7-5 教師
古代人は魔物を恐れるあまり、生活における利便性を後回しにしたのだろうか。
城内の通路は上層に行くに従って複雑さを増し、折れて曲がって上がって下がり、と数十歩分を前進するのでさえ時間を要するようになっていった。
その上ところどころに罠や隠し通路が仕掛けられ、なんとか製作した側の意図を推測し道筋に検討をつけても、経年劣化による崩落や倒壊が予測を覆してくる。
悪意を感じるほどに進み難い、こんなんところで生活していたら頭がおかしくなるだろう。
俺ひとりだったら根を上げて、キャロラインにまとめて破壊してもらうよう提案するところだ。
しかし今回は、ファビアナがいる。この
いかなる罠も隠し通路も事前に説明を受けたかのように見抜き、前後左右どころか上下すら怪しい道筋も抜群の空間把握能力で最短路を見つけ出す。
ちょっとした違和感や些細な不自然さから正解に辿り着く観察力は、
ともに偵察を務めながら俺は、彼女の素晴らしい腕前に舌を巻く思いだった。
勇者パーティの斥候として自分の技倆にはそれなりの自信があったが、まだまだ小僧の域だったと思い知る。
「イアン、あれ。わかる?」
小さな指が示した先には、一見なんの変哲もない壁が続いていた。だが、これまでの道行きから、この形状の通路がただ真っ直ぐ続くのはおかしいとわかる。
「……隠し狭間か」
「正解。耳を澄ませてごらん、アンタならわかると思うよ」
言われて、いつの間にか視覚に偏重して、通路を探っていたことに気づかされた。
くそ、五感すべてを使うなんて基本中の基本なのに、単調な通路に視線を誘導されていたのか。
互いの息づかいや
構造に覚えた違和感と合わせれば、ファビアナに指摘される前に気づけたはずだ。
壁に近づき目当ての箇所を小突くと、案の定そこだけ壁が薄くなっており、呆気なく穴が空く。魔物がここまで攻め込んできた場合、壁の内部からここを突き破って攻撃するのだろう。
ということは当然、壁の向こうには守備側が用いるための隠し通路があるということだ。そちらの方が、上層階へは早く着けるようになっている可能性が高い。
「それにしても大したもんだね、教えることを片っ端からモノにして」
「教師がいいからな」
穴から通路を覗き込む俺に、ファビアナが感心したように言った。
たしかに、今までやって来た経験で欠けているところを吸収でき、斥候として成長しているのが実感できる。実地に勝る訓練はないし、自分で言ったように教師がとびきり優秀だ。
「そうじゃないよ。熟練の冒険者なんて、みんな自分のやり方を持ってる。固執してる、って言ってもいい」
それは、そうかもな。危険の間を綱渡りして生きていくような人生を送っていると、どうしても経験や感情に重きを置くようになっていく。
特に生死の境を乗り越えて得られた自分なりの教訓は、それが偶然の産物であっても、他人から覆されたくないものだ。
「それなのにアンタは、素直にアタシの教えを聞いてくれるでしょ? それが大したもんだ、って言いたいの」
「ひと回り年下の娘連中とつきあっているとな、おっさんの固定観念なんて無意味だって思い知らされるんだよ」
それでなくとも常識外の三人組だ、あいつら相手に俺の経験則なんて当てになりゃしない。だから変にこだわって成長を拒むよりも、いいと思ったことはどんどん吸収していこう、と決めているんだ。
ふうん、と応じたファビアナは、幼い顔に不似合いな意地の悪い笑みを浮かべる。なんだよ、なにか言えよ。
「いや。仲のよろしいことで、ってね」
「あ、おい。つきあうってのは、そういう意味じゃないからな」
今の話は、あくまでパーティとしての意味だ。無論、男女のつきあいもあるのだが、そっちは今は関係ない。
「んふっ、そういうことにしといたげるっ」
まあアレクシアたちとの深い仲は世間に知られたくないものだし、そういうことにしておいてくれるなら、ありがたいけどよ。
なにか釈然としないものを抱えたまま、俺たちは探索を再開した。
* * *
迷路のような、というより下手な迷路以上に複雑怪奇な道のりを突破して、俺たちはようやく最上層に辿り着くことができた。
ここまでの行程で相当の時間がかかっており、外周部に配された部屋からは明るい日差しが差し込んでいる。
古代人の遺した悪意に四苦八苦しているうちに、この城址の現在の主は帰還していたようだ。
狭い通路の先から錆びた鋼のような臭いと、濃密な魔力が漂ってくる。
「『火口』の様子は、こんな感じだったよ」
先行偵察から戻ったファビアナが、取り出した紙に概略図を描いてくれるのを、全員で車座になって見守る。
ヘレネーナがくっつきたそうにしていたが、俺の左右は勇者と魔女にがっちりガードされていた。
それはともかく図によると、台形の丘のほぼ中央に大穴が空き、深さは八階層分にも及ぶ。穴はほぼまっすぐな筒状で、直径は優に数十歩分。
想定していたよりも、穴の面積が大きい。魔力を黒耀竜に察知されるおそれがあるため、事前にキャロラインの使い魔で偵察できなかったのが痛いな。
「ひとつ下の階がちょうど回廊状になっていて、ほとんど障害物がなかった。エンリ以外なら、駆け抜けられると思うよ」
「おれは?」
「床が抜けるんじゃないかな」
ま、仕方あるまい。他の面々に回り込む余地があるだけ、幸いとさえ言える。
黒耀竜は穴の底にうずくまって眠っているそうだが、竜の鋭敏な感覚を考えればあまり多くの仕掛けは施せまい。
目覚めた後は普通に正面からのぶつかり合いになるだろうから、早い段階でどうにか翼を封じないと、飛んで逃げられたらおしまいである。
そのためにわざわざ時間をかけて最上層まで登ったのだ、地の利を生かさないとな。
じつのところ当初は城址に入ることさえなく、離れた場所から〈
しかし下手をすると魔石が回収できない恐れに加え、
「直接的な攻撃呪文が無効化されるってんなら、“蒼葬”みたいに溺死させるか?」
「いや、ほとんどの幻獣は呼吸をせずとも生存可能だよ。そもそも、この巨体を溺れさせられるだけの水が、手に入るとも思えないね」
概略図の底に座る、妙に可愛らしい竜を魔女が示す。建物の方は写実的なのに、なんで獲物だけこんな間抜けな絵柄なんだよ、和んじまうだろうがよ。
「あたしが背に飛び移って、翼を叩っ斬ろうか?」
「一撃で両の翼を断ち切れればよろしゅうございますけれど、それがかなわなかった場合、振り落とされませんこと?」
アレクシアの質問に対し、牛娘は浮かない顔で返した。
魔力を大質量の斬撃に変換できる『
むしろ聖剣であればたとえ二、三発は鱗に弾かれたとて、威力が強化されていくことでそのうち断ち切れるだろう。問題は、それまで敵が待ってくれるかだ。
もう片方の翼をエンリに担当してもらい、同時に攻撃していけば、飛び上がる前に痛手を与えられるか。
「失敗すれば、前衛二枚が一気に失われるぞ」
ゴスが懸念を口にした。二人なら落下しても大怪我をすることはないだろうが、飛び立った竜に再攻撃することはできなくなってしまう。
事前に〈
「ヘレンたちはもともと、どういう作戦を考えていたの?」
逆に問うた勇者に対し、ヘレネーナはぽってりとした唇に色っぽく指を沿わせ、考えをまとめるようにぽつぽつ喋る。
「わたくしが遠間を回り込みながら、背中を連続して射ちまして、どうにか足を止めたところを、エンリが踏み込んで、ゴスは……わたくしの護衛役、かしら?」
「なんも考えてなかったんかいっ!」
変な口調でアレクシアが指摘した。
手のひらを内側から外側へ振るような仕草をしているが、あれはなんのジェスチャーなんだろう。
とはいえ彼女らの準備不足は、俺たちの都合で急遽の討伐を行う羽目になったせいだ。本来なら大規模な人員を揃えて軍と協力し、万全の態勢で臨むべき戦いを、急かしてしまった。
それに大型の魔物の攻略手段として、牛娘はべつに間違ったことは言っていない。苦労して高所に陣取ったのも、彼女の弓の技を最大限に生かすためだしな。
たとえばここが山間や平野なら、他に間接射撃という手もある。相手の視界外から、観測役の連絡誘導に従って狙い撃つやり方だ。
実際、十二天将から俺たちを助けてくれたときも、それで不意打ちをかましてくれたわけだし。
ただ、いかにヘレネーナの矢が強力でも、短時間で黒耀竜の翼を使い物にならなくさせられるかというと……ちと厳しいか。
かつて退治した魔竜、呪いの力で強化された
直接的な攻撃呪文は無効化されるおそれがあり、物理攻撃で落とすには相手の防御を突破するのに時間がかかりそう。であれば……
「あ、イアンが悪い顔になった」
「なったね。またなにか、外道な作戦を思いついたらしいよ」
「悪い殿方なイアン様も素敵ですわっ」
まだなにも言ってないのに、女たちが勝手なことを抜かし出した。くそう、マルグリットがいないと誰も擁護してくれやしねえ。
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