7-2 護衛


 さて、時間はあまりない。最短で明日の夕刻には、教皇が到着してしまう。

 今は宵闇が迫る頃、つまり猶予はせいぜい二十時間。


 およそ大陸における最強の存在たる古代竜エンシェントドラゴンを、そんな短時間で討ち倒そうというのだ、冗談でなければ狂気の域だろう。

 だが俺たちは、なによりアレクシアは、それを成すつもりでいた。


「そういえばリットはどうするの? さすがにこのままにしておく、ってわけにもいかないわよね」

「それについては、信頼できる護衛をお願いして……ああ、ちょうどご到着かな」

「まあこいつらと同じで、聞き耳を立ててたんだけどね」


 ヘレネーナたちが開いた扉からファビアナが顔を覗かせ、親指で牛娘を指した。

 その小さな体が消えたかと思うと、入れ替わるように扉の前に姿を見せたのは、小洒落た外出着に杖をついた老婆であった。その背後からは、エンリ以上の巨体を持つ厳族ヨトゥンも顔だけ見せる。


「ネス婆ちゃん!? それに、ギルマスまで!」

「でかい声を出すんじゃないよ、まったく」


 驚愕するアレクシアに対し、顔をしかめたネスケンス師が、杖を突いて歩み寄ってくる。彼女に足が悪かった印象はないんだが、やはり寄る年波には勝てないのか。


「失敬なやつだね、ある物は使う主義なだけさ」


 なにも言っていないのに考えを読まれたように、説教される。つまり魔術師として杖が必要で、杖があるから突いているだけだ、と言いたいのだろうか。


 王都とグロートリヴィエの街は転移の魔道具で結ばれているものの、使用には結構な費用と特別な許可が必要になる。

 魔術師ギルドの総帥に冒険者ギルドの管理者マスターとなれば許可の方は問題なかろうが、費用については……まあ、ハンネス王子にお願いするしかないだろうな。


 いずれにせよ心強い援軍だ。ネスケンス師は研究者の面が強いが、魔術師としても超一流。なにより総帥の権限で、事情を詳らかにせずとも魔術師ギルドの人員を動員できる。

 ドッシも引退したとはいえ元は六ツ星の前衛職だ、護衛として不足はない。


「大体の経緯は、ちっこいのに聞いたよ。古代竜とやりおうだなんて、本気かい?」

「教皇がリットを閉じ込めないって保証するなら、戦わなくてもいいんだけどね」

「ふん。あの聖女馬鹿に、そりゃあ無理な相談だろうね」


 マルグリットの師でもある教皇の、彼女に対する溺愛っぷりは、俺たちもよく知っている。

 実の孫でもあそこまで甘やかさないぞ、というくらいの猫かわいがりで、冒険の旅に出したこと自体が奇跡のようなものだ。


 そんな彼女を傷物にしたなんてことが知られたら、俺は生命樹教会すべてを敵に回す羽目になるかもしれない。魔王軍と大陸中の聖職者、双方から狙われるとか、一介の支援職には荷が重すぎるってもんだ。

 とにもかくにも、マルグリットを無事に元に戻さないとな。


「師匠、来てくれてありがとう」

「愛弟子たっての頼みとあっちゃあ、仕方ないよ……姉弟子が、迷惑をかけたね」


 改めてキャロラインが礼を告げると、いつものようにつっけんどんな態度ながら、思いもかけず優しい言葉が返ってくる。

 教皇のことをあげつらっていたが、なんだかんだ弟子に甘いのは、この人も同じだよなあ。


「そうそう、オネッタからの伝言。最期まで好き勝手に生きたぞ、だってさ」

「ふん、言われなくたってわかるよ。馬鹿姉め」


 やらかしたことを考えると許すことのできない相手ではあるが、ネスケンス師にとっては思い出深い人間だ。

 になったうえ転移の魔術に身を変えて消える、なんて壮絶な死に様を晒したこともあって、これ以上は攻める気になれない。


「それで、さっきから静かな鬣犬ハイエナの小僧はなにをやってんだい?」

「見てわかんねえのかよっ!」


 へばりついてくるヘレネーナを引き剥がそうと、必死になっているんだよ。

 こういうときは大体ゴスが制御役になるんだが、こいつさっきから、いまいち役に立たない。マルグリットがあんなことになって動揺しているのか、そもそも面倒になりやがったか。


「そんなに嫌ならはっきり言っておやりよ、自分には怖ぁい恋人がいるからお前とはつき合えない、って」


 総帥は呆れ顔でそう言うが、アレクシアたちとの関係は一応、外部には内緒の話だ。あと、牛娘にその手の断り文句は効かないんだよな。


「まあっ、イアン様! 女体に興味がないわけではありませんでしたのねっ! それでしたら是非、わたくしにもお情けをっ!」

「……こういうやつなんだよ」

「……変態かい。悪かったね」


 興味がないのはお前個人だと何度も伝えているんだが、聞いてくれないんだよな。


 七ツ星の前衛職に体力でかなうわけもなく、こいつが単に自身の欲望を満たすためだけに俺に接近してくるなら、思いきり面罵すればいいのだが……好意が本物だとわかるだけに、拒絶以上の態度が取りづらい。

 いっそ酷い目に遭わせれば諦めてくれるかもしれないが、そうするにはこいつには世話になり過ぎた。今日だって、絶体絶命の危機を救ってくれたわけだし。


「いっそ、いちど抱いて夢をかなえてやればいいんじゃないかい?」

「却下よ却下、大却下!」


 アレクシアがまたハリセンを抜くが、さすがにネスケンス師をぶっ叩くわけにもいかず、なぜか俺の側頭部に紙束が命中する。

 優柔不断男には良い罰かもしれないが、不意打ちはやめてくれ、目の前で星が飛んだぞ。


「……事態は、深刻だと、思うが。お前らは、変わらんな」


 部屋の外からドッシが言う。そうでもないさギルドマスター、こういう会話にマルグリットが加わっていないと、やっぱり締まりがない感じになる。


 光の四角錐の中で瞑目する聖女を見やって、俺は目尻に力を入れた。ちゃんと目覚めさせてやるからな、ちょっと待っていてくれ。


 * * *


 でかい図体に見合わず気の利くドッシが色々物資を持ってきてくれたので、ありがたく〈宝箱アイテムボックス〉に補充して、俺たちは目的地に向かうことにした。


「標的の巣穴は、デイズボーンの街から馬を飛ばして五時間というところですわ。道中の村落は黒耀竜に襲われて壊滅していますから、あの街を起点にするしかないと思いますわよ」


 デイズボーンの街なら、俺たちも行ったことがある。猪肉料理の名店があって、何度か通って味を盗ませてもらったな、懐かしい。

 ドッシに入口を見張ってもらいつつ、キャロラインが呪文を唱え始める。


「魔力よ集いて線を成せ、線よ走りて境界を写せ、境界よ凝りて門と化せ、門よ開きて旅路を示せ、路よ遙かへ我らを運べ……〈境門イセリアルゲート〉」


 暗紫色の渦が生まれる様を、ヘレネーナたちが目を剥いて見ていた。


「まさか、個人で転移の門を開くだなんて……」


 おおかた俺たちの移動速度の速さは、飛行魔術の類いか空飛ぶ魔物の召喚と踏んでいたんだろうな。空間を操る魔術は金魔術の分野だ、その推測はわからなくもない。


「わかっていると思うが、絶対に秘密だぜ。情報が漏れたら、キャロラインの身が危ない」

「え、ええ。我が祖の名にかけて、余人にはけして漏らさぬと誓いますわ」


 色情狂みたいな女だが、義理堅さと誇りの高さについては信頼できる。

 ゴスは他人になにかを触れ回るような性格ではなし、ファビアナはそもそも滅多に人里に降りてこない。


「問題はエンリだよなあ。お前、口軽いし」

「ひでぇな!」


 厳族ヨトゥンとは思えないほど陽気でお調子者で、酒が入るとそれが酷くなる。

 一流冒険者の端くれとして、仲間や依頼者の情報を話すようなことはしないと思うが、宴席や娼館なんかでぽろっと漏らしてしまいそうな危うさもあった。


「心配なら〈制約ギアス〉でもかけておこうか?」

「ああ、それはよろしゅうございますわね。ついでに賭博癖にも制限をかけてくださいませんこと?」


 魔女の提案に、ヘレネーナは名案だと手を打つ。慌てたのはエンリの方だ。


「趣味のことまで口出しされる謂われはねえぞ!」


 飲む打つ買うの三拍子そろってるからなあ、こいつ。拳士をやっているのも装備を買い揃える金がないからだ、と真面目くさって答えやがるくらいだ。


「細かいことは、竜を討伐してからでいいわ。エンリだって約束したからには、腕の一本くらい覚悟してるでしょ」

「あんたはあんたで怖ぇよ!」


 本当に腕ぶった斬るくらいはしてくるからな、うちの勇者様は。仲間には甘いが、敵対者や害をもたらす相手には容赦がない。

 強欲商人のボニージャだって、彼女の信頼を得るために守らなきゃいけない一線は、決して踏み越えないのだから。


 万が一この話が漏れて魔女の勧誘合戦が始まってしまったら、エンリは護衛として、ただ働きしてもらうことにしよう。

 俺なんかよりはるかに強いし、熟女好きだからキャロラインに色目を使うこともないしな。


 いつの間にか姿を消していたファビアナが、魔狼ワーグを連れて戻ってきた。

 恐ろしげな顔つきと裏腹に、魔狼は人なつっこい動作で、鼻先を押しつけるようにアレクシアに挨拶をする。目を細めた勇者が、その頭を優しく撫でた。


「ルッコも久しぶりね」


 うぉふ、と野太い声で応じる魔狼。キャロラインにも同様に挨拶し、撫で返されてご機嫌だ。それから光の四角錐の中で眠るマルグリットに赤い瞳を向け、くぅーんと哀しげな声を出す。

 でかい図体して、いちいちあざといやつだ。そのくせ俺を見ると、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。こいつめ。


 ともあれ全員の準備が整った。この場をネスケンス師とドッシに任せ、勇者と魔女は慣れた様子で、ヘレネーナたちはおっかなびっくり暗紫色の渦に飛び込む。


「小僧、わかっちゃいると思うが」


 最後尾の俺に、総帥が声をかけてきた。


「全員、無事に帰ってくるんだよ。聖女の嬢ちゃんが気に病むからね」


 自分のために誰かが犠牲になった、なんてことになったら、マルグリットがどれだけ悲しむことか。それがわかっているからこそ、俺は頷きを返す。

 異次元への通路に飛び込む間際、ひどく心配そうな総帥の顔が、やけに印象に残った。

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