5-2 律動
せっかく顔を出したのだから追加の実験につき合え、と総帥に引き留められたため、キャロラインは魔術師ギルドに居残りとなった。
不登校児が珍しく顔を出すとあれこれ言われて帰れなくなるパターンだな、俺は学校に通ったことはないので適当な憶測だが。
彼女ひとりでは帰路が不安だし、アレクシアにも護衛を兼ねて残ってもらう。
俺は俺で別件を処理すべく、マルグリットを伴ってボニージャの屋敷へ向かっていた。単独の方が気楽ではあるが、敵の襲撃を受ける可能性が皆無とは言えない。
この状況下であの強突く張りを相手取るのも気疲れするが、勇者と聖女はそもそも交渉事に向かないし、魔女も頭は切れるが他人の心の機微に疎い。
海千山千の商人に対しては結局、俺が出向いて直接やりあうのが確実だった。
「……疲れてますか?」
馬車の中で目を揉んでいたら、隣から気遣わしげな声をかけられた。
「いや、そうでも……あるか。意地を張るのはやめよう。ちょっとな」
なんだかんだ眠れていないし、考えることは多い。
キールストラのこと、オネッタのこと、それだけじゃなかった。望んだわけじゃないが、結果として大勢を巻き込んだ。
第一王子の派閥にデ・レーウ大司教、ネスケンス師に、冒険者ギルド。
それが最善と信じてはいるが、四人だけで襲ってくる敵と相対することに比べれば、やはり面倒事は多い。
勇者家伝来の馬車は振動が少ないけれど、それがかえって一定のリズムで体を揺すって、どうにも眠気を誘った。
気を抜くと寝てしまいそうで、非常事態だってのに意識がしゃっきりとしない。〈
「今まで、なにも考えずに、イアンに甘えていました。あなたの支えがあってこそ、私たちはやっていけるんです、って」
それ、追放を持ちかけた晩にも言われたな。俺の誇りの源になっている言葉のひとつだ。
薄く開いた馬車の窓から、茜色に染まった街並みが流れていく。なんとなくそちらへ目をやっていた俺の頬に、マルグリットの小さな手が触れた。
「アレクもキャロも、もちろん私も。薄々気づいていましたけれど、あなたは今、自分さえ犠牲になれば私たちを守れるって、そう思っていますよね?」
そうかもな。今現在、魔王軍の標的は俺に絞られているように思う。
わざわざ国一番の冒険者を操ってまで、俺を排除するための策を仕掛けてきている。
「そんなの、やだ」
「やだ、って……」
子供みたいなことを言う。いつだって見かけと不相応に丁寧な言葉を使う聖女が、外見に似つかわしい幼い言葉で、不平を口にした。
「仲間でしょ? 頼ってよ、イアン。あなたが傷つくのは、見たくないの。あんなのは、もうやめて……!」
ふわっとした言葉だったが、伝えたいことはわかる。
彼女が言っているのは、四天王との戦いで俺がやらかした無茶のことだ。“白撃”にぼっこぼこにされて、死の間際で治療されたあの時のこと、それがマルグリットの心の傷跡になっているんだろう。
逆の立場だったら俺だってそう思うはずだ、身を寄せてくるこの儚げな少女が、自分のために酷く傷ついたら。
想像するだけで、胸が痛くなる。だけど。
「悪い。約束はできない」
いつだって俺は、この身を張ることでしか、己の存在意義を証明できない。隔絶した力を有する少女たちにどうやって貢献するか、他の答えが見つからない。
哀しい涙で翠の瞳を潤ませる少女に、俺はそっと顔を寄せた。熱を測るように、あるいは己の熱を伝えるように、額をくっつける。
「俺は弱ぇからな、どう頑張っても傷つくよ。だからそれは、お前が治してくれ」
「イアン」
「リット。俺の大好きなリット。俺に無茶をさせてくれよ」
自己満足かもしれないけれど。アレクシアに、マルグリットに、キャロラインに。愛する少女たちのために、体を張らせてくれ。
「もうっ、もうっ! 本当に、しょうがない
感極まったように身を起こし、少女は俺の頭を抱きしめた。薄い胸から、高鳴る鼓動が伝わってくる。
「……死んじゃ駄目ですからね、イアン。だけど死んだって、蘇らせちゃうんだから。私が」
「はは、おっかねえ」
細い背中に腕を回しながら、俺は笑った。この娘にはかなわないなあ。
そのまま、目を閉じる。眠りに落ちるよりも安らかな、優しい律動が俺の精神を満たした。
* * *
「ボニージャさん! なんかいい感じの武具を売ってくれ、ツケで!」
「テンション高っ!」
応接室に案内されるや開口一番、すっかり癒やされた俺の宣言に、
「珍しいですな、イアン殿が、ご自身の要求をいの一番になさるとは」
「申し訳ありません、少々気が急いていました」
落ち着け俺、ボニージャだけでなく執事も侍女も目を丸くしているじゃないか。俺と一緒にふかふかのソファに座ったマルグリットだけが、にこにこ笑っている。
「まずは五ツ星への御昇格、おめでとうございます。さすがは勇猛にして英明なるイアン殿ですな、このボニージャ、長く応援してきた甲斐があるというもの」
いけしゃあしゃあと言いやがるな、つい先日まで従者扱いだったくせに。それにしても昨日の今日で、耳の早いことだ。
今日は勇者の使い走り、という名目でここに来ているので、本来は着席など許されない立場だ。
それが椅子を勧められ、茶まで出されるのだから、きちんと遇するつもりはあるのだろう。五ツ星の冒険者ってのは、それくらいの影響力がある。
「聖女様におかれましても、六ツ星への御昇格、重ねてお祝い申し上げます。婉美にして神聖なる御方に拝謁できる喜びにこのボニージャ、感激の極みです」
「ありがとうございます」
俺の星二つ加増に比べると衝撃は薄いし、功績からすれば妥当なのかもしれないが、マルグリットの昇格も充分に大きな話ではある。
彼女に媚びを売っておけば、生命樹教会という巨大な市場に伝手が持てるのだ、本来は真っ先に祝辞を述べるべきだったろう。
にも関わらず俺への挨拶を優先したということは、向こうもこちらの意図を汲んでいるのかもしれない。
「それで、有用な武具でしたか。やはり“
そちらの話も耳にしているか、説明の手間が省けるな。
「魔物ならともかく、敵は凄腕の冒険者です。各個撃破を狙われると、俺では対処が難しい」
アレクシアが前衛で踏ん張って、マルグリットが援護し、キャロラインが大魔術を叩き込む。相手の体勢が崩れれば、勇者の猛攻を防げる敵はいなかった。
これが我がパーティの得意戦術で、俺の役目は各人のフォローくらいだ。
どれだけ強くとも魔物の攻撃は直接的で、狡猾な知恵を持つものであってもアレクシアの圧を無視しえない。
加えて、あいつの挑発は魔法のように敵を引きつける、不思議な誘因力を持っていた。
しかし敵が同じ冒険者、しかも同格の七ツ星となれば話は変わってくる。
最大の脅威ではなく最弱の相手を狙い打つくらいはしてくるだろうし、それに対抗する策が今のところ、俺がなんとか踏ん張るくらいしか思い浮かばない。
その上やつに従っているのは“激槍”スヴェンに“浄炎”のシュールト、ともに名の知れた六ツ星の冒険者で、うちのパーティとは相性が悪かった。
スヴェンは斥候も務める高速乱打の槍使い、シュールトは攻撃力の高い火の魔術と聖女ほどではないが効率的な治癒魔術を操る。
キールストラかスヴェンのどちらかが勇者を押さえ、シュールトが牽制に徹したなら、残った前衛職が俺を
フィリベルトを嵌めたときのようにうまく罠を張れればいいが、一対一の正面対決に持ち込まれたら、今のままでは勝ち目がない。
「せめてアレクシアが相手を仕留めるまで、しのぐ必要があります」
「なるほど、なるほど。苛烈にして捷勁なるアレクシア様なれば、さほどの時間もかからず相手を下せましょうからな」
もっと身も蓋もない戦術を取るなら、それこそマルグリットに全力で防衛してもらい、キャロラインが周辺一帯を焼け野原にしてしまえばいい。だが街中で襲いかかられたら、そんな力任せのやり方はできないからな。
やはり俺の戦力の底上げは必須だ、手段を選んじゃいられない。
「よろしい。そういうことでしたらこのボニージャ、できうる限りイアン殿のお役になれるよう、力を尽くさせていただきましょうぞ」
任せてくれ、とは断言しねぇんだよな、相変わらず。
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