6-3 催眠
かっと頭に血が上るのを感じる。だが落ち着け、冷静に判断しろ。
オネッタは、アレクシアが押さえてくれるか? いや、彼女の性格からして仲間を助けるか、仲間を害した相手を仕留めに走る。
いま抜いているのは殺傷力の低い
俺は腕を交差して左右の腰から投げナイフを抜くと、ギルドマスターと司祭の双方に投じた。
それぞれ利き腕の肩に突き刺さり、マスターは車内に倒れ込んだキャロラインへの追撃を外して、司祭はマルグリットに突き飛ばされる。
「殺すなよっ!」
視界の端をよぎる影に声をかけ、俺は馬車の御者席から身を躍らせた。車内の制圧は勇者に任せればいい、聖女の手が空けば魔女はきっと大丈夫。
同乗していた二人には念のため事前に〈
それより今は、やつを逃さないようにしないと。本音を言えばマスターの野郎はぶっ殺してやりたいし、司祭もぶん殴ってしまいたいが、俺の役割は目先の感情に囚われないことである。
「こいつらは、ニセモノよ! みんな、ギルドマスターと、司祭様を助けて!」
幼女がそう叫び、駆け出した。なに言ってやがるんだ、と思った直後。
「アィイィ――ッッ!!」
怪鳥が発したかのごとき悲鳴が響く。
見なくてもわかる、マスターが矯導尖畢に刺されたんだろう。あの剣のもたらす激痛は、歴戦の戦士でも子供のように泣き叫ばせるほど凄まじい。
その絶叫に、呆然と事態を見守るしかなかった周囲の人々が、びくりと体を震わせた。意図したわけじゃないが、アレクシアの印象が悪くなったかもしれない。
ともあれ今はオネッタだ、猿めいた敏捷さで人並みに紛れんとする小さな人影に、全速で追いつく。正体はなんだか知らないが、とりあえず動けなくなってもらうぜ。
身を低くして短剣で切りつける。だが幼女は背中に目でもついているかのように、柔軟な動きで俺の攻撃をかわし、そのまま人波に突っ込んだ。
「お願い、みんな! そいつを止めて!」
いけしゃあしゃあと抜かしやがる。そんなことを言われて、刃物を持った相手に立ち向かおうなんて気概のあるやつが、そうそういるかよ。
そう思ったのだが、強面のおっさんと凡庸な顔をした青年が立ち塞がった。おっさんの顔は怒りに満ちていて、青年の表情は恐怖で強ばっている。
「ガキになにしやがる!」
「ここ、子供に危害を加えるなんて」
ええい、根性あるじゃねえか。状況だけ見れば俺は幼女を襲うチンピラだろうが、そんな単純な話じゃあないんだよ。
とはいえ足を止めて説得している暇はないし、無関係な人間を傷つけるわけにもいかない。
俺はぐうっと身を屈めると、伸ばされた手を掻い潜るように思い切り跳躍した。空中で伸身宙返り、裏路地に駆けていくオネッタの姿を捉え、
手近な屋根に鉄鉤を引っかけ、振り子の動きで群衆の頭上を越えて、鉤縄を外した勢いそのままに跳躍する。立体的な動きにおっさんたちがついてこれぬ間に、素早く着地し幼女を追いかけた。
相手はちょこまかすばしっこいが、単純な足の速さなら俺の方が圧倒的に上だ。
狭い道や家の隙間、塀の穴を潜るなどして逃げようとする相手を、壁や屋根を蹴って追い詰める。
投げナイフで足を……いや、刃物は体裁悪いな、どこから見られてるかわかったもんじゃない。重りふたつを縄で繋いだ
一瞬だけ止まった足に、俺の投擲した投錘が重りの遠心力で縄を絡みつかせた。野営時の狩りで鳥や兎を捕まえるため持っていた物だが、意外な局面で役に立ったな。
「きゃんっ」
いとけない悲鳴を上げて、オネッタが転倒する。
短いスカートがめくれ上がって尻が丸出しになっているが、さすがにここまで小さいとなんとも思わない。というか下着くらい履けよ。
相手がなにをしてくるか完全にわかったわけではない、俺は数歩分の間合いを空けて尻、じゃない幼女を見下ろした。
「い……いやっ、こないでっ!」
仰向けになって後じさりながら、相手は涙目で震え声を出す。状況だけなら強姦魔にでもなったかのような気分だが、外見が幼すぎて萎えるっつーの。
そもそも演技をするなら、その目の奥に潜む隠しようのない悪意、へばりつくような蔑みをなんとかしてからにしろ。
その対象は
こいつの一見きらきらした瞳には、吐き気を催すような醜悪な気配が宿っている。
他者への嘲弄や差別心を長い年を経て醸成した、品性の欠落した老人特有の粘っこい視線だ。こういう目をした年寄りを、これまで何人も見てきた。
「どうやら、外見どおりのトシじゃあなさそうだな」
年齢不詳の幼い外見という意味では
幻術の類いだとしたら、まさかこいつ、ネスケンス師の姉弟子本人だったりしないだろうな。
「念のため確認しておくが……お前、ヤコミナ・ネスケンス師を知っているか? 魔術師ギルド総帥の」
そんなことを聞いている場合じゃないとわかっているはずなのに、俺は思わず尋ねてしまった。
効果は劇的で、幼女の表情から先ほどまでの、わざとらしい愛らしさが失せる。
「……はんっ、やけに小賢しい手でくると思ったら、あの魔術馬鹿の入れ知恵かい」
細めた目に宿った悪意と敵意をあらわに、俺を見上げてきた。染みひとつもない艶の良い肌、たわめた口元に、ぎちりと深い皺が刻まれる。
その顔を見て確信した、こいつは血縁や他人の空似なんかじゃあない、推測どおりオネッタ本人だ。一体全体どういう経緯で、魔術師ギルドを飛び出したこいつが人々を操って、勇者の行動を邪魔しているんだか。
「そもそもなんだって、魔王軍の手先なんかやっているんだ?」
「はっ、答える義理なんざないね」
ふむ。否定しないってことは、なにかの旧怨で俺たちへの敵対活動を行っているわけではなく、魔王軍としての作戦なんだな。
「ったく。手配書なんて撒くわ、裏から手を回すわ、わざわざ自分たちの正義を言い立てるわ。勇者なんだから、もっと馬鹿正直にやんなさいよ」
毒づく幼女の外面は、歪んではいても人間そのものに見える。
だが、もしこいつが
「こそこそ人を操ってるやつに言われたかねーよ。どうせその姿も、まやかしなんだろ? 正体を見せやがれ」
「はんっ、だれがっ!」
さっきから片膝を立てて投錘を外そうとしているが、させねえよ。俺は懐から短剣を抜き――横合いから襲い来る殺気に反応して、その場を跳びすさった。
「おっとぉ、惜しい」
くそ、直前までなんの気配も感じなかったぞ。一瞬前まで俺がいた場所を貫いた
「スヴェンか、ここでくるかよ!」
「ここで助けなきゃ、嘘でしょっ」
毒づいた俺の台詞を揶揄するように繰り返し、“激槍”スヴェンは連続して短槍を突き込んでくる。畜生っ、速ぇっ!
かろうじて直撃しそうな穂先だけ短剣でさばくが、狭い路地では横をすり抜けることもかなわず、後退を余儀なくされる。相手はオネッタとの間に割り込み、幼女を守るように槍を構え直した。
「聞いてたより、随分と身軽だねぇ。フィルがあしらわれるわけだ」
「そっちこそな、六ツ星は伊達じゃねえか」
さっきの短い攻防でわかった、正面からやり合ったら、とてもじゃないが勝ち目がない。ましてこの狭い路地だ、俺が得意な投擲攻撃には著しい制限がかかる。
気がつけばさっきまでいた大通りから、ずいぶんと離れてしまっていた。キャロラインの傷も心配だし、ここはいったん逃げて仕切り直しか?
「スー君!」
「了解、姫ちゃん!」
逡巡した隙に、幼女の声を受けたスヴェンが突っ込んできた。おいなんだそのお互いの呼び方、なんて指摘する暇もない。
右肩に向かって強烈な突きがきた、後ろに下がるとオネッタから引き離されすぎる、左へかわしてそのまま“激槍”に密接。この距離なら槍より短剣の方が有利だ、鎧の隙間に突き込んで――
「ふんっ」
「がっ」
肩から倒れ込むように体当たりしてきやがった、壁との間に挟まれて、肺の空気が押し出される。
細い体してるわりになんて力だ、その上こいつ、格闘戦にも通じてやがる。
「音よ我が意に従い軋め、軋みざわめき踊れよ
そしてオネッタが詠唱を始める。黒魔術に特有の、呪うような嘆くような、幼い声で発されたとは思えない禍々しい響きだ。
よこしまな術を使ってなお涼やかなキャロラインのそれとは違う、他者を意のままにしようとする悪辣な思考を隠そうとしない、忌まわしい言辞。
「踊る詞は夢魔へと転じ、夢魔に誘われ心よ眠れ、〈
思うように身動きが取れぬまま、俺はその呪文を浴びてしまった。
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