9-10 別離


「……いつから気づいていた?」


 俺の腕の中で身を起こすキャロラインと、傍らで半透明から実体を取り戻していくマルグリット。

 二人を気遣いながら、悔しそうに顔をしかめているアレクシアに尋ねる。


「確信を持ったのは胴をぶった斬ったときだけど、最初からなんとなくは、ね」


 彼女は水着の合間で晒されている、少女らしい丸みと柔らかさを帯びながらも引き締まった腹に、手を当てた。


「お腹の底の方で、『あいつじゃない』って感じがしてたの。本当に本当の魔王だとしたら、あたしにはきっと、それがわかるんだ」


 勇者の称号の効果だろうか。思えばアレクシアだけは、少年魔王ツバサに初めて相対したときから、怯んでいなかった。

 俺はともかく、冷静沈着なキャロラインでさえ取り乱していたというのに動揺せず、ただ敵の出方を窺っていたのである。


 だからこそ初手で、正体不明の致死の視線から俺を守れたのだろうか。


「本物はあれより強い、ってことか……」

「どうかな。おそらく〈憑依ポゼッション〉あたりを使っているはずだから、魔術の技量は変わらないはずだよ」


 立ち上がった魔女が、まだ覚束ない足取りで歩き出し、なにかを探すように足下に顔を向ける。おい、まずはシャツの前を留めろ。

 だが注意をするより前に目当ての物を見つけたか、こちらに尻を突き出すように足下に手を伸ばすと、なにかを拾い上げた。


「キャロ、はしたないです」

「あはは」


 あはは、じゃないよ。こいつ実は、ただの露出狂なんじゃなかろうか。

 そんな疑いを気にした風もなく彼女は、拾った物をこちらへ投げて寄越した。


 受け取って手を開くと、小指の先ほどの赤黒い石だ。

 ざくろ石のようにも見えるが、かすかな魔力の残滓を感じる。


「こりゃ、魔力を失った魔石……まさか」

「そのまさか、さ。多分そいつが、魔王の使い魔の核だ」


 使い魔とひと口にいっても異次元から呼び出した魔物であったり、既存の生物を魔物化させたものであったりと、実態は様々だ。

 中にはそもそも魔力から生み出した人工生物や、金魔術師アルケミスト限定ながら一から組み上げた魔道兵ゴーレムを、使い魔にする者もいる。


 いずれにせよ強力な存在ほど内在魔力は増し、それだけの力を有していたなら、この盆地に張られた結界が反応しないはずはない。


「推測だけど、魔石に術式を仕込んで、鳥かなにかに飲ませて進入させたんじゃないかな。おそらく、ボクらがここを訪れる前に」

「えっと、どういうこと?」


 アレクシアは首を捻るが、俺にはわかった。魔王のやつは、俺たちを狙ってこっそり結界を抜けたんじゃあない。

 俺たちが立ち寄りそうな場所に、あらかじめ使い魔を生み出す魔石を放り込んでいた、ってことだ。


「つまりこの先、どこに行っても、あいつが現れる可能性がある」

「そんな!」


 俺の推測に、マルグリットが悲痛な声を上げた。彼女らだけなら魔王に対抗できる、しかし他の人間はそうもいかない。

 たとえば皇都のど真ん中で、教皇や生命樹教会の重鎮たちが集まっていたなら。あるいは連合軍が結集し、各国の首脳陣が揃う場であったなら。


 まずいな、それこそやりたい放題じゃないか。送り込んだ魔石から使い魔を生み出し、そこに精神を乗せるなんてとんでもないこと、キャロラインにだってできない。

 あいつ、本当に魔術師としては次元が違うんだな。


「まあ、今までその手で攻めてこなかったからには、なにか条件はあるはずさ」


 たしかに彼女の言うとおりだ。

 同じことがいつでもできたなら、各国の王族は今ごろ全員、仲良く墓の下のはず。


 だがこの盆地に張られた結界は、もともとの仕組みを賢魔女メイガスと聖女という、人類側の最高峰たる使い手の力で拡張したもの。

 それこそ、各国の首都に施された各種の防護手段を上回る代物である。


 その結界を突破し、遠隔で魔王の思念を伝えられるとしたなら……


「逆だ」


 背筋を、寒いものが走った。


「逆?」

「やつからすれば、侵略戦争で自分が出張る必要はないんだ。だから今まで姿を見せなかったし、わざわざ人間の国に使い魔を寄越したりもしなかった」


 眉をひそめる勇者の顔を、慄然とした思いで見つめる。

 あいつ自身が言っていたじゃあないか、勇者が自分を倒せるのか確かめにきた、と。


「魔王は勇者の前に立ちはだかるため現れる。勇者は魔王を倒すために生まれる」

「……あの娘の言葉ね」


 エンパシエ巫長国の姫巫女のことだ。そういえば黒耀竜に挑もうかってときにも、あの娘のことを思い出したな。

 キャロラインが、難しい顔で腕を組む。


「つまり、なんだ。魔王が現れるのは勇者の前だけだって、イアンは言いたいのかい?」

「少なくとも、あのでたらめな使い魔は、そうなんじゃないか」


 恐るべき異能を本人と同様に振るい、無限かと思えるほどの魔力を持ち、魔王自身に向けられた異形の視線を一身に浴びる存在。

 そんなものが小さな魔石ひとつで生み出せるとしたら、なにか通常の魔術とは異なる仕掛けがあるはずだ。


 だとすると、このまま予定どおりにウェイセイド皇国へ向かうのはまずいな。

 神器の継承者を賑々しく宣伝すべき場に、魔王のやつが現れたら、どれだけの混乱が起こることか。教皇に即死の異能を使われたりしたら、洒落にならない。


「……」

「?」


 マルグリットの愛らしい顔に目をやると、生真面目な表情ながらも、不思議そうに視線を返してくる。可愛い。

 生命樹教会を納得させるためといっても、聖女だけ別行動というのもな。


 彼女なしで魔王とやり合うのは不可能だろう、俺やキャロラインではあいつの攻撃に対抗できない。

 いや、それを言ったら俺という存在自体が……。


「イアン?」


 黙り込む俺を、少女たちが見つめてくる。

 代表するように声をかけてきたアレクシアに、俺は意を決して伝えた。


「俺をパーティから追放してくれないか?」


 * * *


 翌日はちょっと強行軍となった。


 ヘレネーナたちをベヘンディヘイド王国の首都へ送った後は、十二天将にやられた苦い思い出のあるグロートリヴィエに移動、ネスケンス師とはそこで別れる。

 火巨人ファイアジャイアント騒動の爪痕もまだ真新しいカントストランドの街で、勇者家伝来の馬車を回収した。


 あまり〈境門イセリアルゲート〉を連発すると、キャロラインの魔力が底を突く。

 襲撃を警戒しなければならないので、その日の移動はいったん終了だ。


 ヘレネーナからはしつこく同行を求められたが、彼女らには彼女らのやるべきことがある。これ以上は、つき合わせられなかった。

 ネスケンス師に事情を説明したところ『ま、がんばんな』としか言われなかったものの、硬い表情から発された声は、ひどく憂わしげな色をしていた。なんだかんだで心配性だよな、あの人。


 藍之家に帰宅できたのは、夕刻になってからだった。

 道中で仕入れた食材と、犬人コボルトたち謹製の野菜を用いて、豪勢な晩飯を作る。


 賑やかだがどこか寂しい晩餐を終えたら、皆で露天風呂に入って、肌を重ね合った。


「えっ、ちょ、そんなことするのか!?」

「まあまあ、たまにはいいじゃない」


「おいこら、それは無茶だろう」

「大丈夫です、ええ、大丈夫ですとも」


「待て、それは許してくれ……」

「天井の染みでも数えてたらすぐ終わるよ」


 なんてやりとりがあったわけだが、夜が明ける前には三人とも返り討ちにしてやった。

 大人を舐めるなよ小娘ども、ふはは。


 ぐったりした少女たちを寝床に残し、朝風呂を浴びると着替えを済ます。

 一日分の食事を作って、装備を調えていたら、俺に割り当てられた部屋にアレクシアが顔を見せた。


 髪は乱れ浴衣がはだけていたが、そのしどけない姿がなんとも艶っぽい。


「……もう行くの?」

「ぐずぐずしている時間が、もったいないからな」

「そう」


 武装を確認、後は玄関に置かれた氷河の足鎧サバトンを履くだけ……おっと、大事な物を忘れるところだった。

 昨夜キャロラインが用意してくれた〈境門〉の呪紋石を、忘れずに〈宝箱アイテムボックス〉に収納する。


「なるべく早く、合流する。ちゃんと飯を食って身なりに気を使え、あと無用の喧嘩はすんなよ」

「母親か」


 母親はしねえよ、と思いつつ勇者に歩み寄り、見上げてくる彼女と口づけを交わす。

 これから追放される支援職と、パーティリーダーとの間でするやりとりじゃないのも確かだった。


 実際のところ追放といっても体裁だけで、一時的に別行動を取るだけなんだが。


 現状のまま魔王に対抗するのは難しく、俺が明らかに足手まといになっている。

 やつの異能を防ぐ手立てか、せめて有効な打撃を与える方法を見つけないと、いたずらに死体を増やし彼女らを動揺させるだけだ。


 手がかりはある。やつの言葉と、かつて聞いた伝承。

 エンパシエ巫長国の姫巫女ならば、なにかわかるはず。


 とはいえ全員で赴いて、魔王が現れたら目も当てられない。そのため俺だけで、かの地へと向かうことになった。

 アレクシアが妙に嫌がっていたが、あとの二人に説得されて折れた形だ。


「……なんだ、まだぐずってるのか」

「言い方」


 不満げに唇を尖らせる勇者の頭を撫でて、笑いかける。


「なんか土産を買ってくるから、機嫌直せ」

「父親か」


 父親もしねえよ、多分。

 そのまま外に出て、厩舎に繋いでおいた馬を引き出していると、マルグリットとキャロラインもやってきた。


 また魔術で無理やり覚醒したのか、二人ともアレクシアよりは、しゃきっとした顔をしている。


「行ってくるよ。必ず追いつくから、待っていてくれ」

「約束ですよ?」

「ふ、随分と自信をつけたね」


 そうだな、初めて追放を願い出たときには、自信なんて欠片もなかった。

 惨めな自分に信用が置けなくて、逃げ出すために追放を願い出た。


 でも今は違う。

 クビにされて出て行くわけじやない、俺がこいつらを守るために、少しのあいだ離れるだけだ。


 二人とも口づけを交わして、俺は馬にまたがる。


「必ず、なにか掴んできなさい! あんたは、あたしたちに、絶対に必要な存在なんだからっ!!」


 挑むような口振りで叫ぶ勇者に、目を潤ませ見上げてくる聖女に、いつもどおり笑ってくれる魔女に。


 しばしの別れと手を振って、俺は馬を走らせた。後ろは、振り返らない。


 行く手には、朝露に濡れた草原が広がっていた。





                (終)





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あとがき



 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


 90話は当初前半部分、主人公が追放を願い出るところで終了するつもりだったのですが、なぜかヒロイン連中が暴走して「一時別行動するだけだぞ」と念を押す終わり方になりました。なぜこうなったんだろう……勇者おそるべし。


 いよいよこの物語も、クライマックスに向かって進み出します。

 第四部は枠を拡大して4章構成、第13章。ちょうどテレビアニメの1クール分で、この物語は完結予定です。


 ただ、まだまだ書き溜めが足りません。

 これまでも章の合間ごとに更新をお休みさせていただいておりましたが、今回は少し長めに、1週間ほどお休みさせてください。

 毎日更新で楽しんでいただいた方には申し訳ありませんが、終盤の完成度を上げることでお返しできれば、と思っています。


 第四部の開始は10/23(金)の予定です。

 その後はノンストップで完結まで突き進みますので、お待ちいただければ幸いです。


 それでは、最終話までよろしくお願いいたします。



ドモン ヒロユキ 拝

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