7-6 咆吼
「果ての空にて礫よ動け、礫よ旅して岩へと育て、育ちし岩よ星海を渡れ、渡りし星で破滅を孕め……」
朗々たる魔女の詠唱に従って、周囲には圧力を持った魔力が風のごとく吹き荒れ、空はにわかにかき曇る。
遙か天より飛来する破滅の轟音を察知してか、台地の底にてうずくまる漆黒の塊が身をもたげた。
「破滅よ天を裂き
空を裂き、火の線を引いて岩塊が、高空から豪速で真っ直ぐに落下する。
その直前、地にわだかまる黒い闇の直上に、一本の矢が放たれていた。先端には矢尻代わりに紡錘形の木材が取りつけられており、練習や競技などで標的を傷つけないためのものとわかる。
黒耀竜の頭上、二階層分ほど高い空間で、その矢に〈隕石〉はぶち当たった。
大音響とともに着弾した燃える岩塊は弾け、花火のように割れ散る。
タイミングを合わせたとはいえ矢が到達するであろう位置を狙い澄まし、動かない標的に当てることも難しい大魔術を精緻なコントロールで制御しきったキャロラインの技量には、戦慄さえ覚えた。
まあ、そうするように指示したのは俺なんだがよ。
作戦を聞いて引き攣った笑みを浮かべた魔女は、『キミ、ボク相手ならなにを提案しても通ると思ってない?』と据わった目で問うてきたが……実際に、成功しているしなあ。
キュアアアアアアッ!
意外と澄んだ声で黒耀竜が咆哮する、その声をかき消して爆発音と崩壊音があたりを満たした。
同時に凄まじい振動が足下といわず全周囲から襲ってきて、ボウグダーデン城址が揺れていることがわかる。
全ては、竜の頭上で爆裂した〈隕石〉によるものだ。熱風と衝撃波が周囲に満たされ、それを浴びた壁が崩落する。
直接作用する攻撃呪文が無効化されるとしても、呪文によってもたらされた物理的な破壊の影響は免れまい。
そう踏んだ俺はキャロラインに黒耀竜ではなく、その頭上にヘレネーナが射った矢を狙わせた。
なにもない空中で〈隕石〉を発動させられるかと聞いたら、それは無理だというので、代わりの標的として矢を用意したのである。
飛び回る
おかげで上層階以外は滅茶苦茶な有様だ。
事前に彼女の使い魔を通じて馬たちは逃がしているが、無事に範囲外に出られたか、少々心配になる。
「まさか、こんな手で魔術の無効化能力を回避するなんて……」
最上層のひとつ下、大穴の周囲で回廊状になった通路から足下を見下ろし、ヘレネーナが震える声で呟いた。
自分の放った矢が、大爆発とともに岩や炎や衝撃波を撒き散らしているのだ、そりゃ恐ろしいだろう。
その隣で弾着を見守っていた俺は、しかし舌打ちしてしまった。
これで決められるとは思っていなかったが、炎の中で揺らめく気配には、いささかの淀みもない。
キュルァアアアアッ!
再び咆哮が鳴り渡ると、あたりに散らばり朽ちた建材を燃やしていた炎が、渦を巻いて中心に集まっていった。
火や熱気ごと、周囲の魔力を吸収しているのか。
やがて全ての火がかき消え、陽炎の残滓をまとって黒光りする巨体が現れる。
でかい。改めて見下ろすと、馬鹿げた大きさだ。
鼻先から尻尾まで真っ直ぐに伸ばせば、大穴の直径をも越えるだろう。
首が長く頭が大きい、蝙蝠に似た羽を背に持つ蜥蜴、という竜の基本形状を押さえてはいる。だが前肢がやけに長く筋肉質な胸部のため、首の根元から下のシルエットはむしろ類人猿めいて見えた。
黒光りする鱗は成熟した松かさのように一枚一枚が逆立ち、峻険な岩山が生命を得て動き回っているかのようだ。
魔獣、幻獣というよりも『怪獣』という言葉がしっくりくる。
「いけるか!? アレク、エンリ!」
「もちろんよ!」
「まかせとけ!」
大声で怒鳴ると、既に駆け出していた二人から異口同音に応諾が返る。
アレクシアは回廊の反対側まで目にも留まらぬ速度で到達すると、そのまま躊躇なく穴の底に向かって飛び降りた。
奥の通路から走ってきたエンリは、俺たちの頭上から現れ、そのまま落下する。
「キャロ、ヘレネーナ、いくぞ」
「ああ!」
「かしこまりましたっ」
俺たちは一群となって回廊を移動する。
牛娘が先行して射撃に適した位置取りをし、俺はその直掩、魔女は一歩引いた位置から状況に応じて魔術を使う。
『ファビアナ、ゴス。お前らが一番危ねぇ役目だ、無理はするな』
『わかってるって! しかし慣れないね、これ』
『承知』
さて、本番はここからだ。
相手は肉体の強さだけならおそらく大陸最強、対してこちらは七ツ星パーティ二組といえど絶対の守護者たる聖女を欠いている上、作戦もぶっつけ本番である。正直、勝ち目は薄いと俺は見ていた。
だが、やらないわけにはいかない。無事に帰って、またマルグリットと一緒に旅をするんだ。
* * *
まず先手を打ったのはアレクシアだ。
落下速度を調整していた〈
「はぁぁっ!」
勝負は、竜が完全に身を起こすわずかな間で決まる。あの体型で完全に直立されたら、足場を確保するのは難しい。
一刻も早く、一発でも多く連撃を叩き込む、それだけを考えて剣を振るう。
がじん、がじん、という剣戟においては耳慣れぬ音が聞こえてきた。
岩壁を槌で殴りつけているような堅く、詰まった響きだ。しかし攻撃が命中する都度に剣速は増していき、剣の斬り裂く範囲が広くなっていく。
よし、聖剣は
あまりに巨大すぎて聖剣が『敵』じゃなく『地形』としか認識できなかったらどうしよう、という懸念もあったのだが、それを払拭した形だ。
だが、対象がでかすぎるのも、たしかだった。
連撃はとうに五往復を越えているのに、巨木の幹のごとき翼の根本をわずかに傷つけたに過ぎない。
「アレクシア様、交代だっ!」
遅れて着地したエンリが、鱗を踏みしめようやく追いついた。
そして勇者の手から聖剣がすっぽ抜ける前に後退させると、彼女のつけた傷に向かって両の掌を叩き込む。
「破ぁっ!」
掌底が光を放ち、上層の俺たちにまで振動が伝わってきた。
素手で戦うやつのような拳士は普段から全身に『気』、すなわち魔力で増幅された生命エネルギーを巡らせ、肉体を強化・硬化させている。そのエネルギーを掌に集中し、解き放ったのだ。
気の力は他者と同調させれば傷を癒すこともできるし、逆に反発させれば傷はいっそう大きく開くことになる。
アレクシアのつけたわずかな切り傷が、
キュアァアアアアッ!
余裕ぶって首を巡らそうとした黒耀竜が、思わず、といった風情で咆哮を上げた。
ついた傷など圧倒的な体躯からすれば何百分の一といったところだろうが、人間だって爪が剥がれりゃ激痛を覚えるんだ。平然としちゃいられないだろう。
「お嬢っ!」
アレクシアとともに場を開けながらエンリが野太い声を寄越すが、その頃には既に射撃態勢に入っていたヘレネーナは、つがえ終えた矢を放っている。
黒耀竜が背に乗った小さな生き物を振り落とそうと身悶えするより早く、赤黒い肉が覗く傷口に矢尻が突き立った。
といってもそれは、矢羽根以外が一体成形の鉄でできた、先端を尖らせた鉄の棒とでもいうべきものだ。
「っらあっ!」
そいつの末端を、気で拳を強化したエンリが殴りつける。ぞぶり、と音が聞こえそうな鈍々しさで、鉄の棒が半ばまで潜り込んだ。
キュゴァアアアアッ!
もう一撃、と拳を振り上げたところで、黒耀竜が悲鳴じみた咆哮とともに上体を起こす。咄嗟に鉄の棒を掴んで体を支えたエンリを、長い首を回した竜が牙を剥き出し睨みつけた。
象と蟻ほども大きさの異なる相手に対し、ひと呑みにしてくれようと大きく開いた、その口に。
「久遠の檻に囚われ氷れ、〈
飛燕のような軌道で矢が舞い込み、その矢を中心に莫大な量の氷が生まれる。
太い柱となって竜の舌の上にそそり立ったのは、対象を大質量の氷で封じ込める〈氷棺〉の呪文だ。
空中ならともかくほぼ体内といってよい口腔で発動するかは賭けだったが、うまくいってほっとする。
焦り顔で鱗を手がかりに背を降りていくエンリとは反対に、大剣『
「その牙、もらったあっ!」
大音声とともに振り抜かれた大剣の軌道に沿って、光の斬撃が放たれる。上から見ていると三日月状の光は、竜の頭を飲み尽くさんほどだ。
こいつは決まった、流石に頭を落とすまではいかないだろうが、勇者の宣言どおり牙の一本は叩っ斬れるだろう。
そう確信した、俺の眼下で。
氷柱を噛み砕いた竜の鼻面が、向かいくる斬光ごとアレクシアを跳ね飛ばした。
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