11-4 信頼
無事に砂漠を越えた私たちは、オアシスの街モイマイソレウムで宿を取り、今後の方針について話し合っていました。
「このまま一気にフォタンヘイブを目指すのは、ちょっと時期尚早と思うのよね」
絨毯の上に広げた地図を見ながら、腕を組んだアレクが難しい顔をしています。
この街の家屋は靴を脱いで、床に敷かれた色鮮やかな絨毯の上で過ごすのが普通です。椅子を使わない生活という意味では、藍之家と同じですね。
あの家と違うのは、机もなくて飲み物や食べ物を床に置くことでしょうか。
食卓代わりの絨毯を別に敷くのですが、手を伸ばしづらいし立ち座りのときに引っくり返しそうで、なんだか変な感じがします。
「各国の軍の足並みも揃っていないし、突出するのは避けたいね」
頷いたキャロはそう言ってから、手にした細長いカップを傾け珈琲を飲みました。
凄いです、あんな苦い飲み物を、なにも入れずに飲んでいます。私とアレクは、お砂糖と牛乳をたっぷり加えているのに。
そういえばあの人も、そのままの珈琲を美味しそうに飲んでいました。大人になると苦いものが好きになるんでしょうか?
でもキャロは、彼の真似をしているだけじゃないかと思います。カップに口をつけるたび、ちょっとだけ眉を寄せていますから。
「ただ、“
「あいつ、なんで一人でうろうろしてたのかしらね」
焼き菓子を口に放り込みながら、アレクは首をひねっています。
棗椰子の実の餡が入っていて、なかなか美味しいです。作り方を教わっておけば、あの人が喜んでくれるかもしれません。
「リットはどう思う?」
「え? ああ、はい。後で料理人の方を紹介してもらいましょう」
でも家族経営のお宿だそうですから、ご主人か奥様の手作りでしょうか。
「ん?」
「え?」
アレクがきょとん、としています。いつもは凜々しい彼女も、素の表情は年相応で愛らしいですね。
まあ、見た目が幼い私に言われても、嬉しくないでしょうけれど。
「……リット、疲れてるなら休んだ方がいいんじゃないかな?」
キャロが優しく言いながら手を伸ばし、頭を撫でてきました。もう、子供扱いしないでくださいよ。
たしかにちょっと、ぼーっとして、頭が働いていない気はしますけど。
この街に着いたときは大変でした。砂漠の上空で“褐削”が目撃された上に、キャロの〈
住民の皆さんは、避難や領兵の出動の準備など、大騒ぎだったんです。
街の顔役の一人でもある遊牧民の長老様が、『大蛇の魔物を勇者一行が退治してくれた』という情報を広めてくださり、モイマイソレウムの領主様から正式な布告が行われることで、どうにか混乱は収まりました。
その代わり今度は私たちが住民の皆様に取り囲まれて、詳細を問い質されたり感謝を伝えられたり、なぜだか拝まれたり贈り物をされたり。
別な意味で大騒ぎになってしまい、領兵の皆さんまで一緒になって取り囲んでくるので、ちょっと、だいぶ、怖かったです。
アレクとキャロ、ナジュラさんたち遊牧民の皆さんが守ってくれなければ、もみくちゃにされてどこかに運ばれてしまったかもしれません。
聖女の称号を得てからは、人々に頼られることが多くなりましたが、今日はいつにも増して激しかった気がします。
やっぱり、前線に面した地域で魔王軍の脅威に日々怯えている方々は、すがるものが欲しいのでしょうか。
いと高き生命樹の加護は万人に注がれていますが、全ての人が恩恵をじかに感じ取れるわけではありませんものね。
生命樹の一葉たる者として、皆さんお一人お一人に届くようお話をして、不安を解きほぐすべきだったのでしょう。
ともあれ正確な情報は領主様から伝える、ということになって、集まった方々には解散していただけました。
長老様がその後のことは請け負ってくださったので、私たちは宿に落ち着くことにしたのです。
領主様にご自分の館に泊まるよう勧めていただいたのですが、あの人から『自分がいない間はできるだけ権力者に近づかないように』と言われています。
そこで、遊牧民の皆さんの定宿に同泊させてもらいました。
街に着いたのはお昼過ぎだったのに、気がつけばもう夜です。
変わった味の夕食を取って、今こうして三人で部屋に落ち着いていますが、なんだかもう夢の中にいるような気さえしていました。
「ごめんなさい、大事な話なのに」
二人とも真面目なお話をしているのに、私ったら。
「仕方ないわよ、今日は大変だったもの」
「今日『も』だね。まったく、退屈しない毎日だよ」
アレクは同情するように、キャロはわざとおどけた風に、声をかけてくれます。
親友たちの気遣いに心が温かくなりますが、情けなくもあります。
もっと、強くなりたいです。
* * *
ご先祖様の跡を継いで勇者になる、そして世界を平和にする。
そんなアレクの志に惹かれて、私は彼女に同行することを決めました。
初めて会ったときから彼女は、ひたむきでまっすぐで、口にしたことを必ず実現する強さを持っていました。
そんな私の勇者様がつれてきたのが、あの人です。
精悍な顔立ちと鋭い目つき、背が高くて細身なのに筋肉質で、飢えた狼みたいな印象でした。
いつもなにか含むところがある話し方で、誰に対しても常に探るような視線を向けていて、とても怖かったです。
『ギルドに押しつけられたけど、難癖つけてすぐ追い出すから』
渋る私たちをそう説き伏せたアレクは、宣言どおりなにかと突っかかっていましたが、本気で追い出そうという感じではありませんでした。
あれは、そう。小さな子が好きな相手の気を引くため、意地悪や悪戯をするようなものだったと思います。
肝心のあの人にはちっとも伝わっていなくて、最初の頃は腫れ物に触れるような態度を取られていましたけれど。
当たり前ですよね、誰だって嫌なことをされたら、嫌な気分になりますもの。
なのに、あの人は怒るでも怯えるでもなく、面倒そうに対処するだけでした。
それでアレクがますます意地になっているのに、あの人はとぼけた調子でさらりとかわして。
そんな二人が微笑ましくて、私もあの人に対してあまり緊張しなくなりました。
怖い人だという先入観が薄れてくると、苛立ちを堪えるような話し方が、じつは慎重に言葉を選んでいるのだとわかります。疑わしげに見える視線は、相手の心情を慮っているためと気づきました。
じつはあの人は、とっても気遣い屋さんで、声に出さないけれど感情豊かな人だったんです。
そうなると今より打ち解けたいとか、もっと信頼してほしいとか、そういう欲が出てきます。
世間知らずで交渉事に疎くて家事も覚束なくて、そんな私たちの身の回りのお世話を全部してくれるあの人に、なにかを返したいとも思います。
お前たちは俺よりずっと強いんだから、それでいいじゃあないか。
あの人はそう言ってくれますけれど、そういうことじゃないんです。
戦いの場に、余計な考えを持ち込みたくはありません。
でもそれ以外の日常では、一緒に楽しいことをしたり、嬉しいことや哀しいことを分かち合いたいですし、怒ったらそれをちゃんとぶつけ合いたいんです。
だけどあの人は、いつでもどこか遠慮がちで。私たちのことを甘やかしてくれるけれど、自分は甘えちゃいけないと思っているようです。
私にアレクのようにまっすぐで、キャロのようにしなやかな、揺らぐことのない強さがあれば。
いつもいつも、なにかを我慢し続けていたあの人に、素直でいられる場所を作ってあげられるのでしょうか。
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