3-8 進化


「いと高き生命樹よ、その根の元に還らんとする魂を、いまひとたび現世うつしよの器へとお戻し賜らんこと、伏して願い奉ります……〈甦生リザレクション〉」


 最後の一人に〈甦生〉をかけ終えたマルグリットは、目の前で意識を取り戻し、くりくりした目を自分に向ける犬人コボルトに微笑みかけ……そのまま、気を失って倒れた。

 咄嗟に抱き留めると、青ざめた顔で浅い呼吸を繰り返している。


「魔力は魔石から供給されるにしても、制御するのはリット自身だ。さすがに、〈甦生〉の七連発はきつかったようだね」

「大丈夫なの?」

「なに、この娘の意志の強さはボクらが一番、よく知っているだろう? 大丈夫に決まっているさ」


 心配そうなアレクシアに、キャロラインはそう保証しているが、そういう彼女自身も顔色は良くない。

 他人の魔術の構成を読んで、寸分違わぬタイミングで自身も魔術を放つ。極度の集中を必要とする作業を七回も繰り返したんだ、無理はなかった。


 二人とも、本当にお疲れさま。労る気持ちと、奇跡を成し遂げた二人への尊敬の念があふれて、聖女を抱く腕にも力がこもる。


「あとは、火災をなんとかしないとね。最後のひと働きだ、イアン。協力を頼む」

「ああ。お前ほど上手くはやれないだろうがな」


 マルグリットの体を勇者に託して、俺は魔女と向き合う。彼女が取り出した“黒烈”の魔石に、じっと集中した。

 微調整はキャロラインがしてくれる、俺は自分の技にだけ専念しろ。


「大気よ流れて雲を呼べ、雲よ我が意を空に描け、空の彼方に兆しを招け、兆しよ遍く天へと渡れ、天よ威令に従い変われ」


 本来であれば詠唱の進行とともに魔力が高まり、魔術風が吹き荒れるはず。だが必要な魔力が足りず、構築された術式は虚しく散ろうとする……ここだっ。

 魔法銀製の短剣で、魔女が手にした魔石に切りつける。


 剣撃だけならアレクシアの方がよほど速く正確だが、魔術の構成を理解し完成の直前を見切るなら、俺の方が適任だ。

 はたして目論見どおり、絶好の瞬間に魔石は砕かれた。


「〈天変コントロールウェザー〉……!」


 キャロラインの静かな声とともに青空がにわかにかき曇り、鼻先に水気を感じたかと思うと、瞬く間に豪雨が降り始めた。


 しかし雨は俺たちを濡らすことはなく、麦畑や森など、燃えている場所にだけ降り注ぐ。なにも知らない者が見れば、神の御業としか思えないだろう。

 実際、犬人たちのほとんどが腹を見せ、魔女の周囲を転がっている。こっちの方がある意味、異様な光景だな。


「アレクシア様、皆様。なんとお礼を言って良いか」


 木々を覆っていた火の朱が瞬く間に白煙に包まれ消えていく、そんな驚異に目を丸くしながらも、胸に手を当て礼を告げる“紡ぎ手スピナー”。

 対してアレクシアは、しょげた顔で謝る。


「ううん。巻き込んじゃったのは、あたしたちの責任。本当にごめんなさい」

「俺からも詫びさせてくれ。せっかくの畑や森を、台無しにされちまった」


 つい一昨日、彼女とともに訪れた農園。犬人たちの長年に渡る努力の成果を目にしているだけに、今の惨状は正視に耐えないものがある。


「なに、畑はまた整えれば良い。麦も野菜も、植え直せば良い。そのための知識と経験は、現人神様の礎あってこそのもの」


 男前な台詞を、発する“紡ぎ手”。追従するようにブレ、ウィー、ズワの三人組もはしゃいだ声をかけてくる。


「ボス、気にしないで!」

「僕ら、もう元気ですから」

「そうです。生きていればこそ、未来は開けますので」


 ひと回り大きくなった体に、毛皮に覆われているが人間と同様の手足、成犬のような顔立ち。同じく復活した他の犬人たちも同様の姿で、俺は目にするのは初めてだったが、紛れもなく上犬人ハイコボルトという上位種の姿であった。

 蘇る際に魔石を用いたせいなのか、“白撃”の魔石が特別だったのか。〈甦生〉をかけられた彼らは、上位種に進化してしまったのである。


 特に元から特別だった“紡ぎ手”など、犬の獣族セリアンと言われても違和感のない大人の美女に変化していた。

 それまで着ていたのが小柄な体格に合わせたポンチョだったため、下半身が露出してしまい、慌てて腰巻きを追加してもらったくらいだ。


「……まあ、ほら。普通の魔物でも、環境次第じゃ進化するみたいだし」


 仲間に羨ましそうな視線を向けられながら、変化した体の具合を確かめるように走ったり跳ねたりしている上犬人を見て、キャロラインは気まずげに言った。


「やらかしちまったことに変わりはねえよ……」


 魔物にとって上位種へ進化するのは喜ばしいことのようで、全員が無邪気に感謝しているし、なんなら昨日までより、いっそう尊敬されているくらいだ。

 それでも、俺たちが原因で外敵を呼び込んでしまったことは変わりなく、ひどく居たたまれない気持ちになる。

 せめて、今後はこういうことがないようにしたいものだ。


「ともあれ、今日はもう限界だな。藍之家はぶっ壊れちまったし、今晩は野宿かね」


 犬人たちの巣穴は現在進行形でずぶ濡れになっているし、天幕を張るしかないかな。物見塔の中なら夜露はしのげるだろうから、あそこで過ごすという手もある。

 できれば後衛職の二人には、安眠して心を休めてもらいたい。


「それなんだけどね。藍之家の方は、魔石で修復できそうだよ」

「そうなのか!?」


 長々と語り出したキャロラインの説明を要約すると、あの家を維持し周辺環境を整えるための仕組みや、館を管理していた人工精霊の家守ブラウニーは無事だったらしい。

 家屋や温泉の修復にはかなりの魔力が必要となるが、幸い“黒烈”の魔石はまだ五個も残っている。


「家の修復に三個、荒れてしまった土地の回復に二個。使い切ってしまうのが惜しくはあるが、“蒼葬”の魔石も回収できるしね。収支はプラスと考えていいんじゃないかな」


 そう言えばあいつの死体も放置してしまっているな。“白撃”のやつも含めて、どこかに埋葬してやらないと。


 後は、生き埋めにした“緋惨”をどうするか、だ。本当は今すぐにでも赴いて、四人がかりで挑むべきなんだろうが、マルグリットは限界だしキャロラインも似たようなもんだ。

 俺も肉体こそ回復しているが、魔力はかなりきつい。元気なのはアレクシアだけか。


「放置して寝首をかかれても間抜けだし、なんとかやるしかないわね」

「まあ、そうだね。リットが起き次第、作戦を考えようか」


 うーん。魔石を砕いて魔術を発動させるやり方は、二人の手が塞がる上に、どうしても一手遅れる。


「いっそ、洞窟外から〈隕星メテオストライク〉を連発するかい?」


 魔女から過激な提案が飛び出した。洞窟が完全に通行不可能になってしまうし、盆地を覆う認識阻害の魔術にも悪影響が出そうだから、できれば避けたい手だな。


「〈隧道トンネル〉で直通路を作って、あたしが聖剣で滅多切りにするってのは?」

「それだ。冴えてるなアレク」


 土や岩に穴を空けて道を造る呪文である〈隧道〉なら、身動きの取れない“緋惨”のところまで一本道を作って、そのままタコ殴りにできる。

 卑怯な手だが、魔王軍を相手に正々堂々なんて言ってる場合じゃない。俺なんか今日は『挑発して仲間に隙を突かせる』ことしかやっていないし。


 そうやって作戦を考えている間に、森から聞こえる雨音に雷鳴が混じりだした。放っておくと。森がそっくり水没しそうな勢いだ。


「さすがに消火は、もう十分かな?」

「そうだな、呪文を止めて──」


 なんとなく空を見上げた俺は、嫌なことに気づいた。“緋惨”のやつは小型の分体を浮かべて、戦場を監視していたはずだ。

 それがいつの間にか、一体もいなくなっている。


 本体にその余裕がなくなったというなら結構なことだが、分体を使ってなにかしていたのだとしたら。


「!? キャロ、リットを守って! イアン!」

「わかってる!」


 唐突に膨れ上がった気配にまず反応したのはアレクシア、遅れて俺も気づく。正体など確かめる必要もない、魔法銀の短剣を気配の元へ、洞窟があった方の上空へ投げつけた。

 ほとんど同時に魔道具の鞘から刀身が身の丈ほどもある大剣を──どうやってかは見ていても不明なんだが──抜いた勇者が、気合一閃、そいつを振り抜く。剣の軌道に沿って生まれた三日月のような光が、恐ろしい速さで空中に走った。


 以前に洞窟の天井を破壊し、その後の俺に勝機をもたらしてくれた大技。だがその飛ぶ斬撃は、直前に受け止められた俺の短剣によって切り裂かれた。


 くそ、まずい展開だ。最悪と言ってもいい。


 見上げたその先に浮かぶのは、骨でできたような鎧を纏う、青い肌の美女――ではない。“蒼葬”の死体を外骨格で包んだ、“緋惨”ザックスであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る