13-6 聖女


 呆けている暇はない。頭を働かせろ、状況を見極めろ。

 為すすべもなくやられたあの時とは違う、力も装備も底上げしてきたんだ。


 尺林豻貌シュリガーラを通せば十二天将の大半が、生身じゃあないとわかる。“緑道ろくどう”以外は魔力で体を構築された、使い魔のような存在だ。

 それによく見りゃ、“銀詠ぎんえい”と“黄奪おうだつ”の二体がおらず、黄金鎧のキールストラのやつだけ明らかに内在する魔力が低い。


「やはり“金忌きんき”は、仕上がらなかったか」

「申し訳ございません、主上。勇者と剣を合わせるまで待たねばならないところを、ティ=コが逸りましたもので」


 大魔王の不快げな唸りに対し、その足下に控えたソーマが謝罪する。

 物言いから察するに、こいつは魔王ツバサの側仕えというより、大魔王の直属の部下だったのかな。


 仕上がらなかった、という大魔王の言は意味不明だけれど、“黄金剣ノートゥング”が本調子でないなら幸いだ。

 野郎の物を透過して移動する能力は、マルグリットが展開している〈聖域サンクチュアリ〉を突破できる可能性があった。


 大魔王の光線魔術が速すぎて発動が間に合わなかったが、いちど張られた〈聖域〉は、術者が拒むあらゆる干渉を完全に遮断する。

 しかしキールストラは能力で不可視になれるため、聖女の目から逃れて侵入して来かねなかった。


 やつ以外の攻撃は〈聖域〉の中に籠もっていれば、マルグリットの魔力が続く限り防ぐことができる。

 ただ、この呪文は維持するために集中し続けなければならないので、解除するまでキャロラインたちの負傷を治せない。


 魔女本人であれば術を維持しつつ同時に他の呪文を使う、といった離れ業を行うこともできるが、聖女にそれを期待するのは酷だ。

 であれば〈聖域〉を解除し治癒呪文を使ってもらうため、一瞬でもいいから隙を作るしかない。


 目の前には傷だらけで倒れるアレクシア、その向こうには虚ろな目でこちらに迫り来る十二天将の前衛ども、更には攻撃呪文を放たんとする後衛連中。

 大魔王の追撃だって、すぐに飛んでくるはずだ。


 とにかく急いで、勇者を〈聖域〉の中に引っ張り込まねばならない。

 だが片腕は動かず片足が吹っ飛んでいる現状だと、彼女を引っ掴んで駆け戻ろうとした瞬間、二人とも滅多打ちにされるだろう。


 加えて敵からの絶え間ない攻撃に晒されては、回復呪文を使うため〈聖域〉を解除した瞬間、火達磨にされてしまう。

 敵の目を引く。アレクシアを、聖女の傍まで届ける。マルグリットが仲間を癒すため、〈聖域〉を解く時間を作る。


「──リット! !」


 意図が通じることを祈りながら、叫ぶ。

 彼女がわずかでも躊躇すれば、この策とも呼べない作戦は失敗だ。


 信じるしかない、もう敵の爪は勇者の柔肌に迫っている。

 十二天将最速、“白撃はくげき”の爪が。


「BAAAUHッ!」


 ふ。以前にやり合った時は、わざと食らって隙を作らせたっけな。

 そんなことを回想しながら俺は〈聖域〉の外に飛び出し、身を沈めて紅天羽衣フーリーショールを解きつつ爪を掻い潜ると、アレクシアの体に覆い被さった。


 細い胴に左腕を回す、健在な右足を踏ん張り、左膝で姿勢を支える。

 そして体を半回転させる勢いで、勇者を後方に


 武器だの目くらましだの、色んな物を敵に向かって投擲してきたが、女の子を荷物みたいに投げるのは初めてだ。

 手放す直前まで〈魔具隷従〉で紅天羽衣を操り、少女の体に巻きつけて、風に乗せその体を運ばせる。


 当然、俺の方は隙だらけだ。

 コバックの一撃はどうにか避けたものの、頭上から襲ってきた“緋惨ひさん”の闇を纏った指先が突き込まれ、脇腹を深々と裂かれる。


 更には上空に身を躍らせた“褐削かっさく”が尻尾を振り下ろすと、その先端が背中を強かに打ち据えた。

 骨の折れ砕ける嫌な音が響き、四肢に力が入らなくなる。


「凍エル牙ヨ地ヲ満タセ、〈凍嵐フリージングストーム〉!」


 豊満な肢体を見せつけるように身を仰け反らせた“蒼葬そうそう”が、煌めく氷刃と極寒の吹雪を叩きつけてきた。

 全身が凍りつき、後方の〈聖域〉で弾かれた冷気があたりに立ちこめる。


「屍喰ノ蟲ヨ地ヲ満タセ、〈蟲叢ヴァーミンスウォーム〉」


 短い手足を振った“桃惑とうわく”の招きに応じ、どこからともなく無数の虫が出現した。

 百足に蜘蛛に蟻に蜂に蛾に蠍、と床一面を埋め尽くすほどの毒虫が、半ば凍った俺の体に囓りついてくる。


 気が狂いそうなおぞましい光景であったが、もはや痛みを感じなくなっていたため、かろうじて正気を保つことができた。

 気息の革鎧ブリージングメイルも虫食いによって機能が失われたか、わずかに残っていた気流が途絶え、漂う瘴気が俺の身を犯す。


 だが、倒れた俺の足下から膨れ上がった光が、虫どもごと押しのけて広がった。


「いと高き生命樹よ! 伏して願い奉ります、その実のもたらす恩寵を!」


 泣き叫ぶようなマルグリットの声が響く。

 瘴気やたかっていた虫が、〈聖域〉を拡散するに任せた結果、払われたのはありがたい。最期に目にする光景としちゃ、あまりに不快だものな。


 それに、間に合った。

 半端に前に出たままの俺を標的としたせいで、十二天将どもは出遅れている。連中の攻撃が後方に届く前に、聖女の治癒呪文が勇者と魔女を癒すだろう。


 俺はもう駄目だけれど、三人ならきっと逆転の糸口を掴める。

 先行きを見届けられない無念は置いて、せめて、くたばり損ないどもは道連れにしてやらないとな。


 自由に動かない体でも、胸の神石に意識を集中することはできる。

 “緑道”以外は大魔王の作り出した幻みたいなものだ、〈魔具隷従〉で暴走させ、魔力を奪い去れば存在を消すことができるはず。


 徹底的に痛めつけられた俺が、かろうじて人間の形を保っていられるのは、神石の効果に他ならなかった。

 それを失えばどうなるかなんて火を見るより明らかだが、愛しい少女たちを守るためだ、是非もない。


 そう、覚悟を決めたはずなのに。


「余すことなく、かのものへ注がれんことを! マジカル〈快癒リフレッシュ〉っ!!」


 幻聴か? 予想と異なる詠唱の後に、柔らかく暖かなものが、俺を包み込む。


 馬鹿な。『間違うな』と言ったはずだ。

 俺を見捨ててアレクシアとキャロラインを治せと、そういう意図を伝えたつもりだ。なのに何故、俺が回復している。


 怨嗟の呻きが群れなして体の上を過ぎていくのは、“紫骸しがい”の魔術か。

 轟音を上げて“灰滅かいめつ”が飛んでいく。地響きを立てて走るのは、“黒烈こくれつ”に違いない。


「これで、終わりだ──〈光裂フォトンランページ〉!」


 かろうじて顔を上げた俺の視線の先で、大魔王が破滅の閃光を放った。

 今度は先ほどと異なり、突き出した四本の手から一直線に、俺の後方──聖女たちの方へ注がれる。


 防護呪文を使わず、耐えられるものではなかった。

 アレクシアも、キャロラインも、マルグリットも、影すら残らないだろう。


 あ。


 ああ。


 あああ……!


 敵に気取られぬためと、説明を省いたのが悪かったのか?

 彼女ならわかってくれる、数の優位を取ってくれる、俺なんかより親友たちを選んでくれる。

 そう思い込んで、自己犠牲に酔って、確認しなかったせいなのか?


 命より、魂より、大事なものなのに。

 壊れてしまった。

 俺のせいで。


「なんだとっ!?」

「馬鹿なっ」


 空転する心に、大魔王とソーマの狼狽の声が届く。

 なんだ、今更なにを驚いていやがる?


 首を巡らせ連中の視線を追うと、信じ難いものがその先にあった。

 形を戻した錫杖を掲げ、輝く光の盾を張る、傷だらけの少女。


 原初の癒衣プライマリキュアラーではない法衣姿のマルグリットが、敵の攻撃を受け止めていたのだ。

 彼女の背後でよろめきながら、勇者と魔女も身を起こしている。


 こいつは一体、どんな奇跡が起きやがったんだ?


 だが三人が無事だというなら、俺も呑気に寝ている場合じゃあない。

 右手を握る、左足を立てる。傷は癒えていた、ならば、動け。


 格納庫手ガントレット・オブ・ホールディングから煙玉を打ち出して、大魔王のそばで炸裂させた。

 後衛連中の目を一瞬でも眩ませられればそれでいい、その一方で硬直している“白撃”の足下に拳を、拒馬の拳鍔パリサイド・ナックルを当てて石の槍を突き出させる。


 発動した〈石破ストーンクラッシュ〉は、獣魔族の下肢を貫いてその場に固定。跳ね起きた俺は右足に残った氷河の足鎧サバトンで床を凍らせ、滑りつつ後退する。

 進路に千切れた方の左足が落ちていたので、再生した足の爪で引っかけ回収した。


 ザックスとダァトが、追いすがってくる。

 向かう先にはティ=コとブーゲンがいたはずが、灰色の巨甲冑だけが俺とすれ違うようにぶっ飛んでいき、黒い人影は砂のように崩れて消えた。


 その向こうから『吹き散らすものエクスティンギッシャ』を振り下ろした姿勢のアレクシアと、繊手を突き出したキャロラインが現れる。


 勇者はそのまま斜めに大剣を振り上げると、こちらに向かって光が走った。

 思い切り上体を仰け反らせた俺の眼前を斬撃が走り、闇翅鳥グルルと大蛇、ついでに忍び寄って来ていた黄金鎧を押し返す。


 一方、少女たちの元へと滑り込んだ俺は、聖女を咎めようとして。


「リット、この──」

「ばかぁっ!」


 先に怒鳴られてしまった。

 油断なく障壁を広げながらも、マルグリットは大粒の涙をこぼして俺をにらむ。


「なんで、自分だけ、犠牲になろうとするんですかっ!」

「いや、だって、あの状況じゃ」

「だってじゃありませんっ! そんなの、間違いですっ!」


 ぐぬ。しかし実際こうして全員が回復している以上、当初の俺の策こそが間違いだったわけで。

 先にこちらを治癒したのは、俺の自爆を止めるためと、〈聖域〉が消えれば敵の注意を引けると読んだからか。


「でも、どうやってさっきの攻撃を防いだんだ? それに、二人の回復も」

「でもじゃありませんっ! 屁理屈よりも、大事なことがあるでしょうっ!?」


 ええー……? いやまあ、どうやって助かったか推測することはできる。

 考えてみりゃこいつには、初手で魔王相手に〈顕現アドヴェント〉をかますために、黒耀竜の巨大魔精石を渡していたんだった。


 原初の癒衣が解除されていることを鑑みるに、莫大な魔力を神器に注いで、守護と癒しの力を暴発させたんじゃないかな。

 俺を回復してから敵の攻撃が殺到する一瞬の間にそんなことをやりおおせるには、キャロライン以上の集中力が要ったはずだ。


 まったく、大したやつだよ、こいつは。

 俺が自分の命に見切りをつけて投げ出そうとしたってのに、ひとり諦めず、全員を救ってのけるとは。


 ふーふーと鼻息荒く──美少女が台無しだ──激怒しているマルグリットに、俺は素直に謝った。


「ごめんなさい」

「……よろしい、です」


 まだ涙目で俺を見上げている聖女の横で、魔女がくつくつと喉を鳴らしている。

 笑うなよ、おい。


「あんたの負けね。反省なさい」


 大剣で敵を牽制しながら、勇者が片目をつむって見せた。

 まったくだが、そもそも最初から勝ち負けなんて考えてねえよ。俺はいつだって、お前たちにいるんだからよ。


 改めて敵に向き直りながら、俺はちらりと聖女を視線をやった。

 まだ不機嫌そうだった、マルグリットは。


 この上なく美しい微笑を、返してくれた。

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