第三部
7 それはないってぼやきたかった
7-1 牛娘
「お久しぶりですわね、勇者様、大賢者様」
立派な角を持つ赤毛の
右手は軽く曲げて腹の前に、左手はまるで見えないスカートの端を摘まんで引っ張るように。
ビキニ上下に手足は革鎧、という一般人から見たら破廉恥そのものの格好をしているので、ちょっと馬鹿にされている気にもなる。だが表情は自信満々で、彼女なりの礼を尽くしていることが窺えた。
いちいち動作が派手なのは性格なのか、わざとなのか。豊満な胸がぶるんと揺れる様に、アレクシアは疎ましげに目を半眼にした。
仲間内で一番胸が大きいといっても擬音で表せば『ふるん』とか『ぽよん』といったところに、相手は『ぼいん』とか『どたぷん』とか音がしそうな巨乳だ。気分を害するのも無理はない。……ないのか?
そんなくだらないことを考えていたらおっぱい、じゃない角持つ娘が滑るような動きで俺に近づいてきた。
「それに……イアン様っ。ヘレネーナはずっと、お会いしとうございましたわっ」
「あーはいはい。助けてくれてありがとな」
そして手を組んで、うるうると見上げてくる彼女に、俺はぞんざいな返事をする。
ヘレネーナ・ラッセル、
“
彼女と
当初は熟練冒険者の彼らに対し、血筋が良いだけの新人たち、おまけの俺……という感じだったのだが、ともに苦難を乗り越え目的を達した後には、対等な仲として打ち解けられたと思う。
ところがなにがあったのか、出会ってすぐは『下賤な
そりゃ冒険中はアレクシアたちと同じように支援したし、何度か危ないところを助けはしたが、そんなのは彼女の仲間だってしてきたことだろう。男女の機微に疎い俺には、ヘレネーナが俺のどこに惚れたのかさっぱりわからず、困惑したものだ。
当時は勇者一行に奉仕することが最優先だったこともあって、好意は嬉しかったが断らざるを得なかった。しかし彼女は諦めず、旅先で出会うたび色目を使ってくる。
すると当然、アレクシアたちは不機嫌になるわけだ。あの頃は『自分たちに奉仕すべき従者のくせに』という意味で怒っていると考えていたが、今にして思うとあれ、嫉妬だったんだろうなあ。
「それで、なんでヘレンを頼る必要があるわけ?」
ぐいぐいと接近してくる牛娘と、必死になってそれを押し返し続ける俺を横目に、アレクシアが尋ねる。くそ、こいつの馬鹿力、というか牛力には勝てない。
「まず単純に、彼女らは強い。あと前衛職ふたりが回復手段を持っているから、リットの抜けた穴を埋められる。そしてなにより、『天を掴む者』がいま追いかけている相手が、黒曜竜ってことだ」
指折り数えるキャロライン。勇者の回復を待つ間にエンリから聞いたところによると、いま彼らが請け負っている依頼は、ベヘンディヘイド王国の各地に出没する黒曜竜の討伐だという。
そういえば街の船着き場で、隣国に危険な魔獣が出没、って告知を見たな。まさか
「昨年倒された赤銅に並ぶ、希少な古代竜だ。その魔石は、四天王のものを遙かに上回るだろうね。そいつと、師匠の協力があれば、リットの枯渇した魔力を一気に補充できる」
具体的には、こうだ。今のマルグリットは常に魔力を消耗し続け〈
白魔術には〈
であれば人間の身には余るほどの大魔力を、一度に注ぎ込んだら。
精霊と化した今の聖女にも受け止めきれないほどの魔力であれば、さすがに代償としては充分だし、
「わたくしたちとしても、独力で黒耀竜を倒せるとは思えず、仲間を募っていましたの」
結局牛娘を押し返しきれず、強引に腕を組まれた。世の男の大半は巨乳を押しつけられれば喜ぶのだろうが、悪いなヘレネーナ、俺は胸にはあんまり興味がないんだ。
むしろ駆け出しの頃に
「……乗ってくれたのは今んとこ、ファビアナだけだったんだがな」
リーダーの行動を意に介した風もなく、エンリが補足した。
俺たちを助けてくれたときファビアナも同行していたのは、隣国の王妃の依頼を受けたから、ってだけでもないのか。
ただあの
古代竜なんて七ツ星のパーティが何組も集まって
「黒耀の巣穴は突き止めておりますわ。やつは日中、めったに動きませんの。あとの問題は、いま集められる戦力だけで倒せるか、という点だけですわ」
なおあきらめず俺ににじりよろうとして、ゴスに羽交い締めにされながらヘレネーナはそう言うが、そこが最大の難点なんだよな。
うまく標的の不意を打てたとしても、初撃に耐えきられ空を飛ばれたら、有効な攻撃手段は彼女の弓矢とキャロラインの魔術しかない。
逆にいえば、飛ばれさえしなければ、アレクシアに倒せない相手ではないはずだ。でかい図体の魔物だし、斬れば斬るほど攻撃力が上がっていく聖剣アイエスとは、相性がいい。
「そこまでの移動時間について言及しないのは、わざとかい?」
「あら。他の方々ならともかく、わたくしたちは薄々感づいていますわよ」
なにを、と言ってこないあたり意地が悪い。ヘレネーナたちに〈
特に『天を掴む者』には、何度か大きな作戦に協力してもらっているからな。俺たちの移動経路については、連合軍や冒険者ギルドより詳しいかもしれない。
「他言するつもりはなくってよ。わたくしたちの目的は、あくまで黒耀竜の討伐。勇者様たちにお力添えいただけるのなら、それ以外のことには目をつむりますわ」
「ふーん。じゃあ、魔石はもらっていいのね?」
「ええ」
アレクシアの問いに、牛娘はあっさりと頷く。売れば巨万の富を得ることができるお宝だってのに、ずいぶんと気前が良いな。
「あなた方は気になさっておられませんが、わたくしたち、聖女様には返し切れぬ恩がございますもの。それに報いる機会を与えた、と思ってくださいませ」
ああ、そういえば彼女とゴスは、マルグリットに〈
それでも感謝しているというなら、当のマルグリットがなにか言える状態じゃないんだし、素直に受け取っておくか。場が収まりかかったところで、にまりとヘレネーナが笑う。
「もし、無償の譲渡が気に入らないというのでしたら……そうですわね、わたくしとイアン様の婚姻をお認めいただくとか」
「却下」
キャロラインがにべもなく断った。俺の意見も聞けよ。
「で、ではせめて、一夜の契りをっ」
「却下だっつってんでしょ、この色ボケ牛女!」
アレクシアが腰の鞘から、蛇腹に折り畳んだ紙束の刀身を持つ珍妙な剣もどきを、目にも留まらぬ速さで抜いた。そいつでヘレネーナの頭を引っぱたくと、すぱぁんっ! と良い音がするが、所詮は紙束なので痛くないはずだ。
初代勇者が製法を遺した『ハリセン』という秘伝の武器らしいが、異世界の生物はそんなに虚弱なのかね。
それはそうと俺の意見も聞けってば、アレクシア。
まあ彼女らと情を交わすことになるなど夢にも思わなかった頃ならともかく、今となっては俺の意見も却下でしかないけどよ。
「お嬢の冗談はさておき、成功の暁にはベヘンディヘイドからたんまり報奨金が出る。アレクシア様がたが加わってくれるなら、山分けが必要な人数が減るからな」
「魔石ひとつで済むなら、安いもの」
エンリとゴスが、取りなすように伝えてくる。
二人とも先ほど勇者が柄に手をやった瞬間きっちり反応した上で、抜かれた武器がハリセンと気づき黙って見逃した。功績をリーダーに譲っているため未だ六ツ星だが、さすが歴戦の戦士たちだけはある。
ヘレネーナだって今はこんな調子だが、冒険に出ればきっちり態度を分けてくるし、戦闘では恐ろしく頼もしい後衛職だ。
「どうする?」
俺は改めて、アレクシアに問いかける。古代竜といえば、四天王以上の強敵だ。
相手は単体、こちらは七ツ星パーティと共闘できるとはいえ、マルグリットを欠いた状態でそいつに挑まなければならない。
「聞くまでもないでしょ。やるに決まってるわ」
「
ヴェストエインデ廃城に住み着いていたあいつか、もはや懐かしいな。
全員ズタボロにされて生きて帰れたのが信じられないくらいだったが、あれ以来、俺たちは確実に強くなった。
後にある国の巫女姫に竜退治の顛末を語ったとき、それはアレクシアが勇者の力に目覚めるための通過儀礼だったのではないか、と言われたもんだ。
魔王が猛威を振るうとどこからか勇者が現れるように、勇者になりえる者の前には竜が立ちふさがるのではないか、と。
そんな運命論のような考えは嫌いなんだが、十二天将に敗北し力不足を痛感したところで、今また黒耀竜を討伐する流れになっているというのは……なにか、巡り合わせのようなものを感じなくもない。
だけどマルグリットの生命と未来が懸かっているんだ、運命だろうがなんだろうが、飲み込んでやらねえとな。
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