13-2 勧誘


 ダンスクラーン城の玉座の間に向かう廊下を駆け抜けて、俺たちは向かい合う二頭の鷲が浮き彫りされた、巨大な扉に近づく。


 本来であれば左右それぞれ数人がかりで開けなくてはならないだろう代物だ、いかにアレクシアが怪力の持ち主でも、一息に開けるのは難しいかな。

 扉に手こずっているうちに攻撃を食らっても馬鹿らしいし、さてどうするか……と考えていたら、扉は内側からゆっくりと開いていった。


「どうぞお入りください、ってか」

「意外と気が利くわね」


 勇者と皮肉を交わし合う。

 べつに不意打ちを目論んでいたわけじゃあないが、こうも待ち構えている感じを出されると、どうしても罠を警戒してしまうな。


「……さすがに、影獣シャドービーストの進入は拒絶されたよ」

「今のうちに『原初の癒衣プライマリキュアラー』を纏っておきますか?」


 肩をすくめるキャロラインの隣で、錫杖を握りしめたマルグリットが聞いてきた。

 魔女に頷きを返しつつ、聖女の提案を吟味する。


 原初の癒衣は発動から装備まで瞬時に完了するが、一瞬とはいえ俺とマルグリット、二人が動けなくなる。

 魔王相手に致命的な隙を晒すことになりかねないのだから、事前に装着しておいた方がいいかもしれない。


 ただ、この先で魔王がなにか搦め手を用意していた場合、遷祖還りサイクラゼイションの時間が延びてしまうおそれがあった。

 長時間〈精霊転化スピリチュアライズ〉を維持すると、元の姿に戻れなくなる危険がつきまとう。


「いいわ。あたしが真っ向から切り込んで、一撃は防がせてみせる。そのタイミングで変身して」

「アレの装着過程はボクたちもだけど、黒耀竜まで呆然としていたしね。魔王のヤツも案外、気を取られてくれるかもしれないよ」


 ありそうな話だ。そうなったらなったで、絶好の攻撃機会が作れるな。


「あれでも神聖な儀式なんですから、大道芸みたいに言わないでくださいよぉ」


 聖女は眉尻を下げ不満を露わにするけれど、内心では魔女の指摘に納得しているのか、微妙な表情だ。

 これはこれで可愛い、思わず頭を撫でそうになった。


 そんな場合じゃないと思う一方で、いつものような口調で話す少女たちの、声の硬さが気になる。

 泣いても笑ってもこれが最後の戦いなんだ、へたに気負いすぎて、失敗をしてほしくはなかった。


 ぬるい濁流のごとく吹きつける魔力に抗いながら、俺は敢えて軽口を叩く。


「戦いが終わったら、好きなもの作ってやるぞ。なんか希望はあるか?」


 アレクシアが玉座の間に踏み出そうとした足を、空中で止めた。

 ほんの少しの間を置いて軽やかに床を踏むと、振り返って笑顔を見せる。


「あたしアレがいい、鹿肉あぶって甘酸っぱいのをかけたやつ」

「ベリーソースをかけたロティな、了解」


「……ボクは、ミーランで作ってくれた鶏料理がいいな」

茄子巻き鶏ルーロウタヴックか、わかった。一回しか作ってないのに、よく覚えてるな」


「あの! あの、私は、火をつけるクレープがいいです。オレンジの」

「クレープシュゼットだな、まかせろ。最高の材料で仕上げてやる」


 わっ、と少女三人が笑顔で手を合わせた。

 これが士気高揚のための、わざとらしい甘言だとわかっていても、少しは肩の力が抜けてくれたかな。


「それじゃあ、行こうか」


 改めて表情を引き締めた俺たちは、魔王の間へと踏み込んだ。


 * * *


 儀仗兵のように居並ぶ太い柱の間を緋毛氈が伸び、天井照明が消されているため頭上には闇がわだかまる。


 ぽつりぽつりと焚かれた篝火はその朧気な灯りによって、むしろこの場の陰鬱さを増させているかのようだ。

 左右の壁にかけられた絢爛豪華なタペストリーの登場人物たちも、今は幽鬼のごとく揺らめいている。


 かつて堂々たる王と煌びやかな貴族、秩序ある騎士たちによって威風を保っていた玉座の間は今、ただの一人によって暗黒の気配に覆い尽くされていた。

 広間の奥の高くなった場所に置かれた豪勢な玉座、そこで組んだ足に片肘を突いて座る男によって。


 最初は少年、次は青年だった魔王ツバサは今、中年に差しかかった容姿であった。

 厳しく引き締まった男らしい顔立ちで、錦糸で縁取られた軍服調の上下に重厚な赤いマントを羽織った姿は、大軍勢を率いる王に相応しい迫力を備えている。


「なるほど、それがあんたの、本来の姿ってわけね」


 一定の調子で歩み寄りながら声をかけるアレクシアに、魔王はゆるりと首を振る。


「本体ではあるが、本来の姿かと言われるとな……いずれにせよ、お前らを殺すのに充分な能力を備えていることは、保証しよう」


 訥々とした喋り方のせいか深く低い抑揚のせいか、声自体は同じなのに少年のときより青年のときより、はるかに凄みを増していた。

 そして以前は苛立ちばかりが表に出ていた表情も、不気味なほど静かだ。


 だというのに、見下ろす視線のなんと憎々しげなことか。肌を震わせるほど圧倒的な怒りが、服も肉も弾かせ爆発しそうであった。

 体格は中肉中背なのに、竜に匹敵しようかという巨大な気配をまとっている。


 それでも、アレクシアは魔王に歩み寄る歩調を変えない。彼女に従い、あるいは庇われるかのように、俺たちも前へ進み続ける。

 ついに彼我の距離はほんの数歩にまで縮まり、勇者が剣を抜けば一息で切りかかれる間合いになった。


「さて。認めたくはないが魔王の称号を持つ者として、一応は聞いておこうか。勇者よ、オレの軍門に下る気はないか?」

「ないわね」

「即答か」


 くく、と喉を鳴らす魔王。先ほどまで小揺るぎもしていなかった表情が、初めて苦笑いの形に歪んだ。

 キャロラインが呆れ顔で、わざとらしく小首を傾げて見せる。


「そもそもなんのメリットがあるっていうんだい? ボクらが“黄金剣ノートゥング”みたいに、魔族マステマに成り下がりたがるとでも?」

「せっかくの美少女を、わざわざ変質させる気はないさ」


 ツバサは組んでいた足を解くと、手の甲をこちらに向けて指を一本立てた。


「一つには、降参すればお前らとその周囲の人間を、捕獲対象から外してやろう。二つには、オレがこの大陸を統べた暁には、その統治権もくれてやる」


 話しながら二本目の指を立てて見せるが、誰がそんなこと信じるってんだか。

 御託は終わりと戦闘態勢に移りかけた俺だったが、その機先を制するように、魔王は三本目の指も立てた。


「三つには、オレを倒しても、魔族の脅威が尽きるわけじゃないってことだ」

「……どういうことです?」


 思わず、といった感じでマルグリットが問いかける。

 下手に問答をすると戦いづらくなることもあるから、できれば会話はさっさと切り上げたかったんだが、素直な彼女は聞かざるを得なかったか。


「お前らの言うところの新大陸は、オレと同等以上の諸王が相争う群雄割拠の地だ。放置すれば、いずれオレよりでかい勢力を率いて、この大陸に襲ってくるだろうぜ」


 そしてツバサは、四本目の指を立てる。


「オレの方がまだマシ、それが四つめの理由だ。連中は人間なんて、食糧か娯楽の道具としか思っていないぞ? 今を超える地獄が、この大陸を覆い尽くすはずさ」


 そう言って魔王は立てた指を折り、ぐっと拳を握る。


「だから、オレに協力し、やつら・・・と共に戦う道を選ぶがいい。お前らの強さ、死神にくれてやるのは惜しいってもんだ」


 その気はないが念のため、といった調子だった勧誘に、次第に熱が籠もっていた。

 なるほど、ツバサが軍勢を率いて攻めてきた理由は、以前に推測したとおり新大陸での覇権争いのためだったか。


『新大陸の別な勢力とよしみを結び、挟撃したりはできないのですか?』


 かつて“紡ぎ手スピナー”が持ち出した提案を、思い出した。

 本当に新大陸からより強大で悪質な敵が襲ってくるというなら、まだしも言葉の通じる今の魔王との方が、協力体勢は築きやすいかもしれない。


 だが。


「この国は、あんたに滅ぼされたわ。見知らぬ誰かじゃない、他ならぬ、あんたに」


 冷えた目で、硬い声で、アレクシアは告げる。


「子供を庇って魔物に食い殺された親がいる。親の目の前で嬲り殺された子供も。家族を、恋人を、友達を、故郷を、思い出を、あんたは散々、踏みにじったんだ」

「味方が欲しいというなら、どうして最初に攻撃したんですかっ。和平の使者だって、み、皆殺しにして……!」


 淡々と言い募る勇者に対し、マルグリットが珍しく強い調子で責めた。

 対話の手を伸ばして酷く裏切られたのは、生命樹教会の信徒だものな。


 最初に一発交渉を有利に運ぼうと考えたにせよ、その後の魔王軍のやり口は、非道に過ぎた。

 それを忘れたかのように、大きな脅威が背後にあるから協力しろだなんて、虫が良すぎるってもんだ。


 更なる追求を重ねるでもなく、キャロラインは無言のまま魔王をにらんでいる。

 口の端はどうにか皮肉を形作るが、あまりに身勝手な物言いに、腹を立てていることは明白だ。


 俺だって、気持ちは同じである。しかし魔王がなぜ、今になってこんなことを言い出すか不思議でもあった。

 俺たちを脅威に感じ、懐柔しようとしているのか?


 十二天将がことごとく討ち破られ、戦力が不足しているのは間違いないだろう。

 だがそれをいったら、幹部を逐次投入して各個撃破されたのは、魔王の判断によるもので――


『あいつらは、オレに断りもなく全員でノコノコ出撃して、なんの成果もなく戻ってきやがったからな』


 ツバサとの最初の戦いの後、わざわざ姿を現した理由を問うたとき、そんな答えを返したことがある。

 エグゾヴィールに引き籠もって、前線に出てこないわけも不明だった。


 なにかが引っかかる。こいつのちぐはぐな行動の、理由はなんだ?


「ま、最初から答えはわかっていたさ」


 考えをまとめきれぬうちに、魔王は席から立ち上がる。


 ばさりとマントを翻すとその右手に、血管のように白い紋様の浮き出た黒い柄の、赤く輝く穂先を持った槍が現れた。

 色合いといい造形といい、じつに禍々しく、呪われた品であるのは一目瞭然だ。


「義理は果たした。後は、殺し合うだけだ」

「そうね。決着をつけましょう」


 聖剣アイエスと妖刀・鵺切ぬえきり伊賦夜いふやを左右の手に構え、アレクシアがさらに一歩、踏み出した。


 そして、最後の戦いが始まる。

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