6-5 群集


 俺は人混みに紛れるようにして、オネッタたちから更に離れた。俺ひとりじゃどうしようもない、ここは退くしかあるまい。


「逃がすかよっ!」


 スヴェンが大股に詰め寄ってきて、手を伸ばしてくる。さすがに周囲を巻き込んで槍で攻撃してくるほど、とち狂っちゃいないか。


 正面きっての戦闘ならともかく、『追いかけっこ』じゃ負けないぜ。

 俺は素早く周囲を見回すと、身を低くして人波に滑り込んだ。そのまま緩急をつけて、領主の館へ向かう人々の間を、逆方向に疾走する。


「待ちやがれっ!」


 ぐんと接近してきて、マントの裾を掴まれた。素早く留め具を外して脱ぎ去り、ついでに布を蹴飛ばして足止めしつつ、なお後方へ逃げる。


「そいつ、偽勇者の仲間よ! 捕まえて!」


 オネッタの叫びが響き渡ると、何人かの男が表情を変えた。事前に仕込まれたやつなのだろうか、目を剥き出し大口を開け、わざとらしいくらい憤った表情で怒鳴る。


「偽勇者の仲間だ、捕まえろ!」

「その鬣犬ハイエナ野郎だ、逃がすな!」

「薄汚ぇケダモノが、許さねぇぞっ!」


 やれやれ、血の気の多いことだ。あちこちから罵声とともに伸ばされる手をすり抜け、むしろ迫ってくるおっかねぇ槍使いとの間に挟むように、置き去りにしていく。

 適当な裏路地に身を潜めたいところだが、こう監視の目が多いとどうにもならないな。大きく迂回して領主の館、アレクシアたちが向かった先を目指そうか。


 スヴェンを振り切るためにも人の多い方、多い方へと逃げていく。あいつだけ追って来たなら反転してオネッタを狙えるんだが、そううまくもいかなそうだ。

 商店の並びを抜け、住宅が建ち並ぶ一角へ向かった。土地勘はないが、事前に地図でざっくりとした配置は確認してある。


 ここの角を曲がれば、さっきとは別の大きな通りだ。

 なんだか段々追いかけてくる人間が増えてきたなあ……なんて考えながら視線を巡らせると、整えられた街路樹が等間隔で並ぶ歩道に、大勢の人間に追われるキャロラインの姿が見え隠れした。


「ちょっ、キミたち、落ち着いて、くれよっ!」


 珍しくも必死の形相で、息を切らしながら背後に呼びかける。


「うるさい、魔女め! 大人しく、捕まれっ!」


 あいつ、なにやってんだ? 空を飛ぶなり幻術で惑わすなり全員を眠らせるなり、なんとでもやりようはあるだろ。

 あり得ない光景に呆然としてしまい、そのまま見送ってしまいそうになる。ちらっとこちらを向いた琥珀色の瞳が、俺を見つけて輝いた。


 魔女の作戦で彼女の姿を偽装させられた別人、という可能性を考えていたんだが、どうやら本物らしい。

 慌てて駆けつけ、ケープを引っ張ろうとした若造を殴りつけると、そのまま横を併走する。


「なにやってんだお前!?」


 胸元を見るといつもどおり露出した部分には傷ひとつなく、ギルドマスターに切りつけられた怪我はマルグリットが癒やしてくれたのだろう。


「や、やあ、イアンっ。油断、したよ、シュールトに、〈破却アンチマジック〉を、食らってね」


 高位の白魔術である〈破却〉は、発声を阻害する〈沈黙ミュート〉や音の伝播を遮断する〈静寂サイレンス〉と異なり、魔力の働き自体を止めてしまう呪文だ。

 使用者自身も必要な魔力を消費できなくなるので、しばらく魔術が使えなくなる。追っ手の中に“浄炎”が混じっていなかったのは、そのせいか。


 それはそうとキャロラインは走っている最中にブーツの踵が折れたのか、ひどく走りづらそうだった。


「また、なんで一人で逃げて……すまん、話は後だな」


 彼女は聖女ほどじゃないけれど体力に乏しいし、普段の余裕ぶった言動のせいで誤解されがちだが運動神経も良くはない。

 冒険を通して培った基礎能力と、頭の回転の速さと、多彩な魔術や有り余る魔力でそれを補っているだけだ。


 追いついてきそうな民衆の眼前に、煙玉を叩きつける。

 四方八方から群がってくる人々を後目に、俺は魔女の体を抱え込むと格納庫手ガントレット・オブ・ホールディングから鉤縄を排出、手近な建物の上へと逃れた。


「降りてこいっ、大賢者様を語る魔女め!」

「邪悪な妖族イブリス、街から出て行け!」

「人間様に刃向かうな、亜人ごときが!」


 うーん、操られているにしても物言いが酷いな。ちょっと反省してもらおうか。


形質検査テスティング骨子抽出ディスティレート構造変質オルタラント要素混交ブレンディング素材融合ミクスチャー命令オーダー、〈調合プレパレーション〉」


 取り出した試験管から二種類の粉末をばらまき、空中で呪文によって調合する。


「うわっ、なんだこりゃ、くっせぇ!」

「げほっ、がはっ! てめえ、許さねえっ、ごふぁっ!」


 乳白色の煙が降り注ぎ、それを浴びた群衆はたちまち阿鼻叫喚の渦に包まれた。


「なんだい、あれ?」

「死体花の粉末と、乾燥させた小鬼ゴブリンの肝。それぞれ別な薬の材料なんだが、混ぜて反応させると、物凄ぇ臭くなる」


 生み出された気体は空気より重いので、悪臭は建物の上にまでは漂ってこない。

 天国と地獄という有様だが、人体には無害だから安心しろ、三日は物が食えないほどの吐き気に悩まされるがな。


「それ、本当に無害なのかい……?」

「キャロを馬鹿にしたからな、それくらいの罰は受けてもらわないと」


 俺のことはいい。なにを言われようが、さして気にはならない。

 だけどキャロラインのことを罵るやつは、たとえ操られていたって、相応の報いを受けてもらうぜ。


「それで取る手段が、臭い粉って。キミというやつは……」


 子供っぽいと、呆れられただろうか。くつくつと笑い身悶え、魔女は俺の袖を掴んで顔を伏せた。

 しばしそうした後に顔を起こすと、いつもの飄然とした笑みを見せ、目の端に浮かんだ涙を拭う。


「じつはちょっと傷ついていたんだけど、溜飲が下がったよ。彼らには申し訳ないけどね」

「そりゃ良かった。じゃ、これ以上なんか言われる前に逃げるか」

「きゃっ」


 全力疾走していたためだろう、がくがく体を震わせているキャロラインを、横抱きにして持ち上げた。らしくもない、可愛らしい声が漏れる。

 身を翻して屋根を走り、適当なところで裏路地に飛び降りた。このまま人目を避けて移動するかと考えたが、家屋から顔を覗かせた住人が、大きな声で周囲に呼びかける。


「こっちだ! こっちに魔女と従者がいたぞっ!」

「ちっ……キャロ、〈破却〉を食らったと言ったが、どれくらいで効果が切れそうだ?」


 魔力の働きを阻害する〈破却〉は、当然この呪文自体も効果を留めておくことはできず、人体にかけてもそう長くは維持されない。

 魔女を横抱きにしたまま駆け出しつつ聞くと、俺の首に腕を回して姿勢を維持した彼女は、もう一方の手でステッキをかざして見せた。


「じつは、さっき使えるようになった。キミに『お姫様だっこ』されたのが嬉しくて、言いそびれたけどね」


 ええい、この体勢けっこう、つらいんだぞ。呆れつつも、地響きを立てて大量の人間が裏路地になだれ込んでくるのを見て、そのまま走り出す。

 彼女もさっきまで追いかけ回されていたんだ、この方が速かろう。


「〈水壁ウォーターウォール〉あたりで妨害してくれ、それまでは走り続けるぞ!」

「了解!」


 追っ手の数はどんどん増えている、おいおい、どんだけいるんだ。この街の住民は、そろいもそろって暇なのか?

 なんでこうなったんだか、まったく。


 * * *


 そして〈飛翔フライ〉で群集を引きつけた俺たちは、街外れで一気に速度を上げて彼らを置き去りにして上空で反転、そのまま領主の館に突っ込むことにした。

 そういう出し物であるかのように、キャロラインは俺にしがみついて楽しそうにきゃーきゃー言ってる。


 大人びて見えても、こういうところはまだまだ子供だな。いや、おっさんの俺でもけっこう楽しいから、年は関係ないか。


 上空から確認した限り、丘の上の領主の館は東西に門がある。河を見下ろし間に中央広場を挟んだ西側が正門、王都に向かう街道へと続く東側が裏門という構造だ。

 普通は逆ではないかと思うが、国の中枢よりも対外的な顔を重視する、という侯爵の姿勢の現れだろうか。


 当然、アレクシアたちを追って形成された人だかりも、西門に集まっている。すごい人数だな、千人は下らないんじゃないか?


「ふ、まるで屍人ゾンビの群れだね」


 思っていたがあえて言わずにいたことを、キャロラインが口走ってしまう。そうなんだよなあ、連中は身なりこそ小綺麗で意味のある言葉を吐いてはいるが、自由意志というものを感じない。

 その様は生者のはらわたを求めてさまよう不死怪物アンデッドに、そっくりだ。


「急ごう、アレクたちは領主と対面しているようだ」


 使い魔と共有した感覚でわかるのか、表情を改めた魔女が真剣な声で言う。


「そういえば、結局なんで別行動を取ってたんだ?」

「“黄金剣ノートゥング”たちの姿が見えないのが、気になるね」

「なあ、なんでだ?」


 わざとすっとぼけているような感じだったが、重ねて尋ねたら気まずげに目を逸らされた。


「……キミを探しに向かったんだよ。合流したらすぐ戻ればいいや、と思っていたら、シュールトと鉢合わせしてね。いや、向こうは隙を窺っていたんだろうけれど」


 そして“浄炎”のやつに問答無用で〈破却〉を食らって、逃げ回る羽目になったと。情景を想像して、ぞっとする。よくその場で捕まらずに済んだな。


「ほら、そういう顔をする。だから言いたくなかったんだよ」


 スヴェンのやつにあっさりねじ伏せられた俺が言えた義理じゃあないが、あまり危ないことはしないでほしい。

 多分アレクシアやマルグリットは、彼女なら大丈夫と思って別行動を承諾したんだろうが、一歩間違えば魔女は囚われの身となっていた。


 ふたりの信頼を裏切ってしまった、という思いも、キャロラインを気まずくさせているのかもしれない。

 そこで俺にまで責められたら彼女も立つ瀬がないな、そもそもどっかの支援職が独断専行したのが原因なんだし。


「まあ、無事でなによりだ。迷惑をかけたな、本当にすまない」


 横抱きにしたままの魔女に誠心誠意、謝罪する。俺が強ければ、あるいはもっと思慮深ければ、円滑に事を進められたはずだ。

 キャロラインは俺の胸に顔をうずめ、つぶやくように小さな声で言う。


「……追いかけられてさ、怖かったんだ。魔術が使えないと、ボクは一般人相手にさえ無力だった」

「ああ。頑張ったな」

「キミを見つけたとき、本当に嬉しかったよ。すぐ駆け寄ってくれて、王子様みたいだった」


 いや、一瞬ぽかんとしちゃったぞ。まあそれは言わぬが花か。


「いつだって、何度だって、助けてやるさ」

「うん……」


 そして彼女はぱっと顔を上げ、先ほどまでの弱気な声音と裏腹に、いつもの人の悪い笑みを浮かべた。


「言質をとったからね。今後もちゃんと、助けてくれよ?」

「まかせとけ」


 力不足を嘆いている暇なんてない。こいつを、こいつらを、俺が守るんだ。


「そうと決まれば、タイミングを計って突入しよう。感覚を共有するよ」


 笑顔に力を取り戻したキャロラインが、上体を起こして顔を寄せてくる。互いの唇が少しだけ触れて、笑いあった後、意識を集中する。

 アレクシアの影に潜んだ影獣シャドービーストから、勇者を取り巻く現状が伝わってきた。

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