6-8 卑怯
二撃目で弾かれた拳、四撃目で脇腹に痛打、七撃目で袈裟斬り。
拳を振るうごとに筋肉量を増やして巨大化していくオネットに対し、真っ向正面から斬り結んだアレクシアの連撃は、八撃目を放つことなく元は幼女だった巨躯を打ち倒した。
「ぐっ……っえっ……!」
最後は蟇蛙を潰したような呻きを漏らし、なすすべもなく仰向けに倒れるオネッタ。
勇者は攻撃に徹していた聖剣を下ろし、防御に使っていた妖刀の切っ先を倒れた相手の喉元に突きつけた。
「終わりよ。色々聞きたいこともある、楽にしてほしいなら素直に喋ってもらうわ」
「だれ……が……!」
「そう。じゃあ、苦しんで死ぬといい」
そう言って間髪入れず、魔石を避けて喉を刺し貫く。容赦ないな。
喘鳴を繰り返すうち膨れ上がった巨体がしぼんでいくが、隆起した筋肉によって刻まれた皺だけが消えない。痩せっぽちの老婆が、そこに横たわっていた。
顔立ちに幼女だった頃の面影は残っておらず、ぎょろりとした目ばかりが目立つ、醜い顔だ。近い年齢でも妹弟子のネスケンス師にあるような、年経てなお残る気品や端正さがまるでない。
ひざまずき長々と祈りの言葉を唱え続けているマルグリットを守りつつ、
「それが、お前の正体ってわけか」
「見る……な……!」
浅い呼吸を荒くし、青黒い血を垂れ流しながらも、浅葱色の瞳だけはなお狂熱とでもいうべき精気が宿っていた。
今にも息を吹き返し必殺の魔術を放ってくるのでは、という迫力がある。
「……魔族に魂を売ってまで、若さが欲しかったのかい?」
唐突に、〈
死の淵にあってなおぎらつく眼差しを魔女に向けて、オネッタは呪詛のように言葉を吐き出した。
「そうさ……お前らみたいな長命種にはわからないだろう、
「まあね。でも師匠は、あなたの妹弟子は、そんなみっともない手段に頼ろうとはしていないよ」
こいつがネスケンス師の姉弟子であるオネッタ本人だということは、逃亡の渦中でキャロラインにも伝えてあった。それでも戦いにおいて躊躇はしなかったし、こうして倒れた姿を見ても動揺は見られない。
魔女が冷酷なのではない。戦いの前までに、覚悟を醸成しただけだ。
「はっ……あの魔術馬鹿と、一緒にするんじゃ、ない、さ……」
ただ怨嗟のみに囚われている風に見えた老婆の顔が、一瞬だけ和らいだ。あるかなしかの笑みを口の端に浮かべ、遠い目をしたように思う。
それは以前ネスケンス師が見せた表情に、どこか似た柔らかさを持っていた。瞑目し溜息を吐いた後、再び開かれた昏い眼が、諦念と達観が混ざった寂しい色を帯びる。
「もし生き延びられたら……あいつに……あんたの姉弟子は、最後まで好き勝手に生きたって……伝えな……」
生き延びられたら? この状況で、なんの強がりを。
俺はそう思ったのだが、まだ〈
「――アレクっ! とどめを!」
遅れて気づく、老婆の体に埋め込まれた魔石が、急速に魔力を高め出している。
「ふっ!」
咄嗟に勇者の振り抜いた妖刀が、縦一文字に頭頂から股間までを魔石ごと切り裂いた。
真っ二つに割られた死体はその断面から、血と臓物ではなく暗紫色の光を放つ。
「絶望しろっ! ここからが本当の戦いだっ!」
歪んだ笑みとともに放たれた言葉を最後に、割れた体は完全に光と化した。
これは、〈
そして光の向こうから、複数の詠唱が重なって響く。先に倍する怖気を震う、俺は咄嗟にキャロラインの手を引き、マルグリットともども背後に庇った。
同時にアレクシアは聖剣と妖刀を十字に構えて、防御の姿勢を取る。
「――〈
「――〈
「――〈
そして地獄が吹き荒れた。視界全体を覆う炎熱と爆発、その合間に天から降り注ぐ幾条もの雷、四方八方から突き立てられる無数の氷の槍。
咄嗟に聖女が障壁を張ったことで俺たちも、倒れた領主や兵士たちも、かろうじて即死は免れた。だが焼かれ炙られ貫かれ、無事であった者は一人もいない。
壁も天井も木っ端微塵になって、空や街が見える。床も穴だらけで、建物全体が今にも崩れそうだ。
「なに、が……」
ギシャアアアッ!
俺の呟きに応えがある前に、耳をつんざく咆吼が響き渡り、暗紫色の光の奥から丸太のような太く長い影が現れた。
そいつは勇者に突っ込むと上下に大きく、それこそ彼女をひと呑みにできるほど大きく口を開いて、牙を突き立てんと迫る。
蛇。それも、頭部だけで人の背を越す大きさの、巨大な蛇だ。
呑み込まれる直前に聖剣と妖刀を上下に振るい、迫る牙を弾いたアレクシアであったが、相手の勢いには抗しきれず撥ね飛ばされる。
「くっッ!」
「――ATTACK――」
それでもぼろぼろの床を蹴って姿勢を整えた彼女に、金属音とも螻蛄の鳴き声とも取れる無機質な響きを発しながら、妙に部品の多い甲冑で全身を覆った巨躯が突進してきた。
だが動きがおかしい、足を動かさず地面を滑走し、背負った二つの筒から炎を噴き出している。
異様な速度で、やたらでかい棘だらけの肩当てを前にぶつかってきたそいつを、必死の形相でかわすアレクシア。
しかし勢いのまま通り過ぎた鎧の腕がぐるりと旋回したかと思うと、ごつい籠手に包まれた肘から先だけが、切り離されて飛んできた。
「なっ!? ――ぐふっ」
予想外の攻撃に体が固まったか、飛翔する拳に腹を打たれて身を折る勇者。その頭上に、ぬうっと影が差す。
現れたのは甲冑野郎よりも更に巨大な体の、銀色の肌の巨人。
銀製の
「アレクっ!」
「〈
俺たちとて黙って見ていたわけではない、手持ちの武器を投げつけ、呪文で援護しようとしたのだ。
けれど彼女を撥ね飛ばした蛇が、暗紫色の光からなお長大な体を伸ばし続け、一枚一枚が盾のごとき褐色の鱗で攻撃を弾いてしまう。
それどころかくねる巨体がこちらに襲いかかり、背後に庇ったマルグリットごと俺たちを押し潰そうとしていた。
必死で祈る聖女によって障壁が厚みを増すが、受け止めきれず、今にも崩れ落ちそうな床に叩きつけられる。
「があっ!」
「うあっ」
「きゃあぁっ!」
それでも必死に手を伸ばす、せめてアレクシアが避ける隙を。
腕を貫く激痛に、喉が詰まって叫ぶことすらできない。そして援護もないまま、銀色の巨人の組んだ手が、勇者の頭部に打ち下ろされた。
「かはっ……!」
常人であれば果物のように砕かれたであろう、破城槌のごとき一撃を受けてなお、アレクシアは膝を屈しなかった。
いっそそのまま気を失ってくれれば楽になれただろうに、勇者は剣を支えに体を立てて、まだ敵に向かおうとする。
そんな彼女に空中から、赤い外骨格をまとった青肌の美女が飛来し、左手があるべき部分に接合した白銀の獅子頭が牙を剥く。
胸元を引き裂かれ、鮮血を撒き散らしながら、とうとう勇者は倒れた。
「アレクっっっ!!」
最初に降り注いだ大魔術の三連発で耳と脳が痺れ、自分の絶叫さえ遠く聞こえる。
そんな俺の前に、最後の一撃を放った敵――“
「どうダ、いあん。頼みの勇者を嬲らレ、惨めに地を這う気分ハ」
床に縫い止められ立ち上がれない俺を、眼窩で怪しく光る炎が見下ろす。
「ザックス……てめぇ、どうして……!」
「“
「十二天将、だと……?」
おい、待て。あれだけ必死こいて倒した四天王に、まだ同格の仲間がいたってのか?
キシェェエエッ!
風を引き裂くような咆吼とともに、巨大な蛇がその背に何枚もの翼を広げて、空中へと身を躍らせる。出現したときよりも長躯は大きさを増し、館自体を取り囲めようかというほどだ。
そんな甚大な魔物がその場から離れたからか、暗紫色の光の向こうにいた者たちが次々と姿を現した。
「……そうだ。四天王を含めた魔王軍の十二の刃。それこそが十二天将よ」
最初に出てきたのは、長い銀髪から尖った耳を覗かせる、緑色の肌を持った小柄な女。
半透明の素材でできたマントと、白を基調とした裾の短いワンピースを纏い、杖とも
「私は十二天将が一人、“
整った顔に似合う美しい声、それは〈爆炎〉を解き放ったものと同じだ。
そんな女の左右に、色とりどりの刺繍が施された前合わせの衣を纏う矮躯の男と、紫色をした
「ひょっひょ。同じく“
真っ黄色い肌に鯰髭、瓶底眼鏡をかけた禿頭の男が陽気に言う。対照的に陰気な声が、紫衣のフードの奥から漏れ聞こえた。
「……“
「――NAME――“
がしゃん、がしゃんと身体各部の部品を鳴らして移動してきた金属鎧が、名乗りを上げる。それは声というより、魔道具から発された合成音のようであった。
同じく非人間的な外見ながら、闇に染まった目にだけ理性的な光を宿す銀巨人が、意外にも丁寧な所作で胸に手を当て一礼する。
「僕は“
悠々と空を舞う翼ある蛇を指さし、銀巨人は武骨そのものの顔をひしゃげて見せた。笑った、のか?
「そしてワレ、“
闇翅鳥というよりも、そういう
畜生。力を合わせても各個撃破するのが精一杯だった四天王、それと同格の相手がまだこれだけいて……しかもそいつらがぞろぞろ集まって、既に消耗していた俺たちを襲うなんて。
いくらなんでも、卑怯じゃねえか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます