8-4 教皇


 しかし、そうか。

 装備時の素っ頓狂な現象に気を取られていたが、『原初の癒衣プライマリキュアラー』は生命樹教会に伝わる神器だ。それが持ち出されるということは、いよいよ魔王との決戦が行われる、と喧伝するに等しい。


 考えてみれば、教皇が護衛もつけずにこんな所に来ている時点で、異常と気づくべきであった。

 聖女を連れ回している俺たちが言うのも今さらだが、普通なら聖騎士や従司祭をぞろぞろ引き連れて、国賓扱いで移動する御大だ。


 神器を継承するために必要なことだった、くらいの言い訳は用意しておかないと、教会内の対抗派閥につけ入られるだろう。

 無口な教皇はむっつり押し黙ったまま、それ以上の言葉を発しなかったが、それくらい察することはできる。


「となると、急いで戻らなきゃな」


 頭の中で今後の行程を考えながら告げる俺に対して、アレクシアはげんなりした顔を見せた。


「このまま皇国入りは、ちょっとキツいわね」


 たしかにな。カントストランドの街で火巨人ファイアジャイアントを倒してからこっち、ずっと動き詰めだ。

 肉体的な怪我や疲労は魔術で回復できるにせよ、精神的には一息入れたい。


 教皇の空御座船ともなれば、乗組員も選りすぐりの教徒揃いだろう。道中、気を休める暇があるかどうか。

 ウェイセイド皇国に行ったことがあるのはマルグリットだけだが、静かで清潔でいい所ですよ、くらいしか聞いたことがない。


 なんか街じゅう厳粛な聖堂が広がっているような印象を勝手に抱かされ、楽しそうな場所とは思えなかった。

 キャロラインに視線をやると、魔女も苦笑いとともに頷いている。同意見ってことね。


「猊下、よろしゅうございますか」


 先ほどの件もあるので、なるべく控えめに問いかける。

 無言ながらもこちらに視線を向けてきたので、媚びやへつらいが出ないよう意識しながら、恐るおそるお願いをした。


「これまでの強行軍で、勇者も大賢者も疲れております。聖女様も、調子を取り戻すのに時間が必要でしょう。せめてベヘンディヘイド王国の依頼が完遂されるのを見守る間、お時間を頂戴できませんか?」

「それでは政務に差し障りが生じます」


 あんたにつきあえとは言ってねえよ。


 出そうになった本音を噛み殺し、言葉を重ねる。

 そもそも黒耀竜の討伐が王国からの依頼で行われている以上、『空を掴む者グラスパーズ』とファビアナは竜の死体を国が回収するまで、成功報酬を受け取ることができない。


 俺たちは魔石をほじくり返せばそれでいいのだが、正式な手順にこだわるなら魔石の掘り出しは、王国の回収部隊の前で行うべきだろう。

 ヘレネーナたちを疑う気は欠片もないにせよ、戦利品のやり取りは第三者の前で行った方がいい。


 マルグリットが無事に元に戻れた以上、魔石も不要っちゃ不要だ。

 それでも古代竜エンシェントドラゴンの魔石は魅力的だし、二度と起こらないようにしたいけれど、もしまた同じような事態に陥った際の切り札となりえる。


 ……というようなことを丁寧に、言葉を尽くしつつ、真意を悟られぬよう説明した。

 仮にも相手は教皇だからな、半端な嘘は通じまい。


「ふむ……であるなら、私は一足先に皇都に戻りましょう。転移門の手配をしておきますので、なるべく早く追いついてください」

「感謝いたします、猊下」


 まあ実際のところ全てを他人頼りにするつもりなら、この場は『空を掴む者』に任せ、俺たちは教皇に随行すればいい。報酬や栄誉は、後からだっていくらでも受け取れる。

 だけどそれじゃあ休むことができないので、適当な理由をつけて教皇を、というか彼が動くことで随伴してくる連中を追い払いたかったのだ。


 マルグリットにとっては祖父のような存在なのだし、この爺さんひとりなら別に行動をともにしても構わないんだがなあ。


「ではマルグリット、行きましょう」

「いえ、猊下。私も彼女たちに同行します」

「え?」


 聖女だけは一緒に来るものと思っていたのか、教皇がきょとんとして、素の声を出していた。

 俺たちからしたら、むしろなんで随従すると思っていたんだって話だがね。


「いや、しかし。あなたは危ない目に遭ったばかりで……」

「それも含めて、いと高き生命樹の試練です。皇都でお会いしましょう、猊下」


 きっぱりと告げたマルグリットに対し、むむむと唸る教皇。

 やらかしちまったのは俺たちだ、擁護をするのは難しい。今後も聖女と旅を続けるために、ここは譲歩すべきか?


 考えあぐねていたら、少女は両手で包み込むように老人の手を握り、目を潤ませて彼を見上げた。


「駄目ですか……『おじいちゃま』?」

「しょうがないなあ、リットたんは」


 悪人ヅラが瞬時にやに下がり、とても教徒には見せられないだらしない笑みを浮かべると、教皇はマルグリットの頭を撫でる。


「じいちゃま、待ってますからね? お小遣いをあげるから、お友達とお買い物なさい。寝る前に歯を磨いて、夜はおへそを出さないようにね。お祈り欠かしちゃだめですよ?」

「はぁい、おじいちゃま」


 喜色満面で懐から取り出した巾着袋を手渡し、それでも名残惜しそうに何度も振り返りつつ、教皇は歩み去った。

 道中の魔物とか大丈夫か、ああでもここまで問題なく駆けつけたっけ。


 その姿が見えなくなるまで見送ってから、マルグリットは輝く笑顔で振り返り、ぐっと拳を握って見せた。アレクシアとキャロラインが、よくやったと親指を立てる。

 ……女って、怖いな。


 * * *


 さて、教皇にはああ言ったが、馬鹿面下げてここで待っていても仕方ない。


 まずはベヘンディヘイドの王宮に黒耀竜討伐を報告し、回収部隊を派遣してもらわないとな。

 死体が腐らないようマルグリットに〈保存プリザベーション〉をかけてもらい、魔物に食い荒らされないよう結界も張ってもらう。


 見張りにキャロラインの使い魔を置いたら全員で一路、デイズボーンの街へ帰還した。

 馬を返すとともに領主へ報告したら、ひとまず最初の段取りは完了だ。今後は領軍、次に国軍が派遣されることになるだろう。


 黒耀竜の脅威に晒されていたデイズボーンの領主は大喜びし、街を挙げて歓待すると申し出てくれた。

 竜の遺骸を確認してからの方がいいんじゃないかな、俺たちが有名冒険者を騙る偽物だったらどうするんだ。


 そもそも黒耀竜が各地で暴れまくったせいで、この国は大きな被害を受けている。

 祭りを開く金があるならその分を復興に回せばいいのに、というのが俺の正直な感想である。


 火巨人の騒動の時にも思ったことだが、領主ってのは領民に直接の施しを嫌がる傾向があるな。

 住人すべてに金をばらまくより祭りを開く方が安上がりだし、街全体を盛り上げて売り買いの流れを作った方がいい、ってことなのかもしれない。


 とにかく昨夜から駆けずり回っていて、疲れた。領主の館の部屋を空けてもらい、少女たちには休んでもらう。

 俺はといえば例によって施錠して罠をかけて、周囲を警戒だ。今晩はゴスとファビアナの三交代で回せるから、非常に楽ができる。


 従者用の控え室で夜番の順を決めていたら、ファビアナが呆れ声で言った。


「前から思っていたけど、アンタ働き過ぎじゃない? 多分アレクシア様たち、イアンの睡眠時間を知ったら、めちゃくちゃ気にすると思うよ」

「だから伝えねぇようにしてるよ。お前らも言うなよ」


 少女たちに戦場で最高の結果を出してもらうために、日常じゃ俺が最善を尽くす。それだけの話だ。


「……お前はすでに、五ツ星の冒険者だ。小間使いに終始していては、肝心の戦闘で足を引っ張る羽目になるぞ」


 ゴスが痛い所を突いてきた。能力が向いているから斥候役を務めてはいるものの、こいつは前衛職としても一流だからな。

 いわば俺の上位互換なわけで、そんなやつに指摘されてしまうと、ぐうの音も出ない。


 魔王軍の十二天将に古代竜、勇者たち三人だけでは対処しきれない強敵と立て続けに戦って、力不足は痛感していた。

 だが、だからといって今さら、どうしろというんだ。仲間に奉仕する時間の全てを修行に充てたところで、目の前のこいつにさえ勝てないだろう。


「一度、ゆっくり考えてみろ」


 言うだけ言って、黒装束のまま長身をソファに横たえたゴスは、すうっと眠りに落ちてしまった。寝られるときにすぐ寝られるのも、冒険者として重要な技能だ。


「アタシは同じ支援職として、アンタのやり方は間違ってないと思うけどね」


 すでに丸くなって目を閉じている魔狼ワーグの、顎と足の間に、ファビアナは小さな体を潜り込ませる。


「アレクシア様たちに相談してみなよ、仲間なんだからさ」


 そう言って彼女も瞑目し、すぐに規則正しい寝息を漏らし始めた。魔狼の方も慣れたものなのか、いちど鼻を鳴らしたっきり起きやしない。


 二人の先達からのありがたい意見に、俺は周囲を警戒しながらも沈思黙考した。

 はからずも教皇が口にしたとおり、最終決戦が迫っている。


 結論を出すまでの時間は、あまり残されていなかった。

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