9-9 犠牲


 上半身と下半身、少年魔王ツバサの体は真っぷたつに分断されて、地面に落ちた。

 青黒い血が広がって下草を濡らし、その中心で天を仰ぐ顔が、苦しげに歪む。


 腐っても魔王だ、あれで即死しないのか。


 俺の背に小さな手が触れたかと思うと、急に世界が音を取り戻した。

 先ほどまで完全に無音だったため、かすかな波の音や虫の声まで全周囲から一気に飛び込んできて、耳が痛いくらいだ。


 振り返ると背後でマルグリットが微笑んでいる、〈除呪リムーブカース〉で〈失聴デフネス〉を解除してくれたのか。

 少女の愛らしい顔に笑みを返しつつ、警戒は完全に解かない。死に際の魔王が、なにか悪巧みをする可能性はあるからな。


「……あんた、なにがしたかったの?」


 油断なく双剣を構えたまま、アレクシアが倒れた少年に問いかける。

 かふっ、と血の塊を吐いた後、問われた魔王は口の端を歪めて見せた。


「なに、とは抽象的な……この大陸を侵略した理由か? ここへ来た方法か? それともわざわざ単身でこの場に現れたわけか?」

「どれも気になるけど、今は最後のやつね。配下の一人ふたりつれてくれば、こんな結末にはならなかったでしょうに」


 たしかにな。十二天将の前衛後衛がそろっていただけで、戦況は大きく変わっていたはずだ。

 よほど自分の異能に自信があったのか、それとも盆地に張られた結界を、感知されず突破できたのがこいつだけだったのか。


「あいつらは、オレに断りもなく全員でノコノコ出撃して、なんの成果もなく戻ってきやがったからな。どうも勇者を仕留めるにゃ、条件が足りないんじゃないかと思ってよ」

「キミ、まさか『神寵勇者理念』を信じてるのかい?」


 キャロラインが眉を寄せて尋ねるも、少年は皮肉げに肩をすくめて見せる。

 どうでもいいけど上半身だけのくせに、やけに元気だな。


 神寵勇者理念ってあれだろ、勇者も魔王も神の摂理に従って生み出された物語上の役割に過ぎず、お互いにしか殺すことができない……ってやつ。

 運命論というか悲観論というか、人間の思いや努力を踏みにじる、気色悪い考え方だ。


「神といっても、お前らが妄想している『生命樹の育て主』のことじゃねえよ」

「神を揶揄するなど、不遜です!」


 自分の信仰対象を馬鹿にした調子で語られ憤慨するマルグリットを、面倒そうに手を挙げ制すツバサ。

 なんだろう、こいつのこの余裕は。


「けどな、似たようなやつは存在するし、そいつはなにかの『仕組み』を強制している。それを確認できたぜ」

「どういう意味だ?」

「なんでも聞けば教えてもらえると思ってんじゃねーよ。真実が知りたきゃ、自分で見つけてみな」


 なんか俺にだけ厳しくない? とはいえ、やつの言うとおりなのも確かだ。

 こいつがいけしゃあしゃあと嘘をつく可能性だって高いし、機会があったら調べてみるのもいいかもな。


 ちょうどこの後、生命樹教会の総本山である皇都に行く予定で……いや、魔王を倒したんだから、そもそもの目的は果たせてしまっている。

 俺たちの旅は、この二年間の戦いの日々は、今日で終わりだ。こんなにあっさり、偶発的な戦いで。


「あんた、本当に魔王なの?」

「その呼び方をすんなっつったろ……まあ、疑いたくなる気持ちはわかるけどよ」


 感慨深いような拍子抜けのような、俺が複雑な気持ちにひたる一方で、アレクシアは冷えた目をして問いかけている。

 ツバサは血に塗れた唇を持ち上げて、目を細めた。


「少なくとも軍を率いてこの大陸を侵略したのは、オレだ。といってもこの体は本体じゃない、魔術で作った使い魔さ」

「……え?」


 目を丸くする聖女に対し、勇者と魔女は沈痛な表情で唇を引き結ぶ。

 俺としても微妙な心境だ。あれだけ必死になったのにという気持ちが半分、まあそうだろうなという気持ちがもう半分。


 たしかに魔王は強かった。個人としては、これまで戦った敵で最強かもしれない。

 だが、なんというか、あまりに呆気なさすぎだ。おかしな言い方になるが、こいつと戦うのはまだ早い、という気がしていた。


 こなすべき道程、揃えるべき手立て、越えるべき試練。その全てがまだ足りていない、道半ばの出来事。

 読みかけの本のページがまだ残っているのに、物語が終わってしまったような、むずかゆい違和感。


「だからこそ、問うわ。あんた本当に、なにがしたかったのよ?」

「言ったろ、確認だよ。オレの『チートスキル』が勇者に通じるか、勇者が本当にオレ倒すべき敵なのか。それを確かめにきた」


 つまり、なんだ。

 神寵勇者理念じゃあないが、勇者が自分の敵たりえるか、わざわざ調べに来たっていうのか。


 そしてそれは証明された。魔王の凶悪な異能は、勇者たち三人には通じない。

 つまり、こいつに対抗できるのはアレクシアたちだけということだ。


「ああ、ちなみにな」


 くっくっ、と短い笑声とともに、ツバサは虚空に視線を向ける。その先にあるのは彼の魔力が呼んだ、無数の瞳。


「色々と小細工をしていたようだが、オレの〈被虐伝播〉は、を通しても発動可能なんだぜ。直視だけで、なんでもありの魔族の王ども相手に渡り合えるかよ」


 ごおっ、と風に似たなにか俺の頭蓋を揺さぶった。

 遠くの闇から伝わってくる鋭い笛の音、骨身を揺さぶる震動、耳をつんざく金属のこすれ合う響き。


 そして押し寄せる、圧倒的な質量の、死の気配。


「〈犠牲サクリスァイス〉!」


 俺の体がばらばらにすり潰される直前、キャロラインの呪文が悲鳴のように響く。

 先ほどまで魔王を挟んだ向こう側にいたはずの魔女が、いきなり目の前に現れた。


 召喚した魔物と自分の位置を交換する呪文、そいつの効果で、俺の影に潜む使い魔と入れ替わったんだ。


「キャロ!」


 一瞬、魔女の細い肉体が砕かれる様を幻視した。

 だが彼女に向かって殺到した異能の業風は、髪を派手に乱し衣服を弾き飛ばしたものの、あらわになった裸身には傷ひとつつけられぬまま吹き散る。


 倒れ込んでくる体を必死に受け止めて、抱え込んだ。

 その間に振り下ろされた勇者の双剣により、ツバサの首が妖刀で切断され、眉間に聖剣の切っ先が突き刺さる。


「惜しい! せめて男を殺しておけば、お前らを本気で怒らせられると思ったがな!」

「充分、怒ってるわ!」


 なお嘲笑する魔王の首が、聖剣から膨れ上がった光によって弾け飛び、青黒い染みへと変わった。


「キャロっ!」

「キャロライン!」

「う……っ」


 その様子を視界の隅で見ながら、マルグリットとともに必死で呼びかける。

 はたして彼女は、乱れた髪の合間で目をしばたたかせ、全身を震わせながらも弱々しい声を上げた。


「イアン……無事、かい?」

「馬鹿野郎、お前、なんて無茶を!」


 大賢者には魔王の異能は通じない、それはすでに証明されている。

 だが俺に対して異能が発動しかけた状態で、それを自分に引き寄せるだなんて。


 先ほどの〈犠牲〉はただ位置を入れ替えるだけじゃない、一方が直前に受けようとしていた攻撃や悪影響の全てを、もう一方が引き受ける呪文だ。

 普通は術者が召喚した魔物を盾にするため使うのだが、逆もまた真なり、魔物を庇えば術者が痛手を負う。


 その結果、下手をしたら『死ぬ』という結果そのものを、甘受してしまった可能性だってあるんだ。


「言ったよね……一度だけなら、って」


 キャロラインは震える手で、傍らにひざまづき治癒の祈りを捧げる聖女の頭を撫で、薄く笑った。

 俺はてっきり闇を生んで視線を遮るとか、風の魔術で体を吹っ飛ばすとか、そういう手で防ぐのかと思っていた。どちらも確実性には欠けるが、少なくとも術者の身は安全だ。


 そうだ、この娘が『自分は安全だが不確実な手段』なんて、取るはずがなかった。

 だけどキャロラインならなんでもできると、思いこんでいたのかもしれない。


 彼女を信頼するのは結構だが、思考停止していたのは間違いなく、そんな自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。


「もうっ、もうっ。なんて無茶をするんですかっ」


 自分の頭を撫でる手を押さえ、涙目で見上げてくるマルグリットに、魔女はようやく普段の調子でからかうように言った。


「キミにばかり、体を張らせるのも、ね。たまには、格好つけさせてくれよ」

「キャロはいつもかっこいいです! なにを言ってるんですっ!」


 怒っているんだか褒めているんだか。


 ともあれキャロラインの体調が安定したと判断したか、なお不満そうな顔をしながらも聖女は、手を組み長い祈りを捧げ始めた。

 〈精霊転化スピリチュアライズ〉をし始めて随分たつ、さぞや『負債』が貯まっていることだろう。


 俺は魔女と苦笑を交わしあうと、シャツを脱いで彼女に着せてやった。

 ろくに隠せていないが俺たちの仲だ、今は我慢してくれ。


「……してやられたわね」


 こちらを心配しつつも警戒を怠っていなかったアレクシアが、鞘に剣を収めながら一人ごちる。勇者の視線の先には陥没した地面と、その底の青黒い染み。

 首を失った魔王の上半身と、泣き別れした下半身は、幻のように消え失せた。


 あたりを照らしていた瞳の群れも、主──と表現していいのか──の死とともに、溶け去っている。

 青い闇を照らすのは、月と星の明かりのみであった。

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