13 世界に祝福されたかった

13-1 戦場


 * * *


 * * *


 どことも知れぬ、針葉樹林。

 魔狼ワーグを連れた侏族ドゥリンの少女ファビアナは、一見すると人の手など入っていない、こんもりとした藪の中に違和感を覚えた。


 静かに近寄り、手にした短い杖を慎重に近づける。

 するとねじくれた先端が小刻みに震え、木製の杖だというのに鈴を鳴らしたような音が鳴った。


「──見つけた」

「すごいわね、ファビアナちゃん。私、ぜんぜんわからなかったわ」


 魔狼の背に横座りした精族アールヴの女性が、のんびりした声と表情で言う。

 幼児の発見を褒めるような調子であったが、彼女が最大限の驚きと賞賛を込めていることは、ここまでの案内でなんとなくわかっていた。


「デルヴァンクール夫人、杖をお返しいたします。ここより先の道は、貴女でないと開けませんから」

「何度も言ってるけど、名前でいいわよ。他人行儀ねぇ」


 頬に手を当て小首を傾げ、差し出した杖を受け取ろうとしない相手に、ファビアナは嘆息する。


 尖った耳を覗かせる波打つ長い金髪と、新緑を写し取ったような翠の瞳。

 若草色のワンピースに濃紺のケープという格好は、庭にも出られる質内着といった感じで、深い森に分け入る姿とは思えない。


「……パークレット様。立場というものがありますので」

「んもう。メグにもそんな調子なの?」

「マルグリット様とは、冒険者として接しておりますから、相応の態度でいます」


 そんなのずるいわ、とふてくされる女性の顔立ちは若々しく、幼い容姿のファビアナからしても、自分の五倍以上という年齢差を感じなかった。

 不老の精族の中にあってなお、二百歳未満の彼女はまだ、瑞々しい感性を残しているせいだろうか。


 パークレット・デルヴァンクール。聖女マルグリットの母にして、精族の聖地を治める長の妻である。

 彼の地が魔王に封印された際に唯一、逃げ延びることに成功した彼女は、改めて封印の地を訪れんとしていた。


 聖地は今も魔王の支配下にあるが、いくつか秘密の抜け道が存在しており、長の一族であればそこを通ることができる。

 勇者たちが魔王と戦っている今こそ、聖地を解放する絶好の機会であった。


「いっそ、アレクちゃんたちが魔王を倒すまで、待ってもいいと思うのだけど」


 億劫そうに魔狼から下りて杖を受け取ったパークレットは、眉を寄せてファビアナの示した藪を見つめる。

 抜け道にも封印の影響は及んでおり、入口を通ろうとするだけでも、大変な苦労を強いられそうだ。


「蒸し返すなよ、レット。魔王の無限の魔力を断たなきゃ、あいつらが苦しい戦いを強いられるからこそ、聖地を解放するんじゃないか」


 背後からゆっくりとした足取りで近づいて来た男が、呆れ声を投げる。

 両手に血に塗れた小剣ショートソードを携え現れたのは、艶消しした金属鎧に身を包んだ、黒髪の中年男だ。


 目鼻立ちは整っているものの鼻が低く彫りも深くない、大陸北東の住人のような顔をしている。

 四十代に差し掛かろうかという外見は、見た目は年若い女二人に比べると、親子のように離れて見えた。


「アイハラ様、首尾は」

「さすがに聖地周辺を守っているだけあって、そこそこ手強かったよ」


 あくまで『そこそこ』で問題はなかった、と言外に伝えながら男は双剣を振って血を払い、それぞれ鞘に収める。

 そんな彼に、パークレットは緊張感のない笑みを向けた。


「さすが。頼りになるわねぇ」

「はっ、とうに引退した骨董品さ」


 アレハンドロ・アイハラ。アレクシアの叔父であり彼女の剣の師、そしてかつて勇者の称号を持っていた男である。

 魔王軍が侵攻を開始する前に称号を失っていたため、戦場に担ぎ出されることはなかったが、知る人ぞ知る古強者だ。


 隠された聖地への抜け道を探す道中、襲い来る魔物は全て彼が倒している。

 熟練冒険者のファビアナから見ても、一線から退いた理由がわからないほどの剣の冴えであった。


「ともあれ可愛い姪っ子の助けになるんだ、手早く頼むぜ

「そうね、愛娘の恋路のためだもんね。お母さん頑張っちゃうわよ」


 先ほどまでは面倒そうにしていたというのに、アレハンドロの言葉に感化されたか、袖をまくって折れそうなほど細い腕をあらわにするパークレット。

 なんだかんだと物事を後回しにしたがる悪癖はあるものの、娘たちや世界の平和に尽くそう、という気がないわけではないらしい。


 魔王が勇者との戦いに集中している今だからこそ、密かに聖地の解放を試みることができるのだ。

 ここまで彼女を連れてくる労力は並みではなかっただけに、それが報われることを、ファビアナは願わずにはいられなかった。


 * * *


 在りし日にはフォタンヘイブ王国領であった広大な平野で、人類の連合軍と魔王軍の前線部隊とが激突していた。

 鬨の声と剣戟の響き、雄叫びと咆吼、角笛の音に混ざる魔術の炸裂。


 泡を吹き棍棒を振り回す岩巨鬼ロックトロールが槍衾に貫かれ、白刃閃かす騎馬の一団が鷲獅子グリフォンに薙ぎ倒される。

 開戦からさほど時を経ないというのに、地獄の釜が蓋を開けたかと思うような死と混乱が、そこら中に撒き散らかされていた。


 決戦に臨んだ連合軍の兵たちは、誰も彼もが過酷な戦場を生き延びた猛者たちだ。

 しかし彼らの前に立ち塞がった無数の魔物と魔族もまた、いずれ劣らぬ精鋭揃い。いかに人類側が数と連携で上回ろうとも、敗色は濃厚であった。


 だが各軍の指揮官、そして総司令たるラジュマン首長の顔に焦りはない。必要としているのは、勝利ではないのだ。

 勇者一行が魔王の喉笛に食らいつくそのときまで、敵の主力をこの場に引きつけ、可能な限り犠牲を少なくすること。それが彼らに課せられた役割であるからだ。


 決死の覚悟で場に臨みはすれど、命を投げ出すことはするなと厳命されている。

 だからこそ魔王軍に押され苦戦を強いられているともいえるのだが、身の安全に配慮して戦うことで、見えてくるものもあった。


 無謀な吶喊など控えて敵の体力を削ることに集中し、危険を感じたらすぐに退く。

 防御や治癒の魔術によって負傷を避け、足手まといになる者が出ないようにする。

 未知の敵に対しては徹底的に距離を取り、不意の一撃を食らわないよう注力する。


 冒険者にとっては当たり前で、騎士や兵士たちには臆病と映る戦い方であったが、魔物の群れと相対するには効果的だ。

 兵団規模でそれを行うことで戦場全体が今、戦争ではなく魔物の群れを退治するための、大規模な共同戦線レイドであるかのように機能し始めていた。


 その中心にあって、例外的に周囲から距離を置かれ、手出ししようがない威力と速度でぶつかり合う者たちがいる。

 響き渡るのは岩同士が打ち合わされる重たい激突音、砂嵐のごとく巻き上がる塵芥、それを切り裂く矢羽根の鳴る音。


 全身を〈厳峻剛身ミネライズド〉で鉱物質に変化させたエンリと、元より総身を金属で構成した銀色の巨人が、拳と蹴りの応酬を交わしている。


「ははっ、やるねぇ、君たち! 僕とここまでやり合えるなんて、さっ!」


 無骨な顔をひしゃげ笑う“銀詠ぎんえい”ゴーリックが振るう、直撃すれば人の頭など呆気なく爆散するであろう拳を、命中直前に相手の手首を打つことでかろうじて避けるエンリ。


「お前ごぞ、でえじだもんじゃねえがっ!」


 濁った声で答えながら、お返しとばかりに腰をひねって振るわれた蹴りが、ゴーリックの脇腹を直撃した。

 だが銅鑼を打つような音が響き渡るのみで、銀の巨人の体は小揺るぎともしない。


 速度も打撃力も防御力も、“銀詠”の方が圧倒的に上であった。

 一対一でやり合っていたなら、エンリはただ嬲られ、数合も保たずに地に沈んでいただろう。


 しかし彼には仲間がいる。仲間を生かすために、前面に立っているのだ。


「血肉を蝕み精気を削れ、〈過労イグソースチョン〉」


 追撃のため拳を引いたゴーリックの背後で、影が盛り上がる。

 ぬらりと姿を現したゴスは、巨人の背に手を当て呪文を発動した。


「ぐぬっ」


 急激な疲労感が襲いかかり、一瞬だけ足下をぐらつかせる“銀詠”。

 すぐに立ち直り四肢に力を満たしながら、背後の気配に裏拳を投じるが、すでに黒装束は影の中に沈んでいた。


 同時に正面のエンリも後ろに下がる。待ちかまえていたかのように空中から高速で矢が落下し、巨人の頭部に命中するや、大きな鏃が爆発した。

 ただの火薬ではない、一流の金魔術師アルケミストが高価な材料を惜しみなく用い作り上げた、焼夷弾頭である。


「ぬがぁっ!?」


 たちまち頭部を炎に包まれたゴーリックは、狼狽しつつ頭を振った。

 魔族として彼が得たいくつかの能力の一つは、身体の柔軟さと速度を損なわずに〈厳峻剛身〉を永続させられるというもので、少々の熱や酸欠などものともしない。


 だが、特殊な油脂によって消えることのない炎に延々晒されるというのは、生物としての根源的な恐怖に訴えかけるものがあった。

 思わず両手で目や口を払い、まとわりつく火炎を剥がそうとしてしまう。


 さすがにエンリから視線を外すことはなかったものの、がっちりと防御を固めた姿勢ではなくなった。

 主戦場から少し距離を取った高台で、先ほどの焼夷弾を放ったヘレネーナは、その好機を逃さない。


「ふっ」


 周囲を固めた兵士には残像しか捉えられないほどの速さで、牛娘は矢筒から三本の矢を抜くと、連続して解き放つ。

 左右と上方、計三本の矢が曲射で“銀詠”に襲いかかった。


 合わせて突進してきたエンリに気を取られ、ゴーリックは矢に対応できない。

 だがそもそも、ここまでの戦いで後衛職の矢は、自分の硬くて頑丈な皮膚を貫けていなかった。回避する必要はない、と無意識に判断する。


 だというのに、やけに長い鏃を持った三本の矢はそれぞれ銀色の肌を突き破り、巨人の肉に食い込んだ。


「んなぁっ!?」


 首筋、脇腹、膝横。いかに硬質な皮膚であっても生物である以上、稼動部には伸び縮みする箇所がある。

 そのうちでも展延しきった部位を見切って、ヘレネーナは矢を射ち込んだのだ。


「ぞごだあっ!」


 重たい足取りで踏み込んだエンリが、脇に突き立った矢に向かって拳を振るう。

 遅い、十分に防げる……と叩き落とそうとしたゴーリックであったが、直前で拳士の腕が加速した。攻撃の途中で〈厳峻剛身〉を解除し、わずかながら敏捷性を高めたのだ。


 代わりに硬度と筋量を失った腕は、肘で打たれて呆気なく折れる。それでも拳は矢柄を砕きながら、鏃をゴーリックの体内に押し込んだ。

 更には猫のように身を縮めて放った回し蹴りが、膝横の矢を同様に侵入させる。


 左右から襲い来る激痛に硬直した“銀詠”の肩口に、やにわに影が差したかと思うと、そこからずるりと黒装束が現れる。

 異形の手段で密着したゴスは、首筋に刺さった矢を握り、隠れ潜んで唱えていた呪文を解き放った。


「傷よ贄より血肉を奪え、〈放血ブラッドシェッド〉!」

「ぐおおおおおおっ!?」


 青紫色をした液体が、傷口から勢いよく噴き上がる。

 ゴーリックは肩口に取りついた長躯の男を引き剥がそうとして、無茶苦茶に腕を振り回した。


 ゴスは巧みに腕を避け、どうにか抵抗していたものの、やがては両手で胴を掴まれてしまう。

 そのまま引っこ抜かれ、頭から地面に叩きつけられた。


「かはっ……!」

「ゴスっ!」


 頭蓋と頸骨に深刻な痛手を受け、黒装束をまとった全身が硬直する。

 折れた腕も顧みず仲間を救おうと駆け寄ったエンリに、銀の肌を青紫に染めた巨人は容赦なく膝蹴りを叩き込んだ。


「お前もだっ!」

「ごぼっ」


 背中まで突き抜けるほどの衝撃を腹に食らい、拳士は大量の吐血とともに、二度三度と地面に転った。

 残るは小賢しい弓使い、と凄絶な目つきを巡らせるゴーリック。


 その視線の先で赤髪の美女は、豊かな胸を揺らしながら悠然と高台を下り始めた。

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