11-3 竜巻


 そりゃまあ十二天将なんて仰々しい肩書きを背負っているんだから、ただの魔物じゃないとは思っていたけどさ。


 視界いっぱいに広がる蛇の口から人の言葉が出てくるさまは、神秘的でさえあって、純朴な人なら神の使いと勘違いしそうだ。


“勇者ぁ……なぜここにいるぅ……”


 あたしはこいつの正体を知っているから、べつに拝んだりはしない。

 憎々しげな呻きになんと答えるか、少し考えた。でもそうね、なぜかと言えば。


「そこに悪があるからよっ!」


 どーん、と“褐削かっさく”に告げてやる。べつにあたしは正義の味方のつもりはないけれど、罪もない人たちを傷つける魔物がいるのなら、それを倒すことをためらいはしない。

 悪とはなんだ、とか小難しいことを考える気もない。


 魔王には魔王の事情があって、配下はそれに従っているだけなんだろう。でも多くの人が傷つき殺された、その事実は覆らない。

 ならこいつらは、あたしにとっての悪だ。


“たわけたぁ……ことをぉっ!”


 一方的に断罪されてイラッとしたのか、怒声を上げて巨大な蛇が降下してきた。

 よし、挑発成功。ほとんど同時に、あたしの背後から烈風が吹きつける。


「破滅よ天を裂きちよ、〈隕星メテオストライク〉!」


 魔術風に外套やスカートの裾を翻しながら、キャロが必殺の大魔術を放った。

 あたしに気を取られ、魔女の詠唱に気づかなかったのがあんたの敗因よ、ダァト。


“うおお……っ!?”


 轟音とともに落下してきた炎を上げる大岩が、翼を何枚か巻き込んで“褐削”の胴にぶち当たる。

 ひん曲がった蛇体の一部が地面に激突し、盛大に砂煙を上げた。


「我らか弱き者を邪悪からお隔てください、〈聖壁ホーリーウォール〉!」


 爆風と押し寄せた大量の砂と剥がれた鱗が、リットの張った障壁に弾かれる。

 遮られた質量が視界いっぱいに広がる様は、城壁かと思えるほどだ、さすがあたしの聖女様。


 ギィシェェアッ!


 そして痛々しげな咆哮を上げて、大蛇がこちらへ突っ込んでくる。

 古代竜エンシェントドラゴンをも越えようかってほどの大きさだ、下手すればあたしたちの立つ地面ごと、飲み込まれかねない。


 あたしは今度こそ駱駝の背を蹴ると地面に降り立ち、『吹き散らすものエクスティンギッシャ』に魔力を集中した。

 大剣の峰から光が吹き出し、翼のようだ。


 剣で太刀打ちできない大きさの相手なら、剣より広い範囲で斬ればいいっ!


 下に向けた切っ先から、魔王が連発してきたあの厄介な〈光穿フォトンピアース〉のように、魔力の光がまっすぐ伸びる。

 そいつを放出したまま、あたしは剣を振り上げた。


 光線はそれに合わせ下から上に、大蛇の顎から眉間までを切り裂いて、天を指す。

 いつもは斬撃を飛ばす形で用いる光を、ものすごく長い刀身を持った剣、あるいは振り回せる光線として使ってみたのだ。


 ダァトの巨体からすれば光線の太さなんて、人間だと髪の毛一本分くらいだろう。

 それでも頭を縦に切り裂かれれば、ひるまずにはいられない。


 ギュシィイアッ!


 開きかけていた口を思わず、といった感じでばくんと閉じると、そのまま空に向かって飛んでいく。

 なんだか、箪笥の角にうっかり足の小指をぶつけちゃったときみたいな悶え方だ。


 大きさが違いすぎるので、ゆったりとした速度にしか見えないが、実際はすごい勢いで上昇しているんだと思う。

 でも、いいのかしら。あたしたちから、あたしたちの誇る大賢者にして魔女から、目を離して。


「果ての空にて礫よ動け、礫よ旅して岩へと育て、育ちし岩よ星海を渡れ、渡りし星で破滅を孕め、破滅よ天を裂き隕ちよ」


 そら、もう一発……いいえ、二発。あんたにとっての『死』が、落ちてくるわよ。


「〈隕星〉っ!」

「いと高き生命樹よっ!」


 キャロの呪文の発動に合わせ、リットが障壁を張り直す。

 二枚目の壁は、あたしの眼前から遙か後方に向かって、斜めに形成された。


 世界から音が消える……違う、あまりに爆音が大きすぎて、空気を全て塗りつぶしてしまったんだ。

 障壁がなければ、あたしは音そのものに吹っ飛ばされて、鼓膜も粉々になっていたかもしれない。


 そして頭上で、二回の大爆発が起こる。

 キャロが〈妖異発現デーモントランス〉して、大魔術を同時に放つ、なんて神業を披露したのだ。


 人里近くではとてもじゃないけど使うことができない、相手が空中に巨体を晒す“褐削”じゃなきゃ使う意味さえない、広域破壊呪文の二重がけ。


 炎を纏った岩と大量の血肉が、地獄の雨みたいに降り注いで、斜めの障壁にがんがんぶち当たった。

 ここが広大な砂漠で良かった。大都市でも一瞬で蒸発させかねない爆熱と衝撃が吹き荒れている、周囲に何かあったら、どれだけ被害が出たかわかったもんじゃない。


 さて、ダァトはどうなったかな。

 四天王級の相手とすれば、これでも耐えきる可能性はあるけど……


「──っ! みんな、後退! 全速力で!」


 今なお空気を震わせる轟音をかき消すように、怒鳴った。

 リットとキャロより、むしろ駱駝が反応する。頭上で起こる脅威に固まっていた獣たちは、夢から覚めたように踵を返し、乗り手を無視して勢いよく逃げ出した。


 幸い聖女も魔女も振り落とされることなく、あたしは自分の駱駝と併走して走る。

 その背後で、浮遊のための力を失った大蛇が、ゆっくりと降下し始め。


 最後には障壁を押し潰し、大瀑布のように落ちてきた。

 さっきの一部分が地面に触れた程度のものとは、比べものにならない衝撃と震動が背後から襲いかかってくる。


 やっちゃった……〈隕石〉の衝撃を防ぐことばかり考えていて、“褐削”の巨体が落下した衝撃のことが頭から抜けていた。

 いや、いくらキャロでも、瞬殺しちゃうとは思わなかったし。


 たとえリットが防御の呪文を使ったとしても、地面ごとえぐり飛ばされるわね。

 あたしたちはともかく駱駝と、逃げている先にいるだろうナジュラが危ない。


 ええい、仕方ない。うまくいくかわからないけど、やるだけやってみるか。


 あたしは素早く『吹き散らすもの』鞘に納めると、代わりに聖剣を抜く。

 黒耀竜のときはこの剣の攻撃力が増加する速度を追い抜くことで、一撃の威力を極限まで高めた。今度はその逆をやる。


 集中しろ。できると信じろ。

 あたしは勇者アレクシア、こんなところで躓いたりしない。


 足を止めて背後に向き直る。轟音を上げ目の前に迫る、津波のような砂と岩と鱗と肉片と爆風。

 どれもこれも、あたしの大切なものを傷つけようとする


「はぁぁっ!」


 一瞬だけ障壁で押しとどめられたため、まとまってぶつかってくる塊に、聖剣で横ざまに斬りつける。

 砂地は踏ん張りがきかないけれど、サンダルで魔王とやり合ったときよりは、随分とましだ。


 色んなものが混ざった濁流に呑み込まれても、そのまま剣を振り回す。

 あたしが敵と定めたものを聖剣アイエス、『驍猛無尽イニグゾスタブル・スローター』もまた、敵と認識した。


 聖剣が光を帯びて周囲の物体を吹き飛ばし、わずかな空間ができる。

 それでもなおその場で回転しながら、かき混ぜるように回りの物を斬り続けた。


「ああああっ!」


 聖剣の光がすごい勢いで高まっていく。

 連撃、なんてものじゃない。振り回す限り、剣は『敵』を斬り続けるのだ。


 聖剣は攻撃が当たるたび、速度と強度を増していく。ならば『敵』に剣自体を突っ込んだ状態で、攻撃する意思を手放さなければ?

 その答えが今、あたしの腕の先で実現していた。


 巨竜に引っ張られていると錯覚するくらい、剣の勢いは増していく。放つ光は強くなり、当たるもの全てを回転運動に巻き込んで上空へ吹き飛ばしていく。

 もっと、もっとだ!


「がああああっっ!!」


 渾身の力で柄を握りしめ、振り回されるまま剣に意志と魔力を注ぎ込んだ。

 そして生まれる渦、いいえ、竜巻によって濁流は空中へと巻き上げられていく。


 生身の敵を斬るのとはまるで違う手応えだけれど、剣風の生み出した隅々にまで知覚が行き届く。

 あたしという竜巻は濁流を巻き込み吸い寄せて、後ろへ逸らさず、全てを前方へと吐き出していった。


 身に着けた装備のおかげか、勇者の称号の効果か、あるいは聖剣自体も使い手を守ってくれているのか。

 常軌を逸した速度の回転をしながらも、あたしは目を回さずに、聖剣を握りしめ続けられていた。


「……っっあっ!」


 そして周囲を覆い尽くしていた濁流の全てを、巻き取って吹き散らす。

 余韻でもう数回転してしまったが、そうして見回したまわりの風景は、巨大な渦状の跡を刻まれて平らになっていた。


 まるでキャロが大魔術を使ったみたいに、地形が変わってしまっている。

 聖剣がゆっくりと光を失うにつれ、あたしの力も抜けていった。立っていられず、くるくる回った最後には尻餅をついてしまう。


「……っぷうっ」


 おっぷ、さすがにちょっと気持ち悪い。

 どっちが前だか後ろだかわからないので、へたり込んだまま右に左にと首を巡らせると、斜め前から駱駝が走ってきた。


「アレクっ!」

「無事ですかっ!?」


 キャロとリットもその背に乗っていた。遠くから駆けてくるのは、ナジュラかな。

 あたしが乗っていた駱駝が一番に寄ってきて、頭を下げるとべろんと顔を舐めてきた。うへ、くちゃい。


「なにが起こったんだい? いきなり光る竜巻のようなものが現れて、押し寄せる砂を吹き飛ばしてしまったけれど」


 やや遅れた駱駝二頭の一方から、キャロが話しかけてくる。

 鞍から降りないのは、したくてもできないからだ。魔術がないと基本、鈍くさいもんね、この娘。


 リットの方は、よじよじ必死に降りようとしたところを、駱駝の方が気を利かせてしゃがんでくれていた。


「びっくりしました。その竜巻がなにもかも呑み込んで、吹き飛ばしちゃったから」


 あー。後ろから見ると、そんな感じだったのか。

 あたしは頭の中で必死に色々考えていたけど、二人にとっては、ほんの一瞬の出来事だったらしい。


 その一瞬の間に考えたこと、実行したことを伝えたら、魔女も聖女も呆然とした顔で絶句していた。

 なによ、そんな驚くことじゃないでしょ?


 ……どうだろう。なんかイケる! と思ったから勢いでやっちゃったけど、やっぱり、無茶苦茶だったかな。


 あいつがこんな思いつきを聞いたら、鼻で笑ったでしょうね。

 でも基本的にあたしたちを尊重してくれるし、可能かどうか試すための時間は稼いでくれるかしら。


 そうしてやり遂げたあたしに対して、びっくりしながらも褒めてくれるんだ。

 口調は素っ気ないけれど、自分のことのように誇らしげに、そしてちょっぴり憧れを含んだ目つきで。


 そんなときは腰の後ろから、ゆっくりと揺れる尻尾が見え隠れする。

 あいつは気づいていないようだけど、知ってるんだから。


 ああ、会いたいなあ。


 あたしだけじゃない、リットもキャロも凄かったんだよ。そう報告して、あいつを喜ばせたい。

 あんたが好きになった女の子は、あんたを好きになった女の子は、凄いんだよ。それを知ってもらいたかった。


「あー……おなかすいた!」


 全開で全力を使い切ったせいか、無意識にそんな言葉が口をつく。

 惚れた男を思って出てくる言葉がコレって、乙女としてどうなんだ、あたし。


 ごまかすように、雲ひとつない真っ青な空を見上げる。

 遮ることのない陽射しが肌を焼く感覚も、今はなんだか心地よかった。

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