8-8 侵攻


 世界の地形を記した風船を“紡ぎ手スピナー”に手渡し、旧大陸の大きく膨らんだ部分と、その先にある島を指し示す。


「フォタンヘイブ王国の属領、ヴェイセパード島。地理や海流の都合なんだろうが、百年前と同じくここが最初に狙われた」


 かつて紫煌帝に襲来された経験から、フォタンヘイブは対外防衛を意識した軍を編成していたし、ヴェイセパードは海からの襲撃に対する防備を万全に備えていた。

  しかし先の大戦を直に経験した者がおらず、長く続いた平和に気の緩みがあったのは間違いない。


 島は一晩で陥落し、フォタンヘイブ王国も三日と保たず征服された。

 四天王を筆頭に数多くの魔族と、何万という魔物を従えた侵略者たちは、自らを『魔王軍』と名乗り周辺国への侵攻を開始する。


 初動で連携の遅れた諸国は、各個撃破されていった。特に“緋惨ひさん”ザックス率いる空戦部隊は甚大な被害をもたらし、各地が蹂躙されている。

 城塞に飛来する魔物に対する備えはあっても、群れをなし統一された軍事行動を取る空の敵など想定されていなかったのだ。


 人類側は数で勝っていたが、強力な魔物に一般兵士では対抗できない。

 月日を経るごとに魔王軍の支配地域は広がっていき、今や西方の沿岸諸国のほとんどが、やつらの勢力下にある。


「幸いと言っていいのか、今度の魔王は紫煌帝ほど性急に勢力を拡大せず、支配地域の安定を優先していたんだ」


 おかげで内陸から東の各国はかろうじて命脈を保てられたし、経済活動も維持できた。


 おそらく今代の魔王は、資源や兵力の供給源として旧大陸を活用し、新大陸における争いに利しようと目論んでいるのだろう。

 魔王軍の侵攻以降は新大陸の探索どころではないので、憶測に過ぎないが。


「新大陸の別な勢力とよしみを結び、挟撃したりはできないのですか?」

「そう考えた国もあったみたいだけれど、うまくいっていないね。東回りで使者を派遣したはいいが、貴重な飛空挺を失うだけで終わったそうだ」


 スピの意見はもっともなのだが、キャロラインの言うとおり、失敗してしまっている。

 どうも新大陸の連中は、基本的に話が通じないらしい。あるいは旧大陸の住人など、ただ奪い殺すだけの下等生物としか見ていないのか。


 その後も魔王軍の攻勢は続き、人類はこのまま緩やかに滅びていくものかと思われた。それを食い止めていたのは、各地に出没する魔物を狩って回った冒険者たちだ。

 集団においては個々の魔物にかなわない人間も、個人の武を極めることで強大な敵に対抗できるようになっていく。


 凄腕の冒険者パーティは、何百人もの兵士を上回る戦果を上げた。

 まあお陰で前衛職と後衛職、という戦闘だけに特化した区分が重要視されるようになり、支援職が軽視される要因となっているのだが。


「それでも戦況自体は魔王軍優勢のまま、何年かが過ぎて……もう限界だってことで、あたしは故郷を飛び出したの」


 アレクシアが過去を述懐する。

 彼女は傭兵の真似事をして諸国を巡り、その過程で戦地の慰問団に加わっていたマルグリット、師と戦略級攻撃呪文の実験に同行していたキャロラインと出会う。


「懐かしいですね。私、勇ましい男の子がいるな、って思った覚えがありますよ」

「ボクは最初、二人は年若い恋人同士なんだと誤解してたよ」

「あんたらねえ……」


 後から出会った俺ですら、アレクシアのことは最初、華奢な少年だと思っていたからな。それより以前となれば、そりゃ小僧にしか見えなかったことだろう。

 そして俺が彼女たちに絡んで、罰として奉仕を命じられ、様々な冒険を共にした。


「いろんなやつに出会ったし、いろんな敵と戦った。だけど、魔王の正体はわからないままだ。姿も、名前もな」


 少なくとも四天王や十二天将を従えていることは事実だし、弱肉強食が絶対の掟である魔物の王なのだから、配下より弱いということもあるまい。

 だが物理攻撃が得意なのか魔術に精通しているのか、魔術を使うとしてどんな呪文が得意なのか、全てが不明だ。


 指揮官級の魔族相手に〈降憶エボケイトメモリー〉をかけた結果、連中の本拠地がフォタンヘイブ国の首都エクゾヴィールにあることだけはわかっている。

 だが暗殺を目論み潜入を試みた冒険者も、決死の突撃をかましたとある国の飛空挺も、全て四天王とその配下によって阻まれた。


「前線に出られない理由があるのか、その必要もないほど配下を信頼しているのか。いずれにせよエクゾヴィールに行ってみなきゃわからんだろうな」


 そう言って、俺は話を締めくくった。

 魔王が何者かは知らないが、このままじゃあ人類は全滅、そして俺は破滅だ。愛しい少女たちとは引き離され、失意の内に人生を終えることになるだろう。


 人類すべての存亡に比べればちっぽけなことかもしれないが、絶対に回避しなければならない未来であるのは、同じだった。

 初めて結ばれた翌朝にアレクシアたちが提案したように、魔王を倒せば全てが上手くいくというなら、俺はその選択に賭けるぜ。


「なるほど、よくわかりました」


 世界を写した風船を抱え、真剣な顔をして聞き入っていたスピは、ようやく息を吐いて肩の力を抜く。


「アレクシア様たちがなぜ、よくご存じでない魔王を倒さねばならないのか」

「話が通じる相手だったら、そりゃ交渉だけで済ませたいわよ。でもねえ、いきなりやってきて殺しまくっておいて、今さら話し合いじゃ収まらないでしょ」


 実際、反戦思想を掲げる平和主義者もいなくはないのだ。

 侵攻があった当初は和平交渉も試みられたのだが、使節団全員の首が前線に並べられたことで、あえなく決裂に終わった。


 ことに、穏健派の筆頭だった司教を殺された生命樹教会の怒りはすさまじく、魔王軍は絶滅させるべき悪だと大々的に布告された。

 べつに魔物すべてが駆逐対象に指定されたわけではないのだが、人馬ケンタウロス魚人マーマンのような理性ある魔物に対しても、風当たりが強まる要因になっている。


「早く世界を平和にして、無用な迫害が起こらないようにしなければいけませんね」


 心優しい聖女はそう言うが、実際問題もし魔王が倒されたとしても、一朝一夕に解決する話ではないだろうな。


 冒険者からすれば個々の魔物は大きく異なるし、魔王軍とそうでない魔物の区別だってつく。だが一般人すれば、新大陸から来たものだろうが旧大陸に住んでいたものだろうが、魔物は魔物だ。

 特に魔王軍に家族や近しい人間を殺された者であれば、魔物すべてを憎んでいたっておかしくはない。


「そもそも魔物と人間は、なにが違うのでしょう?」


 おおっと、またしても本質的な質問がきた。今まで感覚的に把握していた物事を、まっさらな視点から尋ねられると、新鮮な気持ちになるな。

 どう説明するのがわかりやすいかと考えていたら、魔女が助け船を出してくれる。


「簡単に言えば体内に魔石を形成した生物が魔物、そうじゃない知的生物が人間だね」


 先ほどの惨事の原因であるお化け水瓜のように、普通の動植物が魔力の過剰摂取により魔物化することが、そもそも発生要因だ。

 同様の魔物が大量発生し、種として確立すると、交配によって子孫を残すようになる。


 小鬼ゴブリンなどが典型的なのだが、雌雄いずれかの性別しか持たず他種族、特に人類と交わって子孫を残す魔物も多い。

 小鬼や豚鬼オークは雄ばかりだし、逆に蛇女ラミア鳥女ハーピーは雌しかいない。魚人は少し変わっていて、雌雄どちらも存在するのに他種族とも交わることができる。


「ワタシは、どうなのでしょうか。ボス、試しに子種をいただけませんか?」

「ヘレネーナみたいなこと言うなよ……」

「お呼びになりまして?」


 呼んでねえよ! 花摘みから戻ってきた牛娘が、当たり前のように俺の隣に体をねじ込もうとして、アレクシアに押し返された。

 さすがに邪険にし過ぎるのも可哀想なので、渋々敷物の空いた一角に座った彼女にも、飲み物の器を渡してやる。


 埋められている間に理性を取り戻したか、ヘレネーナはまだ露出部は多いものの、すっきりしたデザインの橙色のモノキニに着替えてきていた。

 そうそう、それくらいにしておきゃ俺も嫌悪感を持たず、まともに姿態を見られるってもんだ。


「……何事もやり過ぎは良くないということですわね」


 こちらの視線からなにか感じ取ったか、器の中身に舌を這わせながら、牛娘は釈然としていない風な声で言う。


「それ以前の問題だったと思うんですけど?」


 おお、珍しい。マルグリットが突っ込みを入れたぞ。

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