11-2 砂漠


 照りつける猛烈な陽射しに、息をするだけで肺が火傷しそうな熱気。

 行く手に広がるのは砂、砂、砂だ。


 あたしたちは駱駝に揺られ、現地の遊牧民たちと砂漠を移動していた。

 砂避けに頭に布を巻き、外套を羽織ってはいるが、その下はいつもの格好だ。


 遊牧民たちはみんな、陽射しは遮りつつ風通しのいい格好をしている。

 女の人はお婆さんから赤ん坊まで各年代がいるけれど、男は老人か子どもばかり。若者は皆、兵士として前線に出ているそうで、おかげで絡まれずに助かっていた。


「アレク、リット、大丈夫かい?」


 日除けの頭巾つき外套に体を被ったキャロが、心配げに問いかけてくる。

 体力はないけど暑さには強いのよね、この娘。妖族イブリスが元々砂漠の種族だ、っていうのもあるんだろけど。


「あたしは平気。リットは?」

「……だいじょうぶではないです……」


 白いゆったりした服で全身を覆い、目元だけ露出させたリットは、げんなりした声だ。暑さもそうだけれど、駱駝の揺れにも参っちゃっているみたい。

 ぺたんと伏せた彼女を、乗っている駱駝が気遣わしげに首を巡らせ窺っている。


 あたしたちは結局、ラングポート首長国の砂漠を越えることを選んだ。

 気楽で安全な道筋にはどうしても魔王の影がちらつく、正面対決は望むところだけど、誰かを巻き込むわけにはいかない。


 この国の北西部は、魔王軍の支配地域に接している。

 砂漠を抜ければ戦いの連続になるだろうし、今は無用の騒動を避けたかった。


 ……まあ国境を越えるときも、砂漠の玄関口になる町でも、騒動はあったんだけどさ。なんで世の中はこう、わからず屋ばっかりなんだ。

 あいつがいれば大体の物事が円滑に進むので、つい忘れてしまいがちだけれど。


 ともかく下手に大きな街に立ち寄るより、砂漠越えで前線の街まで向かい、そこで改めて方針を決めようって話になった。

 あたしたちが負けたせいで人類側の勢いが落ちているというなら、健在をアピールしておかないとね。


「勇者殿、よろしいか」


 集団の先頭近くにいたはずのお爺さん、この一族の長老がいつの間にか下がってきていて、駱駝を寄せてきた。

 息子さんは部族の長として戦争に出ているとかで、今はこの人が暫定リーダーというわけだ。


「予定していた道が使えなくなった、遠回りをするので、到着が一日遅れる」

「うーん、まあかまわないけど……」


 この人たちの案内がなければ砂漠を渡るのは不可能だ、指示には従う、でもリットの体力が心配ね。


 そういえば通信用の魔道具に今朝、あいつからの着信があったので折り返してみたのに、出なかった。

 向こうはそろそろ、エンパシエ巫長国についた頃だから、その報告だったのかな?


 あたしもだけど、リットが寂しそうにしていたから、この砂漠を抜けたらまたかけてみましょう。

 いい報告が聞ければいいんだけど……巫女姫がね。あの娘、あいつに向ける顔とかが、なーんか怪しいのよねぇ。


「なにか不足の事態でもあったのかい?」

「砂虫が出た。それも、とびきりでかい」


 関係ないことに思いをはせている間に、キャロの問いかけを受けた長老が、しかめっ面で答えている。

 砂虫ってなんだっけ?


蠕竜ワームの一種だよ。砂を潜って移動するんで、文字通り砂蠕竜サンドワームとも呼ばれるね」


 賢い魔女が、そつなく解説してくれる。蠕竜ってあれか、ミミズの親玉みたいな気色悪い魔物。

 昔、洞窟に巣食った土蠕竜アースワームを退治したことがあったなあ。


 この砂漠には昔から砂虫が住み着いていていて、主要な交易路はその生息域を避けて作られているそうだ。

 なのに、想定外の位置に砂虫が現れた。


「魔王軍の連れている魔物のせいではないか、と斥候は言っている」


 なるほど、外来の魔物が生息圏を拡大させた結果、土着の魔物が追い立てられた……ってわけね。


「でも、亜種といっても、竜の一種でしょう? いくら魔王軍が強大でも、住処から逃げ出すなんてこと、ありますか?」


 くたびれた布みたいに駱駝の瘤の上に突っ伏しているリットが、それでもどうにか顔を上げて疑問を投げかけた。真面目だなあ、可愛い。

 言われた長老は白い顎髭を撫でて、なにかを思い出すように目を細める。


「最近、北の空に雲のように大きな蛇がいる、という噂が流れていた。あるいは、そいつかも知れん」


 巨大な蛇、か。グロートリヴィエでいいようにやられたとき、真っ先に現れたやつを思い出すな。


 敵の注意を引くようにうろうろしている以上、また十二天将とやり合うことも、あるでしょう。

 それを考えれば蠕竜ごときに負けていられるか、という気にもなるわね。


「道を変えるにしても、ちょっと待つくらいの時間はある?」

「どのみち休息は必要だ、改めて斥候を出し直す必要もある……どうなされる気か?」

「その砂虫とやら、あたしたちで退治してやるわ!」


 長老はぽかんと口を開き、キャロはわかっていたけどね、という風に首を振った。


 リットはといえば、ずりずりと這うようにして、駱駝の上で姿勢を直している。

 顔は見えないけれど、急いで移動するための体勢を取ろうとしているんじゃないかな、多分。


 * * *


 案内役を買って出てくれた、ナジュラという背の高い女の人を先頭に、あたしたちは駱駝を走らせる。


 馬と違って上下動は少ないけれど、そのぶん前後に大きく揺れるから、変な感じ。

 使い魔を飛ばし先行させていたキャロが、青い顔をして口元を押さえた。


「駄目、これ、酔う……!」


 視界を外に預けているのに体は慣れない動きに晒され、気分が悪くなったみたい。

 無理はしなくていいわ、どのみちあたしの耳はもう、砂中を蠢く大きな物の存在を捉えている。


「止まって! ナジュラ、ここででいいわ」

「しかし、勇者殿」


 ついて来たそうでナジュラは真剣な顔をしているが、そうもいかなかった。

 砂漠の民は勇猛というけれど、あいつみたいに隠し技や奥の手を何個も抱えているわけじゃないんだ、無理はしてほしくない。


「ここで見届け役をお願い。噂の空飛ぶ蛇とやらが出たら、全速力で逃げるのよ?」


 そう伝えて、遠眼鏡を渡す。

 我が家に伝わるひい爺さん由来の品じゃないから、倍率は高くないけれど、ここから戦場の様子をうかがう分には充分だろう。


 砂中の気配は、三百歩分ほど向こうか。

 後衛職の二人には距離を空けてついてくるよう伝え、あたしは駱駝を走らせる。


 気性は荒いけど勘の鋭い子だ、前方に大きな危険が潜んでいることは感づいているだろうに、アタシの引く手綱に従って歩調を変えず駆けてくれる。

 いい子ね、勇敢よ。


 やがて前方の砂地が大きく震え、間欠泉のように砂が噴き出した。

 またたく間に王城の尖塔にも匹敵するほどの高さまで達し、その中から赤黒いミミズが姿を現す。


「でっか」


 黒耀竜に比べれば小さいけれど、こいつも相当のものね。

 砂に潜っている分を考えれば、全長だけなら古代竜エンシェントドラゴンを越えるかもしれない。


 こっちに向かって首――首なのかな? まあ、先端の方だ――をもたげて、小屋くらいならひと呑みにしちゃいそうな口を開く。

 円形の腔内にはでたらめに牙が生え、砂と涎が混ざり合った気色の悪い粘液をしたたらせていた。


「〈炎嵐フレイミングストーム〉!」


 砂柱が上がったときから詠唱を始めていたんだろう、挨拶代わりとばかりにキャロの呪文が炸裂する。

 炎が砂蠕竜の開いた口の中で渦巻いて、長い長い体を仰け反らせた。


 タイミングばっちりね、ここは一気に攻めるか。『吹き散らすものエクスティンギッシャ』を抜いて、魔力を――


「アレク!」


 駱駝の上で立ち上がりかけたあたしは、リットの警告に従って足を開きどすんと鞍の上に腰を落とすと、手綱を引っ掴んだ。

 ぐひっ、とか変な鳴き声を漏らしつつ駱駝は方向転換する。


 さっきまであたしたちが向かおうとしていた先に、影が差した。

 焦げた表皮を振り回していた砂蠕竜が、急降下してきた巨大な穴、裂けるほど開かれた蛇の口に呑み込まれる。


 なんて光景なの。

 砂虫の体の大半を呑み込んだ巨大な蛇は、地面に激突する寸前に反転、胴体をぶちりと食いちぎりながら空中へと翔け戻る。


 ギシャアアアッ!


 その背に何枚もの翼を広げて空を這う、一枚一枚が盾のように大きな褐色の鱗を持った、巨大な蛇。

 十二天将最大の体躯を有す魔物、“褐削かっさく”のダァトがそこにいた。


 前に現れたときは転移直後からどんどん大きくなっていったけれど、今はもういきなり最大サイズなのかな。

 泳ぐようにぐねぐねとくねらせている長い体は、さながら褐色の大河が空中に出現したようだ。


 いやあ……無理でしょ、あれ。

 剣でどうこうできる大きさじゃないわ。


「キャロ、〈隕星メテオストライク〉の連発でいける?」


 駱駝を寄せてきたキャロに聞いてみると、一周回って楽しくなってきた感じで、彼女はうなずいた。


「幸い周囲は砂漠だしね、撃ち放題かな」

「障壁を二重がけすれば耐えきれると思います、キャロ、やっちゃってください」


 同じく追いついてきたリットも、頼もしく防御面の保証をしてくれる。

 ただ、あんまりぼかすか〈隕石〉を落とすと、後方に残してきたナジュラや、遠くで待機してくれている遊牧民たちが心配ね。


 リットには大きめの障壁を張ってもらうのがいいかな。

 キャロが詠唱している間に向こうが突っ込んできたら、最大火力で『吹き散らすもの』をぶっ放して牽制するか。


 方針が決まって二人が詠唱を開始しようとした、そのとき。


“ゆう……しぁ……”


 空から、大岩同士のこすれるような音が降ってきた。

 不思議に思って見上げると、こちらに顔を向けた大蛇の口が、咆吼とは違うものを吐いている。


“勇者ぁ……”


 うわ、なに。喋りかけてきたわよ。

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