7-10 嗚咽


 マルグリットの変身を呆然と見ていることしかできなかった俺たちであるが、キャロラインは、ひらひら可愛らしい服装になにか覚えがあるようだった。


「まさかアレ、『原初の癒衣プライマリキュアラー』かい? 生命樹の葉、そのものを編んで創られた……っていう」


 それは半ば独り言のようなものだったが、教皇ウーレンベックが律儀に答えくれる。


「ほう。さすが大賢者殿、最重要機密の神器についてもご存知か」

「機密もなにも、初代勇者の家に伝承が残ってたよ」


 言われて俺も思い出す、そういえばアレクシアの実家でそんな話を聞いたな。初代勇者の仲間の一人が、神代から伝わる防具を特別に教会から貸してもらった、と。


 その具体的な性能まではわからないが、いずれにせよ遷祖還りサイクラゼイションしたマルグリットが前線に出るのは危険だ。

 物理攻撃に弱い〈精霊転化スピリチュアライズ〉状態で竜の爪がかすりでもしたら、一撃で体がばらばらになりかねない。


 幸いなぜだかこの場に来ている教皇、生命樹教会において聖女に次ぐ白魔術の使い手がいるなら、彼の周囲は安全圏だ。

 魔女の守護は任せられるはずだから、俺は安心して前線へ向かうことにした。


 いつの間にかゴスの黒装束が見えない、あいつはあいつで当初の作戦どおり、中衛での補佐に戻ってくれたのだろう。

 アレクシアが酷く傷ついたことに動揺し、やつにはさんざん暴言を吐いちまった、後で詫びを入れねえとな。


 姿が見えないと言えば、ファビアナはどこに行ったんだか。

 魔狼ワーグがヘレネーナを背に乗せているが、いくらやつが女好きでも、相棒以外を乗せてそう自由自在に動けるとも思えなかった。


 逆に彼女になにかあったなら、魔狼が大人しく牛娘を乗せているわけもない。どこかで隙を窺っているのかもしれないし、気にし過ぎるより自分の仕事を果たそう。

 まずは、どうにかエンリを引っ張り出すか。


「待ってください、イアン!」


 鉤縄を併用して地下へ降りようとした俺を、マルグリットが制止した。

 彼女の変身を目の当たりにして固まっていた黒耀竜が、夢から覚めたように周囲を睥睨している。ちっ、そのままぼーっとしていてくれたら助かったんだがな。


 そんな怪獣を牽制するように、聖女が錫杖を振るうと、枝を象った部分に煌めきが集う。


「マジカル、〈義烈ライチャスマイト〉!」


 なんだ『マジカル』って。ともあれ煌めきが弾けてアレクシアとヘレネーナ、エンリと俺、ついでに魔狼にも宿る。

 その瞬間、腹の奥から燃えるような活力が湧き上がり、体が何倍にも大きくなったような万能感で満たされた。


 対象の全能力を増幅し、防御力や抗魔力を最大化させ状態異常を無効化する、白魔術の奥義だ。

 接触した相手ひとりにしか使えない呪文のはずなのに、どうなっているんだ?


 たしかに白魔術は先ほど教皇が毒気を払った際のように、低級呪文を組み合わせて一度に発動することはできる。

 だが〈義烈〉ほどの呪文を、『マジカル』とやらの一言で複数人に拡大して使うなど、聞いたことがない。


「よっしゃあ! いくわよっ!」


 疑問に囚われたのは俺だけだったのか、アレクシアは意気揚々と双剣を振りかざし、黒耀竜の巨体に飛び乗っていた。

 その背後で先に倍する速度で走る魔狼と、凶暴な笑みを浮かべて次々と矢を放つヘレネーナ。


「どおおおおおっ!」


 そして下から響いてきた気合いの声とともに、エンリが身をもたげているのが見える。その手が竜の足を掴み……げっ、持ち上げた!?

 蟻が象を、人が山を持ち上げるようなもんだぞ、めちゃくちゃだな。強制的に足を浮かされた黒耀竜がわずかに姿勢を崩し、その肩や首に深々と矢が刺さる。


 苛立たしげに振るわれる首を、聖剣と妖刀をぶっ刺したまま勇者が駆け上った。

 ほとんど垂直に近いというのに構わず走るその動きに従い、二条の傷が鱗の表面に刻まれていく。


「食っらえぇぇっ!」


 なんだあの速度、ちょっとでも足を踏み外せばたちまち落下しそうなところを、なんの躊躇もなく突き進んでいる。

 元から思い切りの良いアレクシアだが、聖女が後ろにいるせいか、心配になるくらい前のめりになってるな。


 でも、それがいい。あいつは、あれくらいでいいんだ。

 成長したというなら、そうやって暴れちまえ。そいつを支えるのが俺たちの、俺の役目なんだから。


 俺だってただ驚いていたわけじゃあない、崩れた床や柱を素早く登って高所を確保し、先端に短剣を結びつけた鋼線を振り回す。

 狙いは当然、どでかい目だ。


 瞬膜を閉じて防御しようが、今の俺の膂力に遠心力が加われば、引っかき傷くらいはつけられる。

 多少どころでなく鬱陶しがらせられたか、羽虫を払うような動作で竜が首を振り、アレクシアの剣を突き刺したままこっちに鼻先を突っ込んできた。


「ふっ」


 そのパターンはさっき見たぜ。

 俺は床や壁を右拳の拒馬の拳鍔パリサイド・ナックルで殴りまくって石槍を生み出しつつ、その場を離れる。〈義烈〉の効果で魔力も増しているからか、いつもより太くて長い石槍が生まれた。


 キュグアアアアアッ!


 痛かったのか単に驚いただけなのか、とにかく咆哮を上げながら黒耀竜は、すぐに頭を引いた。その動きに合わせ、アレクシアがうまく跳び離れている。

 そこを狙い澄ましたかのように、いつの間にか回り込んでいたヘレネーナの矢が突き立った。


 一瞬の間を置いて命中した場所、肩甲骨の間が爆発する。

 おおう、そういえばあそこに炸薬樽を埋め込んでいたな。遅ればせながら牛娘が、火矢を射ち込んでくれたってわけか。


「マジカルぅ……〈天罰ラース〉!」


 上空に向かってマルグリットが、白い光をぶっ放した。白魔術には珍しい攻撃呪文で、不可視の衝撃で相手を打ち据えるというものだ。

 それが白い光を帯びた上で、大きな家屋でも吹っ飛ばせそうなくらいの太さを持って放たれる。


 狙いは当然ながら竜、ではなかった。さすがに古代竜の魔法無効化能力を突破するほどの力はないのか、白光は上層階の床やら壁やらを破砕しながら周回する。

 緒戦で俺たちが移動に使った回廊が、まるっと打ち壊された。


「地の底深くで圧し潰せ、〈重圧プレッシャー〉!」


 使い魔を通じてタイミングを合わせたのだろうか、間髪入れずキャロラインの呪文が放たれる。

 重力を操る魔術で、空中に散った数多の瓦礫をまとめ上げ、竜の頭部よりも大きな塊として落下させた。


 がずっ、と鈍い音が響く。速度はなくとも後頭部にあれだけの重量物を落とされては、さしもの黒耀竜も首を下げざるを得ない。

 その眼前に影が渦巻いて、ゴスが現れた。禍々しい輝きを帯びた長柄の斧を構えており、無音の気合いとともに突撃する。


「マジカル〈怪力マイト〉ぉ!」


 直前、マルグリットから〈義烈〉と同系統の、膂力だけを増大させる呪文が飛ぶ。煌めきを帯びた腕が振るう斧は一筋の光となって、竜の鼻先を断ち割った。


 キュゴ……ァアアアッ!


 詰まった悲鳴を上げた黒耀竜は、追撃を厭うように腕を振り払う。撥ねられそうになったゴスであったが、その眼前に巨体が割り込んだ。


「どぅおっせいっ!」


 拳を振るったのは、遷祖還りを解除したエンリだ。

 気合いとともに打ち出された拳は『気』の力を帯びてか、波紋を広げてぶち当たり、壁が迫るがごとき竜の手を受け止めきる。


 そしてその腕に、先の瓦礫に紛れていたアレクシアが着地した。片手に聖剣、もう片手には妖刀ではなく魔剣『吹き散らすものエクスティンギッシャ』を携えている。

 彼女の周囲に漂う煌めきと、大剣から吹き出す光が、溶け合って渦を巻いた。


「はああっ!」


 光が、まるで片方だけ生えた翼のように勇者の背を押す。滑空する勇者の体は錐揉み回転し、伸ばされた聖剣が回転に合わせて何度も竜の腕を切り刻んでいった。

 聖剣の昂進効果が発揮されるよりも速く、無数の傷がつけられていく。


「ああああっッ!!」


 増していく聖剣の光を、置き去りにするように。

 旋回するアレクシアの体は竜の肘から肩、そして顔の側面と一方の牙を螺旋状に削り取って、更に高みへと突き抜ける。


 血を吹き出しながら空を見上げる竜の視線の先で、回転を止めた勇者は、ばっと四肢を広げた。

 天から差し込む陽光が、怪獣の鼻先に彼女の影を落とす。


 キュ……ゴ……ア……ッ!


 手放した大剣を蹴って、アレクシアが反転した。

 両手使いの聖剣をまっすぐに、一筋の光のように、黒耀竜の眉間に突き刺す。


 何十回という連撃でため込んだ力が、その瞬間、一気に解き放たれた。

 爆音! そして巨岩が砕けるように、竜の後頭部が弾け飛ぶ。


 キュウ……ガァ……ァ……ッ


 それが何千年という時を生きた古代竜の、断末魔の叫びであった。


 ゆっくりと倒れていく竜の頭部から跳躍し、アレクシアはマルグリットの横へ軽やかに着地する。

 撒き散らされた竜の血が雨のように降り注ぐが、聖女から放たれる光に遮られ、その血が少女たちを濡らすことはなかった。


 そうして血の雨が収まるのを、見送った後。


「……助けてくれて、ありがとう」


 絞り出すような声で、勇者が礼を言う。


 聖剣を鞘に収め、震える手をマルグリットに伸ばした。


「……勝ってくれて、ありがとう」


 その手を取って自分の頬に触れさせ、少女は微笑む。

 対照的にくしゃりと顔を歪めたアレクシアは、そのまま彼女に抱きついた。


「リット! リット、リットぉ! ごめん、ごめんねぇっ!!」

「もう。なんで謝るんですか」

「だって、あたし、あたしが弱かったから! リットに、守らせてばっかりでっ!」


 それ以上は言葉にならず、小さな聖女にすがりついて、勇者は嗚咽を漏らし続ける。


 戦っているときも、この場に来るまでも。マルグリットが昏睡してからずっと、気を張っていたものな。

 無我夢中で戦っていた間はともかく、戦いが終われば、積もりに積もった感情が爆発するのは仕方ない。


 かく言う俺も、ちょっと泣きそうだ。格好がつかないので奥歯を噛みしめて、保護者のような面持ちで少女たちを見つめる。

 と、後ろから袖が引かれたので振り返ると、なんとも微妙な表情のキャロラインがそこにいた。


「……出遅れた……」

「いや、いいから混ざってこいよ」


 ぴゃーぴゃー泣いているアレクシアの髪を撫で、聖女は優しく抱きしめ返している。なんというか、二人の世界って感じだ。


 うん。あそこに割り込むのは、ちょっと勇気がいるな。

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