6-2 糾弾


 まったく、なんでこうなったんだか。


 俺はキャロラインを横抱きにして、裏路地を必死に駆けていた。

 俺の首に腕を回して姿勢を維持しつつ、魔女はもう一方の手でステッキをかざし、背後に向かって呪文を放つ。


「雫よ集い水へと変われ、水よ束なり流れを作れ、流れよ渦巻き壁と成れ、〈水壁ウォーターウォール〉!」


 木と煉瓦で形作られた二階建てや三階建ての狭小住宅が密集し、その合間を縫うように設けられた道、というか家々の隙間だ。

 人がすれ違うことさえ困難な空間いっぱいに、水で出来た壁が広がる。


 窓から窓へと吊るされた紐に干された洗濯物や、道の端に置かれた鉢植え、あちこちに転がる荷物だかゴミだかわからないがらくた。

 それらを巻き込んで渦巻いた水が、俺たちを追いかけてきた大勢の人間を足止めした。


「うわっ、なんだこの水っ」

「がぼっ、ごばっ」

「無理に突っ込むな、あっちから回り込め!」


 水の壁は数分の間は維持され、常に流れているので物理的に破壊する手段はなく、うっかり飲み込まれると溺れる羽目になる。

 ただしこの呪文は魔女の手になる改造によって、非殺傷の構文が組み込まれているため、水を飲んだ生物は脱力と同時に壁の外へ放り出されるようになっていた。操られているだけの相手をうっかり殺してしまっては、評判が落ちるどころの騒ぎではないしな。


 ともかくすぐ後ろに迫っていた民衆を引き離せたので、そのまま走り続けて距離を稼ぐ。

 だが、複雑に枝分かれした路地のあちこちより人々が姿を見せ、あるいは家屋の窓から身を乗り出し同胞を誘導していた。


「こっちにいるぞ! 魔女と従者だ!」

「いんちき勇者の仲間だ、ぶちのめせ!」

「とっ捕まえて、領主様の前に引きずり出すぞ!」


 殺気立った声を上げ、中には角材や包丁などで武装した者までいる。老若男女を問わず血走った目つきで、話し合いが通じるようには見えなかった。


「まいったね、実際。群集心理ってやつは怖いね」

「言ってる場合かよっ」


 のんきに分析しているキャロラインを抱く腕に力を込め、格納庫手ガントレット・オブ・ホールディングをはめた腕を伸ばす。

 排出音とともに鉤縄が飛び出し、手近な建物の屋根に引っかかった。勢いよく跳躍しつつ縄を収納し、体が引っ張られる勢いに合わせて壁を駆け上る。


 建物の屋根に登り、素早く左右を見渡した。

 大通りに出るのはまずい、だが闇雲に逃げ回っていても仕方がない。まずは分断されてしまった、アレクシアたちと合流を──


「あそこだ! ハンスんとこの屋根の上!」

「銃もってこい銃! ヨハンが自慢してたろう!」

「それより網だ! マルクが船から降ろしてたはずだ!」


 くそ、じっくり考えている暇もないな。猪か鹿にでもなった気分だ。


「いっそ飛んで逃げるかい?」

「そうだな……アレクとリットに人が集中するのもまずいし、何割かは街の外に引きつけたい。頼めるか?」

「いいとも。キミは詠唱時間を稼いでくれ」


 二手に分かれようかとも思ったが、相手の狙いが俺である以上、下手に個別行動を取るのはまずい。ここは魔女と行動を共にしたまま、あたりの人間を連れ回すとするか。


「大気よ流れて風となれ、風よ吹き抜け羽を成せ」


 屋根の上、俺の腕の中でキャロラインが呪文を唱えると、周囲に風が渦巻き始める。

 俺は格納庫手から煙玉を排出してこっちに長銃を向けた青年を惑わし、屋根板を足で引っ剥がして蹴飛ばし網を抱えた男を牽制した。


 風切り音とともに、遠間から矢が飛来する。足下でわあわあ言ってる連中よりは気の利くやつがいたようだが、大した腕じゃあないな。

 魔女の詠唱を邪魔しないよう、滑らかに上体を動かして矢を避けた。


「羽よ束なり翼と変われ、〈飛翔フライ〉!」


 そして詠唱が完成する。俺たちの体を風が包み込むと、そのまま上向きの力として働き浮かび上がらせた。

 ようやく屋根の上に登り、掴みかからんとした人々を置き去りに、俺たちは空中に待避する。


「くそっ、降りてこい! 卑怯者っ!」

「正しい裁きを受けろ、背教者ども!」

「俺の目は誤魔化せないぞ、偽物め!」


 誤魔化されてる、誤魔化されてる。

 我知らず湧き出た苦笑いを見上げてくる連中に向けて、俺はキャロラインを横抱きにしたまま──腕から下ろすと、スカートの中が見えちまうからな──形ばかりの釈明をした。


「信じちゃもらえねぇと思うが、あんたらは操られているんだぜ。今の考えが、本当に自分の腹から出たものか、よく考えてみてくれ」

「なにを言って……」

「頼むぜ、ほんと。んじゃ、あばよ!」


 第二の矢が飛んできたので、上昇する勢いを速め、そのまま横移動に転じた。

 〈飛翔〉の呪文は馬の全速力より速く飛べるが、それでは地上の人々が追いつけない。低空をわざと遅めに飛ばないと。


 面倒なことだ。まったく、なんでこうなったんだか。


 * * *


 中央広場でのアレクシアの演説からさほど間を置かず、俺たちは丘陵状の街の頂点、領主の館に向かって大通りを進んでいた。

 キャロラインとともに冒険者ギルドで合流したていになっている俺が、二頭牽きの屋根なし馬車の御者を務める。この馬車は冒険者ギルドで借りたもので、他にこの街のギルドの管理者マスターと、教会の司祭も同乗していた。


 領主であるグロートリ侯爵は地位に関しては勇者たちより上だが、聖女であるマルグリットも含めたこの面々ならば、訪問を断られることはあるまい。

 街の住民が見守る前で堂々と乗り込み、会談してキールストラの罪状を認めさせ、それを街全体に布告させる。


 先の演説に加えてここまでやれば、“黄金剣ノートゥング”のやつがなにを企んでいようが、これ以上この街では好き勝手できないだろう。

 ゆるい坂道をゆっくりと進む馬車を見守る住民の表情は、好奇心半分、不安半分といったところか。取りようによっては、部外者が領主とその贔屓を糾弾にきたようなものだものな、面白くないと思う者もいるだろう。


 そんな群衆の中から、一人の少女が飛び出してきた。

 まだ幼女と言っても差し支えない年頃で、黄白色の髪を二つに分けて頭の左右で結んでいて、肩や腹が丸見えの貫頭衣めいた上衣とミニスカートに身を包んでいる。


「勇者さま! 聖女さま! 聞いてくださいっ!」


 声を張り上げながら少女は、馬車の真正面に立ち塞がった。慌てて手綱を引いて馬を止めるとともに、駐車用の制動機を踏む。

 車輪が停止する一方、馬車と馬を連結する長柄に押され、止められた馬たちが不快げにいなないた。


 死にたいのかこのガキ、と怒鳴りたいところを、周囲の目を意識し必死でこらえる。それにしても無茶をしやがる、この幼女。

 それに、こうも堂々と姿を見せてくるとは思わなかった。


「キー様……キールストラ様は、悪くありませんっ!」

「いや、どうしてそうなるんだよ、


 くりっとした丸い目に収まる浅葱色の瞳、短めの眉と薄い唇、愛らしい造形なのにどこか酷薄さを感じる表情。

 山吹党ニーベルングの連中から事前に聞き出し、俺が手配書に描いた似顔絵は、よく特徴を捉えているなと内心で自画自賛した。


「こそこそ暗躍しているかと思ったら、ここで正面切って現れるとはな」

「なにを言っているんですか! キー様を悪く言って、街の皆さんをおどしつけて、領主様のところにまで押しかけようだなんて! あなたたちは、本当に勇者さまとそのお仲間なんですかっ!?」


 細い手足で一生懸命に身振り手振りをしながら、涙目で訴えかけてくるオネッタ。感情に働きかけるという意味では、なるほどなかなかほだされる訴え方だ。

 実情を把握している俺たちからすると白々しいことこの上ないが、なにも知らない街の住人からすれば、どちらが正しいのかわからないだろう。あるいは下手をすれば、こちらが悪人のようにも映るかもしれない。


「悪いけど、戯言は通じないわよ」


 馬車からひとっ跳びで降りたアレクシアが、目にも留まらぬ速さで細身の長剣を抜いて、幼女の喉元に突きつけた。


「キャロ、こいつの化けの皮を剥いじゃって」

「りょうか――なっ!?」

「キャロっ!」


 キャロラインの応えが中断され、マルグリットの悲鳴が響く。

 振り返った俺が目にしたのは、胸元を切りつけられて鮮血を迸らせる魔女と、腰に差していた小剣を抜き放ったギルドマスター、司祭に掴まれそうになって抵抗している聖女……という混沌とした光景だった。

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