6-7 反則


 首だけで振り返ると、口の端を歪めたキールストラのにやけ面が見える。

 やつの細剣レイピアは狙い過たず俺の心臓を貫いており、引き抜かれれば大量の鮮血が迸ることになるだろう。


 仮にマルグリットの治癒呪文が飛んだとしても、キャロラインに向けられるはずだった〈破却アンチマジック〉がそれを無効化する。

 結果論とはいえ三位一体の波状攻撃が、この無力な支援職を完全に仕留めることになった──そう、なるはずだった。


 ちょっと〈破却〉が遅かったな、“浄炎”さんよ。

 は、潜んでいた部屋の隅から身を低くして疾走、壁際で勝利の確信にほくそ笑んでいたオネッタに襲いかかる。


「えっ」


 驚くというより、なにが起こっているかわからない、という不思議そうな顔の幼女。


 一方の俺はすでに〈獣性解放メタモルフォシス〉済みだが、スヴェンやキールストラのように、わざわざ吠えたりはしない。

 前衛職の気合いが籠もった一撃とは異なる、麦の穂を刈るような淡々とした一撃。鋭く伸びた俺の爪が、細い首を深々と切り裂いた。


 と同時に“黄金剣ノートゥング”に仕留められた『俺』の体が、〈破却〉を受けて消滅する。

 〈幻創パーフェクトイメージ〉、外観だけでなく音や匂い、感触や受けた変化に至るまで全てを再現する幻像を作り出す呪文だ。


 無論こんな大魔術、いかにキャロラインと言えど咄嗟に放つことなどできない。火巨人ファイアジャイアントの魔石を用いた呪紋石によるもので、実際に呪文を使ったのは俺である。

 魔女の扱える大魔術の中で、状況を問わず使い勝手が良さそうということで〈幻創〉を選んだのだが、正解だったな。


 隠れ潜みながら幻像を操るのは骨が折れたが、注目を集めた隙に部屋の物陰に忍び込むのに比べれば容易だ。

 まさか同じような位置に、キールストラとオネッタも潜んでいたのは意外だったけれど。


 予想外といえばスヴェンに頭上から襲われたのもそうだが、キャロラインが俺の意を汲んで〈念動サイコキネシス〉を自分に使い、突き飛ばされるふりをしたのはさすがだった。

 あれで位置を入れ替えたのが自然になり、結果として敵の目を幻像に引きつけられた。


「かっ……ひゅぅっ」


 そしてまんまと注意を引きつけられた幼女は、切り裂かれた喉から細い息を漏らす。

 幼い容姿に罪の意識が湧くものの、こいつの危険性はある意味で四天王以上だ。手加減は、しない。


 左右の手で抜いたシュリケンを投げる、だがこいつは保険だ、本命は氷河の足鎧サバトンによる蹴り。眼球に突き込んで、そのまま頭部を破壊する。

 既に操作されている人間の詳細や魔王軍の情報、聞きたいことは山ほどあるが、加減をして逃げられては元も子もない。


 殺意を込めて突き込んだ俺の爪先は、狙いあやまたずくりっとした丸い目に刺さり──そして、ぶ厚い岩でも蹴ったかのように弾かれた。


「なにっ!?」


 今度はこっちが不審に思う番だ、なんだ今の感触。一瞬だけ遅れて旋回したシュリケンが首の左右から襲いかかるが、これもあえなく弾かれる。


「このっ、クソ犬がぁっ!」


 怒鳴るオネッタから暴風が巻き起こった。魔術風だ、でかい呪文が飛んでくる。


「肉よ燃え尽き灰と成れ、灰よ満ち満ち闇を呼べ、暗き闇より瘴気よ集え!」


 ぞわりと怖気が走った。この詠唱は一度だけ聞いたことがある、ステッルホイゼン石窟寺院を根城にしていた邪教団の頭目が、使ったやつだ。

 あの時は俺を含めて邪教団の生き残り全員が死亡し、怒りに燃えたアレクシアたちによって、頭目はなます切りにされたという。


「リット! 〈破却〉を使え! 絶対に唱えさせるな!」


 マルグリットが後衛職としては死に体になるが、背に腹は変えられない。指示を出しながら俺は攻撃を繰り返すものの、いずれも弾かれる。

 その都度に幼女の服が、髪が、表皮が禿げていき──どぎつい桃色をした肌と鮮黄色の髪を持った魔族マステマの姿が、現れた。


「瘴気は奈落の泥と化せ、奈落の泥よ地に満ちよ……〈虐殺エクスターミネイション〉!」

「〈破却アンチマジック〉!」


 範囲内の全ての生物から命を奪う破滅の呪文が、聖女の放つ白い波動によって阻害される。

 剣の林の向こうに、〈精霊転化スピリチュアライズ〉により半透明になった少女の姿が垣間見えた。


 同じく遷祖還りサイクラゼイションしたキャロラインが片手を突き出し、詠唱を省略した〈氷弾アイスブリッド〉を雨霰と放ってキールストラたちをその場に釘づけにしながら、もう一方の手でステッキをかざし別な呪文を用意している。

 馬鹿な、そんなことできるわけがない──


「大気よ集いて風と化せ、風よ渦巻き嵐と変われ、嵐よ荒びて打ちのめせ、〈空裂エアバースト〉!」


 ステッキの示した先でパンッ! と空気が爆ぜ裂けて、それぞれの得物を目にも留まらぬ高速で動かし氷の弾丸を防いでいた二人を、割れた窓に向かって吹き飛ばした。


「なっ!?」

「うそだろっ!」


 辛うじて窓枠を掴んだキールストラと槍を床に突き刺したスヴェン、屋外へ放り出されるのを防いだ男たちは呆然としている。

 俺だって感想は同様だ、ひとりの魔術師が一度に放てる呪文はひとつだけ、これは絶対の法則なのだから。


 白魔術の一部の呪文は効果を組み合わせて発動できるが、それにしたって詠唱は一体化して行う必要がある。

 キャロラインは館に突入する際に、思念で会話しながら詠唱を行う、などという非凡な妙技を見せつけてくれた。しかし呪文の発動中に別な呪文を追加で使うなど、技術や才能なんかで形容できるものじゃない。


 これはもう人知を越えた絶技、あるいは世界の仕組みに対する反則だ。


「──いい加減っ! じゃっまだぁぁっ!」


 そんな魔女の背後で、兵士の人山が爆発した。爆心地に立っているアレクシアが左右の手に持っているのは、訓練用の木剣。

 ただ重いだけの棒っ切れで、十重二十重に自分たちを覆っていた人垣を、余さず吹っ飛ばしたらしい。


「お前も! お前もっ! 無様に操られてんじゃないわよっ!!」


 そしてその木剣が勢い任せに投じられ、“黄金剣”と“激槍”の顔面に回転しながらぶち当たった。

 必死になって〈空裂〉に抵抗していたところにこれだから堪らない、二人は為す術もなく館の外に放り出される。


「キールストラ様! スヴェンっ! くそっ、こうなれば……」

「貴方も、邪魔しないでください」


 天井の穴から顔を覗かせたシュールトの背後に、いつの間にか白く輝く半透明な人影が立っている。幽霊、ではない、無論。

 どちらかと言えば天の使いの方が相応しいマルグリットが、床を蹴って飛び上がり、天井を砕いて降り立ったのだ。


 どこぞの雌ゴリラ、じゃない女勇者のような真似が、華奢な少女にできるわけもない。〈活力バイタリティ〉〈俊敏アジリティ〉〈怪力マイト〉といった肉体強化の呪文を〈精霊転化〉の効果で連続して発動し、身体能力を底上げしたのだろう。

 代償を後回しにできる〈精霊転化〉中だから、〈破却〉を使った直後でも呪文を使えるのか? そんなのありか? いやでも実際、できているしなあ。


「せ、聖女様。わたしは」

「問答無用です!」


 えい、とでも言いそうな何気ない動作での前蹴りが、中肉中背の男を鞠のように吹っ飛ばした。

 落下した“浄炎”は床でバウンドし、割れた窓から仲間の後を追う。なんか陰の実力者風に控えていたわりに、コミカルな退場の仕方だな、おい。


「さあ、残るは、お前だけよ」


 左右の鞘から満を辞して聖剣アイエスと妖刀・鵺切ぬえきり伊賦夜いふやを抜き放ったアレクシアが、裸身を晒す幼女の姿をした魔族に、その切っ先を向けた。


「くそっ、このメスガキども……!」


 闇に染まった眼球の中で、浅葱の色彩だけ変わらない瞳が、憎悪を剥き出しにして勇者をにらみ返す。

 全裸であっても凹凸に乏しい体型の上、詩的な表現でなく本当に桃色をした肌のせいで、色香や卑猥さを全く感じさせなかった。その額と首、胸元と鳩尾、臍と下腹……と縦一直線に魔石が埋まっている。


 正面から見えるだけで計六個、背中側にも埋まっているとしたら、こいつは四天王級の魔族ってことか。

 俺の攻撃を弾いた異常な肉体の硬度、キャロラインにも感知されなかった隠蔽の魔術あたりは、魔石の能力だろう。あるいは、王都からこの街への異様な移動速度もか?


 だが先の〈破却〉からまださほどの時間も経っていない、詠唱時間を稼いでくれる前衛職も失った今、俺たちがこいつに負ける要素はなかった。

 なにせ敵は勇者を、万全の状態のアレクシアを前にしているのだ。


 反則だ、そんなのありか、などと魔女や聖女を形容したが……ずるいという意味では勇者アレクシアの右に出る者はいまい。

 なにせ先の二人を後衛に置いた上で、本人が天賦の才と不断の努力で手に入れた、無双の力を振るうのだから。


「あの呪文は……〈虐殺〉は、使うべきじゃなかったね」

「私たちにとって、けして消えない心の傷の象徴ですから」


 そんな彼女の後ろに控えたキャロラインとマルグリットが、静かな怒りを秘めた声で言う。

 心の傷って、ひょっとして、俺が死んだことか? 彼女らの表情や、殺気にみなぎるアレクシアの目を見るに、どうやらそれっぽいな。


「はっ、だったらどうするってんだい? 姫を殺したって、街じゅうにかけて回った〈催眠メズマライズ〉が解けるわけじゃないんだよ?」


 そんなことを知るよしもないオネッタが、顔を引きつらせつつも小憎らしい声で言う。


「それはべつに、お前を生かしておいたって変わることじゃない……でしょっ!」


 挑発に乗ることもなく、淡々と答えたアレクシアが斬り込んだ。長々と問答をして、相手につけ入る隙を与える気はないようだ。


「クソガキがぁっ!!」


 音を立てて幼女の体が変形していく。可憐な顔も無数の筋肉が段をなして隆起し、まるで皺だらけの老婆よろしく歪んだ。

 いびつな体から繰り出される豪腕は、黒魔術の力を帯びてか禍々しい煙に包まれている。


 その拳を、煌めく聖剣が迎え打った。

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