配役 3
さて、酒場と聞いて皆さんは何を想像するだろうか?
カウボーイが颯爽と現れて、改札のような簡素な木の扉を開けて入り、中は砂埃塗れた木造のガタついた内装を思い浮かべる人も多くはないだろう。
けれど、ここはそういう酒場ではない。
ここもやはり西洋の様式を取り入れており、貴族が嗜む上流の酒場を想像すれば分かりやすいかもしれない。
入り口は白の暖簾で飾られ、黒い引き戸を開けると、壁には色んな絵画や彫刻のお面などが飾られており、床は色とりどりの岩を組み合わせて出来たものになっている。
また、その装飾を不自然とさせない小綺麗な机や椅子が立ち並び、砂埃一つ舞っていない。
「何というか、異世界の中にまた一つ異世界があるみたいだな」
酒場の中にある隅の方の椅子に腰掛けて、臆人は独りそう呟く。
ここに来てまだ一日も経っていないのに、驚く事が多過ぎて少し疲れてしまった。
綺麗な建築物というのは、心を綺麗に洗う効果があるらしいと小耳に挟んだ事があるが、洗われ過ぎるのも体に良くない事が分かった。
明はというと、近場にいた新入生と絡んで直ぐに仲良くなっている。
順応性が高くて羨ましい一方、あそこまで図太い人間にはなりたくない。
「おいそこの少年!一人で何してんだ?」
その時、誰かがいきなり声を掛けてきた。
焦点が合っていなかった目が覚醒し、ぼやけていた視界がクリアになっていく。
目の前にいたのは、顔を覗き込んで楽しそうに笑う、一人の男子生徒だった。
制服の新しさからして、新入生だろう。
漆黒という言葉が似合うほど真っ黒な髪色、眼の色もブラックホールのように黒いのだが、顔は思わず警戒心を解いてしまう程に優しい顔をしている。
臆人は、まるで何かを吸い込みかねないその瞳に、少し慄いた。
「えっと……ぼーっとしてた」
臆人は馬鹿正直に言った。
すると彼は楽しそうに笑った。
「酒場に来て何も呑まずにボーッとしてるなんて営業妨害だろ! ほら飲めよ!」
「あ、ありがとう……ございます」
「何で敬語なんだよ! 同じ新入生だろ?」
その言葉を聞いて、臆人はようやくホッとした。確信が無かったからだ。
「そうだな。えっと……名前何て言うんだ?」
「よくぞ聞いてくれたな! 俺の名前は左吉 右凶(さきち うきょう)! 漢字としては左に吉、右に凶と書くのだ!」
自慢気に、持っていたジョッキを掲げて彼__左吉右凶はそう言った。
「さきち……うきょう……うさきち?」
「いや右凶! そんな、小さい子供が白兎を買ってもらって、名前が中々決められなくて、取りあえずきちとか付けておけばいいやみたいな、現代っ子のようなニックネームはゴメンだ!」
「的確過ぎてツッコミが長過ぎる! 読みにくい!」
「え、そういう発言OKなのここ?」
「しまった! ついうっかり!」
どうやら明の呪いが移ってしまったようだ。メタ発言の呪いである。
「なぁ、お前ってあの金条なんだよな?」
まじまじと臆人の顔を眺める右凶に対して、臆人は目を逸らした。
「あぁ……まぁ……」
「名前は何て言うんだよ?」
「臆人……臆病な人って書いて臆人」
右凶は反芻するように名前を呟いた後、弾けるように笑った。
「何だよその名前! 苗字と名前が釣り合ってねぇ! あ、思いついた! ならお前の名前はチキンだ! 宜しくなチキン!」
「はぁ!? ふざけんな! 俺の名前は臆人だ! うさきちと一緒にすんな!」
「それを言うなら俺だってうさきちじゃねぇ! 俺の名前は右凶だ! ちゃんと覚えろチキン!」
「誰がチキンだ! このウサギ!」
「チキン!」
「ウサギ!」
「チカン!」
「ウナギ!」
「チカンウナギ!」
「ウナギチカン!」
バチバチと火花を散らして二人は睨み合うが、それは端から見れば唯の可愛い喧嘩だった。
「あんた達何してんの……?」
いつの間にか戻って来ていた明が、じと目で二人を見つめた。
「いや、こいつが__」
「お姉様お名前は!!」
瞬間、右凶の瞳がハートに変わった。何たる漫画仕様だ。
だが、明はその視線を無視して、臆人の隣に腰掛けた。
「で、誰?」
「は! 私の名前は左吉 右凶!気軽にうさきちとお呼び下さいませ!」
何故か敬礼しながらハキハキと自己紹介している右凶は、いっそ清々しい。
何だか馬鹿馬鹿しくなった臆人は、溜め息を吐いて酒を呷った。
右凶が明に興味を抱いたのは、一目で分かった。だが、明の性格は熊も裸足で逃げ出す位に凶暴だ。
明が誰かに甘える姿など全く想像出来ない。顔は確かに可愛いのかもしれないが、顔だけである。
まあ、マゾにはお好みのタイプかもしれないが、生憎臆人は正常だ。
「ふーん。うさきちね。良い名前じゃない。ペットみたいで」
「あざーす!! あ、それで貴女のお名前は?」
「私は雲野明よ」
「あかり……ならめいちゃんですね!」
明の目が据わった。危険信号である。
「次言ったら殺すわよ?」
「分かりましためいちゃぐがぁ!!!! み、鳩尾……あ、川だ……モヒカンのお婆ちゃんが特攻服でガムをくちゃくちゃ噛みながら胡座掻いて待ってる……お婆ちゃん入れ歯だから教えてあげに行かないと……」
「いや行くな! てかお前のお婆ちゃん柄悪いな!」
「まぁ、まだ死んで無いからな俺のお婆ちゃん。会いに行っても大丈夫だろ」
「そういう理屈!? てか死んでねぇならまず三途の川に出てくるな!」
一昔前のヤンキーを体現したような右凶のお婆ちゃんは置いておくとして、一つ懐かしい言葉が出て来た。
「めい……って確か俺が小さい頃……」
「何? あんたも殺されたいの?」
明の目は依然として据わったままだ。これは危険だ。
「滅相もございません……」
どうやら現実で過去を振り返らせてはくれないらしいので、頭の中で過去を振り返るとしよう。
めい__確かそれは臆人がまだ幼稚園児の時に、そう呼んでいた気がする。
そして、中学校に入ると同時に止めた。理由は単純に恥ずかしかったからだ。
臆人と明は仲良しだったのは前述したが、かと言って毎日のように遊んでいた訳では無い。
寧ろ普通の子供からしたら遊んでないと言ってもいい。それでも明とは遊んでいた方だ。
なら臆人はその時以外何をしていたかと言うと__剣の稽古に明け暮れていた。
剣の稽古は強制的だった。遊ぶ事よりも優先事項だった。
明と遊ぶ時は、大抵剣の稽古が無い時だ。
稽古の時間は、剣道場には嫌という程に木剣と木剣がぶつかり合う音が響き渡る。
何度も何度も、何度も何度も響く。
カンカンカンカンカンカンカンカン____。
「おい大丈夫か臆人! おーい! あ、待てよ分かったぞ! おい大丈夫かチキン?」
「呼び方が違うから反応しなかった訳じゃねぇわ!!」
「あ、気付いた。大丈夫か? 凄い顔してるぞ?」
右京が心配そうに顔を覗き込んでいるのに気付き、臆人は半ば意識が飛んでいた事に気がついた。
いつの間にか冷や汗で全身が濡れている。息も荒い。
「あ、あぁ。大丈夫だよ。少し昔のことを思い出してただけで……」
「昔の事って……もしかして忠助さんの事か?」
「まぁな……なぁ、お酒呑んでもいいか?」
「あぁ良いぞ! 嫌な事を思い出した時は呑んで忘れた方が良いのさ! さ、呑め呑め!」
臆人は“嫌な”事とは言っていない筈だが、そこをとやかく言うつもりは無かった。
それにしても、この右凶という男は、さっきから全く過去を根掘り葉掘り聞いてこようとはしない。
それは性格故なのか、はたまた空気を読んでそうしてるのか、会ってまだ短いのでどちらか言い切れはしないが、恐らく前者の確率が高い気がする。
こういう生徒がこの学校にいると思うだけで、臆人は少し気が楽になった。
「回想しただけで汗だくだくなんて、格好悪いわね」
「放っとけ……」
「ま、いつまでもうじうじしてないで、男らしくお酒も過去も呑み込みなさい。あれから何年経ってると思ってるの?」
「さりげなく上手い事言うのやめろよな……」
確かに、こんな過去のトラウマなんてさっさと酒と一緒に飲み干してしまえばいい。
だが、中々そうは問屋が卸さない。
「呑み込むってのも大変なんだよ」
「ま、あんたの場合呑み込むというより、受け入れるって言った方が適切かもね」
「……そうだな」
臆人は酒を呷った。喉に炭酸が突き刺さりながらも一気に飲み干した。
「何かあれだな。お前ら良い関係だな。明ちゃんが引っ張って、臆人が上手く引っ張られるみたいな」
「まぁ……な」
それは否定しない。明も否定しなかった。
ふと横を見た時に、丁度明と目が合った。
明は少し照れ臭そうに笑った。
***
もう夜は更けて、酒場を出る頃には辺りはしんと静まり返っていた。
酒場では店主が唖然とする程お酒を呑み、しかも閉店ギリギリで一番最後のお客になるまで居座っていたのだから、店主の気苦労を慮るばかりだ。
「うぅ……呑みすぎたわ。我、一生の不覚なり。けれど我が生涯に一片の悔いなし」
「只の呑みすぎで名台詞を使うな。ラオウに失礼だろ」
「死ぬなら女の子に抱かれて死にたい……孫の顔が見たかった……三股位かけてみたい人生だった」
「お前は悔いあり過ぎだな。しかも子供の顔じゃなくて孫の顔なのかよ」
酔い潰れながらもボケる二人に対して、溜め息を吐きながら二人に肩を貸す。
三人の中で一番飲んだのは明で、その次に右凶だが、臆人もそこまで負けてない。
だが、臆人はそこまで酔ってない。酒に強い体質なのだ。
家族が酒に強かったので、臆人自身も酒に強いだろうと思っていたが、今日でそれを確信した。
真隣が寮とはいえ、流石に人を二人抱えて移動するのはとてもキツい。
しかも右凶に関しては部屋を知らないので、一度フロントに聞かなければいけない。
再び臆人は溜め息を吐いた。
「金条様?」
ようやく寮の扉まで辿り着いた時、フロントから聞き覚えのある声が聞こえた。
振り向くと、やはりそれはエルリックだった。
唐突に出会ってしまった為、臆人は何を言えば良いのか分からず目を逸らした。
するとエルリックは、毅然としながらゆっくりと臆人に近付いて来た。
臆人は何を言われるかとビクビクしながらも、その場を動かなかった。
「金条様、誠に申し訳ありませんでした」
深く腰を曲げて謝罪するエルリックに、臆人は言葉に詰まる。
「あ、いや……顔を上げて下さいエルリックさん。こっちこそ、逃げるように去ってしまい、申し訳無かったです」
「いえ、それは全く構いません。それより、私は金条忠助さんの息子に会えた事で胸が一杯になり、あんな卑怯な事を……」
「分かってくれれば良いですよ。それより、蹴られた所大丈夫ですか? こいつ、力強いんで怪我しませんでした?」
「いえいえ。私の方は何ともありません。ただ、女性の方にあんなに思い切り蹴りを入れられたのは、生まれてこの方初めての経験でした」
エルリックは、お腹を撫りながら明快に笑った。
「何か……すいません……」
何故か臆人は謝ってしまった。子供が悪い事をしでかした時に謝る親の気持ちが、少し分かった気がする。
「それより、この両脇のお二方は泥酔しているようですが……お運びになられるのですか?」
「はい。あ、出来ればこいつの部屋がどこにあるか調べて欲しいんですけど……」
顎で右凶の事だと教えると、エルリックは頷いた。
「なるほど。では金条様、ここはお二人共私が運んでおきます。今日はもう遅いですし、お疲れの様ですので……」
「エルリックさん。俺の名前は金条 臆人と言います。様付けは要りませんし、そこまでしてくれなくても大丈夫です」
すると、エルリックは困った顔をした。
「で、ですが……」
「なら、エルリックさんはこいつをお願いします。こっちの方は部屋が隣なのでこのまま運びます」
右凶をエルリックに預けて、臆人は明を肩に持つ。
「本当に宜しいのですか?」
「大丈夫ですよ。これ位平気です」
「臆人さん、貴方は優しいですね。それでこそ金条忠助さんの息子だ」
エルリックはにっこりと笑った。臆人も、それにつられる形で笑顔を作った。
「じゃあ、おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
エルリックは右凶を肩に担ぎながら、フロントの方角に消えて行った。
それを見送った臆人は、明を抱えて歩き出し、先程の言葉を考えた。
もし、父のような息子だと言われたら、きっと世間一般的に子供は嬉しくなる筈だ。
だが、臆人にはそれが出来そうに無かった。
父の事は尊敬しているが、好きでは無かった。
だから、父に似ているという発言は、臆人にとって喜ぶべきなのか悲しむべきなのか分からなかった。
尊敬している人と似ているのは嬉しいが、好きでは無い人間に似てるのは悲しい。
臆人にとって父は、相反する感情が存在する虚像だった。
目標にしたいようなしたくないような、そんな感じだったが、周りには目標にしていると言っている。
それが一番無難な選択だからだ。それが普通だ。
臆人は部屋までの道のりをそんな事を考えながら歩いた。
部屋までは直ぐに着いた。
部屋に入ってゆっくりしたかったが、先ずは肩に担がれたままの明を、隣の部屋に置いてくるのが先だ。
「おい明……! 部屋の前に着いたぞ……! 起きろ……!」
臆人は最大限ボリュームを下げながら大声__矛盾しているが__を出して明を呼ぶが、反応は無い。
ただの屍のようだと切り捨てる事が出来れば楽なのだが、そうはいかない。
明の部屋に勝手に入るのも気が引けるが、そもそもここに引っ越して明はまだ殆ど荷解きもしてないのだから、まだこれはセーフだろう(何がと言われても困る)。
「ていうか鍵……って開いてるし……」
一応確認でドアノブを回したら、ドアはすんなりと開いた。不用心にも程がある。
ま、そのお陰で明をベッドに寝かせられるのだから、ここは感謝しておこう。
「お、お邪魔します……」
若干の緊張をしつつも、臆人は部屋に上り込む。何故か周りをキョロキョロしてしまうのは、罪の意識からだろう。
だが、ベッドや冷蔵庫や洗濯機などの最低限の家具と、隅に積まれているダンボールがあるだけで、特に臆人の部屋と変わりはない。
そこに先ずはホッとした。
「取り敢えずこいつをベットに寝かせるか……」
臆人は、まだシワひとつない真っさらなベットに明を倒した。
このまま自分もベッドに倒れて寝れたらどんなに楽だろうと思うが、きっと明日の未来が無くなるかもしれないので止めておこう。
臆人はふと時計を見た。丁度十二時ぴったりとなり、日付が変わる。
臆人はさっさとここを出た方が良いと思い、部屋を出ようとする。
だが、ドアノブを幾ら押してもピクリとも動かない。
「あれ……?」
まるで何かに半田付けされて固定されたようなドアは、臆人の力一杯の力でもビクともしない。
「一体どうなってんだ……?」
臆人が軽いパニック状態になった時だった。
「臆人さんそこにいますか?」
その時、ドアの外からエルリックの声がした。何というグッドタイミングだ。
「はい……! こ、これ開かないんですけど……!」
「はい……このドア、夜の十二時を回ると勝手にロックされて一切開け閉め出来なくなるんです……」
「……は?」
確かに先程、夜の十二時を越えたのを見た。どうやらそれがタイムリミットだったらしい。
寮の要らぬ世話のお陰である。
「これ……開ける手段は……」
「こればかりはどうしようもありません。ですが、これを機会に彼女さんと一緒に夜を過ごして下さい」
恐る恐る聞いた臆人に、勘違いも甚だしい答えを返すエルリック。
臆人は泣きそうになった。
「いやいや、あいつは彼女じゃないですよ……! 幼馴染みってやつで、そんな恋愛感情なんて雀の涙程も無いですよ…!」
「それは流石に彼女さんが可哀想だと思いますが……でしたら、五時までお待ち下さい」
「五時って……後五時間も……」
臆人は腕時計を見ながら声を震わせた。あと五時間もここにいるなんて、ライオンと一緒に暮らすのと同然だ。
起きたら噛み殺される。
「すいません力添え出来なくて……それと、いつまでもフロントを空にしておくのは気が引けますので、もう行きます。それでは」
「え……あ、はい。わざわざ教えて頂きありがとうございました」
「いえいえこちらこそ。では、良い夜を」
最後に少し意味深な発言を残して、エルリックはその場を後にした。
臆人はその場に固まった。
「くっそ何なんだよ一体……天罰でも喰らったのか畜生……神様も酷い事するぜ……」
取り敢えず部屋に戻って、寝床を確保するしかない。寝ないで過ごすのは無理がある。
臆人は部屋に戻って、改めて確認するが、先ず物が無い。
これは床で寝るしか無い。
「何で俺だけこんな目に……」
床で腕を枕にして、寝る体勢に入る。
その時だった。
「まま……ぱぱ……行っちゃやだよ……」
臆人は何も言葉を発さず、寝ている明の顔を見つめた。
明はそれ以降何も喋らなかった。どうやら、さっきのは寝言らしい。
暫く空虚に打ちひしがれて、臆人はその内眠りについた。
深く深く眠っていた。
夢を見ることは無かった。
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