8-9 美味


 水遊びを全力で楽しんだ後、日が落ちる前に食事を済ませることにした。

 浜辺に焼き台を置いて、肉や魚介や野菜を炭火で直焼きにして、俺の特製ソースをつけて食う。


 異世界じゃ『バーベキュー』とか言うらしいが、やっていることは野営時の夕食とあまり変わらなかった。

 違いといえば獣や魔物を警戒する必要がないので、大きめの焼き台と大量の炭を遠慮なく使えるくらいだな。


「魔導回路の点検は終わったよ。愛弟子の見立てどおり、魔力の過剰流通による一時的な機能低下だね。流路を塞いでいた魔物も倒されたし、数日で元通りだろうさ」


 食事時になるまで姿を見せなかったネスケンス師が、殻を剥いた海老をむさぼる合間に報告してくれた。なぜかズワが、甲斐甲斐しく世話を焼いている。


「そりゃ良かった。それで総帥、なんでそんな生き生きしてるんですか?」

「この年になっても知らないことを知れるってのは、楽しいもんさ。あんな芸術的な機構は初めて見たよ、異世界の発想なのかね? 予備回路で遊びを持たせつつも、その遊び自体が冷却機構を兼ねていて、全体の省力化に貢献しているわけだ。これを魔道具に応用すれば」

「ちょ、ちょっと待って! キャロ、お師匠の相手してあげて!」


 あの弟子にしてこの師あり、だな。新しい発見があると、人に解説することで整理するタイプなんだろうが、相手の知識や興味なんぞ考慮しない。

 水着の上に薄手のシャツを羽織ったキャロラインが、杯を手にやってきた。頬がほんのり染まっているから、軽く酔っているのかもしれない。じつに色っぽい。


「師匠も呑もうよ。今日くらいは、骨休めした方が良くないかな」

「まったく、あんたは……まあいいさ、糖酒はあるかい」


 キャロラインが頷いて指示をすると、ズワがささっと飲み物をまとめて置いておいた台から、琥珀色の瓶とグラスを持ってくる。

 いいように使っているなあ、なんかお仕着せっぽいシャツとズボンとベストを着せられて、貴族の従僕のようだ。


 そういえば他のわんこどもはどうしているんだろう、と首を巡らせると同様の服装を着たぶちブレはアレクシアと一緒に焼き台の傍らでひたすら飲み食いしているし、ウィーはマルグリットと敷物に座ってのんびりしていた。


「リットー、もう食べないのー?」

「そんなお肉ばっかり食べられませんよぉ」


 まったく食えないってわけじゃないが、苦手だもんな。

 勇者と聖女は水着の上から揃いのパーカーを着ているが、前が全開のアレクシアに対しマルグリットは首まで止めて、足以外を露出させていない。さすがに他の男もそばにいる状態じゃ、恥ずかしいようだ。


 俺はといえば下半身は水着のままだが、上は半袖の開襟シャツだ。エンリも似たような格好をしているが、ゴスはいつもの黒装束に戻っている。暑くないのかね。

 ヘレネーナとファビアナは大きめの手拭いを肩からかけているだけだが、肌の露出に大きな差がある。牛娘はあまり火に近づかない方が良いのではないかと、ちょっと心配になった。


「なんだか下手に脱いだときより気遣われてますわ」

「完全に保護者目線だね」


 日中と姿が変わらないのは“紡ぎ手スピナー”のみである。

 まあ水着風の給仕服といったおもむきだったから問題ないといえばないのだが、夜もその格好だといかがわしい店みたいだな。


 彼女と二人、大食いのアレクシアとエンリが満足するまで、ひたすら具材を焼いていく。

 事前に買い出しは済ませてあるし、野菜の一部は犬人コボルトたちからの貰い物だ、なくなることはないだろう。


「イアン。ついでにこれも焼いてくれ」


 ゴスが、なにやら布で包まれていた肉を出してきた。

 見た感じ鶏腿肉の身の部分に似ているが、大きさが段違いだ。牛肉の塊にしちゃ赤みが少ないし、なんの肉だこれ。


 雑菌が怖いので表面を直火で炙り、あとは弾力を確かめながら遠火でじっくり加熱していく。

 やけに火の通りが悪いのが気にかかったが、しばらくすると、うまそうな匂いが漂い出した。


 したたる脂が炭にかかるたび、じゅうじゅうと香ばしく立ち上る煙を当てながら、焼き続ける。強火で炙られ飴色に変色した表面に程良い焦げ目がつき、肉全体がもっちりとした弾力を帯びたあたりで、串を刺して様子を見た。

 感触はほど良い固さ、引き抜いた串を唇に当てると充分な熱が伝わる。ほんの少しついただけの脂が、たしかな美味の予感を伝えてきた。


 火から離した肉塊を調理台に移し、我知らず生唾を飲み込みながら端を切り取る。

 桃色だった肉は全体的に白く変色しているが、にじみ出す脂が残照を反射し黄金色に光っていた。


 そぎ落とした肉の欠片を恐るおそる口内に運ぶと、途端に暴力的な旨味と芳醇な滋味という、相反するうまさが口の中で爆発した。


「──っ!」


 慌ててゴスを見やるが、黒装束の男は愉快そうに目を細めるだけで、なにも答えない。

 すでに調理台の回りには全員が集まっており、期待に満ちた目で俺の手元の肉を見ていた。全員に等分すると三口分にもならないだろうが、仕方ない。


 高い位置からほんの少しだけ塩をすり落とす。ごく少量を、満遍なく。それ以上の味つけは邪魔になるだけだ。

 もういちど軽く炙って脂と塩を馴染ませたら、あえて少し薄めに切り分けて、各自の皿に盛っていく。


「ほら」


 アレクシアは待ちきれないという表情で口を開いて待っていたので、手で摘まんでそのまま食べさせてやった。


 幸せそうな顔をして噛みしめる少女を筆頭に、全員が無言で咀嚼を繰り返し、名残惜しげに飲み下す。

 それを黙々と三回、繰り返した。


「ふぁあ……」

「美味しいです……」

「まいったね……」


 少女たちが感極まったような声を上げたのは、たっぷり数十秒は過ぎてから。

 呼気を吐くと胃の腑からうまさが逃げる、とでもいうように口元を押さえていた。


 満腹に近かったはずのアレクシアも、肉が苦手なマルグリットも、既に酔いが回っている風だったキャロラインも。

 夢見心地で、口内に生まれた幸福を堪能していた。


 少し遅れて俺も食い終わったが、余韻に浸ってなかなか頭が働かない。

 かろうじて問いかけられたのは、それでもこの肉の正体が知りたかったからだ。


「おいゴス、なんだったんだこの肉。ただ事じゃねえぞ、このうまさ」


 食材の凄さに思わず塩を振るしかできなかったが、食い終わった今なら更なる調理法も頭に浮かぶ。

 焼くか、蒸すか、揚げるか。ソースはどうしようか、つけあわせは。煮るとしたらなにとどう味つけよう。


 覆面を取らぬまま器用に肉を食い、満足げに頷いていたゴスは、もったいぶった後で答えを返した。


「黒耀竜だ。尾の付け根の下あたりの肉を、少しばかり切り取ってきた」

「おまっ……馬鹿かっ! そんなもん、うまいに決まってるだろうが! というか一番うまい所だけ持ってきてどうすんだ!?」


 竜の尾の周囲は筋肉の塊なので食えたもんじゃないが、その下には筋肉でありながらほぼ動かないため柔らかさを保った、牛や豚でいうヒレ肉に相当する部位がある。

 そもそも竜を食ったことがある人間自体が少ないので断言できないが、個人的には最もうまい部分だと思う。


 古代竜エンシェントドラゴンの肉なんて今後一生、食う機会はないだろう。

 無理をしてベヘンディヘイド王国が回収した肉を購入したところで、いま食った物よりは劣る部位しかないのだ。


 うおお、なんて勿体ないことをしたんだ。べつに高級品でもない塩と、外使い用の頑丈なだけの焼き台で雑に調理しちまった。

 そうと知っていれば持てる技術と用意できる材料の限りを尽くして、最高の一品に仕上げたものを。


「ゴス、ありがとうね! 最高に美味しかったわ!」

「いい思い出になりましたぁ」

「イアンもね、いつも美味しい料理をありがとう」


 少女たちは俺の内心など知らず、素直な感想を述べている。ヘレネーナたちも満足げだし、犬人たちなんて皿の肉汁まで舐めとっていた。

 うう、くそう。この和やかな雰囲気をぶち壊す狭量さは、とてもじゃないが持てやしない。この変人黒装束め、そこまで計算してあのタイミングで肉を出してきやがったな。


 あらかじめ正体を明らかにして渡されていたら、バーベキューなんかそっちのけで調理に夢中になっていたかもしれないし、客観的に見れば正解だろう。

 だけど、古代竜のヒレ肉……ああ、勿体ないことをした……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る