第四部
10 とにかく痛いのは嫌だった
10-1 吹雪
ごうごうと音を立てて冷たい風が吹く。
肉を切り刻むような冷気。体に当たる雪の方が、むしろ空気を遮り暖かいほどだ。
かといってそれがありがたいというわけでもなく、まだ日中だというのに視界を白く覆って、進むべき方向をわからなくしてくる。
防水加工をした外套の下に毛皮の上着をまとい、魔道具の懐炉を懐に呑んでいるというのに、全身を襲う寒気はまったくといってよいほど和らがなかった。
ひたすら前進しているが、動き続けなければすぐに凍死しかねない。
足を覆っているのが、装着部位の温度を一定に保つ氷河の
ほんの数日前には常夏の浜辺で水着の美少女たちに囲まれてたってのに、今は吹雪の中で凍えながら、孤独な道行きを踏みしめている。この落差たるや。
さんざん迷った挙げ句に獣から戻れませんでした、なんて終わり方はごめんだ。
とはいえ視界の効かないまま強行して崖や川に落ちても嫌だし、この吹雪が収まるまでは、野営すべきか。
平坦な雪原のようだが、竪穴を掘って上に天幕を張れば、雪は凌げるだろう。
呪文を詠唱しようと口元を覆っていた布をずらすが、ずっと奥歯を噛みしめていたせいか口の皮同士が張りついてやがる。
舌を少しずつ押し出し、肺の奥から呼気を吐き出して慎重に唇を剥がした。
「
目の前の地面に意識を集中、頭の中で構造を思い描く。俺自身が身を屈めればすっぽり収まるくらいの範囲に魔力の走査線を走らせ、形状を変化させた。
そうして雪原の下から、不格好な人型をした雪像が現れる。
本来は土から自在に操れる人工精霊を生み出す呪文だが、別に雪からだって造ることはできる。ただ、強度や安定性を欠くだけだ。
べつに敵にけしかけるわけでなし、今はこれでいい。
雪像を、自身が這い出すことで生まれた穴の風上に移動させ、〈
そのまま〈造傀〉を解除すれば、屈んだ姿勢のまま動きを止める。
珍奇な置物と化した雪像の足下に潜り込み、雪風に煽られる防水布を引っ張って、穴の反対側に向けて張る。
そして端を折り返して内側に雪を盛り、空気穴を除いて固定した。
「
さらに、内部の壁面や床に当たる部分を魔術で固める。
これも本来は防具や建造物の強度を増すためのものであるが、今は雪面に体温を奪われないようにするのが最優先だ。防水布を〈宝箱〉からもう一枚取り出して、背を預ける壁の一面と床に敷く。
ふう、やっと一息ついた。
狭い穴の中で体に積もった雪を払い、ついでに床の端に冷気や水分が流れ落ちる溝を掘っておく。吹雪がいつ収まるかわからないんだ、少しでも快適性を上げておかないと。
天井代わりの布は傾斜をつけてあるし、雪像の陰にもなっているから、多少の積雪には耐えられるだろう。
むしろそこまで雪が積もるなら、こんな簡単な露営じゃなく、本格的な雪洞を掘らなきゃならない。
そうならないことを祈りつつ、俺は荷物から小ぶりの薬缶と、そして携帯コンロを取り出した。
こいつは初代勇者が構造を伝えた魔道具で、要は持ち運びができる竈である。
寸詰まりの鉄瓶を虫の足のように鉄の五徳が囲んでおり、回路を起動させると瓶の中に仕込んまれた燃料が着火する。
異世界からもたらされ技術の恩恵に感謝しながら、壁面の雪を削って薬缶に詰め、コンロにかけた。
周囲は全て雪面だ、いくら火を炊いても気温が上がったりはしない。
それより腹の中を暖めないとな。
湯が沸くまで、体を小刻みに震わせて体温を維持することに努めながら、俺はここまでの行程を思い出していた。
* * *
アレクシアたちと別れた俺は馬を駆り、クラハトゥ王国の王都ホーフドスタッドへと逆戻りした。
昨日の今日で申し訳ないと思いつつ、魔術師ギルド総帥ネスケンス師と面会し、転移の魔道具を使わせてもらう段取りを整える。
勇者家の御用商人ボニージャや、ハンネス第一王子の派閥に頼ることも考えた。
だが、そのへんの面々はあくまで勇者アレクシアの後援者であって、従者である俺の個人的な移動の面倒までは見てくれまい。
一応、冒険者ギルドの
大陸全土の七ツ星冒険者には、やつの異能の情報を共有しておいてもらいたい。来たるべき魔王軍との決戦で切り札になり得る実力者たちが、遭遇戦で即死されちゃ、お話にならないからな。
王都への到着が遅い時間だったため、転移の魔道具の起動まで、結構な待ち時間が発生した。
定宿の『角持つ黒馬亭』で一泊しつつ、王都を離れていた時期のことを聞いてみたが、俺たちに絡んできた“
やつの配下である『
さすがに無罪放免とはいかないだろうが、冒険者なら実力をもって借りを返してほしいものである。
随分と久しぶりな気がする一人寝の後、朝方の部屋で日課の訓練をこなし、一汗かいた後で冒険者ギルドに向かった。雪山に登る装備を揃えるためだ。
目的地のエンパシエ巫長国は、国土自体は北方といえど、初夏を迎えようとする今の時期なら過ごしやすい気温のはず。しかしあの国の頂点たる巫女姫と、彼女に仕える者たちは、年中氷で覆われた険しい山の中腹に住んでいる。
アレクシアたちと彼の地を訪れたときも、随分と苦労させられた。
マルグリットが常に障壁を展開し続け、キャロラインが各種の補助呪文を駆使して、ようやく到着できたくらいだ。
そこに一人で向かわなければならないのだから、気が重かった。
勇者一行が王都を離れていることは知れ渡っているため、外套の頭巾をかぶって顔を隠していれば、特に注目を浴びることもない。
おかげでギルドに入っても特に注目を受けることなく、必要な装備を整えられた。
「よう、
と思ったら目ざといのが俺に気づいて、話しかけてくる。
「悪いがお前と遊んでる暇はないんでな、また今度にしてくれ」
「つれねぇこと言うなよ、星が増えたんだってなぁ? お祝いさせてくれよ」
ちっ、面倒臭ぇ。
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