13-7 魔女


「……さて、どうやって勝とうか」


 キャロラインがいつの間にか拾い上げていた三角帽子を被り直しながら、群れなす敵を見つめて聞いた。

 すでに〈妖異発現デーモントランス〉は解け、魔力の大半を使い果たしたことだろう。


 黒耀竜の魔精石に原初の癒衣プライマリキュアラー、事前に用意した切り札のほとんどを切ってしまった。ここからは正攻法で、十二天将を擁する大魔王と、ぶつかり合わねばならない。

 それでも不思議と、絶望感はなかった。だから魔女も、どうやって勝つかを問う。


 本当にもうどうしようもないというなら、〈境門イセリアルゲート〉で逃げ出すという手も、あるにはあった。

 ただ外部からこの玉座の間に直接、転移できなかったことを考えると、逆が可能かどうかは一種の賭けになる。


 そもそも今回の決戦で勝つための布石も、打ってあるのだ。魔王の莫大な魔力の源である精族アールヴの聖地、その解放をファビアナに頼んでいる。

 アレクシアの叔父とマルグリットの母、先代の勇者と聖女がついているんだ、きっと成し遂げてくれるはずだ。


 首魁とその取り巻きがここにいるとはいえ、魔王軍の主力はオンバリエラ城塞を中心とした戦場に集っている。ヘレネーナたちが敵の指揮官を抑えることができれば、ネスケンス師や教皇の支援があるのだ、連合軍は負けないであろう。

 空御座船『羽根瓢アルソミトラ』にはサザンカも乗り込んでいる、敵に思わぬ伏兵が潜んでいても、ご老人がたの身の安全は保障できた。


 つまりは、今。今ここで、大魔王を斃す。それで全て終わらせるんだ。


「十二天将もどきは、あたしが押さえる。大丈夫、


 再びこちらに突進してくる前衛、呪文の詠唱に入った後衛。そいつらをにらみ据えて、勇者は断言した。

 さっきは不用意に飛び出して集中攻撃を受けたようだが、その際に相手の力量は把握したか。


「リットは、大魔王の魔術をなんとか防いで。キャロ、使い魔で連携をお願い」

「わかりました」

「了解」


 錫杖を掲げる聖女に対し、キャロラインは傍らに影獣シャドービーストを出現させた。

 もう敵は目の前に迫っている、悠長に会話している暇はない。


「イアンは援護を」

「おうよ」


 紅天羽衣フーリーショールを投げ渡してきて、アレクシアは駆け出した。俺は襟巻きを巻きながら元の自分の左足を踏んで、〈魔具隷従〉で氷河の足鎧サバトンを構成し直すと、後に続く。

 足下を凍らせて滑走し、彼女を追い越すと、床を拒馬の拳鍔パリサイド・ナックルで殴りつけた。


「おらぁ!」


 魔力を全開にする。斜め前方に破城槌と見紛うほど、巨大な石の槍が突き出した。

 尖った先端は空中の“褐削かっさく”と“緋惨ひさん”を牽制し、突っ込んできたと“灰滅かいめつ”の進路を変えさせる。


 アレクシアが、生み出された石の塊を駆け登った。

 俺たちを狙った“蒼葬そうそう”と“緑道ろくどう”の火球が、石塊にぶつかって大爆発を起こす頃には、跳躍して宙空に身を踊らせている。


 もう補助呪文の効果は切れているのに、勇者の動きは鋭く速い。

 まるで、ここにきてもう一段の成長を果たしたかのようだった。


『イアン、聖剣と妖刀をっ』


 影越しに魔女の警告が響く。

 見れば、床に転がった聖剣アイエスと妖刀・鵺切ぬえきり伊賦夜いふやを、“白撃はくげき”と“金忌きんき”が、それぞれ拾い上げようとしていた。


 たしかにアレクシアの最大の武器ふたつが奪われるのはまずいが、キャロラインの言いたいことはそうじゃない。

 いかに大魔王の生み出した木偶人形とはいえ、そこまで


「GURUU!?」

「NUAAッ」


 聖剣が全体に稲妻のような光を帯びて、コバックの手を弾き飛ばす。

 妖刀は鍔あたりに黒い渦を発生させ、キールストラの腕を吸い込もうとした。


 主以外には握られることすら拒み、それぞれの手段で慮外者を痛めつけたのだ。

 俺が格納庫手ガントレット・オブ・ホールディングから鋼線を打ち出して、それを回収しようと――


「おいでっ」


する前に放り出された愛剣へ、ダァトの蛇体の上に着地した勇者が呼びかけると、まるで解き放たれた忠犬のように飛び寄った。

 おい、さすがに自ら飛ぶとは聞いてないぞ。ともあれ鞘に収めた大剣の代わりにいつもの二刀流に戻ったアレクシアは、そのまま踏んづけた大蛇に切っ先を突き刺す。


 GISYAAAッ!


 ダァトが喚きながら身悶えするが、それくらいで彼女は振り落とされなかった。

 広いとはいえ屋内にすぎない玉座の間じゃあ、巨体が持ち味のこいつは、さしたる脅威ではないな。


「〈封絶リパルション〉!」

「〈光裂フォトンランページ〉!」


 今度は自力で〈精霊転化スピリチュアライズ〉したマルグリットが、腕を持ち上げた大魔王を障壁で閉じこめた。

 刹那の差で四本の腕から無数の光線が放たれるも、全て障壁の中で乱舞する。


「ぬおおっ」


 反射呪文の類いではないので痛手は受けていなかろうが、それでも狼狽の声を漏らす大魔王。

 その左右で“桃惑とうわく”と“紫骸しがい”が相次いで詠唱を完成させようとしている、狙いは俺と後ろの二人、双方を巻き込んだ広範囲攻撃か。


「奈落ノ泥ヨ地ニ満チヨ」

「〈虐殺エクスターミネイション〉」


 哄笑する見えない死神が、群れなしてあたりを刈り尽くす。そんな幻影が見えた。

 だが──そこに俺たちの姿はない。大魔王が光線を放つのに合わせて生み出された暗紫色の渦、前後からそこに飛び込んで、広間の片隅へと転移していたのだ。


 残り少ない魔精石を使ってキャロラインが発動させた、〈境門〉。玉座の間から外へ出られるかは不明だったが、この部屋の中でなら移動は可能だ。

 発動すれば必中の〈虐殺〉であっても、さすがに次元の門を越えてまでは襲ってこなかった。


 尺林豻貌シュリガーラを通して見ると、魔力の流れがよくわかる。

 敵から飛んできた致命の呪文も、大魔王が発する瘴気でさえ、〈境門〉に隔てられれば途切れてしまっていた。


「連発できりゃ、無敵の盾になるな」

「魔力が保たないよ。術式の構成材料だって……」


 思わず漏らした感想に答える魔女が、不意に黙り込む。

 なにかを思いついたようだが、結論が出るのを悠長に待っている暇はなかった。


 上空ではアレクシアが“褐削”を滅多差しにし、巨体をわざと暴れ回らせている。

 だが敵の連携もなかなか大したもので、まるで落ちてくる先がわかっているかのごとく位置取りを変え、執拗にこちらを狙ってきていた。


 俺は〈宝箱アイテムボックス〉から手製の魔短剣を何本も取り出しては投げ、敵の動きを牽制する。

 刺突時の攻撃力に特化したものや劇毒を仕込んだものなど織り交ぜているが、威力を重視したものに限って“白撃”に弾かれ、状態異常を狙ったものは“灰滅”に止められてと、目論見どおりにいかない。


「おのれぇっ!」


 四本の腕を出鱈目に振り回し、大魔王が自分を取り囲む障壁を強引に引き裂いた。

 そして大きく息を吸い込むと、炎を吹きつけてくる。


「〈聖壁ホーリーウォール〉!」


 先ほど原初の癒衣を纏った状態で使ったものより、障壁の大きさと厚みが少ない。

 俺は背後に少女二人を庇って、体の前で十握凶祓トツカマガハラエを回転させた。


 炎が障壁をぶち破って俺たちを襲う。だが大魔王の息吹ブレスが瘴気を元にしたものだったことが幸いし、呪いを切り裂くこの剣で防ぐことができた。

 掴んでいた指の毛皮が炙られて焦げたが、これくらいなら支障は無い。


「──そういうことか」


 不意に魔女が、おかしそうにつぶやきを漏らした。

 振り返って様子を見る余裕はないが、こんな局面だというのに、まるで新しい遊びを思いついた子供のようだ。


『イアン、前に出ちゃダメだよ。アレクは戻っておいで』

「毒よ集いてえやみに変われ、疫よ群れなす蟲と化せ」


 念話で指示を伝えてきながら、彼女は詠唱を始める。

 黒魔術に特有の不吉で禍々しい響きを持ちながら、キャロラインの唇から漏れる言葉はなお涼やかだ。


 それにしても凄ぇなこいつ、とうとう遷祖還りサイクラゼイションもせずに思考を分割できるようになったのか。

 感心する一方、彼女が使おうとする呪文の推測がついて、俺は頬を引き攣らせた。


 待て、そいつは今しがた俺の心に傷を負わせかけたやつじゃないか、なんだってこの局面で。

 ダァトの体を蹴って落下したアレクシアが、ついでとばかりに双剣を振るい、飛んできたティ=コの拳を弾き飛ばした。キールストラの野郎が、姿を消しながらこちらに──


「屍喰の蟲よ地を満たせ、〈蟲叢ヴァーミンスウォーム〉!」


接近するより早く、周囲を漂う瘴気から、次から次へと虫が湧いて出る。


 蜂、百足、蠍、蟻、蜘蛛、蛾、蠅、蚊、それらの幼虫……ありとあらゆる毒虫が、そこらじゅうに現れた。

 先ほどは“桃惑”の眼前より津波のように押し寄せたものだが、今回は玉座の間のあちこちから、降りしきる雨のごとく生まれては落ちる。


「ひぅ」


 思わず、といった感じでマルグリットが短い悲鳴を漏らした。

 障壁を張り直すこともできず固まっているが、幸い魔女の呪文の産物だ、俺たちのいる場所までは虫どもも押し寄せてこない。


 とはいえ見る見る数を増やす毒虫の群れに、アレクシアでさえ顔を引き攣らせた。

 敵はといえば、四方八方から虫にたかられ、手足を振り回して必死で払っている。


「GUUOOO!?」

「RUAAAAッ」

「GYAHYY!!」


 虫といえど魔術によるもの、その爪牙や針は、微細でも防ぎきれない傷をつけた。

 それが何千、何万と集まれば、十二天将どもがいかに高い防御力を誇ろうが、ただではすまない。


「いやぁぁっ!? むしぃ、虫は嫌なのぉ!!」


 場違いに甲高い声が上がったかと思って見れば、“緑道”が容姿相応の少女らしい悲鳴を上げて、泣きながら長柄を振り回していた。

 魔術を使えないほど混乱しているのか、そういえばさっき“桃惑”がこの呪文を使った後も、なにもしてこなかったな。


 飛翔できる連中は空中に待避するものの、羽を持った虫が統合された意思を持つかのように、一団になって追いかける。

 なまじっか巨体である“褐削”などは、もう正視に耐えない姿と成り果てていた。


 なんというか……地獄みたいな光景だ。

 そもそも今のキャロラインの魔力で、ここまで広い範囲を高密度で埋め尽くせるものなのか。


「〈蟲叢〉ってこんな呪文だったっけ?」

「ふっ、魔術構成の材料がそこらじゅうにあるからね」


 俺の疑問に、魔女は皮肉げな声で答えた。

 材料……ああ、そうか。


「瘴気か」

「ご名答。はは、我ながら酷いね、これは」


 レイブーダの海上じゃ、嵐を吸い込んで〈颶嵐ワインディングストーム〉を膨れ上がらせたという話を聞いた。

 これはその応用で、大魔王から吹き出す瘴気を蟲に変えているってわけだ。


「悪魔か、お前」


 なんとも恐ろしいことだが、同時に賛嘆する気持ちも沸き上がった。

 なるほどこれなら、大魔王の莫大な魔力が逆にあだとなる。


「おおっ、おのれぇっ!」


 あいつは〈焔纏バーニングボディ〉で体の周辺を焼き尽くせるはずだが、動揺のあまりか、四つの手で必死に体を払うのみだ。

 どうやら、やつが正気に返る前に、次の一手が打てるな。ソーマ以外の十二天将に精神的動揺は見られないけれど、隙だらけなのは変わりない。


「今日ほど、お前が敵じゃなくて良かったと思ったことはないぜ」

「褒め言葉と受け取っておくよ」


 意識の大半を呪文の維持に回しているだろうに、振り返った俺の賛辞に、キャロラインは唇をほころばせた。


 魔女の称号に相応しい、ぞくりとするような妖艶な笑みだ。


 実際、恐ろしいやつだよ、お前は。

 悪夢の女王みてえな真似をしておきながら、そんな風に……綺麗な表情を、見せるんだから。


 そして、そんな笑顔に魅了されてしまう俺も、どうかしているんだろうな。

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