6-10 精霊
頭と胸元、手足に包帯を巻いた、痛々しい姿のアレクシアが部屋に入ってきた。
グロートリヴィエ中央広場に面した生命樹教会の聖堂で、昼間の演説後に着替えを行った部屋である。
「目が覚めたか」
椅子に座り込んでいた俺はのろのろと顔を上げ、少女を見上げた。
「うん。ファビから大体のことは聞いたわ」
十二天将たちが去った後。俺は傷ついた少女たちを治癒してもらうべく、聖堂へ駆け込んだのだ。
買収されてオネッタの傀儡となっていた司祭は既に捕らえられ、勇者に好意的な輔祭が取り仕切っていたため、話は早かった。
あの幼女が倒されたことで人質が解放された冒険者ギルドの
あのとき聖女が全力で張った障壁の影響下にあったせいか、全員が正気を取り戻していた。
やはり精神操作の解除に〈
領主や兵たち、ついでにスヴェンとシュールトも無事だったが、キールストラのやつだけが見つかっていない。術者が死んだとて刷り込まれた操作が消えるわけじゃなく、早めにとっ捕まえたいところだ。
アレクシアとキャロライン、ついでに俺には、速やかに治療が施された。
勇者だけは魔王軍に負わされた傷が深すぎて、まだ患部の保護が必要だが、いずれ称号の効果で完治するだろう。
けれど、マルグリットは。
人払いしてあるこの部屋は、置かれた家具などがあらかた隅に寄せられ、石造りのがらんとした空間を形成している。その中央に、四角錐型の光が天幕よろしく鎮座していた。
そして光に包まれて横たわるのが、瞑目したマルグリットだ。薄手の貫頭衣だけ身に着けたその体は透き通り、床に描かれた魔術陣がうっすら見えている。
「
四角錐の傍らで憔悴した顔を晒すキャロラインは、独り言のように解説した。
精霊になっても死ぬわけじゃあないが、魔術を介してしか意志の疎通はできなくなるし、触れあうことすらかなわなくなる。思考や記憶も人のそれとは異なる、意志と知恵を持った自然現象というべき存在になるのだ。
「どうして……」
「初撃を防いだ後も、障壁を維持し続けていたんだ。だけど気を失って、代償を払えぬまま『負債』が積み重なったんだろう」
普通は、気絶した時点で魔術は途絶えるし、〈
だが聖女は無意識にでも俺たちを守ろうと、そのまま両方を保持し続けたのだ。
「治せる、のよね?」
「遷祖還りは怪我や病気とは違う。元の姿に戻れるかどうかは、経過時間と本人の意思次第、なんだけれど……」
すがるように尋ねる勇者に対し、魔女はうつむくばかりで明白な言葉を紡げない。
あまりに長く
「〈
「今のリットは、半ば霊的な存在だ。〈破却〉を受ければ、それこそ消滅してしまう」
せめて意識が戻ってくれれば良いのだが、魔力を消耗し続ける状態にある少女が、自力で目を覚ます可能性は低い。
今マルグリットを囲んでいる光の四角錐は、外への魔術の行使を妨げる結界だ。
俺たちを含む、十二天将の襲撃時に居合わせた人間たちと彼女を遮断することで、全員に対し呪文を使い続けないようにしている。
だがそれでも彼女は呪文の維持をやめない、やめてくれない。まったく、どれだけ俺たちのことを心配しているんだか。
「じゃ、じゃあ、どうすんのよ! このままリットが消えちゃうのを、黙って見てろっての!?」
「落ち着け、アレク」
キャロラインが淡々と事情を説明するのを聞いていた俺は、激昂して彼女に掴みかかりそうなアレクシアを制止した。椅子から立ち上がって、二人の元に歩み寄る。
「今ウェイセイド皇国に連絡して、教皇猊下に連絡してくれるよう働きかけている。聖女の危機とあれば、すっ飛んでくるだろうさ」
生命樹と直接つながって加護を得る〈
ただ、あの呪文を使える者は聖女本人を除けば、大陸広しと言えど教皇しかいない。
そして教皇にお出まし願ったとあれば、間違いなく大事になる。
はからずも王都を出る前デ・レーウ大司教に釘を刺されたように、教会にとって聖女の安全は最優先事項だ。それが守られなかったとなると、今度こそ教会は総出を上げてマルグリットを保護しようとするだろう。
「それじゃあ、もう、リットと一緒に旅はできないの?」
「それでも、消えちまうよりはいい」
べつに幽閉されるってわけじゃあないんだ、会おうと思えばいつでも……は難しいにしろ、会うことができる。
監視はつくはずだから艶っぽいことはできないが、それだけが触れ合いってわけでもないさ。
魔王を倒すことができれば、救世の英雄として堂々と面会する日もくるだろう。
そして当初の目論見どおり
失うものなんてない。俺たちは旅の終わりに、きっとまた巡り会える。
「それじゃあ、駄目なのよ」
だけどアレクシアは、納得しなかった。沈んでいた瞳に炎を宿し、俺を見上げてくる。
「あたしは、この四人以外で魔王に挑む気はない。……ううん、違うわ。この四人でないと、勝てると思えないの!」
腕を広げ、胸を反らす少女。
俺と、キャロラインと、マルグリット。それだけが抱えられる全てだ、とでも言うように。
くっ、と短い笑声を漏らし、魔女が肩をすくめる。
その笑みはいつものように皮肉げであったけれど、眼差しは幼い少女のように溌剌としていて、勇者の熱が移ったかのようだった。
「まあ、アレクはそう言うよね。だけどどうする? 最も確実で安全な手段は、教皇を頼ることだ」
今しがた事情を知らされたアレクシアと違い、俺たちは彼女が気絶している間、さんざん話し合ったのだ。
「そっか。それでキャロもイアンも、妙に落ち着いてたってわけね」
「すまない、アレク。キミをのけ者にしたわけじゃないんだ」
「わかるわよ。あたしこそ、ごめん」
俺が説明するよりは勇者を納得させやすいと思ったから任せたが、キャロラインにはしんどい役目を押しつけちまったな。年長者として、情けない限りだ。
さて、しかし、どうするか。時間はあまりない、このまま放置すればマルグリットが精霊になっちまうのは確実である。
教皇が仮に全ての政務を放り出して駆けつけたとして、転移の魔道具を使ってウェイセイドの首都からクラハトゥの王都、そこからこの街と移動するのにどれくらいの時間がかかるか。
「長くて三日、短けりゃ明日の夕刻ってとこか」
「つまりそれまでに、なんとしてもリットを元に戻すしかない、ってわけね」
駆けつけた教皇の前でぴんぴんしている姿を見せれば、『危険はあったけれど、なんとか凌いだ』という体裁が成り立つ。
それならまだ、教会を抑えられるかもしれない。
「そうなると……気乗りしないけれど、彼女たちの手を借りるしかないね」
「ん? 誰のこと?」
複雑な表情の魔女に対し、きょとんとする勇者。ああ、ファビアナのやつ、他の助っ人については説明しなかったのか。
「それはもちろん、わたくしのことですわ!」
待ちに待った、というタイミングで──実際、聞き耳を立てて待ち構えていたんだろう──声が上がり、人払いを頼んでいたはずの部屋の入り口がばんと開く。
うげっ、とアレクシアが淑女らしからぬ呻きとともに渋い顔をした。
エンリとゴス、俺たちの絶体絶命の危機を救ってくれた二人を左右に従えて、年若い美女が現れる。
手足は革鎧で覆っているのに胴部は黒地に炎模様のビキニのみ、という倒錯的で豊満な胸を見せびらかすような格好。赤毛の縦ロールの左右から、三日月型に湾曲した立派な角が伸びている。
そんな彼女が、挑発するかのように不敵に微笑んでいた。
(終)
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あとがき
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
楽しんでいただけたなら、幸いです。できましたら★で評価していただけますと、今後の作者のやる気に繋がります。
さて、敗戦で終わってしまった第二部ですが、第三部ではそれを挽回しようと奮闘するところから始まります。
現在あと4話で完成、というところまで書き進めておりますが、推敲や遡っての修正も必要なため、2日ほどお休みをいただきます。
第三部の開始は9/17(木)を予定しております。その後はまた、毎日更新で進めさせていただきますので、少々お待ちください。
ちょっとお馬鹿な展開なども盛り込みつつ、最後に登場した謎の美女(笑)の活躍と、主人公パーティの更なるドタバタをお楽しみいただければ幸いです。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。
ドモン ヒロユキ 拝
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