってねぇよ。俺はただこの学校を卒業する気が無いだけだ」


「な、何を言ってるんだお前は? この学校を卒業しなければギルドに入る事は出来ないし、ましてやヒーローになる事なんか不可能だ!」


「は! そんなんだからいつまで経ってもNo.2なんだよお前は。いや、お前の父親か。視野が狭いなんてもんじゃねぇよ。ミジンコ並みだな」


「俺の父さんを馬鹿にするなぁ!!」


 龍王は穴が空きそうな程目をひん剥いて、臆人に飛びかかった。


 臆人は抵抗せずに、また地面に倒された。臆人に馬乗りになる形で、龍王は臆人の服の襟を捲し上げる。


「お前に父さんの何が分かる!! 何の努力もしないでヘラヘラしながら一位の座を奪うあの存在に、どれだけ父さんの心がへし折られたかお前に分かるか!!」


「そんなの知らねぇよ。てかお前にもそんなの分からねえだろ。それに、そんなんでへし折られる位ならバッキバッキにして豚小屋にでも捨てとけよ」


「ふざけるな!! 殺してやる!! お前をここで殺せばきっと父さんの心は少しでも安らぐだろう!! そうに決まっている!!」


「くっ……」


 どんどん、捲し上げる力が強くなっていき、少しずつ、臆人の意識が現実から遠ざかって行く。


 死んだらどうなるのだろう。死んだらどこに行くのだろう。


 それよりも、ここで殺されてしまったら、この目の前の少年は一生後悔する事になるだろう。


 人殺しは、ヒーローにはなれない。


 龍王は有名なヒーローになる。それを成し遂げる為に努力は人一倍してきた筈だ。


 なのに、ここで己の感情に身を任せて人を殺してしまうなんて、やるせない。


 だからこそ__生きなければならない。


 それに、まだ話は終わってない。


「俺の……夢は….ヒーローに……なる事……だ」


「今更何を言ってる!! そんな嘘俺に通用する訳__」


「真の……ヒーロー……」


「____!!」


 その時、龍王の手が少し緩んだのが分かった。


 もしかすると、こいつも何処かで迷ってるのかもしれない。


「俺は……真のヒーローになりたい……そう思ってるんだ」


「お前は一体何を言って……」


「おい! お前達何をやっている!」


 その時、薄っすらと視界に大柄の大人達が続々と酒場に入って来たのが見えた。


 それに安心したのか分からないが、臆人はどんどん周りの景色や音が遠くになっていくのを感じた。


 そして、いつの間にか臆人の意識は無くなっていた。












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