8-3 羞恥
無事に勝利は成ったものの、凱旋の前に片づけておかなければならない問題があった。
「それで、リット。どうやってここまで? それに、猊下まで」
不審に思っているわけじゃあないが、タイミングが良すぎた。
そしてなによりも問題なのは、ふたり揃ってここにいるということだ。
マルグリットが
生命樹の力を直に引き出す〈顕現〉の呪文は、およそ白魔術でできるあらゆる効果を完全な形で発現できる。半ば精霊と化した聖女に元の肉体を与え、失われた魔力を全て補充することも容易だったろう。
まあその分だけ大規模な儀式を必要とするから、グロートリヴィエの聖職者たちは軒並み、ぶっ倒れているんじゃないかな。
オネッタの引き起こした騒動でてんてこ舞いになっていたところに、申し訳ない話だ。
そしてそれは、マルグリットが昏睡していた原因についても、教皇に知られてしまった……ということになる。
「……」
俺が窺うように視線を投げても、悪人面の教皇猊下はむっつりと押し黙るのみだ。やりにくいな、この人。
「猊下はもともと、グロートリヴィエに向かっていたんです。デ・クレルク司祭の件で」
誰かと思えば、買収されてマルグリットを拘束しようとした司祭か。家族を人質に捕られていた冒険者ギルドの
そして考えてみりゃ、大きな街の教区を預かる司祭が聖女を害そうとした、なんて醜聞は速攻で上層部に伝わるか。
十二天将との戦いの後、魔女がネスケンス師に応援を頼んでいる間に、教皇の方でも動き出していたという。生命樹教会の空御座船、つまりは飛空挺に乗ってだ。
結果として総帥たちの方が早く辿り着いたが、俺たちの出発直後には教皇もグロートリヴィエに到着していたらしい。その後ボウグダーデン城址までは、空御座船で来たんだろうな。
自分たちの飛空挺を手に入れるため、多大な危険を『
まあ考えようによっては、何百万人という教徒の頂点に立つ者じゃないと乗れないようなものを、個人で手に入れようとしてるんだ。ヘレネーナたちの方が凄いのか?
「じゃ、じゃあ、全部ばれちゃったの? あたしたち、これでお別れなの!?」
俺が変なことに感心している間に、事情を悟ったアレクシアが焦燥を口にする。
そう、問題はそこだ。
聖女が生死の境を彷徨ったこと、消滅の危機に瀕していたこと。それが露見させないために、少人数で
こうなってはもう、教皇を筆頭に生命樹教会はマルグリットを保護下に戻し、俺たちと引き離すだろう。全ては、徒労に終わってしまうのか。
「大丈夫です、アレク。魔王を倒すまで、私は、みんなと離れたりしませんよ」
打ちひしがれかけた俺たちを励ますように、聖女は優しい笑みを浮かべた。
いつもの、正体不明の圧を伴った『大丈夫』ではなく、ちゃんと確信を込めて。
「え……でも、猊下がそれを許さないだろう?」
キャロラインの疑問はもっともだ。目に入れても痛くないほど聖女を可愛がっている教皇が、いまさら危険な旅を続けさせてくれるとは思えない。
「交換条件を持ちかけました。そのぉ……ちょっと、恥ずかしいことだったんですが」
顔を赤らめうつむくマルグリット。まさかあの悪人面、彼女が逆らえないのをいいことに破廉恥な要求でもしやがったのか。
聖職者の風上にも置けねえ狒々爺ぃめ、幸い今なら余計な証人もいない、いっそのこと……
「イアン、顔が怖いです」
「いやリット、なにも言うな。たとえ誰になにをされたって、俺のお前への想いは変わらない」
「それは嬉しいですけれど、その、やっぱりそんな後ろめたいことだったのですか?」
なぜかマルグリットは教皇に尋ねた。無垢な少女に己の所業を確認させるとは、なんとも露悪的なこった。
「そんなことはありません。いわば私と繋がる、晴れがましい聖務ですよ」
いけしゃあしゃあと白状しやがったぞ、生臭坊主め。
手前は知らないだろうがマルグリットの体を好きにしていいのは俺だけなんだ、それを、こいつ。
怒りに燃える俺に対して、当の少女はきょとんとした顔をしている。可愛い。だからこそ、それを汚したであろう教皇は許せない。
俺? 俺はいいんだ、相思相愛なんだから。それともなんだ、教皇ともそうだというのか。
そりゃ祖父同様に育ててくれた恩師だっていうし、愛情はあるんだろう。だがそれはあくまで身内の情であって、男女の仲に踏み込んじゃいけない。
まさかこの悪人ヅラ、最初からそういう目的で彼女に近づいたんじゃなかろうな、だとしたら何回殺したって飽き足らないぞ。
「……ねえ、リット。ちなみに君の言う『恥ずかしいこと』ってなんなんだい?」
そんなこと聞くなよキャロライン、わざわざ皆の前で晒し上げちゃ可哀想だ。
俺だって少女の口からそんな告白を聞きたくない。だが男として、恋人として、勇気を持って受け入れるしかないと思っている。
「え? それはその、
「あたしは格好いいと思ったけどなあ」
「ああいうの、ちょっと憧れますわよね」
アレクシアとヘレネーナが珍しく意見を一致させている。あれ?
「アタシは恥ずかしがる気持ちの方がわかるけどね、可愛かったから問題ないって!」
「同意」
ファビアナがにやっと笑い、ゴスがうんうん頷いていた。おや?
「おれは肝心の所を見損ねてるけど、あんだけ強力なら構わないんじゃねえか?」
「皆さん。『
エンリの大雑把なまとめに、教皇が渋い声で苦言を呈す。はて?
忍び笑いを漏らし身を屈めている、魔女の楽しそうな顔といったら。
つまりはその、マルグリットが持ちかけた交換条件ってのは、原初の癒衣を纏って魔法聖女とやらに変身することだったわけか。
俺は浅ましい勘違いをしていたことに気づかされ、顔が熱くなるのを感じた。
いや、だって聖女の物言いや羞恥に悶える振る舞いは、いかにもそういう風だったじゃあないか。てっきり俺ぁ、脅しに屈して彼女がエロ爺ぃに身を任せたのかと。
「イアン、顔が赤いですが、どうしたんですか? どこか痛めたのなら治療を」
「い、いやっ。なんでもないんだっ!」
恋人を寝取られたと勘違いして怒り狂っていました、なんて言えるかよ。
「そのわりには、妙に物騒な気配を漂わせていたわよね。さっきはなに考えてたの?」
ああくそ、こういうときはいつも勘が鋭いな、アレクシア。
でも正直に言ったら呆れられそうだし、教皇への侮辱にもなりかねない。やむを得ん、ここは戦術として撤退を選ぶ場面だろう。
「そういえば魔石を回収しなきゃなあ! いやあ準備だけでも大変そうだ!」
誤魔化しながらするすると後ろに下がり、そのまま身を翻す。
よし、我ながら見事で俊敏な動作と、完璧かつ自然な言い訳だ。
「逃げたね」
「ヘレン、捕まえるわよっ!」
「お任せ遊ばせ! おーっほっほっほっ!」
うわあああ巨乳が追っかけてくるよおおおおっ!
* * *
直進速度で牛女に勝てるわけもなく、俺はあっさり捕まった。
そのまま押し倒されて俺のズボンにやつの指がかかったところで、今度はアレクシアがその後頭部をぶん殴って轟沈させる。
下半身が柔っこいものに包まれて、重いやら生暖かいやらで気持ち悪かった。
その後、取り囲まれてなにを考えていたのかを陳述させられる。
アレクシアとファビアナは乾いた笑いを交わし合い、エンリとゴスはさもありなんと頷いていた。なんだ、意外と似たような考えを持ったやつも多かったのか。
当のマルグリットはというと、涙目で怒って俺の誤解を責め立てる。
「そんな、そんなふしだらなこと、しませんっ! たとえ誰になにを言われようと、私には──」
「はい、そこまで」
無詠唱で放たれた〈
真正面にいた俺には唇の動きでわかる、『私にはイアンだけです!』という熱烈な訴えが。
照れ臭くも大いに嬉しいが、そういえば俺たちがつきあっているのは内緒だった。
なんとなくなあなあになっていたことであるものの、教皇にばれるのはまずい。
「さて。誤解が解けたところで、今後の話をしましょうか」
その教皇が、どうにも物騒な空気を醸し出しながら、重苦しい声音で口を開いた。ひい、怒っていらっしゃる。
そりゃまあ孫同然の相手を手籠めにしようとした助平爺ぃ、なんて勝手にみなされたのだ、怒らないはずはない。誠心誠意、謝罪せねば。
「まずはアレクシア殿、あなたがた一行で、ウェイセイド皇国までご同行願いたい」
え、なに、教会の総本山でわざわざ吊るし上げようっての?
「再び神器を纏える者が現れたこと、それが聖女であることを周知しなければなりません。そして、最終決戦が近いことも」
そんなわけはなかった。
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