5-4 激怒


 明けて翌日、俺たちはようやく王都を出発した。


 キールストラへの対策だけを考えるなら、王都に腰を据え情報が入ってくるのを待った方がいいのだろうが、それでは本来の目的に支障を来す。

 魔王軍を引っかき回すために旅をする算段なのに、その手先とおぼしき相手に足止めされては、本末転倒だ。


 きたるべき軍対軍の決戦に先駆けて動く意味でも、各地を訪れ勇者の存在を喧伝した方がいい。

 面倒事になりそうな権力者はハンネス王子やデ・レーウ大司教を通じて牽制しておいたし、せっかくだから道中の街で観光なり名物料理を味わうなりしてもいいな。


 どのみち最後にゃ過酷な戦いが待っているんだ、その過程でまで緊迫しどおしでは精神が保たない。


「待ってなさい、魔王! お土産もって、遊びに行ってやるわ!」

「ふ、それで本当に歓待されたら笑うね」

「魔王の歓待って、呪いとか即死攻撃の類いな気がしますけど」


 馬車の中で少女たちは、相変わらずかしましい。いや、騒がしいのはひとりだけなんだが。


 勇者家伝来の馬車を牽くのは、キャロラインが召喚した二頭の魔法生物。

 外見は馬鎧バーディング騎馬外套カパリスンで足下まで体を覆った大型馬、という風情だが、中身は彼女の使い魔である影獣シャドービースト同様、不定形の軟体生物である。


 外套の下では無数の球体が回転しながら接地面に動力を伝えており、四足動物よりも速く滑らかに移動することが可能だ。

 ただし動きをじっくり観察すると、ものすごく高速で動いている芋虫を見ているような、なんとも言えない気持ち悪さがある。


 御者は俺が務めるが、この影爬虫シャドークローラーはそれなりの判断能力があって言葉でも命令可能なので、やることはほとんどない。

 手綱を握るふりをして、すれ違う他の旅人を驚かせないのが俺の主な役割だった。


 あとは、囮だ。俺なんぞ王都でさえ目立たないのだから他の街では推して知るべし、大っぴらに顔を晒している。

 “黄金剣ノートゥング”にせよ他の魔王軍にせよ、第一目標が俺であるなら、下手に隠すと見つけてもらうのに時間がかかるからな。


 あまり堂々としていると、それはそれで罠の可能性を疑われそうだが……そこまで考えていたら、きりがない。

 そもそも今ちょっと、怪我で顔が酷いことになっており、俺と認識してもらえるかどうか怪しいんだが。


 昨夜の訓練は惨憺たる結果に終わった。その結果が、今の顔面だ。

 あちこちに切り傷が走り、右目の周りに青あざ、左頬は赤く腫れ上がっている。


 危機感がないと訓練にならないから、とアレクシアは遠慮仮借なしに攻撃してきた。必死になって避けまくったが、剣先ばかりに注意を取られていたら拳も飛んできて右目を殴られ、蹴りを籠手で防いだら自分の手で頬を強打した。

 その上で何度もいいのを食らい、その都度あまりの激痛に絶叫を上げる羽目に。


 他の宿泊客や酒場の客を誤魔化すのが大変だったと、黒馬亭の亭主にがっちり怒られた。

 勇者が従者を虐めていた、なんて風評が流れたら困るので、野次馬を止めてくれた亭主には頭が上がらない。


 どうにか攻撃をかわせるようになると、それに併せてアレクシアの速度が増す。

 結局、もう動けないとなるまで、彼女の攻撃を捌けるようにはならなかった。


「まあ“黄金剣”相手には微妙かもだけど、“激槍”相手ならなんとかなるでしょ」


 とは勇者の弁である。己の現在の力量を正確に把握できたのだから、意義のある模擬戦だったと言えるだろう。問題は、その後だ。


「大怪我はだめって、言ったでしょ!?」


 マルグリットが激怒した。俺の悲鳴を何度も聞いて気が気じゃなかったところに、血まみれ傷だらけで部屋を訪ねたもんだから、我慢の限界がきたらしい。


「正座! アレクも!」


 そして板床に、藍之家でアレクシアがやっていた、床に膝をついて尻を足の裏に乗せる座り方をさせられた。

 これ臑と足の甲が痛い上に全体が痺れてくるからきついってのに、そのままお説教が始まる。


 最初は俺の怪我に動揺し、次いで聖女のあまりの剣幕に珍しくおろおろしていたキャロラインであったが、わりとあっさりいつもの調子に戻った。

 部屋の施錠と遮音を済ませた後は、ベッドに寝転がってにやにや俺たちを見るばかりだ。


 マルグリットが真面目な話をしている背後で、変な顔をしたりセクシーなポーズを取ったりして、集中を途切れさせてくる。

 それで聖女の怒りが増すのだから、理不尽な話だ。ま、そのうちばれて、魔女も正座の列に並んだわけだが。


 怒ること自体に慣れていないマルグリットは、一時間ほどがみがみ説教をしたあと、目を回して寝込んでしまった。

 魔道具が止まったみたいにぱったり倒れたときは、俺の心臓も止まるかと思ったものだ。


 アレクシアが申し訳程度に使える初級の回復呪文で応急処置してもらい、俺たちも聖女を囲んで寝ることにした。

 痛みで眠りは浅かったが、罰と思って受け入れる。


 翌朝、無事に目を覚ましたマルグリットに、皆で改めて謝りたおした。今後は自重すると約束して、ようやくマルグリットも機嫌を直してくれる。


 ただし俺の怪我は、昼休憩まで治してあげませんと言われてしまった。まあ、昨日あれだけ格好つけておいて、目的と無関係のところで大怪我をしちゃあなあ。

 聖女がお冠になるのもわかるので、おとなしく受け入れる。おかげで宿を発ち街を出るまで、居心地が悪いったらなかった。


 ともあれ馬車は街道を行くこと、数時間。すれ違う農民や行商にぎょっとされつつも、そろそろ昼時だ。


「リットー。かわいいかわいい、リットさんやー。そろそろ治してもらっちゃ、くれませんかねぇ?」


 きゃっきゃしている馬車の中に声をかけると、窓から聖女が顔を出す。


「もうっ、そんな言い方。本当に反省してますか?」

「してるしてる、超してる」

「もうっ、もうっ!」


 牛かな。ぷくーっと頬を膨らませて不満を表しているのが、可愛い。

 それでも彼女は窓から上半身を乗り出して、後ろから俺の首根っこにしがみつくと、頬を合わせながら呪文を詠唱した。


「いと高き生命樹よ、その実のもたらす恩寵をこのものへ分け与え、糧とならしめてください、〈大癒エクストラヒール〉」


 中級の回復呪文が俺の全身に染み渡り、応急処置では治しきれなかった肉体の欠損や筋肉の疲労を、布で拭き取るように一気に消し去っていく。

 昨夜アレクシアに応急手当されていたのもあって、毛ほどのダメージも残らず肉体が完調した。


「……もう怒っていませんけど、お詫びがほしいです」


 怒ってないならいいじゃないかと思うが、詫びというより感謝を伝えたくて、顔を横に向けると口づけをする。無理な体勢なので濃厚なやつは難しいが、首を傾けるようにして唇を合わせた。

 そのまま何度か離れたりくっついたりを繰り返すと、少女はとろけた笑みを浮かべながら甘い吐息を漏らす。


「……しょうがないですねえ、許してあげます」


 安易だなあと思いつつ、そんな彼女が愛おしい。そのまま顔を寄せていちゃいちゃしていたら、馬車の中から物言いが入った。


「ちょっとリット! 独占禁止!」

「それいいね、ボクもやりたいな」

「駄目です。お詫びなんだから、私だけです」


 ねー、とマルグリットは楽しそうに尋ねてくるわけだが、これどう答えても角が立つやつじゃないか?

 返答を保留しているうちに聖女が中の二人に引っ張り込まれ、窓際を争ってどたばたし始める。もちろん本気のやり合いじゃないんだろう、楽しそうな嬌声が聞こえてきた。


「ちょっと、アレク! そこは反則……はぁんっ!?」

「ふっふっふー、リットの弱点はわか、こらキャロっ! どさくさになに、やぁっ!?」

「油断大敵だよアレク、ほーらここが、ってリット、そこは駄目っ、ふぁんっ!?」


 なにやってんの君ら。というか俺も混ぜてほしい。

 賑やかだが悩ましい声を聞きながら、黙々と――あるいは悶々と、馬車を進める。とりあえず街道ですれ違う相手が途切れていて、助かった。

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