11-5 密林


 鬱蒼と生い茂る木々と下生え、けたたましく響き渡る虫や鳥や獣の声、べっとりとまとわりつく蒸し暑い空気。

 密林を進む私たちを阻むのは魔物ではなく、環境そのものでした。


「うう、さすがにきついです……」

「ぼやかない、ぼやかない! 目的地までもうすぐよ!」


 思わず不満をこぼしてしまう私を、アレクは明るく励ましてくれます。

 でも、小一時間前にも『もうすぐ』って言ってませんでしたっけ。


 キャロはしばらく前から無言になって、淀んだ視線を足下に落としたままです。

 いつも涼しげで綺麗な顔が珍しく、げんなりとした色に支配されていました。暑さに強い彼女ですが、起伏が激しく障害物の多い道を延々進むのはこたえるようです。


 私もそうですが全員、長袖のシャツと長ズボンに身を包んでいるため、いっそう蒸し暑く感じます。

 棘や毒を持つ植物、蚊や蛭を避けるためとはいえ、服の下は汗でべっとりです。下着までずぶ濡れなので、水浴びがしたくてたまりません。


 アレクと私は髪が長いから、よけいに大変です。

 アップにまとめて深くて鍔の広めな帽子を被っていますが、その下も蒸れていて、ひっきりなしに伝い落ちてくる汗が視界を妨げています。


 肌を守るのも暑さを避けるのも、魔術でどうにかできるのですが、今は使用を控えていました。

 なぜかといえば、この密林のどこかに魔王軍の秘密基地があるためです。魔力を感知されないよう、魔術を使わずに進んでいます。


 モイマイソレウムの街から南西へ馬車で三日、ロンドベジン王国との国境に横たわる密林地帯です。


 あの街の冒険者ギルドからもたらされた情報によると、砂漠の上空で大蛇が目撃されるようになったのと前後して、未知の魔物が出没するようになったとのこと。

 また、北東のレイブーダ王国の沿岸地帯でも同様に、魔物の活動が活発化しているそうです。


 ラングポートを含めた三国は、魔王軍の勢力範囲に接した、人類側戦力の最前線。軍や高位の冒険者はすでに手一杯で、調査にさく人手が足りません。

 そこで私たちはまず、手近なこの密林を調べることにしました。


 あの人がいない以上、できることは限られてしまいますが、手をこまねいていては被害が拡大してしまいます。

 未知の魔物はかろうじて残っている集落を襲い、住人をさらっているそうです。


 地元の狩人さんたちとアレクが魔物の痕跡を追った結果、密林の一角を切り開いて大きな建物が建造されているのを発見しました。

 どうやら基地を築いて戦力を集め、前線を浸食しようというのでしょう。


 いつも力押ししかしてこない、魔王軍らしからぬ作戦です、知略に長けた指揮官がいるのでしょうか。

 ともあれ敵の位置がわかった以上、さらわれた人たちを助けなければなりません。


 できるだけ気づかれないよう接近して、捕虜を救出したら、後ろからついてきてくれている狩人さんたちに託す。

 その後は、私たちは魔物を引きつけて大暴れする、という算段です。


 そこまでは、良いんですが……魔術の補助もなしに地道に向かうには、目的地が遠すぎでした。

 こう見えて私、精族アールブにしては頑健な方だと思っていましたが、偵察してきたアレクが体力お化けということを忘れていました。


 あの人なら、そのあたりにも配慮した道筋や移動方法を考えてくれると思いますが、今それを言っても仕方ないですね。

 キャロも、うつむいたまま地面についたステッキを頼りに、なんとか覚束ない足取りでついてきています。


 アレクだって私たちを気にかけていることは、間違いないんです。

 あの娘だけなら、もうとっくに目的地に辿り着いているでしょうに、私たちを待ってくれています。


 情けない気持ちが広がります、もっと強くなりたいです。


 * * *


 心が折れそうになること数度、宵闇迫る密林のただ中に広がる平地に、ようやく辿り着きました。

 まだ日が傾くほどの時間でないのにあたりが薄暗いのは、先刻から雨が降り始めたせいです。


 最初は汗だくの体に快かったのですが、服は水を吸って重くなり靴の中まで水浸しなため、今は不快感の方が強くなっています。

 ああ、お風呂に入りたい。でも、捕まっている人たちのことを思えば、挫けている場合じゃありませんね。


「だからってアレクもキャロも、脱がないでくださいっ」

「いや、こうなったらもう同じかな、って……」

「そうそう。リットも脱いだら?」


 二人は下着姿になっています、水着じゃないので透けています、はしたないです。

 アレクが持っている魔道具の鞄の中には着替えも入っているのですが、だんだんと雨足が強まっている今の状況では、あまり意味はないでしょう。


「これから突入するんでしょう? 肌を見せるのはイアンの前だけですっ」


 魔王軍の基地には魔族マステマや、捕まった人たちがいるはずです。

 たとえ魔力が底上げされるとわかっていても、あの人以外の男性には、見せたくありません。


「ま、それもそっか」

「キミの言うとおりだね、悪かったよ」


 あっさり納得し、二人ともズボンを履き直しましたが、上半身はそのままです。

 せめてシャツくらい羽織ってくれればいいのに、もうっ。


 気を取り直し、改めて目標を観察しました。木々を払って作られた空間は、縦横とも百数十歩分というところでしょうか。

 簡易的な柵に囲まれ、いくつかの小屋が建てられています。そして中央には、三階建てくらいの大きさの、直方形をした木造の館がありました。


 基地というより集落、という感じですね。

 ただし草むらに潜んで観察した限りでは、建物の合間を魔物が徘徊しているものの、人の姿は見えません。


 その魔物ですが、二足歩行ではあるもののだらりと下げた両手が地面につくほど長く、肌は小鬼ゴブリン同様に緑色をしています。

 防具なのでしょうか、頭部をはじめ胴部や手足を布で覆い革帯で締めていますが、拘束具のように見えなくもないです。


 覆っている部分が個体ごとにばらばらで、統一性がありません。

 目の部分に穴を空けた袋を被っているだけのものもいれば、全身を帯でがんじがらめにして、口すら猿轡にように塞いでいるものもいます。


 そうした魔物たちが屍人ゾンビのようにゆらゆら、意志を感じさせない動きでさまよっているのです。

 不死怪物アンデッド特有の不浄な気配を感じませんので、一応は生物であるのでしょうが……。


「まずは、捕虜の居場所を探り当てないとね」


 アレクが鋭い眼差しで集落と、徘徊する魔物をにらみながら、顎に手をやり思案しています。

 目つきやそういった仕草がいかにも歴戦の勇士っぽくて、かっこいいです。


「短時間で勝負を決めるつもりなら、魔術を解禁するところだけど」


 木の幹に体を預け腕を組んだキャロが、かすかに首をかしげながら提案しました。

 先ほどまで疲労困憊していた様子と違って、すっかりいつもの冷静で知的なお姉さんっぷりで、素敵です。


「そうね、相手が気づいても対処できない速度で動けばいいわ」


 密林の中を延々移動しているときであれば、魔術を使う何者かが接近している、と伝わるのは問題でした。

 迎え撃つ準備を整えられたり、捕虜を移動させられたり、逃げられたりするとまずいですものね。


 でも、相手の懐に飛び込んでからであれば、むしろいかに主導権を握るかという方が大切です。

 あの人じゃないんですから、どのみち相手に気づかれず捕虜を救出、だなんてできませんものね。


「あたしが囮になって、あの大きな建物に突っ込むのがいいかしら?」

「それだと敵の頭目と鉢合わせになったときに、対処が遅れる。リット、対人探査の呪文は、範囲を集落全体に広げられるかい?」

「ええ、それは可能です。でも、その後はどうするんですか?」


 頷いて肯定を示すと、キャロは考えをまとめるように、人差し指を唇につけたり離したりします。


「捕虜が分散しているようなら、指揮官を倒すことを優先しよう。逆に一カ所にまとまっているなら、救出が先決だ。どちらにせよ、他の魔物は相手にしないこと」

「倒して回った方が早くない?」

「ちょっと、気になることがあってね。確証がないから、はっきりしたら話すよ」


 なんでしょう、キャロにしては歯切れが悪いです。

 気にはなりますが、その彼女から目線で促されたので、私は指示された呪文の詠唱を開始しました。


「いと高き生命樹よ、その葉に浴する子らの息吹を数いたまえて、導きの木漏れ日を指し示しください、〈探人ディテクトパーソン〉」


 呪文の完成に合わせて脳裏に、水面へ滴が落ちるような心象が描かれ、あたりに魔力の波が広がっていきます。


 ──見つけました。生命樹の芽たる人の子が、集落の中心部の上層に十数人、皆さん同じ場所に集まっています。

 ただ集落のあちこちで、魔力の波が引っかかるような、妙な感覚も混ざりました。


「これ……ひょっとして……?」


 背中を怖気が走ります。引っかかりは、集落内を徘徊する魔物の位置です。

 本来であれば人間しか感知しない魔術が、かすかといえども魔物にも反応するという、その意味は。


「リット、今は目的を果たすことが、最優先だよ」

「……そうですね。アレク、建物の東側、二階のあたりです。そこに皆さん、集められています」

「了解!」


 言うが早いが、アレクは目にも留まらぬ速さで駆け出しました。〈探人〉の魔力波は、魔術師であれば必ず感づきます。

 すぐに対処してくるはずですから、それまでに捕虜の皆さんの安全を、確保しなければなりません。


 私とキャロも、アレクを追って走り始めました。

 向かう先で見ることになるだろう光景に、嫌な予感を抱えながら。

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