12-7 境門


「僭越ながら、冒険者ギルドからの通達をお伝えいたします」


 眼鏡を押し上げつつ口火を切ったのは、意外にもメリッサであった。

 使いっ走りの任だけ済ませて、後は置物と化していよう……なんて考えているのかもしれない。


「今回の反攻作戦に際し、有力な冒険者たちは既に各地の魔団レギオンと、交戦を開始しております。勝つにせよ負けるにせよ、大陸内から増援が現れることはないでしょう」

「できればみんな勝って、生き延びてほしいところだけどね」

「ええ。ギルドとしても有能なメンバーを失いたくはありません」


 アレクシアは純粋に同業者を思いやっているが、メリッサの方はやや事務的だ。

 被害地域から多少なり報酬は出るはずだが、実入りが少なく危険の大きな仕事をばら撒く羽目になったのだから、冒険者ギルドとしては忸怩たる思いだろう。


 そもそも冒険者の中には、魔王軍と泥沼の戦いが続く現状を歓迎する者さえいる。

 世間が荒れるほど金儲けの機会が増える、なんて考え方もあるからな。


「重傷者の治癒と呪詛の解除に対し、教会からの支援を賜れれば、幸いに存じます」

「承りましょう。聖戦に臨む勇士に恩寵を分け与えること、これを厭う者は生命樹の使徒にはおりません」


 体ごと自分の方へ向き直るメリッサに対し、教皇は表情ひとつ変えぬまま頷いた。

 悪人ヅラで綺麗事を吐かれても、後から『精神的支援はするが呪文を使ってまで助けるとは約束していない』とか言われそうだが、もちろん彼はそんな人物ではない。


 安堵しつつもどこか懐疑的な顔つきのメリッサを、じろりと睨んだ──アレ多分、安心してほしいと目線で訴えただけだぜ──後、教皇はマルグリットへ視線を移す。


「聖女マルグリット。かねてよりの約束どおり、『原初の癒衣プライマリキュアラー』はお預けいたします。どなたを、契約者に選びますか?」

「それでは、彼を」


 問われたマルグリットは最初から決めていたかのようにスムーズに、背後の俺を示す。契約者ってなんだろう。


「それは……大丈夫なのですか?」

「大丈夫です」


 顔をしかめた教皇に対して聖女は自信たっぷりに、ない胸を張る。可愛い。


「改めて言うまでもありませんが、原初の癒衣は装着する者と契約者の間に確かな信頼があって初めて、纏うことが許される神器です。以前の装着者は、契約者たる初代勇者の妻となった女性。失礼ながら、イアン殿は」

「大丈夫です」


 またそうやって断言する……俺相手ならともかく、教皇に力押しって通じるのか?

 教皇は苦虫を噛み潰し奥歯でこすって丹念に舌の上で転がしたような凄まじい形相で、こちらをにらんでいる。


 これは誤解しようがない、間違いなく苦々しく思っているだろう。

 しかし重たい沈黙の後、机に肘を突いて組んだ手で口元を隠しながら、教皇は鬱々とした声で宣言する。


「いいでしょう。イアン殿、くれぐれも聖女マルグリットをお願いします」

「畏まりました」


 なんだかわからないが、言われなくとも聖女は庇護するさ。

 促されたデ・レーウ大司教が、盆の上に載せて拳大の彫刻を持ってくる。桃色をした石が、王冠とも花ともつかぬ形状に削り出されていた。


「どうぞ、お手にとってください」


 見るからに高価そうで気後れするものの、仕方なく手を伸ばす。

 彫刻に指先が触れた瞬間、鈴が鳴るような澄んだ音が響き、彫刻の表面に波紋が走った。尺林豻貌シュリガーラを通して見ると、俺の魔力に呼応しているのがわかる。


 ああなるほど、こいつは原初の癒衣が魔法的に折り畳まれた状態なんだな。

 対象に魔力の経路パスが繋がっている状態で起動すると、あの素っ頓狂な衣装を着させることができるわけか。


「……どうやら、契約者たる資格は、お持ちのようですね」


 どす黒い気配を背負いながら、教皇は今にも舌打ちしそうな口調で言う。

 この人が無口で通している理由って単純に、迂闊に喋ると本性が知れ渡っちまうからじゃねえか?


「大丈夫だって言ったでしょう?」


 ふふん、と自慢げに告げるマルグリットは可愛いが、それ爺さんを煽る効果しかないから止めとけ。

 あと俺にもこの神器が使えそうなのは、信頼云々じゃなく胸の神石と同調しているせいじゃないかと思う。


「そっちは問題なさそうだね、じゃあ、最後にあたしからだ」


 興味深げに俺の手の中にある彫刻を見ながらも、ネスケンス師が場の話題を継ぐ。

 問題ありまくりだがこれ以上、教皇の重圧に晒されていたくないので、ありがたく話題の転換に乗っかろう。


 総帥は自分の〈宝箱アイテムボックス〉から布袋を取り出した。

 赤子の頭ほどはあろうかというなにかを包んでおり、重そうに顔をしかめながらそいつを弟子に手渡す。


「……完成したのかい」

「でなきゃ、わざわざ持ってきやしないよ」


 唾を飲み込みながら恐るおそる問いかけるキャロラインに対し、その師はにやりと笑みを返す。

 メリッサや教皇たちがいるので、中身についてはここでは話せないが、それがなにか俺たちは知っていた。


 黒耀竜から取り出された魔石、そいつを改造したものである。


『“魔精石”。そう名づけたよ』


 あれは、そう。黒耀竜の討伐を果たした後、藍之家で過ごしていた日のことだ。

 念願の、魔力を抽出できるようにした魔石を見せ、ネスケンス師はそう告げた。


 四天王級の強力な石なら、大魔術一回分の魔力を供給することができる破格の魔道具だ、正直いくらあっても困ることはない。

 しかし〈境門イセリアルゲート〉の呪紋石を作るのにも必要だったため、かつて“黒烈こくれつ”を倒して入手した物のうち三つだけが、魔精石に仕立てられた。


 そして古代竜エンシェントドラゴンの魔石も、同様に魔精石にしてもらうよう総帥に頼んだのだ。依頼しておいてなんだが、抽出用の回路を焼きつける工程が複雑かつ長大すぎるため、期間内に完成させるのは難しいと考えていた。

 少なくともボクには無理だね、とキャロラインが匙を投げた案件である。それを彼女の師、『七色の魔女』は見事やってのけたというわけか。


 それ以前には、ネスケンス師は研究がてら手頃な大きさの魔石も改良したそうで、初級から中級呪文を代替できる程度の魔精石もいくつか貰っていた。

 といっても、それらの石まで必要な事態に陥りそうなら、その前に撤退を考えるべきだろうな。


 そもそも今回は、電光石火の短期決戦を目論んでいる。

 黒耀竜の魔精石は、そのための切り札だ。


「これで準備は整ったわね。後は、任せていい?」


 立ち上がるアレクシアに合わせ、全員が腰を上げる中、問われた教皇が頷く。


「無論です。皆様の御無事を祈っております……マルグリット、どうか」

「はい。皆を守って、皆で帰ってきます」


 すがるような目をする教皇に対し、微笑みながらも決意の籠もった視線を返す、マルグリット。


「成果の報告を楽しみにしてるよ。ああ、提出論文は、わかりやすく頼むさね」

「読んでる横で補足してあげるから、大丈夫だよ」


 口の端を歪めるネスケンス師に対し、肩をすくめて見せるキャロライン。


「悪いな、最後まで巻き込んじまってよ」

「なあに、魔王の打倒に力を貸すのは、当然のことにござる。欲を言えば、拙者も魔王と直接やりあいたかったでござるが」


 サザンカに顔を向けると、サムライ娘は気負うこともなく平たい胸を叩いて見せた後、少し残念そうにつけたした。


 この場にいる者たちを筆頭に『羽根瓢アルソミトラ』の乗員たちは、オンバリエラ砦での会談どおり、空路でエグゾヴィールに向かう。

 当然、敵の空戦部隊による妨害はあるだろうから、むしろそいつを引きつけてもらう役割だ。


 そしてその間に、俺たちアイハラ猛撃隊だけで魔王と直接、対決する。

 魔王の異能が一撃必殺である以上、効果の及ばない俺たちだけで、対峙するしかないからだ。


 サザンカも希少性の高い称号持ちだから、魔王の異能が通じない可能性は高いが、だからこそこの場に残ってほしいのだ。

 万が一こちらに魔王が現れた場合、皆を守ってもらわなければならない。


「ヘレンも、申し訳ないわね。せっかく夢が叶ったのに」

「そうお思いでしたら、きっちり魔王を倒してくださいませ。あと、よろしければ閨事に混ぜていただけますかしら」

「前半は請け負うけど、後半は却下」


 勇者と牛娘は軽口とともに、不敵な笑みを送り合った。

 なんだかんだで気が合うみたいなんだよな、こいつら。


 大司教やメリッサとも言葉を交わして、部屋を出る。『リットたん……』という野太い呻きが響いた気がしたが、聞こえないふりをした。

 部屋の外に待機していたエンリとゴスが、それぞれに手を上げる。


「総帥とメリッサ嬢はきっちり守っとくぜ」

「勝ってこい」


 アレクシアが軽くその手を叩きながら横を通っていったので、俺たちもそれに倣うことにした。

 少女たちとは掌をぱん、と合わせる程度だったのに、俺のときは向こうも力を入れて叩き返してくる。


「誰も死なせるなよ」


 俺にだけ向けられた重々しいエンリの声に、小さく頷いた。


 * * *


 いったん〈飛翔フライ〉で『羽根瓢』を飛び出した後、幻術で周囲から姿を隠した状態で、〈境門イセリアルゲート〉を魔女に使ってもらう。


 移動した先はエンパシエ巫長国の最奥、色とりどりの糸で織られた布が敷かれた正方形の部屋、巫女姫の間だ。

 俺たちの出現に合わせて、部屋の中央でゆっくりと立ち上がるニマ=ソマム。


「お待ちいたしておりました、皆様」

「面倒をかけるわね」


 気さくな口調で話しかけるアレクシアに、巫女姫はゆるりとした仕草で首を横に振り、見えないはずの目で勇者を見上げて微笑む。


「皆様がたの御尽力に比べれば、些細なことです」


 全てを見通す目を持った彼女にそう言われると、これまでの旅の日々が無駄ではなかったと実感するな。

 余裕があれば、ニマ=ソマムの言葉に乗っかって、仲間たちを思いきり褒めそやしたい気分だ。だけど今は時間がない、反攻作戦はもう始まっているはずだし、一カ所に留まっていると魔王がここに現れる可能性もある。


 魔石から生み出された使い魔なら、俺が〈魔具隷従〉で無力化できるとは思う。

 しかし隙を突かれて巫女姫を異能で殺されちゃ、たまらない。


「それじゃ、ひとつ頼むよ」


 キャロラインが魔石、以前に俺を戦場に送ってもらったのと同じ〈境門〉の呪紋石を、巫女姫に手渡した。


 こいつを使って、今度は魔王の許へと通じる道を開いてもらう。

 やつの姿は巫女姫の幻視では捉えられないけれど、逆に言えば幻視の通らない空白地帯があれば、そこが居場所ということだ。


 さすがに直接ツバサの目の前に現れることはできないだろうが、魔物のひしめく危険地帯を突っ切って行かなくとも済む。

 これまで〈境門〉の秘匿には気を払ってきたからな、さすがにこの呪文の存在までは把握されていないだろう。


 魔王の神出鬼没っぷりには、ずいぶんと振り回された。

 だが、今度はこちらが虚を衝く番だぜ。

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