8-5 暑気


 通信の魔道具に着信があったことに気づいたのは、翌朝のことだ。


 控え室で目を覚まし身支度を整えた後、そういえばネスケンス師へ無事に黒耀竜討伐を果たした報告をしていなかったな、と思い出した。

 着替えが済んでもまだ眠そうなキャロラインを呼んで、通信用の魔道具を〈宝箱アイテムボックス〉から取り出す。


 すると受信機側の底にいくつか並んだ小さな魔石のうち、藍之家からの発信を示す物が光っていた。

 現在、勇者家の別荘は無人のまま再建中だ。そのため魔道具は、犬人コボルトたちの指導者である“紡ぎ手スピナー”に預けていた。


 まさかまた魔王軍の襲撃があったのか、と慌てて返信を試みると、間を置かず覚えのある声が聞こえてくる。


『申します、申します。ワタシは“紡ぎ手”です』

「ああ、良かった。俺だ、無事か?」

『俺というのは誰でしょう? お名前をお聞きしたい』

「俺は俺だよ、なに言ってんだお前だ」

『ボスから詐欺に気をつけるよう固く申しつけられております、お名前を』

「そのボスが俺だっつーの」


 ぺん、と頭をハリセンで叩かれた。アレクシアが呆れ顔をしており、横に立つマルグリットも困ったように笑っている。


「遊んでないで、早く名乗ってあげなさい」

「すまん、ちょっと楽しくなってた。イアンだ」

『おう、ボスでしたか。お声が変なのでわかりませんでした』


 変か? ああ、でも通信の魔道具越しだと、普段とは違って聞こえるか。慣れていない彼女なら尚更だ。

 ともあれ遊んだせいで通信時間に余裕がない、なにがあったか手早く尋ねる。


『実は、山がすごく暖かいのです』

「ん? 暖かいのは、いいことじゃないか」

『いえ。こういう概念をなんと言ったか……そう、“暑い”のです。ボス、助けてください』


 どういうことだ、と聞き返そうとしたが、そこで魔道具の貯蔵魔力が尽きた。

 切羽詰まった感じは“紡ぎ手”の声にはなかったが、放置もできないな。


 いつの間にか控え室に全員が集まっていて、すぐに出立できる体勢を整えている。

 本来はこのままベヘンディヘイドの王宮へ向かうはずだったのだが、先に片づけなければならないことができたようだ。


「急いで藍之家へ向かおう。王宮への報告はヘレネーナたちだけで構わないだろ」

「それはいいけど、先に師匠と合流しないかい? 設備の不調なら、ボクらだけじゃなくあの人もいた方がいいと思う」


 たしかにネスケンス師は魔道具の大家だし、盆地の環境を整備している仕組みがおかしくなっているなら、同行してもらった方が心強い。

 だけど多忙な魔術師ギルド総帥を、そうそうつき合わせていいのかな。


 まあ、ここでぐだぐだ言っていても、らちが明かない。

 王宮への事後報告や魔石の回収などはヘレネーナたちに任せるとしよう。


「お身内の難事ということでしたら、仕方ありませんけれど……王妃とは面通しをしておいた方がよろしくなくって?」


 たしかに、ベヘンディヘイドの王妃には、ヘレネーナたちやファビアナを派遣してもらった恩がある。

 貸し借り自体は黒耀竜を討伐したことで相殺だとは思うが、義理を欠かすのは良くないか。


 それならいっそ全員で移動するかということになり、領主に暇乞いをした後、馬車は断って徒歩で街の外へ出た。

 〈境門イセリアルゲート〉を活用するなら、秘密を知る者だけで動いた方が都合がいい。


 デイズボーンの街から首都までは馬車で十日ほどの旅程だ、その時間を〈境門〉で短縮できるなら、藍之家で起こっていることを解決するくらいの余裕はあるはず。

 結果として教皇を待たせる時間が延びることになるが、まあそれくらいは勘弁してもらおう。


 * * *


「あっつ!」


 暗紫色の渦を通って藍之家の前に辿り着いた途端、思わず声が漏れた。

 むわっとした熱気が足下から立ち上り、湿度の高い空気が肌をべとつかせる。日差しがさほどきつくないのに、大気だけが真夏の南国のようだった。


「なにこれ、魔王軍の攻撃!?」

「いやあ、たぶん地下から得た熱が魔力に変換されきっていないんだね、これは」


 アレクシアは周囲を警戒するが、目に入る景色は最初に来たときとほとんど変わらず、キャロラインも落ち着いた様子である。

 藍之家は綺麗に再建されていたし、削れたり焦げたりしていた草地もすっかり元通りで、安心した。


 ただ、なぜだか湖畔の一部が砂浜に変化していて、今まで生えていなかった木が数本見える。遠目にもわかる独特の形状、ありゃ椰子の木だな。


犬人コボルトさんたちは無事でしょうか」

「ほお……こりゃ凄いね、なかなかのもんだ」


 心配げに森の方を見やるマルグリットに対し、暑気にも関わらず弟子と同じように目を輝かすネスケンス師。


「素晴らしい景色ですわね! ああ、こんな風光明媚な場所をイアン様と訪れることができるなんて……わたくし、幸せ者ですわ」

「お嬢、落ち着け。いま騒ぐとそのまま送還されるぞ」

「そうそう、せめてこの渦が閉じるまでは黙っていた方がいいよ」


 さっそく感極まった声を上げ、俺にくっつこうとしてきたヘレネーナであったが、エンリとファビアナに助言されてぴたりと黙り込む。

 いや、ここでお前だけのけ者にするだなんて酷ぇことはしねぇよ、アレクシアがどうするかは知らんが。


 黙って周囲に視線をやっているゴス、この暑さの中でその覆面に黒装束じゃ暑いだろうに、大丈夫か。

 量の多い毛皮に包まれた魔狼ワーグも、舌を出して淀んだ目つきに変わっている。


「とりあえず俺とアレクは犬人たちの様子を見てくる。リットは皆を案内してやってくれ。キャロ、ネスケンス総帥。申し訳ないんだが、原因究明を頼む」


 手早く指示を出し、アレクシアと頷き合って犬人たちの集落へ駆け出した。

 魔道具越しの“紡ぎ手”の声色は平然としたものだったが、それでも『助けて』と言ったのだ。他の犬人たちは、もっと苦しんでいるかもしれない。


 勇者は俺以上に気が急いているのか、ぐんぐん速度を上げていった。

 氷河の足鎧サバトンで滑走しつつ、気息の革鎧ブリージングメイルで息を整え、必死についていく。


「みんな、無事っ!?」


 アレクシアの声とともに、かつて畑があった場所に踏み込むと、そこには奇妙な生物が居座っていた。


 巨大な球状の頭部は緑と黒の縦縞で覆われ、目口のように穿たれた暗い穴には不気味な光が宿る。

 下部から伸びた太い蔓で支えられて、わずかばかり頭が浮いている姿は、頭足類を思わせた。


 ひとことで言うなら水瓜の化け物、としか表現しようがない。

 そいつを遠巻きに取り囲んで、農具を手にした犬人たちが、くたびれた様子でへたり込んでいる。


「ボス、アレクシア様も。お帰りなさい」


 鍔の広い帽子を被り野良着を纏った“紡ぎ手”が、尻尾を振り振り駆け寄ってきた。

 見た感じ怪我はないし、犬人たちにも被害は出ていないようだが、どうなってんだこの状況。


「ただいま、スピ。あいつ、なに?」


 いつの間にか“紡ぎ手”の呼び方が『スピ』になっているが、呼ばれた当人は気にした風もなく説明してくれる。


「館の復興が終わった後、森や畑も回復していきました。ただ、一気に魔力が高まったせいでしょうか。夏を見越して植えておいた水瓜が、異常に成長し……」


 魔物化した、と。野生の生物が過剰な魔力を浴びて魔獣と化すのはよくある話だし、環境によっては植物もそうなることがある。


 ただ、短期間であそこまで成長するのは珍しいな。

 小柄な犬人くらいなら餌にしちまいそうなサイズで、このまま大きくなり続ければ上犬人ハイコボルトだって丸呑みにされかねない。


「近づかなければ攻撃はしてこないのですが、ああして畑の真ん中に居座られては、せっかく回ってきた魔力が全て奪われてしまいます。どうにかしようと、皆で少しずつ削っていたのですが、どうにも限界で……」


 迂闊に近づくと粘液まみれの蔓に絡みつかれ、引き寄せられそうになるが、向こうからわざわざ伸ばしてきたりはしないそうだ。

 供される魔力が豊富だからか、まだ生物を積極的に補食するには至っていないらしい。


 蔓の先端を鍬や鎌で傷つけたりはしているものの、端から再生していくため、きりがないとのことだった。

 植物系の魔物はそこが厄介なんだよな、根から枯らすか内部に形成されている魔石を破壊しないと、止まらない。


 その上、この暑さだ。大気を調整する機構に異常が生じているのか、あの水瓜の魔物のせいで魔力がうまく循環していないのか。

 毛皮に覆われた犬人たちは、さぞつらかろう。


「ふむ……これはどうやら、ひいひい爺さんの思し召しってやつね」


 速やかに一刀両断し解決するのかと思いきや、顎に手を当て目を輝かせるアレクシア。

 どうやら犬人に被害が出ていないことがわかって、余裕とともに、悪戯心が芽生えたようだ。


「そう! 『スイカ割り』大会の開催よ!」


 なに言ってんだ、お前。

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