11-6 激情
跳躍と同時に壁を破壊し、建物の中に飛び込んだアレクの後を、キャロの〈
ああ、やっぱり。
胸が詰まります。
これは、吐き気でしょうか。
「うぁ……」
「だず……けて……」
「もど……じで……」
木造の壁に鎖で繋がれた、裸の男女。皆さん胸や額に小さな魔石を埋め込まれ、肉体を変異させています。
緑の肌と、腕だけが長い、歪んだ体型に。
つまり、集落をうろついていた魔物たちもまた、元は人間だったもの。
私が放った魔力の波に引っかかっていたのは、いと高き生命樹の導きにおいて、人間とは認識されない方々。
「なんで、こんな」
「ひょっ。実験ですよ、実験」
アレクの乾いた呟きに対し、引きつった声が返りました。
彼女の背中で見えなかったのですが、部屋の中央には他に人がいたようです。
いえ、『人』ではありませんでした。先ほどの〈
アレクの背後に追いついて並び立った私の目にも、その姿が見て取れます。
真っ黄色の肌に禿頭、瓶底眼鏡と鯰髭。
小さな体が、豪華な刺繍が施された前合わせの衣にうずもれそうです。
以前の戦いでは私は気を失っていたため、姿を見るのは初めてですが、聞いていた特徴と一致しました。
“
「実験、ねえ。見たところ、強制的に
罠を警戒してか、私たちより一歩下がった位置から、キャロが問いかけます。
「ひょっひょっ、さすが大賢者、お目が高い。こいつらは
べらべらと得意げに話し出した“黄奪”の言葉は、雷のような速度で抜き打ちされたアレクの剣によって、中断させられました。
「イィヒィイイ──ッッ!?」
魂も凍るような悲鳴が、部屋じゅうにこだまします。『
アレクの体も、瞬間移動したかのように部屋の中央、ジョタの眼前にあります。
彼女が直前までどんな顔で相手の言葉を聞いていたかは、窺い知れません。
ただ“黄奪”からすればなんの前触れもなく刺された、というより、気がついたら激痛に襲われたように感じたでしょうね。
部屋に踏み込まれた時点で警戒はしていたのでしょうが、本気で怒ったアレクは動作に溜めがなくなって、ほとんど無意識の領域で最適な攻撃を繰り出します。
あの人に言わせると『野生の虎というか、魔物化した食虫植物並み』だそうで、後衛職とおぼしきジョタでは反応できるはずもありません。
「御託はいいわ。今すぐ、全員を元に戻しなさい」
「ひぃっ、ひょっ……実験と、言ったでしょう? まずは安定して歪鬼を生産できるように試行している段階、元に戻すなど夢のまた夢ェヒィィィァアアア゛──ッ!!」
私たちが部屋に踏み入るより早く、アレクの腕がぶれたかと思うと、再び“黄奪”が叫び声を上げます。
先ほどまでお腹に刺さっていた矯導尖畢は、肩口に突き立っていました。
喉も嗄れよとばかりに叫んだジョタは、口からあぶくを吹きながら頭をがくがくと振り回します。
どれほどの痛みが襲っているのかわかりませんが、この剣の恐ろしいところは、痛みが強すぎて気絶さえできないことです。
「やめぇ、やめてえ」
「この人たちや、外でうろついている人たちも、そう言ったんじゃないの?」
うつろな眼差しで呻く人々を見回して、アレクは冷酷な声で告げました。
「ひょっ……七人がかりで仕留めきれなかった勇者を、我輩ひとりで押さえられるわけもなく……」
やおら関係のないことを口走る“黄奪”の、首を振る動きで瓶底眼鏡が落ち、眼があらわになります。
その双眸があるべき場所には、それぞれ魔石が埋まっていました。
「ここは逃げの一手!」
「〈
二つの魔石が光を放つのと、背後から淡々とした声が響くのが、ほぼ同時です。
目から放つ輝きが消え去って、ジョタはいやらしい笑みを浮かべかけたまま、硬直しました。
ちらっと振り返ると、いつの間にかキャロの角が太く長く伸び、瞳は闇の色に染まっています。
発動した魔術を魔力ごと消し去る〈霧消〉は普通、持続している呪文に使うものなのですが、まさか発動しかけた
キャロの天才的な魔術の腕前をよく知っている私ですら、開いた口が塞がらないほどです。“黄奪”の驚きは、いかばかりでしょう。
でも、呆けている場合じゃありませんね。
私も遷祖還りすると、次にジョタが取るであろう行動を予測し、いと高き生命樹の恵みを振るいます。
「ええい、ならバッ」
「〈
豪奢な衣ごと矮躯が消え去った、と思った瞬間、私の放った白い光が空中で球体を形作りました。
その中に、十分の一ほどに縮んだ“黄奪”の体が収まります。
やっぱりです。〈
普通は身に着けているものまで小さくならないはずですが、そういう魔道具なのでしょうか。
「なんですトォッ!?」
きぃきぃと甲高い声で驚き、自身を囲う球状の障壁を叩くジョタ。
この呪文は本来、術者や仲間を襲った攻撃を遮断するためのものなんですが、敵を閉じ込めるために使ってばかりですね。
「逃がさないわよ。その大きさでこいつを食らったら、どうなるか、試してみる?」
そう言ってアレクが向けた細剣の先端は、縮んだ体からすれば、杭のように見えることでしょう。
「ひぃっ、ひぃっ。おゆ、お許しヲォッ!」
先の二回ですっかり心が折れてしまったのか、“黄奪”は〈封絶〉の球の中で両膝を突いて這いつくばりました。
謝るくらいなら、最初からやらなければいいのに。
恥も外聞もなく許しを請う、情けないその姿に、心がすぅっと冷えていきました。
「あぅ……」
「だず……けて……」
「ごろ……じで……」
部屋を見回すと、無惨に姿を変えられた人たちの、悲しい嘆きが耳を打ちます。
その目は昏く濁っており、その声も誰に対するでもないうつろなもので、私たちの姿も見えていないのでしょう。
外をさまよっていた、かつては人間だった魔物たちを思い出します。
彼らはジョタに操られて元の同胞をさらい、自分たちの仲間を増やす手助けをさせられていました。
胸が詰まります。
これは……怒り、でした。
ふつふつと湧き上がるこの思いは、あの人が無茶をしたときに叱ったのとは、まるで違います。
視線の先でみっともなく詫びを入れる魔族、その人を人とも思わない所業に対する、許しがたい激情。
なぜ、こんな酷いことができるのか。
わかりません。わかりたいとも、思いません。
たしかに人類と魔王軍は敵対しています、私たちだってこれまで、数多くの敵を斃してきました。
戦いに綺麗事なんて通じませんし、手心を加えれば自分や大切な人たちが命を落とします。安全かつ確実に勝てる手段があるのなら、迷わずそれを選ぶべきでしょう。
けれどこんなのは、間違っています。敵とはいえ捕まえた相手を無理やり魔物に変えて、いいように操るなど、絶対に間違っています。
私は生命樹のしもべとして、一人の人間として、このような行いを許すことは到底できません。
「いと高き生命樹よ……」
跪き、遠く高く偉大なる存在に、祈りを捧げます。
激情のままに、しかし決して憎しみや恨みといった感情に囚われることなく、胸中で燃え盛る怒りを材料に……魂の内へ、光を灯しました。
「――〈
それは、本来なら大規模な儀式と莫大な魔力をもって、ようやく完成する秘奥。
いと高き生命樹のもたらす奇跡すべてをあまねく振るう、究極の白魔術。
必要な祈りは膨大な数に上ります、その全てを私自身の激情ただひとつで賄おうなんて、おこがましいことは考えません。
だって今この地には、助かりたいと願い生命樹へと手を伸ばす方々が、大勢いるのですから。
私は、彼らの思いを生命樹へ導くため、激情をもって道を切り拓けば良いのです。
だから、どうか。
「すごい……!」
「リット、キミ……!」
遠くから、アレクとキャロの賛嘆しつつも案じる声が聞こえます。
大丈夫、いつかのように自分ひとりで無茶をして、精霊と化したまま戻れなくなったりしませんよ。
この祈りは、皆さんのもの。私はそれを導くだけ。
「うぁう……」
「たす……かり、たい……」
「もど……って、いく……!」
祈りの波が、広がっていきます。
部屋の中の人たちだけではありません、集落の中でさまよっている人たちにも、あまねく加護を……いと高き場所よりもたらされる恵みを、配っていきます。
「ば、馬鹿な……こんなこと、できるわけがない……これでは、まるで」
いつの間にか〈封絶〉も〈侏儒変移〉も解けて、それどころか両目に埋まっていた魔石さえも消え去ったジョタが、呆然とつぶやきました。
必要な魔力が足りなかったので、彼の魔石を黙って使っちゃったのは、内緒です。
やがて潮が引くように祈りの力は消えて、あたりは静まり返りました。
部屋にあちこちで捕まった人たちは皆、肌の色も体の形も、真っ当な人間の姿を取り戻しています。
わっ、という歓声が外から聞こえてきました。集落でさまよっていた人たちも、元の姿に戻れたのでしょう。
「他の魔物も、いるはず、ですから……」
ぼーっとして頭がうまく働きませんが、そう伝えるだけで、アレクが元気よく応じてくれます。
「そいつらは、あたしに任せて! ほら、行くわよっ」
「なんで我輩までっ!?」
そしてジョタの首根っこを掴んで、外へと飛び出していきました。
埋め込まれた魔石がなくなっても、狡猾な魔術師であることに違いはないのですから、油断しないでほしいです。
「鍵は……」
「ボクがなんとかするよ。リットは、少しでも〈
鎖で繋がれた人たちのことは、キャロに任せましょうか。
彼女の言うとおり、いと高き生命樹に祈りを捧げ、遷祖還りの代価をあがなわなければなりません。
でも、いつかと違って負担はさほど感じません。自分ひとりで奇跡を成したわけではないですからね。
それでも、心地よい気怠さが全身を包み、眠りに落ちてしまいそうです。
寝る前に最近いつもそうするように、あの人のことを想います。
鋭い目を、精悍な顔立ちを、逞しい体を思い出します。
いつでも格好良くて、たまに意地悪で、時々すごく心配させて。
元気でいるでしょうか。また、無茶をしていないでしょうか……ううん、きっと、していますね。
あの人はいつだって、誰かのために体を張ることをいとわない、困った人だから。
無茶をしてもいいです。傷つかれるのは嫌だけれど、傷ついたって、私が必ず癒やしてあげます。
だから、早く帰ってきてくださいね。
私たちのところへ。
建物の内外から響く人々の歓声と、降り続く雨の音を聞きながら、私は生命樹へ祈りを――そして遠く離れた愛しい人に想いを、捧げました。
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