7-4 成長


 ふごっ、ふごっ、と鼻息荒く豚鬼オークの集団が突っ込んでくる。

 上空に浮かぶ魔術の光球によって照らされた、アレクシアにキャロラインにヘレネーナ。見目麗しい美少女と美女が肌も露わな格好で揃い踏んでいることに、興奮が抑えきれないんだろう。


 豚鬼は名前のとおり豚に似た頭部を持つ人型の魔物であるが、猪の獣人セリアン遷祖還りサイクラゼイションした姿とは大きく異なり、緑色の肌と赤く濁った小さな目が邪悪さと無思慮さを際立たせていた。

 小鬼ゴブリン以上に欲望に忠実で性情は残忍そのもの、そして体格や膂力は人族ヒューマを優に超えるという厄介な魔物である。


 その上この城址に住み着いた連中は、黒耀竜から垂れ流される魔力を浴びているせいか、通常の豚鬼よりひと回り大きな体つきを備えていた。

 脂肪の塊のような体躯ながら、大剣や戦斧を軽々と振り回し突進してくる。常人の兵士であれば五倍や十倍の軍勢を揃えても蹴散らされそうな圧力に対し、迎え撃つのはたったの二人。


「どっるぁっ!」


 肥大化した豚鬼の巨躯に対して同じくらい大きく、圧倒的に締まった肉体を持つエンリは、振り下ろされた大剣をものともせずに踏み込んだ。

 捻りを入れた正拳は突き出した牙をへし折り、上を向いた鼻に叩き込まれる。


 水の詰まった堅いものが潰れる、嫌な音がした。眼球や脳漿を目と耳から噴き出しつつ倒れる正面の敵に構いもせず、厳族ヨトゥンの拳士は引き抜いた拳を横様に振るう。

 その肩にめり込まんとした別な豚鬼の戦斧が、裏拳に弾かれ握った腕ごとへし折られた。


「もういっちょっ!」


 すっと沈んだ巨体が片足を伸ばして回転する。水平な蹴りに足を払われ重い体を転倒させた豚鬼は、続く踏みつけで呆気なく頭部を砕かれた。

 その勢いのままに巨体がふわりと跳躍、身を捻るよう繰り出された後ろ回し蹴りが、わずかに怯んだ更に別な豚鬼の顎をかち上げる。伸びきった首から頸骨の割れる不吉な音を響かせ、弛緩した巨体は仰向けに倒れた。


「おらおら、どんどんかかってこい!」

「相変わらず騒がしいわね」


 吠えるエンリの傍らを影のようにすり抜けたアレクシアが、左右の鞘から長剣とカタナを抜く。どちらも魔術で鍛造された逸品だが、特殊な効果が付与されたわけでもない、ただ鋭いだけの武器だ。

 しかし勇者が駆け抜けざまに振るうたび、豚鬼の首が熟しきった実のように落ちていく。冗談のような光景に、涎を撒き散らして興奮していたはずの豚鬼どもが足を止め、逃走か反撃かと悩むように身を強ばらせた。


 その頭部に、次々と矢が突き立つ。それなりの強さを持つ魔物の頭骨を易々と貫通し、一矢一殺で討ち倒していった。

 まるでそういう競技のごとく淡々と矢を放つヘレネーナによって、遠間にいた豚鬼は戦場に辿り着くこともなく、人形のように倒れていく。


 しかしあれだけの巨乳なのに、よく弦にぶつけないな。

 一射ごとに胸がぶるんぶるん揺れているのだが、矢を放つ動作の妨げになっていない。むしろその技術の方が凄い、とさえ思えるほどだ。


「出る幕なしだね」


 ついつい視線をやってしまっていた俺に、ステッキで手を叩きながら呆れ声で話しかけてくるキャロライン。いかん、なにか誤解させてしまったかもしれない。

 俺は巨乳好きじゃあない、むしろお前くらいの大きさがいちばん好みだ、というか乳よりくびれ派だ、動く物を目で追ってしまうのは獣人の本能なんだ、信じてくれ。


「……任せときゃいいさ」


 脳内で高速の言い訳を垂れ流すも、表面上はおくびにも出さず、俺は肩をすくめて見せた。

 よし、魔女は気にした風もないな、やれやれと内心で汗を拭う。


 ふと気配を感じて振り返ると、通り過ぎてきた道の天井から、子牛ほどはあろうかという巨大な蜘蛛が迫ってくる。

 だが俺が武器を抜くより早く、跳躍し壁を蹴ったゴスが、手斧の一撃で蜘蛛の頭部を叩き割っていた。


 俺では格納庫手ガントレット・オブ・ホールディングから鉤縄を撃ち出さねば到達できない高さだというのに、黒装束の戦士の動作は花壇の柵でも跳び越えるかのように無造作だ。

 その長身が落下するより早く、蜘蛛の体を蹴り飛ばして姿勢を変え、難なく着地する。


「あっ。こら、ルッコ、駄目!」


 ファビアナの焦った声が聞こえたので再び前を向くと、豚鬼の死骸の奥に沸き上がった黄白色の煙に、魔狼ワーグが突っ込んでいくところだった。

 ありゃ煙々羅フューマーか、有害な煙で体を構成した面倒な魔物だ。当然ながら物理攻撃は通用せず、魔術で焼き払うか吹き散らす他ない。


 しかし魔狼は意にも介せず煙の中に身を踊らせると、牙を剥きだし煙の魔物を──かじり取っちまった。え、なにそれ食えるの?

 俺が目を丸くしている間にも魔狼は濃紺の尻尾を振って、人間なら吸い込むだけで死にかねない毒気をばくばくと貪ってしまう。


 なんだかアレクシアの実家で作ってもらった、綿状の飴を思い出すな。マルグリットがいたく気に入って、口の周りをべたべたにしながら食ってたっけ。


「……たしかに一流の馴手ライダーに育成された魔物には、特殊な能力が備わるけれど、は想定外だね」

「まったくだ」


 竜なんかの幻獣の類いは、物理攻撃が無効の魔物にもダメージを与えられる、でも食ったりはしないよな。

 見事に煙々羅を平らげて戻ってきた相棒を、ファビアナが叱りつけている。


「ああいうは食べちゃ駄目、って言ってるでしょ!」


 きゅーん、とうなだれ尻尾を丸める魔狼。いじらしい仕草に見えなくもないが、幼女めいた馴手とでは体格が違いすぎるため、遠目に見ていると彼女まで食われてしまわないかと心配になる。

 ともかくそいつを最後に、襲撃してきた魔物は全滅した。いや、大蜘蛛も煙々羅も、豚鬼どもが騒いでいたから寄ってきただけなんだろうが。


「完勝ですわね。アレクシア様がいらっしゃると、前衛が安定して頼もしいですわ」


 とことこ寄ってきたヘレネーナが、顔を綻ばせる。そうは言うが今回の戦いでの殺害数は、こいつが群を抜いて多かった。

 アレクシアが六匹、エンリが五匹に対して、牛娘だけで十匹を倒している。


 一撃で倒せる程度の相手だと、いかに勇者が素早かろうが、弓矢の速度にはかなわない。ましてヘレネーナはその怪力に耐えられる剛弓を、全力で引かず数を撃つこと優先で連発していたのだ。殲滅効率に差が出るのは、当然と言える。

 討伐数を競っているのではないから、気にすることではないとはいえ、戦闘に特化した七ツ星冒険者の実力をまざまざと見せつけられた気分だった。


 しかし、それを差し置いてもアレクシアの動きにキレがなかった気がする。普段ならもう三、四体は斬り倒せたと思うんだが。


「まだ調子が悪いのか?」


 すでに傷はすっかり言えて、包帯も解いている。戻ってきた彼女に聞いてみると、勇者自身よくわかっていないように首を捻っていた。


「うーん。なんかね、剣が軽すぎるのよ。聖剣を使ってるみたいに、変な後押しがある感じ」

「そりゃ、アレじゃねえか。急成長した体に意識が追いついてない、ってやつ」


 エンリが推測するが、そうなる要因が思いつかない。

 四天王との戦いを経て彼女が成長したのは間違いないが、その後の戦いでは火巨人ファイアジャイアントくらいしか倒しておらず、十二天将には一方的にやられてしまった。


 冒険者が戦いを経て強くなっていくのは、魔物を倒しその強さを吸収しているから、という説が優勢だ。敗戦を経て気構えが変わることはあっても、肉体が急成長するということはあるまい。

 あるいは勇者の称号を持つ者には、敗北さえも直接的な糧となるのだろうか。今までも苦戦したり傷ついたりすることはあったが、あそこまで完全かつ一方的な負けというのは、アレクシアからすれば初めての経験のはずだ。


 敗れたことへの悔しさ、実力不足を思い知らされた劣等感、結果として仲間を失うかもしれないという恐れ。

 俺の半生ではさんざん味わったことだが、勇者にとっては、かつてなかった体験なわけで。


 それが、新たな力を開花させる呼び水となったのだとしたら。


 なんて残酷なんだろう、齢十五の少女に課される苦難としては、重たすぎる。

 馬鹿げた妄想だ、そう思いながらもしかし、俺は浮かんだ推測を否定することができなかった。

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