8-7 世界


 お化け水瓜の解体と回収は犬人コボルトたちに任せ、別の水着に着替えた俺たちは湖へと場所を移した。

 まだ日も高いことだしと、湖岸に日除けの大傘を立て、水遊びに興じることにする。


 ネスケンス師は藍之家の仕組みの方に興味がいっており、この場にはいない。ここにきた初日のキャロラインみたいだな。


 ひと泳ぎした俺は長椅子に寝そべり、給仕役としてはべってくれているスピを傍らに、休憩中。

 少女たちや男どもは湖ではしゃぎ、ファビアナは午睡、生き埋め状態から救出されたヘレネーナは花摘みだ。


「平和だな……魔王のことなんて、忘れちまいそうだ」


 杯を傾けながら湖を、そこで遊ぶ少女たちを眺めていると、これまでの苦労やこれからの苦難が頭の中から抜けていく。


「魔王、魔物の王ですか。具体的には、どんな方なのですか?」

「どんな、って……いや、会ったことはないから知らねぇよ」

「よく知らないのに、敵対しているのですか?」


 スピがなかなか根源的な質問をしてくる。

 勇者パーティの最終目標、不倶戴天の敵であるというのに、俺たちは魔王のことをよく知らない。


「んん……どこから話したもんか。そうだなあ、まず前提として、この世界には二つの大陸があるんだ」


 航海技術が発達するまで、世界にある陸地は、たったひとつの『大陸』とその周辺の島々だけと思われていた。

 外洋を渡った先は世界の果てで、そこから先は虚無が広がっているとされていたのだ。


 ところが各種の魔術や造船技術の進歩により、人類は遥か外洋の先にまでおもむけるようになった。

 西の果て、東の果て。いずれへ進んだ先にも、これまで確認されなかった広大な大地が広がっていた。


「最初は『西大陸』と『東大陸』って呼ばれていたんだが、じつはひとつの大陸の東西それぞれに上陸しただけだと、後に判明した。世界は平らじゃなく、球体だったんだ」


 マルグリットが魔力を込めて叩いた風船を、アレクシアが弾き損ねて宙高く舞わせた結果、こっちまで転がってくる。

 ちょうどいいやと拾い上げ、〈宝箱アイテムボックス〉から取り出した魔法マジックペンで表面にざっくりした地形を描いた。


 初代勇者が開発した魔法ペンは百年の時を経て改良が重ねられており、金魔術によってインクが補充可能、かつ専用の魔術で消去可能という便利な代物だ。

 上向きや横向きでも使えるし、つるつるした表面のものにも書ける上、速乾性がある。


 そいつで風船上に描いたのは、いびつな三日月型がふたつ。

 一方は中央がすぼまって上部が膨らんでおり、もう一方は逆に、下に行くほど広がっていく。


「こっちの、真ん中が細い方が『旧大陸』。この盆地があるのは、このあたりだな」


 大陸北部、中央よりやや西の位置を指さす。

 スピは眉を寄せて俺の示した風船を眺め、首を捻った。


「ボス。地面が平らでないと言いますが、それでは球の裏側にある人や物は、空に向かって落ちることになりませんか?」

「いや、物が落ちたり重くなったりする力を『重力』というんだがな。どうやらこいつは、球の中心に向かって働いているようなんだ」


 杯の中から氷の粒を取りだして、風船に近づけたり遠ざけたりする。

 いまいち理解しきれなかったか、犬人の美女はむむむと考え込んでいた。


 まあ、それは今の本題じゃない。疑問はいったん呑み込んでもらい、話を進めることにしよう。

 俺が風船を返さずそのまま話し込んでいるので、少女たちも湖から上がって近づいてきた。


「どうしたのイアン、風船に落書きして」


 水滴を滴らせ歩み寄ってきたアレクシアたちに手拭いを渡し、大傘の日陰に入る位置に野営用の敷物を敷いて座らせ、スピとともに冷たい飲み物も配る。


「スピにも現状を伝えようと思ってな、魔王との戦争の成り立ちとか」

「ああ、そっか。犬人さんたちは、この盆地に籠もりきりですものね」


 パレオを外して太腿を露出させつつ横座りになったマルグリットが、氷を浮かべたレモネードの杯を両手で包むように持って、頷いた。


 大概の人間は生まれた土地から離れないけれど、役人や行商人を通じて情報のやり取りはあるからな。

 完全に外界から遮断された犬人たちよりは、まだしも世界情勢について知る機会はあるだろう。


「それで、どこまで話したんだい?」

「世界にはふたつの大陸がある、ってとこまでさ」


 キャロラインの胸の谷間を伝う水滴に眼を奪われそうになりながら、解説を続ける。


 新たな大陸に踏み込んだ人類であったが、東西どちらから乗り込んだ者たちも、すぐに這々の体で逃げ帰る羽目になった。

 新大陸は強力な魔物が跋扈し、その統率者たちが相争う、地獄のような土地であったのだ。


 命懸けで新大陸を探索した先駆者によると、魔物たちを支配しているのは高い知性を持った幻獣や魔獣、そして魔物化した人間である魔族マステマたちだ。

 新大陸にも人族ヒューマ獣人セリアンは存在するのだろうが、かの過酷な世界に適応するためか、例外なく魔族と化している。


 身体能力と魔力に優れるがゆえに文明の進歩が遅かった彼らにとって、旧大陸からの訪問者は絶好の獲物であった。

 新天地に夢を託した商売人や未知を求める学者、領土欲に駆られた貴族の尖兵に、一攫千金や浪漫を求めた冒険者。恐れ知らずの旅人たちは、次々に囚われその知識と技術を奪い取られたという。


 中には舌先三寸で誤魔化し利益を得ようとしたり、強い意志で頑なに逆らった者もいたようだが、魔族の責め苦に最後まで抗えたとは思えない。

 あるいは生き延びるためや欲に駆られた結果、自らも魔族と化した者もいただろう。


 そうして、新旧大陸の邂逅から数年後。魔物の統率者たちの中の一人が、吸収した技術を逆用して旧大陸へと攻め込んできた。

 それこそが紫煌帝、百年前に初代勇者に倒された、先代の『魔物の王』である。


「伝わっている話によると紫煌帝は、新大陸の中じゃそれほど勢力が強い方じゃなく、旧大陸を支配することで地盤を築こうとしたみたいだな」


 向こうにとっちゃ、こちらの大陸こそが『新大陸』だったんだろうけれど。


 いずれにせよそんな半端者に、旧大陸はほしいままにされたのである。

 紫煌帝が引き連れてきた大量の魔物は、旧大陸に土着していた魔物を遙かに上回る強さを持ち、各国の軍隊や冒険者たちは次々と蹴散らされていった。


 また性質が悪いことに、やつ自身が極めて強力な黒魔術師ネクロマンサーであったため、犠牲者は余さず不死怪物アンデッドと化したという。

 かくして燎原の火のごとくその支配権は拡大していき、当時の国家の大半を滅ぼした紫煌帝であるが、その進軍も終止符を打たれる。


「現人神様ですね!」

「そういうこと。異世界から召喚されたひいひい爺様が、仲間とともに紫煌帝の支配地域を開放して回り、最後はやつ自身も退治したってわけよ」


 目を輝かせるスピに対し、先祖の偉業を誇らしげに語るアレクシア。

 現代に伝わる記録や物語には多少の脚色もあるそうだが、滅亡の危機に瀕していた人類が初代勇者のもたらした知識や技術、彼自身の途轍もない強さによって逆転したのは事実であった。


 紫煌帝が討伐されても戦火の爪痕は深く、復興には長い時を要した。

 しかし農業や工業に対しても初代勇者が伝えた異世界の知識は大いに役立ち、百年が過ぎた現代では当時の倍近くまで人口が増えているという。


「初代様のもたらした知識は多岐に渡りますが、医療や健康に関するものが最も重要だったと、私は思います」


 マルグリットの意見は、生命樹教徒として人々を守り癒す立場からすれば、当然のことだろう。

 いくつもの伝染病や業病が不治の病ではなくなり、衛生や栄養の概念がもたらされたことで、特に赤子や幼児の早逝が劇的に減ったのは間違いない。


 とはいえ当の本人は世界を平和にした後、権力闘争に巻き込まれることを厭い、辺境の地に封土されて引き籠もってしまった。


「借り物の知識で無双するのは気が引けた、って話もあるけどね」


 キャロラインは勇者の実家を訪れた際、多くの資料を漁るとともに関係者への聞き込みを繰り返し、ある意味でアレクシアより当時の事情に詳しくなっている。

 その魔女が言うのだから、その推測もあながち的外れではないかもな。


 ともかく人類は無事に復興を果たし、新たな国や政治形態が生まれたり、各地の勢力が離合集散を繰り返したりした。

 戦争を通じて発展した武器や戦闘技術、なにより強靱な心身を得た戦士たちの活躍によって、旧大陸に残った外来の魔物についても駆逐が進んだ。


 結果として今度は人間同士の争いも起こるようになり、きな臭い噂もよく聞くようになったのだが、皮肉なことにその争いの目を摘んだのが。


「魔王の、再来ってわけだ」


 話ながらもちまちまと風船への描き込みを続けていた俺は、ようやく手を止めた。

 新旧大陸以外にも海の各所には大小さまざまな島が、陸地には山脈や湖や河、各国の首都なんかが配置されている。


 うん、結構いい出来になったな。世界を手に取った感がする、着色すれば売れるんじゃないか、これ。


「遊びにくくなったっつーの」


 その表面を軽くはたいて、アレクシアは苦笑いした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る