11-9 颶風


 不幸な事故に遭った船舶が、乗組員ごと不死怪物アンデッド化した魔物が、幽霊船だ。

 獲物を求めて海を彷徨い、出会った船乗りを仲間に引きずり込むという。


「さらわれた人たちが運ばれると聞いて、その航路を辿ったら、あんなのに巡り会う。偶然だと思うかい?」

「いいえ。これが“黄奪おうだつ”の、罠でないとしたら……」


 賢いリットは、ボクと同様の推測をしているようだね。

 このあたりの海域に幽霊船が出没するなんて話があれば、そもそも船長はじめレイブーダ王国の人間が知らないはずがない。


 つまりあれは、あれこそが、魔王軍の輸送船団ってわけだ。


 それにしても幽霊船を操る、か。失われた黒魔術に、そんな呪文があったような……たしか〈怪船ゴーストシップ〉だっけ。

 百年前の魔王である紫煌帝は、その呪文をもって各地の海を支配下に置いた、と伝えられている。


「リットの〈鎮魂ターンアンデッド〉で薙ぎ払えるんじゃない?」

「そりゃそうだけど、中にいるだろう捕虜が海に投げ出されるよ」


 いつの間にか帆柱から下りてきていたアレクに答える。

 幽霊船は船体自体も不死怪物だから、浄化すればおそらく、船そのものが消え去ってしまうだろう。


 そうなれば乗せられた捕虜だけが取り残され、荒波に呑まれて終わりだ。

 もっとも、新大陸に運ばれる戦力だけに、すでに全員が不死怪物と化している可能性も高いけれど──


「いと高き生命樹よ、その葉に浴する子らの息吹を数いたまえて、導きの木漏れ日を指し示しください、〈探人ディテクトパーソン〉」


 指示するまでもなく、リットが探ってくれていた。

 この間の密林とは違って隠密行動じゃないし、そもそも互いに視認できる距離だ、躊躇する理由はない。


「……います、大勢。三艘ともに」

「となると、突っ込んで暴れるしかないわね! キャロ!」


 決断も早いけど切り替えも早いのが、アレクの長所であり短所だ。

 そんな雑な指示の意図を汲んでくれるのは、ボクやカレだけだよ。


「大気よ流れて風となれ、風よ吹き抜け羽を成せ、羽よ束なり翼と変われ、〈飛翔フライ〉!」


 リットやボク自身も効果対象に含めて、三人で宙に浮かび上がる。


「船長、端から順に目につく敵を掃討して回る。合図をするから、確保した船から捕虜を救出してほしい」

「しょ、承知いたしました」


 微妙に視線が泳いでいるのは、角度的にボクとリットのスカートの中が見えそうだからかな?

 安心していいよ、内緒だけど実は先刻から、〈暗闇ダークネス〉で覆っている。


「ああ、さすがに〈念動テレキネシス〉を維持する余裕はないから、ここからは諸君の操船技術に期待するよ」


 そう言い置いて、仲間たちと幽霊船団に向かった。

 背後で悲鳴と怒号がこだましたけど、まあ頑張って。


 さてさて、あの興味深い現象を引き起こしているであろう黒魔術師ネクロマンサーは、どの船に載っているかな?

 他にも失われた魔術を知っているなら、是非とも使ってほしいものだ。


「キャロ、悪い癖が出てるわよ」

「捕虜の救出が最優先ですからね」


 心躍らせていたら、釘を刺されてしまう。

 まあそれもそうだね、自分の興味より、なすべきことをなさないと。


「リット、甲板上に生者は存在しているかい?」


 念のため確認するが、聖女は痛ましげに首を横に振っている。

 だったら話は早いね、暴風を呼んで甲板上のものを薙ぎ倒すか、大渦を操り押し流してしまおう。


 そう思ってステッキを構えたボクの足下から、ぞわりと不気味な気配が膨れ上がった。

 ちょうど中央に位置する船の船橋、詠唱が聞こえる距離じゃないけれど、魔力の質でわかる。これは黒魔術、それも、とびっきりタチの悪い呪文が放たれる前兆だ。


「リット、魔法障壁!」

「いと高き生命樹よ!」


 アレクの声を受け遷祖還りサイクラゼイションしたリットが、瞬時に周囲を白い光で覆う。

 それが間一髪、船橋から吹き出した紫色の霧のようなものを防いだ。


 今のは〈腐敗ロッツ〉、あるいは〈疫病プレーグ〉かな?

 いずれにせよ狙いが正確だ、使い魔かなにかでこちらを見ている可能性が高い。


 もたもたして第二波を食らうのも面白くない、ここはボクも本気で応えてやろう。

 魔力と集中力を〈妖異発現デーモントランス〉して高め、その上で呪文を詠唱する。


「風よ集いてはやてに変われ、飄よ捻じ巻く弦と化せ、狂える弦よ地を満たせ、〈颶嵐ワインディングストーム!〉」


 周囲の大気を巻き込んでボクを、ボクたちを中心に、雷雨と暴風が渦を巻く。アレクが砂漠で披露した竜巻に威力は劣るが、範囲は圧倒的に広い。

 波を巻き込み飛沫を上げて、颶風は轟音とともに三艘の幽霊船の表面を撫でた。


 甲板上の屍人ゾンビ骸骨スケルトンが、なすすべもなく吹っ飛ばされていく。朽ちた帆や折れた柱も余さず砕き、船橋に潜んでいた何者かもまとめて掃除した。

 苦し紛れになにやら呪文を飛ばしてきたようだけれど、それもボクの生み出した豪風の前にかき消される。


「……ははっ」


 いいね、ここまで魔力を温存してきた甲斐があった。

 手持ちの呪文の中じゃ〈颶嵐〉は中の上程度の威力しかないけれど、この暴風雨の中にあっては、周囲から無制限に魔術構成の材料を吸い上げ続けられる。


 あれ? 今〈大渦メイルシュトローム〉も併用すれば、このあたりの海域を全て制御下に置けるんじゃないかな。

 風も波も雲も空も思うがままだ、沸き上がる万能感のままに魔力を振るいたい、そんな欲望が首をもたげる。


「はははっ!」


 幽霊船だったものの上部が剥がれ、悲鳴を上げて身を寄せ合う人間たちが見えた。

 屈強な男どもが恐怖に顔を引きつらせ、必死に船底にへばりつく様は滑稽だ。


 その怯えた目が、一斉にこちらを見上げている──


「キャロっ!」


 肩を掴まれ揺さぶられ、はたと気づいて傍らへと顔を向けると、アレクが真剣な顔をしていた。

 逆側の手が温かい感触に包まれて、そちらに首を巡らせれば、リットもまた思い詰めた表情を浮かべている。


 ぽん、と頭に手が、乗せられたような気がした。

 それは願望のもたらした錯覚だったけれど、カレがいたらきっと、そうしてくれたんじゃないかな。


「ふ、ボクとしたことが」


 力に酔うだなんて、まだまだ未熟だなあ。

 高威力で広範囲の大魔術は個人の身に余る大きな災禍を呼び起こす、それで自分が全能の存在になったと、勘違いしやすいんだ。


 隕石を呼べたって天候を変えられたって、ボクは一人の人間に過ぎない。

 格下の魔物でも懐に入られれば為すすべもなく切り倒されるし、魔力を失えば逃げまどうくらいしかできることはないんだ。


 だから、仲間がいる。仲間に頼る。仲間のために、頑張る。


 なんて滑稽なんだろう、天才と持て囃された大賢者、厄災と恐れられた魔女。

 そんなボクが、『仲間のために頑張る』だなんて普通で平凡な、当たり前の価値観に従うことが……とても心地よくて、嬉しいだなんて。


 いつしか〈颶嵐〉は解き放たれ、螺旋を描いて空へと登っていった。

 頭上にあった黒雲が吹き飛ばされて、晴れた空が垣間見える。


 ふと足下に目をやると、船倉に詰め込まれて怖々とこちらを見上げていた男たちが、神様でも仰ぐような顔つきになっていた。

 たしかに差し込む陽光に照らされたボクたちは、客観的には神々しい姿かもね。


 実態としてはまあ、調子に乗ってうっかり魔力を暴走させかけた、未熟な魔術師に過ぎないんだけどさ。


「アレク、敵の術師は見つかるかい?」

「どうだろ、さっき凄い風で吹っ飛ばされたかな。仮に十二天将級のやつだとしたら、あの程度でやられたとは思えないけど」


 鋭い視線を周囲に向けるボクの勇者様は、警戒を解いていない。

 たしかに彼女の言うとおり、今のは物理的な圧力で吹き飛ばしただけだ。それなりの防御魔術を心得た相手なら、なんとか堪えて隙を窺っている可能性はある。


「リット、油断しないようにね」

「わかっています。あの幽霊船からは不浄な気が、消えていません」


 まだ〈精霊転化スピリチュアライズ〉を解かぬまま、ボクの聖女様も唇を引き結んであたりを見回していた。真剣な顔も可愛いよ。


「……止めてくれて、ありがとう」


 気恥ずかしくて小声になってしまうけれど、一時的とはいえ暴風雨が収まったせいで、左右の二人にはしっかり聞こえてしまったようだ。


「どういたしまして。手がかかるんだから、まったく」

「キャロは、もうちょっと、自制心というものを持つべきです」


 キミらに言われたくないなあ。


 まあうん、だけどカレだって同じようなことを、のたまうだろうね。

 ボクらの支援職は口うるさくてお節介で堅苦しくて、常に普通の価値観ってやつを忘れないから。


 だけどそのくせ、ボクらのやることなすこと認めてくれて、どんな無茶でもどうにか叶えようと頑張ってくれる。

 それが自分の仕事とばかり、方向性の違う無茶をする。


 アレクを必死で追いかけているカレの、慌てながらも憧れるような顔が好きだ。


 リットを懸命に気づかっているカレの、心配しつつも諫めるような声が好きだ。


 ボクに斜め上の提案をしてくるカレの、不安を抑え挑むような視線が、大好きだ。


 恋しい男性を想って見上げた空は、再び雷雨をまとって黒雲が立ち込めだしているけれど、ボクは微笑む。

 どれだけ暗く重く厚くたって、その向こうには青空が広がっているのを、知っているからね。

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