13-8 勇者
戦場を覆う大混乱が収まるより先に、アレクシアが障壁の向こうへ踏み出そうとするのを、俺は手を伸ばし制止した。
「どうしたの?」
「俺にも、わかったことがあるぜ」
ひとり自我を保つ“
十体の敵がいるかに見えていても、意志ある者は実質、魔王とソーマのみ。
「体に生えた四本だけじゃあない。“緑道”以外の十二天将すべてが、大魔王の『腕』なんだ」
「なるほど。ボクの使い魔と同じだね」
納得した風に頷くキャロラインの魔力も、そろそろ限界か。視界を埋め尽くす虫の群れが少しずつ密度を減らし、床や壁が見え始めている。
べつにそれで活力を取り戻したわけでもないだろうが、マルグリットが気合いを入れ直して錫杖を持ち上げた。
「補助が一回、障壁が一回。それが限界です」
「十分よ。──終わらせるわっ!」
宣言と同時に妖刀を鞘に収め、勇者は聖剣を両手使いに振り抜いた。まとわりついていた虫を元の場所に置き去りに、“
黄金鎧は咄嗟に細剣で受け流そうとしたが、姿を現したと思った次の瞬間には、返す刃で斬り捨てられる。
彼女に以前、キールストラとやりあったとしてどれくらいで倒せるか、聞いたことがあった。
その答えは『聖剣を使っていいなら、最初の斬り合いで片がつく』というものだったけれど、まさにそれを証明する結果である。
「ひとつ」
「〈
聖女の補助呪文が遅れるほどの早業を見せたアレクシアは、そのまま前に出る。
低い姿勢で滑り寄って来た“
速度を緩め、上体を起こさざるを得なかったコバックは、閃いた聖剣で脳天を唐竹割りにされる。
かつての激闘が嘘みたいな、問答無用の瞬殺だ。
「ふたつっ」
「大気よ流れて風となれ、風よ吹き寄せ爪を成せ、爪よ時さえ掴み速めん、〈
魔女の呪文はさらに遅れたが、アレクシアは意にも介せず次へ向かった。
加速して、両腕を突き出した“
コルク抜きのような軌道で振るわれた輝く剣先が、鎧の体を輪切りにした。
「みっつ!」
吠えながらこちらに向いた少女の瞳に、迫り来る“
軽々跳躍したアレクシアが俺の肩を蹴ったので、その瞬間に上空へ彼女を飛ばす。
虚を突かれたのはザックスだ、地上に向かって降下しかかった眼前で、縦回転した勇者の剣が纏った闇を吹き飛ばし骨の体を引き裂いた。
「よぉっつ!」
後を追って飛び上がった俺は、今度は彼女のすぐ後ろに風の壁を生み出す。
そいつを足場に、地面に激突する勢いで突っ込んだ少女は、着地と同時に“
そのまま一回転し、大きなアーチを描いて“
「いつつ、むっつぅ!」
その間に俺は
空中で身悶えする青肌の美女を強引に振り回すと、剣を抱え込むように跳び上がったアレクシアは、刀身からまばゆい光を放つ聖剣を突き出す。
「ななぁつっ!」
放たれた矢のごとくまっすぐに、勇者の剣はリューゼの体を貫いた。
首と手足だけ残して吹っ飛ぶ“蒼葬”を後目に、上昇したアレクシアは“
「やぁっ、つっっ!」
聖剣の光は蛇の上顎を貫いて空を指し、剣先に従い肉と鱗を断ち割った。
ダァトの舌の上に立った少女は蛇体を開きにすると、その光で天井を薙いで眼下に向かい振り下ろす。
「うおおおっ!? 〈
虫を払っている間に部下を鎧袖一触に蹴散らされた大魔王は、混乱しながらぼろぼろの腕を持ち上げ、光の束を放った。
それは聖剣の光と真っ向からぶつかり──
「こ・こ・の・っつぅぅぅッ!!」
相克する光を斬り裂き急降下したアレクシアが、逆手に持ち替えた聖剣の柄を千切れんばかりに握りしめ、大魔王の額に切っ先をぶち込む。
びくん、と青黒い巨体が震えた。
無数の虫によって傷つけられた微細な傷が、太い亀裂となって全身を覆い、内側から光をこぼす。
虚ろな肉体で生み出された十二天将どもを複数の敵ではなく、ただ一体の大魔王の手足と捉えた勇者の意志に従って。
聖剣『
「るあああああっっ!」
咆吼してびりびりと震える頭蓋を蹴って、跳び離れたアレクシアの前で、怪物の巨体が崩れ落ちていった。
「こっ……の程度で、わ、我、がっ……!」
三つの眼窩に焔を灯し、大魔王は呻く。
呼応するように広間を取り巻く無数の輝き、痛苦の視線が瞬くが……あに図らんや、次々と消えはじめた。
「なっ!?」
「遅いよ、叔父さん……」
着地した勇者は、ふらつきながら目をすがめ、ぼやく。母さま、というマルグリットの呟きが後ろから聞こえた。
どうやら、ファビアナたちがやってくれたらしい。
──痛い
──苦しい
──恨めしい
そう訴えかける無数の瞳は、薄れて消えていく。
昇る朝日に、夜空の星々が追い払われるように。
──もういい
──もう苦しみたくない
──もう痛くない……
長く囚われ続けた妄念が、それを維持するだけの魔力を失い、解放された。
彼らを現世に縛りつけるものがなくなり、狂わされた摂理が正される。
どうか、安らかに。
俺は、らしくもなく、そう願わずにいられなかった。
* * *
これで大魔王もおしまいか。
そう気を緩めかけた俺だったが、
「まだだよっ」
キャロラインも同じものを感じ取ったか、警告を発した。
ほとんど無意識の域だろう、マルグリットが最後の魔力で、防御呪文を放つ。
「〈
体の周囲を透明な膜が包んだ。
白魔術の中ではごく基本的な呪文であるが、乏しい魔力でばらばらな位置にいる俺たちを個別に護るには、これしかなかったか。
直後、大魔王の体が爆発した。
沸騰した肉片と紅蓮の炎が、轟音と衝撃波をともなって周囲に撒き散らされる。
俺とアレクシアはそれぞれの得物を振りかざし、少しでも後ろの二人に届かぬよう、熱波を切り裂いた。
「きゃぁああっ!?」
うずくまっていた“緑道”が、悲鳴を上げて吹っ飛ぶ。
咄嗟に魔術で防御したようだが、直前まで虫に怯えへたり込んでいたのだ、ろくに防げなかっただろう。
「くおっ……!」
やつに構っている余裕はなかった。
先の連撃で全力を出しきった勇者は、炎に抗しきれず片膝をついている。
「ぐ……ぬ……っ」
俺の方も
それでもどうにか、爆発に耐えきる。直前の〈防護〉がなければ危なかった。
視線を巡らせば勇者はかろうじて生き延び、聖女と魔女もどうやら無事だ。
まさか大魔王のやつが、最後の最後で自爆しやがるとは思わなかったから焦った……いや、そんな殊勝なタマでもあるまい。
魔力を探る──来たっ。
「マダ、ダァァッ!」
爆発の残滓から、赤黒い炎が飛び出す。いびつな人型を取った溶岩の塊、としか表現しようのない姿と化した大魔王が、信じ難い速度で接近してきた。
防御する暇もなく腹に魔人の拳を受けた俺は、かち上げられて後方へ吹っ飛ぶ。
「イアンっ」
「かま、うなっ!」
内臓を焼き焦がされた痛みに耐えながら、アレクシアに警戒を促す。
溶岩の魔人は彼女に迫っており、反射的に迎撃した聖剣を大きく回避すると、背後に回り込んで蹴りを放つ。
「生命樹よっ!」
マルグリットの祈りによって、〈防護〉が厚みを増した。
灼熱の蹴り足は勇者の体を容赦なく弾き飛ばすものの、肌を焼くには至らない。
「〈
「つあっ」
キャロラインからは氷の礫が飛ぶ一方、俺は空中で氷河の
襲いくる無数の煌めきを素早くかわした大魔王はぼろぼろの床を蹴り、今度は後衛二人に襲いかかった。
「させるかっ!」
その眼前に十握凶祓を投げつける。
剣だか槍だかわからない形状の武器だが、投げられないものでもなく、思惑どおり溶岩の魔人の眼前に突き立った。
直進路を阻害され、たたらを踏んだ大魔王に、魔女の〈氷弾〉が雨霰と降り注ぐ。
「ガァッ!」
いくらかは灼熱の肉体で蒸発させつつ、魔人は後転を繰り返して退がった。
先ほどから恐ろしい速度で俺たちを翻弄しているが、攻撃をいちいち避けているあたり、耐久力には自信がないと見える。
凄まじく速くて、強い。
だが捉えさえすれば、勝てるはず。
とはいえ俺はというと、着地した衝撃で激痛に体が固まるほど、ぼろぼろだ。
思った以上に、腹を灼かれた傷が深い。
消耗しきったところに立て続けに攻撃を受けたアレクシアは、より重篤だろう。
聖女の魔力はすでに底を突いている、回復はもう期待できまい。
「
ならば、と格納庫手から薬品を打ち出し、呪文で合成した。
必死に立ち上がろうとしている勇者の体に、薄緑色の煙が浴びせかけられる。
「はわっ」
治癒の
薄荷の爽やかな香りも加えたんだが、かえって驚かせちまったか、アレクシアは変な声を上げた。
「びっくりさせないで」
「悪い」
けれど、少女の目元は和らいでいて、伝わる声も柔らかだ。
彼女は聖剣を杖にどうにか床を踏みしめ、歯を食いしばって自分に向き直る大魔王をにらんだ。
『
猛速度で突っ込んでくる溶岩の魔人を、半ば倒れ込むようにしていなしたアレクシアは、聖剣を収め妖刀を抜く。
『わかった。リット、あと一踏ん張りだよ』
『がんばりますっ。イアン、いけますか?』
『まかせろ。アレク、遠慮なくやっちまえ』
声に出しても大魔王にこちらの意図が伝わることはあるまいが、念話を用いて全員の意志を統一した。
俺たちの視線に、勇者は白い歯を見せる。
「愛してるわ、みんな。最後までお願いね」
そして、アレクシアは妖刀の能力を発動させた。
同時にキャロラインが呪文を放つ、これは彼女にとってさほど難しい魔術ではなく、詠唱が不要なほどだ。
「〈
術者と使い魔の感覚を同調させ、使い魔の見聞きしたものを術者も知覚することができる呪文。
だが連携のため全員が
すなわち、俺たち全員の感覚を同調させること。
もちろん、いたずらにそんなことをしても、互いの見聞きしたものが混ざり合って混乱するだけだ。
しかし今、勇者が妖刀・鵺切伊賦夜の能力を発動した、今なら。
「くっ」
「ああっ」
「うぐっ」
棒立ちになった俺たちの脳裡に、膨大な情報が流れ込んでくる。
溶岩の魔人の一挙手一投足、体表から放たれる熱気や筋肉代わりに流動する魔力、どう動きどう攻撃するかの数限りない可能性。
視界がぼやける。耳が、鼻が、舌が、肌が、全身全霊が、大魔王の動作を読む。
俺たちは今、広間上に無数に分裂した魔人の姿を幻視していた。
これが、妖刀の見せる光景か。
本来であれば、アレクシア一人で受け止めなければならないもの。脳内で相手の動作を完全再現できるまで観察しなければならないところを、四人分の感覚を総動員して補った結果、全員がこの情報の洪水を浴びていた。
そしてこれこそが、対魔王のために用意した切り札の、最後の一枚。
傷を類感、すなわち幻視した敵を攻撃すると本体にも傷を負わせられる妖刀の能力は、使用者の脳に莫大な負担を強いる。
そいつを〈共感〉で同調し、分け合おうというのだ。
当然、実際にカタナを振るうアレクシア以外は、完全に無力化する。
思考を妖刀に差し出して、いわば能力の部品、発動のための材料になるのだから。
だが、その甲斐はあった。
「はっ」
「ガッ!?」
ありとあらゆる方向から襲いかかってくる大魔王を、次々斬り倒すアレクシア。
過剰な力は必要ない、正しく構え、適切に振り下ろす。
それだけで虚空に浮かんだ魔人は体を断ち切られ、その都度に現実の大魔王も傷ついていった。
「はあっ!」
「ヤッ、ヤメロッ!」
聖剣じゃないんだ、傷の再生を阻害したりはしない。
けれど溶岩を動かし体を修復するたび、やつの魔力は少しずつ目減りしていく。
「はああぁあっ!!」
「ヤメロォォオォオッ!?」
視界いっぱいを埋め尽くす無数の大魔王が、片っ端から斬られていく。再生が追いつかなくなってきた。
もはや無限の魔力はないんだ、自前の力だけで、どこまで体を修復できるかな?
「終わりだぁっ!」
「アアアアア……アア……ッ」
留まることなき勇者のカタナは、ついに幻の魔人を全て、切り払ってしまった。
猛攻撃。なるほど、彼女が自分たちに『猛撃』を冠した理由が、よくわかる。
そしてその傷すべてが溶岩の体に伝わり、飛沫と絶叫だけを残すと、大魔王は消え去っていった。
アレクシアは血糊を払うように、ふいっと妖刀を振る。
敵が斃れたからか、鵺切伊賦夜からもたらされる幻視が途絶えた。
情報の洪水から解放されて、俺たちはその場にくずおれる。
「みんな……無事か……?」
「な、なんとか」
「ふっ……得難い……経験……」
息も絶え絶えに呼びかけると、気丈なマルグリットの答えと、対照的に消え入りそうなキャロラインの呟きが返ってきた。
深酒の後に全力疾走した気分だ。今なお腹を襲う激痛がなければ、俺も気を失っていただろう。まったく、やるんじゃなかったぜ、こんな無茶な作戦。
大魔王を斃したという達成感よりも、酩酊と疲労の方が強い。
それでも。
「それでも、やったなぁ……!」
「うん。やったよ」
一人なお立ち続けるアレクシアが、振り返り言った。
その双眸から、滂沱と涙を伝わせながら。
「やったよ……!」
万感の思いを込めて。
きゅっと唇を引き結んで、青い瞳を揺らす少女に、俺は笑いかけた。
そうだよな、アレクシア。
お前はずっと、この瞬間を、待っていたんだ。魔王を討ち滅ぼして、勇者の使命を果たすその時を。
だから今は、涙を流していい。
泣くだけ泣いてすっきりしたら、また笑ってくれ。
俺の、俺たちの、大好きな笑顔で。
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