6-6 同時


 領主の館の最上階に位置する広い部屋で、アレクシアとマルグリットは周囲を兵士に囲まれながら、グロートリ侯爵と相対していた。


 兵士たちは皆、緊張に支配され抜剣している。

 十重二十重と剣の林に囲まれた少女二人は互いの武器を構えて背中合わせになり、警戒の表情を浮かべているが、その目は兵士たちを向いていなかった。

 彼らではなく、彼らの陰に潜む者を探っているようだ。


「まさか、立ちふさがる者すべてをなぎ倒して、ここまで来るとは思いませんでしたよ。勇者アレクシア、この場を切り抜けられても、王国内の貴女の地位が危ないのでは?」


 執務机を盾にするように壁際で剣を構える侯爵が、引きつった表情で声を震わせる。

 どうやら勇者は街の住民も、館に詰めている兵士たちも、すべて暴力で黙らせてここに至ったようだ。よく聖女に止められなかったな。


「あんたが大人しく、この娘の〈除呪リムーブカース〉を受けてくれればそれでいいのよ。べつに害のある呪文じゃなし、かまわないでしょ?」

「そう甘言を弄して、致命的な邪術をかけるつもりでしょう? 貴女の不自然な立身出世の裏になにがあったか、この身で確かめる気にはなりませんな」


 ああそうか、侯爵の立場からすりゃそうなるような。マルグリットが悪意を持った聖女の偽物であれば、それこそ〈催眠メズマライズ〉あたりをかける絶好の機会ともいえる。

 本物だとしても、対抗派閥の庇護下にある勇者を易々とは信じられない、というわけだ。


 それにしても立身出世、ね。アレクシアは栄達なんざ望んじゃいないのに、欲の皮が突っ張ったお貴族様からは、そんな風に見えていたのか。


『アレク、リット、お待たせ。イアンと合流できたよ』

『遅くなった。オネッタも取り逃しちまったよ、悪い』


 使い魔を介した念話で声をかけると、焦れていた少女たちの顔が、ぱっと明るくなった。

 アレクシアなら取り囲む兵士たちなんて物の数ではないだろうに、強行突破せず領主と対話をしていたのは、俺たちのことを気にかけていたからか。


『無事ならそれでいいわ。“黄金剣ノートゥング”たちも気になるけど、今は領主を押さえて、この馬鹿騒ぎを収めよっか』

『賛成です。無辜の民をこれ以上、巻き込み続けるわけにはいきません』


 突然、笑顔になって武器を構え直した少女ふたりに、兵たちがぎょっとなって身を引く。


『タイミングを合わせて窓から飛び込む。アレク、好きに暴れろ。リット、死人が出ないように頼む』

『了解! ああ、やっとなにも考えずに動けるわ』

『イアン、お願いだからこの娘に自重を覚えさせて……』


 うきうきした念と、げんなりした念が伝わってくる。

 別行動を取っている間、直情径行のアレクシアと人見知りのマルグリットだけで兵士や民衆と渡り合い、ここまで乗り込んできたのだ。さぞかし欲求不満が貯まったはずだ、悪いことをした。


 埋め合わせは後で考えるとして、今は領主だな。

 アレクシアが矯導尖畢ショッキング・スタイラスの先端を、グロートリ侯爵とその間に立ちふさがる兵士たちに向けた。さんざっぱら犠牲者の絶叫を聞いたんだろう、それだけで全員、体を震わせ腰が引ける。


「キャロ、突入は任せた」


 空の上で、横抱きにしていた魔女を下ろす。ふわりと隣に浮かんだ彼女は一瞬だけ名残惜しそうな顔をした後、頷いた。


 俺は彼女が突っ込んだ後に紛れつつ、周囲を警戒する役目である。

 姿を見せないとはいっても、領主を正気に返らされたらキールストラは『詰み』だ。絶対に、仕掛けてくる。


「刻み踊りて軌跡を描け、描く軌跡は縄へと変じ」

『5、4、3……』


 キャロラインが詠唱しつつ念話で秒読みをするという、器用という言葉では表しきれない非凡なことを、しれっとやっている。やっぱり天才なんだな、こいつ。


『2、1、今!』

「縄よ手指の如くに動け、〈念動テレキネシス〉!」


 まとう風を暴風のように高めて、キャロラインが窓を破壊し部屋に飛び込んだ。

 反射的に振り返った侯爵の横に着地した彼女がにらみつけると、その姿勢のまま領主は動きを止める。


 魔力を操作して物を動かす呪文だが、キャロラインの高い魔力をもってすれば人ひとり拘束するのはたやすい。

 相手に直接作用する呪文ではなく、魔力によって見えない手とでもいうべき力を操っているため、物理的な力で対抗するしかないのが優秀なところだ。


 そんな魔女の背後に降り立った俺は、周囲に姿を見せつけるように身体を伸ばし、短剣を抜いた。

 キールストラ、スヴェン、シュールト。いずれも一騎当千の猛者だ、オネッタだって底を見せたわけじゃない。


 襲ってくるなら多少なりと混乱しているこの時か、すべてが片づいて気を抜いた瞬間か。

 いずれにせよ部屋を埋め尽くす兵士たちは、アレクシアの敵じゃない。まずは連中を彼女が無力化させてから──


「なんなの、こいつらっ!?」

「っ! いと高き生命樹よ!」


 勇者の焦った声と、咄嗟に紡がれたマルグリットの聖句。

 常人であれば身動きできないほどの激痛に襲われるはずの、矯導尖畢で刺された者たちが、怒声を上げて彼女たちに群がっている。振り下ろされる無数の剣を、膨れ上がるように広がった白い障壁が押し返した。


 おおお、おおお、と呻き声を上げながら剣を繰り出す兵士たち。

 亡者の群れさながらに闇雲な攻撃に晒され、アレクシアたちはその場を動けない。矯導尖畢の攻撃力の低さが裏目に出て、刺突だけでは跳ね除けられないのか。


「……キミと同じだっ! 連中、!」


 キャロラインの焦った声で俺も悟った、そういうことか。

 兵士たちは自分の意志じゃなくオネッタの条件づけに従って、肉体の状態に関係なく、自動的に攻撃を繰り返している。


 俺があの幼女の〈催眠〉対策として、事前に魔女から〈催眠〉を受けておいたように。


 同じ働きを持つ呪文を同一の対象に重ねがけした場合、込められた魔力と術者の力量の高い方が優越する。

 俺はキャロラインから『〈催眠〉を受けた場合、一呼吸の間だけかかったふりをする』という〈催眠〉を事前に受けていた。


 魔女の腕前を信用してこその策だったが、思惑どおりオネッタの魔術の腕は俺の恋人には及ばず、結果として操られずに済んだ。

 兵士たちも同じだ。耐え難い苦痛をもたらす矯導尖畢の特性を、『どんな痛みを受けても攻撃を続ける』といった類いの〈催眠〉で上書きしているのではないか。


 その証拠に兵士たちは皆、苦悶に顔を歪め口から泡を吹き、あるいは白目を剥きながら剣を繰り出し続けている。

 館に突入する前にキャロラインが皮肉ったように、まるで屍人ゾンビだ。しかし彼らを呻かせるのは生者への怨念ではなく、耐え難い激痛。


 領主の守護を務めるほどだ、彼らも厳しい修練を乗り越え己が技量に誇りを抱いているだろうに、ただ勇者を足止めする肉の壁として利用されている。

 むごい話だが、あの幼女の瞳にへばりついた悪意を思い返すと、その苦しみすら愉悦をもって行われているのかもしれない。


 推測はどうあれ、敵にとってこれは間違いなく好機。であれば当然──きたっ!


「キャロっ!」


 このまま侯爵を〈念動〉で押さえておくのはうまくない、アレクシアがすぐ彼を無力化する前提での行動だったのだ。

 声をかけるまでもなく彼女の眼前から、領主の体が吹っ飛ばされた。〈念動〉でそのまま、壁に向かって放り投げたのか。


った!」


 その直前に天井が破壊され、短槍を構えたスヴェンが襲いかかる。ぶち空けられた穴からは、なにか呪文を放とうとするシュールトも見えた。


 そして隠蔽の魔道具かなにかで姿を隠して潜んでいたのか、背後の壁から忽然と姿を現した“黄金剣”が、まっすぐ俺に突っ込んでくる。

 その向こうにオネッタの姿も見えた、俺に気配を感じさせなかったのはおそらく、あいつの仕業だな。


「死ねっ、支援職っ!」


 優美な装飾が施された黄金の護拳を持つ細剣レイピアは、見た目の華麗さと裏腹の凶悪な、七ツ星の前衛職が振るうに足る威力を秘めていることが明白だ。

 こいつに刺されれば俺は良くて重傷、悪ければ即死を免れまい。とはいえこの致命の攻撃に対処していては、キャロラインを助けられなかった。


 彼女に“激槍”の一撃をかわせるわけもなく、魔術で対処しようにもおそらく“浄炎”が〈破却アンチマジック〉で無効化してくる。

 そのために満を辞して、同時に襲いかかってきたのだろう。


 であれば、俺の取るべき行動はひとつしかない。短剣を投げて牽制しつつもう一方の手で攻撃を逸らし、どうにか直撃を避けるのだ。

 あの“白撃”相手でも三手までは凌げた、それより劣る相手ならできないわけがない。


 そう、スヴェン相手なら。

 キャロラインを突き飛ばすようにやつの槍先に潜り込んだ俺は、目論見どおり“激槍”の攻撃をさばき切った。

 左の太腿を深々と貫かれたが、なに、それで死ぬわけじゃない。


 結果として完全に無視された“黄金剣”の切っ先が、晒された俺の背中を、正確にぶち抜いた。

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